向坂SAKISAKA~心の闇を照らしたもの~
鈴懸 嶺
第1話 出会い
難関市立大学で名を馳せるこの大学には、まるで国際会議場とか国立博物館とか美術館と呼んでも不思議でない仰々しい講堂が立ち並ぶ。
しかし、今、俺が向っている場所はそれらの講堂とは違い、どこか懐かしい小学校の校舎のように見える。よく言えばノスタルジックな、悪く言えば古めかしい、いやオンボロな校舎だ。
俺はキャリーバックをゴロゴロと引きながら朝一の講義に向かっている。そんな俺の姿がどうやら講義を受けに来る大学生には異様に映るようで、すれ違う生徒がいちいちその大きなバッグに視線を向けてきた。
始業前の大学構内。
すでにキャンパスには多くの学生が往来している。この時間にキャンパスで見かけるのは朝一の講義を受ける学生達だ。
開講時間までに余裕のある時間帯からか、学生の動きもどこかマッタリしている。
あちらこちらで学生たちの談笑が聞こえているが、キャンパスの中央通りを過ぎ、俺が向かうオンボロ……もといノスタルジックな木造平屋の校舎に近づくと途端に人通りが途絶えて静かになる。
教室に入ると、流石に俺以外の生徒の姿はなかった。教室の中はまるで小学校や中学校使われる小さな学校机と椅子が狭い教室に所狭しと並べられていた。
俺は一旦、迷うことなく最前列の席を陣取った。
ただ早く教室に着き過ぎた俺は、手持ち無沙汰からか考えなくてもいい雑念が浮かび、いつもの自意識過剰な自分が頭をもたげる。
「一番に前に座るとか、アイツなんなの?」
そう嘲笑される自分を想像してしまい、三列目まで席を移動した。
それでも三列目という微妙な前よりの席を選んだのはやはり今日の講義に挑む気持ちを抑えきれなかったからだ。
俺、
このK大学を受験する目的はきっと様々なのだろう。
曰く……
「選択肢を増やすために、とにかく有名校に入っておく」
「就職に有利だから」
「K大学のブランドを手にしたい」
「ヒエラルキーの上位に君臨したい」
「異性にモテたい」
e.t.c.
目的は色々あるとは思うが、俺のようにどうしてもこの大学で学びたい学問があるという、本来であれば、最も真っ当であるはずの理由でこの大学に来ている人間は案外少ないのかもしれない。
俺にはどうしても学びたい学問がある。もっと言えば、「ある講師」の講義が受けたくてこの大学を選んだと言っても過言ではない。
俺がこれから受ける講義名は「深層心理学概論」
講師は「田尻明彦」
講義名を見る限りでは、どこの心理学部でもありそうな面白みのない講義のように思えるのだろうか。
しかし「田尻明彦」のような学者はそうはいない。
一言で言えば「キワモノ」だ。
これがサイエンスの世界なら”マッドサイエンティスト”とも呼ばれそうな、そんな雰囲気のある学者である。その「キワキワ」故に、むしろ一部の人間から異常な程に人気がある。
むろん俺もその一人なのだが。
しかし彼のその人気がイコール、アカデミックで評価されているかと言えば、かなり微妙だ。
どちらかと言うと彼の印象は「学者」というより「教祖」に近い。
俺は高校一年の時に田尻の著書に出会った。以来、貪るように彼の本を読んだので今では田尻の関係する図書はほぼ読破してしまっている。だから、もうこれ以上田尻の心理学を知りたいなら田尻が唯一教鞭を振るうこのK大学に入るしかなかった訳だ。
今日はその一回目の講義。だから「田尻フリーク」である俺にしたら、はやる気持ちを抑えられないのは仕方のないことなのだ。
開講の10分前くらいになると「チラホラ」と教室に入ってくる生徒が増えてきた。
俺にとっては「教祖」のような存在である田尻の講義だが、こんな小学校のような小さな教室に追いやられている現実から、彼のこの大学でのポジションが窺える。
いやむしろ新進気鋭のデザイナーが設計したような校舎が立ち並ぶキャンパス内に、こんな木造平屋の校舎を残したものこういった不人気な講義をする場所を残しておくという大学側の思惑もあったのかもしれない。
俺のような変わり者でない限り、一般大学生が興味を持つ種類の学問ではない田尻の講義。だからこの講義に人気が集まるとは到底思えない。
教室全体の席は30席程度しかない。だからしばらくするとおおよそ席が埋まってきた。
ただ俺の両サイドは綺麗に席が空いてしまっていた。
俺は今日の講義のためにハードカバーの分厚い田尻の図書を10冊程も持参していた。大きなキャリバッグを引いていたのもこれらの本を入れるためだ。
そして俺はその分厚い図書を所狭しと小さな机の上に積み重ねて講義を待っていた。
そんな俺の前のめり過ぎる姿に臆して近寄れないのかもしれない。
結局開講の定刻にまで、ついに俺の両隣りに他の生徒が座ることはなかった。
さてそんな些末なことを気にしている場合ではない。いよいよ田尻の講義が始まる。
俺は田尻の登場を今か今かと気を急いて待っていた。
そんなタイミングで……
突如、教室に飛び込んでくる学生がいた。
「はあ、間に合った……」
と小さくつぶやいたその学生は、顔を左右に振りながら教室を見渡し、空いている席を探った。
俺の席は両隣ポッカリと空いている。しかし狭い教室の席は俺の両サイド以外は埋まってる。
だからその学生は迷いもせずに俺の席に近づいてきた。
はたして、その学生は俺の真隣に座った。
小学校で見かける小さな机だから隣に座られると距離が近い。
だから、今座った学生からほのかに漂う心地よいフローラルな香りが俺の鼻腔を刺激した。
その学生は、教室に入ってきた瞬間から教室にいる全ての学生の目をくぎ付けにした。
「なんだ?あれは?」
なんとも陳腐な表現で申し訳ないが、俺はとっさにそう小声で呟いていた。
俺の隣に座った学生の容姿は、およそ平均的な女子学生のレベルを逸脱していた。
彼女は教室に入るなり、オンボロな木造教室という風景を、その容姿だけでキラキラした空間に変容してしまったかのような錯覚を覚えた。
「ここは、ミスキャンパスのオーディション会場かよ?」
ここは大学の教室だよな?
だからそんな馬鹿げたセリフを真剣に吐き出している自分がいた。これが「場の空気が変わる」ってやつか。
俺はこの時、妙に納得してしまった。
身長は俺より高いかもしれない。日本人の体形も最近は欧米化しているからこういう表現は古臭いのかもしれないが「日本人離れした体系」というのが一番しっくりくる。
足が長いし、顔も小さい。しかし長身でスタイルのいい体系とはちょっとアンバランスに顔はやや幼い印象。
その顔は形の整った中性的な顔立ちをしていたが、幼い顔立ちとの絶妙なバランスが奇跡的すぎて、こんな俺でもザワザワと心がかき乱された。
肌の白さは決してメイクによるものでないナチュラルな透明感を放っている。髪はショート。急いで走って来たからなのか少しその髪は乱れ、その透き通った頬は少し紅潮していた。そんな彼女の美しくそしてスポーティーな容姿はボーイッシュな印象を受ける。
さらに。俺はファッションのことはそれほど分からない。しかし、素人の俺が見ても彼女の外見は「ちょっと普通の大学生ではありえんな」と思えるほどに洗練されている印象を受けた。
高校時代に見なれていた女子高生と言うのは、選ばれし一部の女子以外は、みなどんなにがんばっても平凡な印象に留まっている。学園モノのドラマとか、映画とか、マンガとか、アニメで表現される華やかなステレオ的な「ジョシコウセイ」というのは幻想でしかない。
しかし、どういう訳か大学生になると、幼虫から脱皮した蝶のように女子たちは「急に」華やかで、洗練された印象に豹変する。
「おまえらみんな大学デビューか?」と突っ込みたくなるくらい、大学で見かける女性の印象は高校時代とは急変する。だからキャンパスでは思わず目がいってしまう見栄えのいい女子大生は意外に多い。
俺の隣に座るその女性は、そんな華やかな女子学生達と比較しても、突き抜けている印象を受けた。
色々な疑問が浮かんだが、なんとか俺を納得させた推理はこうだ。
「別の講義と間違えて来てしまった」
きっとそうに違いない。この大学でトップに君臨出来るであろうポジションにいる「表の世界」の彼女が、「裏の世界」の象徴のような、この「キワキワ」な田尻の講義を受ける理由がない。
「あれ?わたし、教室間違えちゃった?」
とでも言ってくれれば予定調和の納得いく風景になったのだが……
そんな彼女が不意に口を開いた。
「田尻先生好きなの?」
一瞬、何が起きたのかわからずポカンと口を開けてしまった。
俺の放つ禍々しい「話かけんな」オーラは相当強いはずなのだが、そのオーラを易々と突破してこの女子学生が俺に話しかけてきた。
まあ、それは百歩譲ってあり得ることだ。
相手がどう反応するかなんて関係なく話しかけることができる人間は多い。特にこの「未来のミスキャンパス」のように絶対的な「勝ち組人生」を歩んできた人間は。自分が話しかけることで相手に不快な思いをさせるかもしれないなんてことは想像だにしないのだろう。
だからそれはいい。問題は放たれた言葉だ。
田尻を知っているだと?バカな。そんなはずはない。
いや、講義の説明資料はあるのだから名前くらいは知っているか。深い意味はないのか……
「え?……あ、ま、まあ」
咄嗟に話しかけられてモゴモゴと明快な返事ができない自分にガッカリする。いや咄嗟でなくても美人に話しかけられればいつもこんな感じなんだけどね!
さて、ほんとはこの田尻ネタに電光石火の勢いで食いつきたいのだが、相手の質問の意図が分かりかねるのでこの質問に前のめりに食いつく訳にはいかない。
ここでうっかり食いついてしまったら、途端にドン引きされる悲しい風景を何度経験したことか……
そんな暗い過去を思い出して勝手に暗い顔をしていると、彼女はとんでもない追い打ちをかけてきた。
「フフ。田尻先生好きなんだ。あ!その本も読んだの?それなかなか読んでる人いないよねー?」
血の気が引くとはこのことだ。
鳥肌までたった。
目の前で起きていることがイマイチ理解できない。
正常な思考回路を取り戻せずに、言葉が出てこない。俺は相手が絶世の美女ということをすっかり忘れて、その整った顔を穴があくほどに凝視してしまった。
女性の顔をここまで凝視するとか、普段の俺ならあり得ない。
しかし彼女は俺の視線には全く意を介さず話しかけてくる。
「私、
「あ、櫻井義人だけど……」
「櫻井義人くんか……よろしくね?」
「え?あ、ああ、よろしく」
っていきなり間合い詰め過ぎだろう?応年のマイク・タイソンだってそんな踏み込み鋭くねーぞ!!
幸いにここで一旦、会話が途切れた。
さて、状況を整理しないといけない。
彼女はとてつもない美人だ。まあ、それはいい。いや男にとっては重要なことだが女性とのコミュニケーションそれほど長けていない俺にとって彼女は「さわるな危険」の最たる存在だから、そこにフォーカスしてはいけない。決してね。
問題はその後だ。
彼女は俺が尊敬してやまない田尻明彦を知っている。しかも俺がオークションでようやく手に入れた絶版の「この本」をピンポイントで目敏く見つけて反応してきた。しかもあの口ぶりでは、彼女もこの本を既に読んでいる可能性すらある。
「そうだ義人くん、なんで田尻先生が好きなの?」
はぁ?なんでいきなり名前呼び?そのコミュ力恐いよ、恐い!
女性からの”名前を呼び”に全く慣れていない俺は無様にも耳が熱くなるほどに血が頭に昇りドキドキしてしまった。そんな俺の一人相撲を意に介することなく彼女は涼しい顔で俺の返事を待っている。
「いや、それを一言で説明するのはちょっと……」
「まあそうだよね……フフフ」
この美人、向坂雪菜はニコニコとほほ笑んだ。
だから形が好過ぎる小さな口でそんな微笑まんでくれ。俺の口元まで緩んでしまう。
どうでもいいんだけど。いや、ちょっと嬉しいんだけど。俺ちょっとキモいんだけど?
数度の会話で既に「いけてる綺麗なおねえさん」と「残念でモテナイ男」的な役回りが出来上がっていて凹む。まあいつもの俺の自意識過剰&被害妄想かもしれないが。
クソっ!顔はボーイッシュで幼い癖にお姉さんキャラとか、どんだけ最強なんだよ、それ。
「義人くんが、田尻先生が好きな理由、当ててみようか?」
「はぁい?」
唐突な向坂雪菜の問いかけに思わずすっとんきょうなリアクションをしてしまった。
「え?どういうこと?」
そう問い返すと、向坂は意地悪そうな笑みを浮かべてこう言った。
「君、オカルトすきでしょ?」
背中にジワリとやな汗が流れた。
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