第3話 予感
俺と向坂は、並んでA棟を目指した。途中、面白いようにすれ違う男子全員が、必ず向坂を凝視する。まあ気持ちは分かるが横で客観的に見てているとかなりうざい。隣の俺がこれだけ思うのだから本人にしたら相当なストレスだと思う。
「義人くん、そのキャリーバックの中身ってさっきの田尻先生の本?」
俺は大学のキャンパス内で、まるで泊りの旅行にでも行くレベルの大きなキャリバックを引く姿は、悪目立ちする。だから向坂もまずそれにツッコミを入れてきた。
「そうだよ。ちょっと目立つよね?でも向坂さんが隣にいると、皆の目が向坂さんに向くから俺的にはちょっとラッキーだな」
俺は冗談交じりでそう言った。
「なんでこう見られるのかな……」
そう言って向坂は苦笑した。やっぱり向坂もこの視線にはうんざりしているようだ。
「それにしても、それだけの本を持ってくるとか、凄い熱意よね?」
「まあ、俺は田尻の講義を受けるためにこの大学に入ったからね」
「へえ、偉いな……そっか、でも机の上に本積み上げてたのって、田尻先生へのアピールの意味もあったんだよね?」
「こらこら、そう言う鋭い指摘は勘弁してくれ、さっきのプロファイルといいさ」
「え?プロファイル?」
「白々しいな。さっきの教室でしたでしょ?」
「ああ、あれね。プロファイルってほどじゃないんだけどな」
そう言って向坂はニコニコほほ笑んだ。
「でもきっと義人くんこそ、プロファイルとかするタイプだよね?」
「流石分かってるじゃないか」
「それはお互い田尻ファンだからね?」
「だよな」
なにこの会話、なんか楽しくなってきたぞ?
だから頬がユルユルに緩んでしまった。もうニヤニヤが気持ち悪いレベル。
最初に俺は、そもそも俺以外に田尻を知る学生がいるかどうかすら怪しいと思っていた。
それがあっさり見つかるどころか、異次元級の美女、向坂ときたもんだ。
俺の気持ち悪い頬の緩みも勘弁してほしい。
「それにしても、向坂さんはどうやって田尻の心理学にたどり着いたの?ちょっと想像できないんだけど?」
「ああ~……なんていうのかな」
あれ?急に声のトーンが落ちたな。
向坂は露骨に”そこは今は聞いてくれるな”ということを匂わせる「陰」を見せた。
「ああ、いいよそれは。あとあと俺が探ってあげるから」
そのトーンの変化を丁寧に救い上げた俺は、これ以上踏み込むことを止めた。
ここは安易に触れていけない場所だ。
同時に追々関係を継続する事を匂わせた俺、ナイス!
「へえ」
向坂は少し目を細めつつそう言いながら流し目で俺に視線を送った。
「え?なに?」
「やっぱ相手の顔色でちゃんと探ってほしくないことを察知したんだよね?」
「まあ……ね。田尻フリークだからね」
「フフフ」
美しい魅惑的な笑顔を見せつつ、鋭い視線を耐えきれなくなった俺は残念ながら自分から視線を外してしまった。
さて、A棟のカフェは、K大学にいくつかある軽食店の中でも一番広く、一番洒落たな雰囲気のある人気スポットだ。
俺一人ではこんなお洒落な場所は真先に敬遠するのだが、現金なもので向坂が隣にいると”この雰囲気は最高~!”なんて思ってみる。
一限が終わったばかりだが、すでに学生の数はワラワラと多く、このカフェでもようやく見つけた2つの席に座ることができた。
相変わらず、向坂を見る男子の目線と言ったら……
俺は席に着いたはいいが、隣を歩いていた時とは違い、正面に向坂と言う美女がまるまる視界に入ると緊張して目が泳いでしまった。
さて、どうしたものかと思っていたが、ここは順当に「田尻」の話題を振ってみた。
「田尻の本はどこまで読んでるの?さっきの様子だと絶版まで知ってるみたいだけど?」
「実は、田尻先生の本、まだ全部読んでないんだよね」
「え?そうなの?」
「私が一番傾倒しているはミンデルだから」
「ああ、そういうこと」
ミンデルは田尻が最も影響を受けたアメリカ出身の深層心理学者だ。田尻はミンデルの真の後継者と言われるが、世界的に見れば天才ミンデルの知名度が圧倒的だ。そう言った意味では俺よりも向坂の方が「正統派」とも言える。
「義人くんは当然ミンデルも読んでるでしょ?」
「ああ、まあね。でも日本語に翻訳されたのだけだな。まさか向坂は原典もおさえてるとか?」
「フフ!実はおさえているんだよねー」
「マジか?」
「そうなのよー!褒めて褒めて!」
「何その勝ち誇った顔?」
「だって、これ言っても今まで誰にも褒められたことないから」
「ハハハ……そりゃそうだろ」
そりゃそうだ。ミンデルの原典を読破したところで、「へ~」以外の感想を持てる相手は今まで皆無だっただろう。
しかし、彼女がミンデルの原典まで読破したモチベーションにはやはり違和感を感じる。
外見ばかりに目が言ってしまって申し訳ないのだが、どうしてもイメージが合致しない。その理由に本人が言い淀む程の「何か」があるのはさっきの会話から窺えたが、会ったばかりでまだそこに踏み込むことはできない。確かにさっき向坂は言外に「そこは触れてくれるな」ともとれるサインを出していた。
それから忘れてはいけないのが、俺が見ている「ミンデル」を愛する向坂という人間は、彼女のわずかな一側面に過ぎないってことだ。
彼女にとって心理学が関心の全てとは全く限らない。
ここが「田尻全て」の俺との決定的な違いだ。
例えば、普通の大学生にとって大きな位置を占めるであろう「サークル」に俺はおそらく入らない。田尻の研究サークルでもあれば別だが。
向坂へのサークル勧誘は、それこそ激しい争奪戦になるのは想像に難くない。そしてそんなサークルでの人脈が、今後の大学生活で、おそらく向坂のメインとなっていくのは必然という気がする。
そうなれば、俺の出る幕はない。悲しいがそれが現実。
そこを間違えて踏み込みすぎれば、おそらく失敗する。
やはり悲しいかな「生きてる世界が違う」のは明らか。
しかし、それでも「田尻」「ミンデル」に興味があるという、普通はめったに起こり得ない共通点がこの向坂にあったというのは奇跡だ。
彼女の「この容姿」がなくとも、そんな稀有な関係を、なんとか維持したいのが本音。
そう容姿は関係なくとも、いや容姿は大切だけどね。
そんなことを想像ていると、やはり彼女のメインロードになるであろうサークルの話題が気になり、ちょっと話を振ってみた。
「向坂さんは、もうサークル決めたの?なんか”向坂争奪戦”凄そうなんだけど?」
「あれ?」
「え?なに?」
「もちろん?義人くんは入るでしょ?」
「え?どこに?」
「田尻の研究サークル」
「は?何それ?」
「知らないの?あらら?田代フリークなのにそのリサーチ不足はいけないねえ」
向坂はニコニコしながら、勝ち誇ったようにそう言った。
「マ、マジか!田尻サークルもってんのか?田尻ってそんなキャラちがうでしょ?想定外すぎてリサーチすらしなかったよ」
「甘いなー義人くんは。でも実は今年できたばっかだし、ほとんど認知されていないみたいよ」
「むむむ、これは何たる失態!俺としたことが」
割と真剣に落ち込んでしまった。でもそ、そうか、なんと田尻の研究サークルがあるのか。だったらむろん俺が迷うはずはない。
「そりゃ入る、入るに決まってるじゃん!」
「だよね」
「で?だから向坂さんは、どのサークル入るの?」
「え?私だって入るよ?当然……田尻のサークル」
お!お!お~、そう言ってほしかったけど、ちょっと自信がないのでわざとらしく聞いてしまいました。
「でも、他にも入るでしょ?イメージ的にその大所帯のテニサー?みたいな?」
「ああ、どうかなー?勧誘は凄いんだけど。ちょっとね」
「いや向坂さんがその手のサークルに入らないなんて暴動が起きそうだな」
「フフフ……まあ、それは否定しない。でも私って見かけと中身全然違うからね。ミンデルとか読んでるし」
大学に入学したばかりで既にミンデルの原典まで読破しているというのは、かなり特殊な女性だ。向坂がただ容姿が綺麗なだけの女子ではないのは確かにそうだ。しかし、普通に考えるとそんな女性が仮にたとしても、想像されるのはもっと違ったイメージにたどり着く。
少しのギャップならまだ納得もできるが……向坂の場合は、その容姿の洗練のされ方が尋常でない。その落差が大きすぎている。
それは「ギャップ萌え」のレベルを超えて、もう違和感しか感じない。
俺は今後、この彼女から感じる「違和感」の正体に近づくことは果たしてあるのだろうか?
向坂が言い澱んだ「何か」を知ることがあるのだろうか?
全く根拠のない妄想かもしれないが……俺はそれに深くかかわっていく予感をすでにこの時に感じていた。
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