第2話 急接近

「オカルト好きでしょ?」


 このセンテンスにおおよそポジティブなイメージは含まれない。


 このおそらく次期ミスキャンパス最有力候補の向坂雪菜は、見た目にも地味で、会話もきょどりまくってる俺のバックボーンをこう読んだに違いない。


『コミュニケーション苦手。強い劣等感。オカルトへの現実逃避』


 オカルトという一見「怪しげ」に見えるジャンルを先進的な深層心理学で昇華する田尻にオカルトファンは多い。


『もともとオカルトファンだったのが高じて、心理学へ手を伸ばしたら田尻に行きついた』


 そんな高二病を引きずった"痛い"男。


 おそらく向坂が即座に辿りついたであろうこの結論。


 ただこの問いへの俺の応えは「イエス」でもあり「ノー」でもある。


 人間の心を扱う心理学は、科学的手法によって証明されることに雁字搦めになったら臨床的な応用は難しい。だから過去の著名な心理学者の多くは科学的に実証なんてしなくともその天才的な洞察力で心の仕組みを説明して見せた。


 極端に言えば科学的手法とは対極にあるともいえる精神分析学のフロイトに端を発しユングの影響を多分に受ける田尻の心理学はユングの心理学が「オカルト的」と揶揄されるのと同じ理由で多くの批判を受ける。


 だからそんな田尻を心酔する俺が「オカルトに興味がない」と言ったら嘘になる。


 ただこの「オカルト」と言う言葉の意味も、使う人によって持つイメージは様々だ。幽霊や超能力やUFOやそんな世界に過剰にハマる人が一定数いるのは俺もよく知っている。


 しかし俺がその一定数に含まれると言えば「否」となる。そこまでではない。


 「オカルト」という用語に代わって最近すっかり市民権を得た「スピリチャル」という言葉がある。


 俺の場合はスピリチャルには多少興味がある、とでもいえば当たらずとも遠からずといったところだ。


「まあ、そうだね」


 俺は向坂雪菜がオカルトという言葉をどういった意味合いで用いたのか分からずまずは曖昧に返事をした。


「そうか、オカルトマニアってわけじゃなさそうね」


「は?そうは言ってないけど?」


「今の義人くんの表情から推察するに”まあスピリチャルには興味あるけどオカルトマニアと言われるとね”なんて想像したように感じたんだけど、違う?」


 俺は少し背筋に寒いものを感じた。いきなりプロファイルはじめんなよ。


 向坂という女性が、間違えてこの教室にきたのではないことは今の見事なプロファイルで確信した。



「オカルト好きのイタイ現実逃避男かどうか確認したってことか……いきなりそんな探り入れるなよな、全く」


「だって初日にこんだけハードカバーの本を机に並べちゃうとか……私も田尻先生興味あるけど、なんか義人くんて偏執的なのかなってちょっとだけ警戒しちゃった」


「本人目の前にして警戒してるとか……初対面なのにひどくね?」


「あら、初対面だから警戒しているんだけど?違う?」


 た、確かに。むむむ……理詰めできたな。


 俺は何も言い返せずに黙りこくってしまった。


「アハハ!なんか義人くんて面白いね」


 すでに美女とさえない男の不思議なシチュエーションの会話にチラチラ横目で見ていた学生達が、向坂が甲高く笑い声を上たことで、一斉に向坂の方を向いてしまった。


 自意識過剰な俺は反射的に首を引っ込めるように黙ってしまった。向坂も会話に満足したのか嬉しそうにしながらようやく俺から視線を外した。


 いやいや、今のどこを切り取れば俺が面白い印象になるんだよ、まったく。


 いかんいかん。


 のっけからペースを乱されてしまった。


 これからの講義に集中しなくては。


 そのために苦労してこの大学に来たのだ。こんな雑念に惑わされている場合ではない。


 まもなくして田尻が教室に入ってきた。


 写真で何度か見たことがある容姿。一見するとどこにでもいる中年男性。しかし俺はすでに感じていた。田尻から感じる異質感を。少し前に向坂雪菜がオンボロな教室を一瞬できらびやかな空間にひっくり返したように今度は田尻がこの教室を一種異様な空間に作り返した。言葉で説明するのは難しい。


でも田尻のワークショップに出席したクライアントが皆が口を揃えていこういう。


「なんか田尻先生にすべてを操られていたんじゃないかって錯覚しました」


 いや違う。それは錯覚ではない。きっと田尻に操られたいたのだ俺は想像していたが、田尻を一目見て俺はそれを確信した。


 そして俺が田尻のワークショップのクライアントではなく大学講義のいち生徒であることに安堵した。流石に田尻でもいきな大学の学生相手に心理療法を仕掛けることはないだろうから。




 田尻が来てからは向坂も俺に視線を向けることはなかったので、思ったより講義に集中できた。


 はじめて受ける田尻の講義。


 一年生に教える講義だ。中々いきなり突っ込んだ話にはならない。田尻フリークの俺からするとかなり物足りない。


 大学の講義と言うのは往々にしてベーシックなところをすっ飛ばして講師の趣味を学生に押し付けるような講義が多くある。だから俺もそれを期待していたのだが、実直に深層心理の歴史から入る辺りは田尻は思いのほか真面目な人間なのかもしれない。


 それでも説明の端々に上る田尻の話に魅かれるポイントは多くあった。俺はノートをとりながら用意していた分厚いハードカバーの本を何度もひっくり返して田尻の説明を確認するという作業を繰り返した。この前のめりすぎる講義態度に周りの受講生が奇異の目を向けドン引きしていたのは言うまでもない。


 ただ、そんな俺に奇異の目を向けていない学生が一人だけいた。


 向坂雪菜だ。


 俺は講義に夢中になり隣に座る向坂のことを忘れていたが、うっかり向坂に意識が向かった瞬間、ふとあることに気付いた。


 彼女も俺のことを忘れている。


 俺って存在感ないしね……じゃなくて!


 周りの受講生が俺に奇異の目を向けるというのは、つまり彼らが講義に集中できてない証拠でもある。だから俺みたいな目立たない人間の講義態度などにまで目が向いてしまう。


 向坂が俺を見ていないということは、つまり彼女も俺同様に講義に集中しているとうことだ。


 俺は少しだけ横目で向坂の様子を窺った。


 すると俺が「ここは」と思いノートをりはじめると、隣の向坂も申し合わせたようにノートをとりはじめる。


 俺はそのことにちょっと驚いた。俺と全く同じポイントにいちいち反応してノートをとっている。


 この意味するところは……


 向坂は少なくとも俺と同レベルで田尻の講義に集中し、しかもポイントを外さずに理解していることになる。


 そんな彼女を見ていたら、やめときゃいいのにまた少しだけ彼女に興味を持ってしまった。


 自然に視線が彼女に向かう回数が増える。


 すると、うっかり向坂のノートを凝視しているところを彼女に気付かれてしまった。


 わざとらしく視線をずらして顔を背けたが、今度は彼女が目ざとく俺のノートを見つけてしまった。


 そして、彼女は大きな目を見開いて驚いたように俺の顔を見た。


 彼女の目線に耐えられなくなって、うっかり俺は……横目で彼女の表情を「チラ見」してしまった。


 案の定、彼女と目が合った。


 すると、彼女は少し嬉しそうに微笑んだ。


 こんなことですら異様に恥ずかしくなり……またもや顔が火照ってしまった。


 ほんと俺って美人耐性ないよな。


 そんな俺を見て「プッ!」と向坂は噴き出した。


 ああ赤面してるのバレたのね。まあ喜んでもらえて何よりですよ……俺は恥ずかしい限りだが。


 向坂は噴き出しつつも下を向いて、またせっせと講義のノートを取り始めた。


 ヤバいな。


 これはヤバいでしょ。


 あれだけの容姿で、俺に匹敵する田尻フリークとは。


 俺は押さえようにも、心が浮足立つのをこらえきれず口角が講義の間中上がりっぱなしなのに途中で気付いて苦笑いしてしまった。


 



田尻の一回目の講義が終了した。


「まあ最初はこんなもんかな」と思いつつ、俺は早々と席を立った。


 むろん隣に座る向坂のことは大いに気になるのだが、仲良くなるチャンスとばかりに積極的に話しかける行動原理が俺には存在しなかった。


 残念ながら。むしろ俺はまだ微妙すぎるこの向坂との関係性が気恥ずかしくもあり早々に逃げ出したかった。


 そんな俺の思惑も知らずに向坂は俺を呼びとめた。


「櫻井くん……」


 あれ?さっき”義人くん”って名前呼んだのに?


 と……どうでもいいことにフォーカスしてしまった。


 でも俺の悪い癖で、どうにもこう言った距離の取り合いに対抗したくなる。


「あ、義人のままでいいけど」


 って、なに上から言ってんだよ?


 でも、これ言ってみたかったんだよね~。俺から距離つめてもいい許可出すみたいな?


 向坂はビックリしたように目をパチクリとした。


 そして、意地悪そうな目をして俺を見て……頬笑みながら言った。


「それは、どうもありがとう」


 ありがとう……


 ありがとう?


 なんでありがとう?


 名前呼びを許可してくれてありがとう……ってこと?


 なんか頬が緩んでる、キモイ俺。




「この後、時間ある?」


「は?」


 向坂が切りこんできたので、また俺は怯んでしまった。


「あ、あ~、そうね。次は講義ないから大丈夫」


 辛うじて、そう返すことができた。


「じゃあ、ちょっとお茶しようか?A棟のカフェでいい?」


「お、おう、そうね」


 な、なんだ?この展開?




 ふと辺りを見まわすと……


 そうだよな。そうだよ。そのリアクションだよ。


 向坂雪菜という異次元級の美女が、なんか冴えない男をお茶に誘ってる。


 異様だよね……俺だってまだその異様な状況についていけてないから。


 大いに奇異の目で見てもらって結構。



 俺はすでに向坂が普通の美女ではないことは了解している。田尻というディープな深層心理学に相当興味がある。俺とのほんのわずかな会話からプロファイルするなんてジャブまで打ってきた。


 外見だけで語るなら彼女は俺とは全く不釣り合いだ。でも間違いない。俺が彼女に外見以上に興味を持ったように向坂にしてもきっと俺に興味を持ったはずだ。


 それぐらい田尻の心理学なんかに興味を持つなんて希少なことなのだから。


 まあ……しかし周りが見る光景としては、この美女とさえない男はきっと相当異和感のあるものだったと思う。

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