閑話:髪の毛を切りたい
とある休日。
201号室の部屋を片付けていた。
来たる引っ越しに向けて、着々と。
そもそも、まだ家すら決まっていない。でもどうせ決まると思ったから、今からやったって問題はないと思った。それに俺は早めにやっておかないと、ギリギリまでやらない可能性まであったりもする。
そうなれば、瑞希がキレる。
つまるところ、瑞希に怒られるのが怖いから、今やっているという本音です。
その瑞希はというと、隣の部屋でゆったりと自分の時間を過ごしている。ここ最近、あんまり構ってあげられていないという引け目もあったりするが、怒られるのが怖いから我慢してほしい。
よくよく考えれば、結果は怒られることに変わりはない……ってなんだよそれ、瑞希怖すぎじゃん……。
「ねえ、みどりー」
「ひっ!?」
考え事していたせいで、瑞希がこちらの部屋に来ていることに気付かなかった。
「そんな驚いてどうかした?」
「い、いえ……特に何も言ってませんし、貴方はお美しいですよ。全く持って恐ろしいなんてことはないです」
「そんなこと考えてたからビビってたのね。いい度胸してるわ」
あ、あれ……? もしかして俺、今全部言っちゃった!?
「いやいやいや! 瑞希は可愛いなって思ってた。本当に」
「はいはい。どーも、ありがとうございます」
意外や意外。殴られるところまで考えていたのに、怒りすらしない。
「……んで、どうした?」
「そうそう! テレビ見てたらさぁ、イメチェン男子の番組がやってて、それで思い付いたの!」
あぁ、これは嫌な予感。どうせろくでもないことだ。
「思いつかなくていいから。回れ右して帰ってどうぞ」
すっと、玄関の方に手を向けた。
「帰るわけないじゃん! って、そんなことはどうでもよくて! 私に名案が舞い降りたの!」
すごい嬉しそうに言ってくる。こりゃ多分、もう断ることはできない。というか、そんな顔を見せられたら断ることもできない。
「とりあえず聞くだけ聞こうか……」
「そのコツボゴケみたいな髪を私が切る!」
ババーン! みたいな効果音聞こえてきたけど、どこかにSEさんいます?
それにコツボゴケってなに。コケに詳しすぎじゃない?
「俺の髪を切りたいと、瑞希はそう言っているわけだな?」
「うん! そういうこと! もうすぐ心ちゃんと志世くんの運動会もあることだし、そのボサボサでコツボゴケみたくみっともない髪型で行ってほしくないなって思った!」
とにかく失礼。こいつ本当に失礼。
「瑞希さんや、君はこんな俺を好きになってくれたのでは?」
「んー、それはどうだろう?」
瑞希は頭を傾け、考える動作をした。いや、考えるな。そこは即答してくれ。
「このみっともない髪型を切って欲しいなら、美容院に行くが? 別に瑞希に切ってもらわんでも、プロに切ってもらうぞ」
そう言うと、ぶーっと頬を膨らませ、不服申し立てしてくる。
「私が切ってあげる。切ってあげる」
二回言ったぞ。この人二回言ったぞ。
にしたって、そんなにひどいか? 確かに瑞希と結婚してから一度として髪を切っていないから伸びてる事には伸びてるんだけど、別に俺自身は何も思わないんだが。ボサボサなのも、休日だし、どこも行かないから起きたままでいるんだけど。
「じゃあ切ってもらおうかな。髪型はお任せで……」
「はーい! 承りました! じゃあそこで待ってて! 準備してくる!」
敬礼をして、慌ただしく部屋から出て行った。
片づけを一度中断し、詰め込んだ段ボールを部屋の片隅に移動させ、髪の毛を切ってもらう準備をしていく。
どうして切ってもらう側が準備しているのかは、考えないでおこう。
しばらくすると、瑞希は新聞紙を片手に、ハサミなどが入っているだろうケースを持って部屋に入って来た。
新聞を床に敷いて、デスクチェアーを新聞紙の上に移動させ、ポンポンと叩く。
「えぇ……その椅子使うの? それ3万もしたんですけど……」
「でも椅子がないもん。地べたに座る?」
「それはケツが痛い」
「じゃあこれに座るしかないじゃん」
座るものがないのなら仕方ない。
諦めて椅子に座り、背もたれにすこしだけもたれ掛かる。
「緑、脱いで?」
「は?」
「パンツ一丁になって?」
「なんで?」
髪の毛を切るのに服を脱ぐ理由が分からん。どうしてパンイチ?
今日は元々、掃除をする予定でいたからパンイチではなく、しっかりとにゃんださんのシャツとステテコを着ている。
「緑くんはおばかさんの? 大事な大事なにゃんださんを髪の毛まみれにして、チクチクしたいのかな?」
そこまで考えてくれているんなんて、できる奥さんだわっ!
「脱ぐ。今すぐ脱ぐ!」
「そんなにそのダサいシャツが大切なの? 意味わからない」
急に毒吐くのやめてくれる? というか、あなたお揃いのシャツは気に入ってるじゃないか。今だってほら、着ているじゃんか。
「自分も着ている自覚はないんだろうか?」
「ん? ああ、これは緑とのお揃いだからね。これは好きなの」
「ほーん」
適当な返事を返して服を脱ぎ、切られる準備は万端。
「じゃあ今日は美容室MIZUKIの店長の瑞希が担当させていただきますね。どんな髪型を所望で?」
美容師スイッチが入ってなりきり始めた。
「そ、そうですねぇ。僕はもうアラサーなので、年相応の髪型がいいです」
「へぇ、アイドルみたいな流行りの髪型ですかぁー」
ん? んんん?
「いや、そうではなくて……年相応の髪型——」
「K-POPアイドルですよねぇ。流行ってますしぃー」
全然聞いてないというか、もはや自分の好みにしたいだけでは……?
「ああ、もう何でもいいです。お任せで……」
「ですよねぇ。さっきお任せって言ってましたもんねぇ」
うっざいなこの店長……。よく潰れないな。
「ねえ瑞希。自分好みにしたいのは分かるんだけど、俺にあの髪型は似合う?」
瑞希の言うK-POPアイドルの髪型はセンター分けが多くみられる。それが昨今の日本でも流行っており、名古屋を歩けば確実にその髪型の人とはすれ違う。
「絶対似合うよ! 緑は自分が結構イケてる顔してるって自覚ないの? あっ、でもかっこよくなっちゃったら人気出ちゃうかも……」
なにそれ嫉妬ですか? 可愛いんですけど。
「大丈夫、俺は瑞希だけだし」
「ふふっ、じゃあかっこよくしてあげる!」
嬉しそうにはにかんで、ハサミを髪の毛に入れていった。
——ちょき、ちょき、ちょき。
心地よい音が部屋を包む。
下にはたくさんの髪の毛が落ちていく。自分が今どんな髪型になっているのか気になるが、仕上がってからのお楽しみにしておこう。
それにしても相当髪の毛の量が多いと実感した。あっという間に敷いた新聞紙が見えなくなっている。
「前髪切っていくからくるっと回すよー」
デスクチェアを回され、瑞希と向かい合う。
「あらら、髪の毛まみれだ」
軽く顔についた髪の毛を払ってもらい、「じっとしててねー」という一言でカットが始まっていった。
俺は瑞希の真剣な顔を見ていることしかできない。
めちゃくちゃ真剣だなぁ。肌綺麗だなぁ、まつげ長いなぁ。などと、普段こんな距離で顔を見る機会がないので、改めて瑞希が綺麗だと思わされた。
「ちょっと……見過ぎだから」
「あ、ごめん。切られてる時って、何したらいいか分かんなくて、瑞希見るくらいしかなかった」
「なにそれ。恥ずかしいけど、嬉しいかも。もうすぐ終わるから、あと少し我慢しててね」
「はい、分かりました。見ててもいいですか?」
「いいよ、少し恥ずかしいけどね」
前髪も切り終わって、全体を
「瑞希的にはどう? よくなった?」
「うん! めっちゃかっこよくなったよ! 写真撮りたいからシャワー浴びて、セットして!」
「そんなにか。じゃあシャワー行ってくる」
***
シャワーを浴びて、髪の毛を乾かす。
その間、瑞希は201の落ちた髪の毛を掃除してくれていた。
鏡は見ないようにして、濡れたままの状態でドライヤーを片手に201号室に戻った。
「乾かしてくれる? セットもお願い。どうやってやるかわからないから」
「はーい。お任せあれ!」
再び椅子に腰を下ろし、瑞希が乾かしてくれた。
センター分けにするためか、ドライヤーで下ごしらえを細かく丁寧にされた。
そして、ワックスをつけて完成。
「目を瞑ってくれる?」
「分かった」
言われるがままに目を瞑って、瑞希の声を待つ。
「いいよー」
耳に声が届いたので、ゆっくりと目を開けると——
そこにはいつもとは違う自分が映っていた。
「おおぉ! 誰だこいつ!」
「あはははっ、緑だよ! どお? 私、意外と髪の毛切るの上手でしょ?」
「すごい上手い! 美容師になれるのでは!?」
「昔から妹の髪の毛切ってたからね!」
どやさぁと言わんばかりに胸を張った。
「ありがとう、めっちゃいいよこれ!」
「写真撮ろう!」
「そうだったな。でもどうやって撮るつもりだ?」
「これ以外になんかある?」と言いながら、俺の上に座ってこちらを向く。
一枚目はどうやらほっぺにチューするらしく、スマホを上にあげてインカメラでパシャリ。
確認して、お気に召したのかすぐに二枚目へ移る。
二枚目は普通に笑顔でパシャリ。
三枚目は——敢えて言わないでおこう。
あとがき
こんばんは、お久しぶりです。えぐちです。
1ヶ月のお休みから復活しました。
ということで、今日からゆっくり自分のペースで更新していけたらと思っております。
久しぶりの更新は閑話ですので、あまり本編には関係ないっちゃないですが、ここまでお読み頂きありがとうございました!
では、また次回の更新で!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます