第14話:運動会
運動会、それは子供が汗水流し、切磋琢磨し、泥臭く勝利を勝ち取るためにある、いわば学生たちの陸上競技オリンピックだ。
勝ったからなにがあるわけではないが、明確な意味はあると思う。
そんな運動会の当日、朝から忙しなく動いているのが、俺の奥さんこと、文月瑞希である。
鼻歌を歌いながら、ボブカットの髪を左右に揺らしては、行ったり来たり。トントンと包丁で何かを切ってはフライパンに移して、ジュウジュウと音を鳴らしていた。
香ばしい匂いが鼻孔を擽る。その匂いに釣られてか、お腹がぐぅ~と情けない音を上げた。
そんな俺の腹の音が聞こえたのか、振り返ることもせず、背中越しで「残念ながら、これは朝ごはんではありません」と言われてしまった。
想像に容易い。
彼女が作っているのは今日行われる運動会でのお昼ご飯。心と志世が通っている幼稚園はお昼を家族で食べるのが決まりになっている。
なので、自分達の昼食を作っていると簡単に解は出たのだ。
それにしても気合入りすぎだと思う。……だって、今、朝の五時なんだぜ? キッチンでガチャガチャやられてしまったら、起きたくなくても起きてしまう。
こんな朝早くから何やってんだ、うるさいな。なんて悪態の一つもつきたくなったが、怖いのでやめておいた。
そうして俺は目を覚まし、ぼけっと座りながらスマホで天気予報を眺めて、安堵する。
幸いなことに、今日の天気は晴れ。
運動会の天敵は天候だ。自然に逆らうことは出来ないからな。
10月と言えど、そこそこ気温が高い。朝晩は寒いが、日中は普通に暑い。長袖なんて着ようもんなら汗だくになってしまうだろう。
秋さんと呼ばれる季節は非常に気難しいことで有名だ。
寒いかと思えば暑くなり、熱いと思ったら寒くなる。ほんと一定の涼しさを提供してくれよ秋さん。
……って、そんなことはどうでもよくて。
俺も起きてしまったんだし、やれる事はやっておこうと重たい腰を上げ、スポーツウェアに身を包んだ。
「走りに行くの?」
「うん、行ってくる」
靴を履き、家を出る。
入念なストレッチをして、いつも通りに走り出す。
どうせならかっこいいところを見せてやりたい。そんな思いが自分の足を動かしてくれている気がした。
去年は志世にダサいところを見せてしまった。がっかりさせてしまった。
だからこそ、俺が走る意味がなくなったとしても、準備は怠ってはいけないと思う。やれる事はやる。失望が一番きつい。俺が一番よく分かってる。
志世のためにも、そして瑞希の為にも。俺はかっこいいところを見せてやりたい。
——結局、男なんていつだってかっこつけだ。
♡
早起きして、ご飯を作る理由なんて一つしかない。
緑の為である。
彼が頑張っていることを私は知っている。誰よりも近くで見てきたから。
たかが、子供の運動会かもしれないけれど、されど運動会なんだ。
きっと緑が走るのは昼食後の午後の部だ。
見てきた努力があるから、私が出来るのは背中を押してあげること。美味しいご飯を食べて、よしっ、行って来い! って力をあげる事だ。
だから私も怠らない。
だって、旦那のかっこいいところみたいじゃない?
「頑張れ、緑」
小さく呟いて、その想いを料理に込めた。
♢
家に帰ると、瑞希が寄ってきて、タオルとアクエリアスを渡してくれた。
部活のマネージャーみたいだなと、アラサーのおっさんが青春を思い出して、青春を満喫してみたりした。
「お疲れ様」
笑顔で迎え入れてくれる辺りもマネージャー過ぎる。
部活をしている子がマネージャーに恋をしてしまう理由もどことなく理解できる気がする。
だって、可愛く感じるもの。えっと、瑞希は可愛いよ。これは大前提としてね。
「ありがとう」
受け取ったタオルで顔を拭き、アクエリを流し込んで身体を冷やした。
「ちょっと汗くさい。シャワー浴びてきたほうがいいよ」
「あのさあ、もうちょっとなんか言い方ないの?」
「なによ。遠まわしに言ったって、同じ事じゃん。遠まわしに言われて、自分で考えて「あ、俺のこと臭いと思ってるんだ」ってなるよりよっぽどいいでしょ?」
……うん、納得。明らかにそっちのが泣けるわ。
「最初からシャワー浴びるつもりだったから入ってくる」
「そうしてくるれると助かるわ」
俺ってそんなに臭いのかなぁ……年かなぁ……もう加齢臭とかきちいよなぁ……。
「もう少し優しくしてほしいものだ。瑞希は最近、俺に容赦ない」
「あら、そう? それはごめんね。早く入ってきて? ほんと、お願いだから」
「泣くよ!? 俺だって人の子なんだからね!?」
そう言うと、瑞希はケラケラと腹を抱えて笑い始めた。
「冗談よ、臭くないわ。ただ、エチケットってのを忘れないで欲しいから言ってるだけ」
言いたいことは分からんでもない。歳を取ればとる程に、ヒトは、特に男は、自分のエチケットを怠る。今言われているように自分が臭いのに、何もしないとかね。自分のことだからと思って何もしないけど、じつの所、結構人に迷惑を掛けてしまっている。気付いてほしいね、せめて汗拭こうね?
「……ほんとか? 臭くない?」
「ちょっと臭い」
「やっぱり臭いんじゃん!」
「冗談よ。早く入って、ゆっくりご飯食べましょ」
——だから、背中を人差し指だけで押されるこっちの気持ちを考えようね。
****
幼稚園に辿り着いた。
遠目から見える正門には西幼稚園運動会と可愛くポップに書かれた看板が聳え立ち、たくさんの親御さんたちがひしめき合っていた。
お父さん、お母さん、そして祖父母。お姉ちゃんと思われる人やお兄ちゃんまで。下の子の応援に駆け付けていた。
園外のフェンスから運動場を見ると、ここはキャンプ場か何かか? と勘違いするくらいにテントが張られており、ちょっと顔が引き攣る。
「子供より親の方が張り切ってない? 小さいテントかもしれないけどいいのあれ? 俺らの時代では考えられない光景だな」
「私も思った。運動会にテント張る親はいなかったわ。ビニールシートだよね……せめてキャンプ椅子くらいなら、ね?」
隣にいる瑞希も同様に引いていた。
うちの姉さんは流石にそんなんではないよね……え、大丈夫だよね?
「と、とりあえず茜さんと合流しよ? 正門で待ってくれてるらしいから」
「そう、だな」
人だかりに入っていき、正門に辿り着くと茜が疲れた顔をして、立っていた。
「お待たせ。どうしたそんな顔して」
「こんにちは、茜さん」
「どうもこうも大変だったのよ。今日はありがとね、瑞希ちゃん」
「いえいえ、私も楽しみにしてますから! 今日は応援団です!」
察するに、志世のことで間違いないだろう。駄々をこねて、行かないとか言い始めたとみる。
「正輝君はどうするって?」
「よく分からないわ。普通に仕事言ったし」
「そうか、まあそうだろうな」
「とりあえず場所は確保してあるから着いてきて。志世も心も待ってるから」
「「はい」」
茜の後ろを歩いてついて行く。
「ねえ、正輝さんはどうしたの? 結局来ないの?」
茜の顔を見て心配になったのか、小声で尋ねてきた。
「うーん、どうだろう。やる事はやったつもりだし、あとはあの人次第って感じ。電話が掛かってくるか、テレビ電話かで話は変わってくるかな」
「なにそれ、意味わかんない」
「瑞希は心配するな。志世と心を応援してやってくれ。特に心は瑞希のこと好きだから喜ぶと思うぞ」
「そんな事は言われなくても分かってる」
「なら、こっちはこっちに任せてくれ」
この話は終わりだ。と付け加え、志世たちが待つ場所へと足を運んだ。
「あーちゃん!」
大きく声をあげたのは心で、志世は胡坐をかいてそっぽを向いている。
……拗ねてるなぁ。
「心ちゃん、志世くん、こんにちは」
確保してあった場所には、テントは張られていなかった。
大き目のレジャーシートにキャンプ椅子が一つ。簡素に休憩場所が作られていた。
「テントが張ってあったらどうしようかと思った」
「あー、あれね。うん、時代だね」
茜はテントの方を見て、苦笑い。
どうやら話を聞くと、最近はテントを張るのはごく普通だとか。運動会に適した小さめのテントすら売ってると言っていた。気になって、『運動会 テント』と調べると、当然のように出てくるから驚いた。
「まあ俺はこっちの方が落ち着くわ。なあ志世?」
拗ねている志世に声を掛けるが、「別に僕は何でもいい」と塩対応だ。
瑞希は心とおしゃべりをしているので、俺は志世の横に座って、おしゃべりをしようと思う。
「志世、お前は好きな子とかいないの?」
こういう時は恋バナに限る。
「…………いないし」
くぅー! 素直じゃねーなぁ! こいつぅ。間が空き杉田玄白だろうよう!
「どっちでもいいんだが、女の子にかっこいいとこみせた方がいいぞ。男はモテてなんぼ、かっこつけてなんぼだ」
「みどり、ぼくはモテモテだよ」
……は? 何言ってんだこのガキ。
「冗談はほどほどにな。見栄を張るのは良くないな」
「うそじゃねーし! ほんとだし!」
「緑にはそれが本当か分からないなぁ。今の所、拗ねてるただのガキんちょにしか見えんから。モテモテならそういう所見せてくれよ」
煽る。いい方法ではないが、これでその機嫌が変わるなら願ったりかなったり。
「なんでそんなところみどりに見せないといけないんだよ」
「見せられないってか? だっせ、やっぱりうそつきの見栄っ張りじゃね?」
「はあ!? だったら見せてあげるし! 指くわえてみてな!」
おい、どこで覚えたその言葉。おじさん、言葉遣いには厳しいから許しませんよ! ……なんて言わないけど、それを言うのは俺だけにしとけよ。どうせドラマとかの受け売りだろうけどよ。
「おうおう、じゃあ見せて貰おうじゃないか。お前のかっこいいところをなぁ!」
そんな言い合いをしていると、茜が「志世、心、集合の時間だよ」と声を掛けた。
「みてろよみどり!」
びしりと指を差して、去って行く志世。
その背中が子供とは思えないほどに、大きく見える。
そして、後ろ姿を見送ってると、一人の女の子が志世に近寄り、手を繋いだ。
……まじか。
手を繋いだ志世は後ろを振り向き、ニヤリと俺にだけ笑ってみせた。
——志世さん、疑ってごめんなさい。
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