第13話:昔と今は違うんだから、方法はある。
小さく鳴る携帯のアラーム音。
まだ日は上がり切っておらず、部屋は暗いまま。
隣には、すぅ、すぅ、と気持ちよさそうに瑞希は寝ていた。起こさないようにそっと布団から出て、準備をする。
今日は土曜日。正直、もうあまり時間がなかった。九月もそろそろ終わりに近づいていて、志世たちの運動会もすぐに来てしまう。だから俺は早起きをして、彼を待伏せしようと企んだ。アポを取って『今日、会えませんか?』なんて言っても『君もしつこいな、無理なものは無理だ』と言われてしまい、会ってくれやしなかった。
だったら、こっちだって手段を選ばない。
姉に聞いた話によると、最近はずっと土曜日も出勤しており、朝早くから会社に行くらしい。なので、俺は彼が出勤するタイミングを見計らって、姉の家の前に車を停めて待伏せすることにした。こんな事でもしなければ、話すタイミングも作られないわけだ。メールでも良かったが、前述した通り話にまともに取り合ってくれなかった。電話をしても、出ない、もしくは切られる。
「もうだめかもしれない、な……」
諦める言葉だって出てしまう。
本来、俺はこういう人間じゃない。人の為になんて動くタイプじゃないんだ。
人はそう簡単に変われやしないんだからな。俺の言葉で変われるならとっくに変わってるだろう。本人にその意志がなければ、変わることなんてない。
俺がしている行動、言動は何の意味も持たないんだ。本人が盲目的になってはこちらの言葉なんて聞く耳を持ってくれないし、伝わらない。
気持ちは伝わるなんて簡単に言いたくない。伝わらないんだよ。難しいんだよ。人ひとり動かすのは。
だから、俺はだめだと分かっている。だめかもしれないんじゃない。心の中では無理だと分かっているんだ。大人になればなるほど、周囲を理解して、納得したくなくてもして、無理に合わせるようになっていく。大人はこうだから、何て曖昧な言葉で着飾って子供を無理に我慢させてしまう。お父さんだって頑張ってるんだよ。って、俺は志世に言った。これだって本質は同じで、遠まわしに我慢しろって言っているようなもの。どっちの気持ちも分かる。分かってしまうからこそ、曖昧に空気を読んでしまうんだ。
俺が介入したところで、親と子の問題でしかない。第三者が口を挟むなと言われたらそれでおしまい。本当にめんどくさくて堪らない。
なら、俺はなんでだめだと分かっていて、行動するのだろうか。
簡単な事だ。
自分の親がしてくれたことを覚えているから。
俺の両親はどれだけ忙しくても来てくれていたから。ただ、それだけ。
子供の気持ちがすごくわかる。自分は嬉しかった。親が来てくれるだけで、どれだけ頑張ろうって気持ちになれるか。親の応援で一位を取ってやろうって気持ちを昂らせることが出来るか。
頑張って、頑張って、それでもダメな時でも、親は頑張ったねって褒めてくれるから。それだけでいいんだよ。志世だって、お父さんが足が速いから来てほしいんじゃないんだよな、きっと。
台所の水を出して、バシャバシャと顔に勢いをつけて水を掛ける。
「よしっ、行くか」
適当な服を見繕って、玄関を開けた。
「緑」
振り返ると瑞希が眠そうな顔で目を擦りながら立っていた。
「起こしちゃったか」
「ううん、トイレ行きたくて」
「そっか」
「どこか行くの?」
「ちょっと正輝君のところに行ってくる」
「分かった。健闘を祈る」
手の平に拳を合わせ、小さく頭を下げた瑞希。それを見た俺は笑うことを我慢できずに笑ってしまった。
「何それっ、さては瑞希寝ぼけてるな」
「まあね、早く行きな。もう時間はないよ」
「ああ、分かってる。じゃあ行ってくる」
「はい、行ってらっしゃい」
瑞希からの見送られ、俺は車を回した。
♢
さて、もうあれしかないわけだ。
時代は発展しているから、来られないなら来られないでいい。説得はしてみるが、だめならそれまで。新たな案を出して、それで納得を得るしか方法はないからな。
行く途中にコンビニに寄って、アイスコーヒーを二つ買い、姉の家へと急いだ。
今日は軽ではなく、外車の方をわざわざ乗ってきた。特に意味があるわけではない、何となくこっちの方がやっぱりかっこいいし、気持ちもパリッとするからという至極当然な理由。
姉の家に辿り着き、水が滴るカップを手に取って、ちびちびとアイスコーヒーを飲む。こうしている間にももう片方のアイスコーヒーは氷が溶けて、コーヒーと水に分離し始めている。なかなか出てこない正輝君は一体何をしているんだろうと、玄関先を見た。
ぐぐぐっ、と睨みを効かせたところで出てくるはずもなく、15分が経過した。
調子に乗ってオープンにして待っていたが、段々と登って来る日差しが車を照り付けて身体を熱くさせてくる。仕方なくボタンを押して屋根を閉じていき、エアコンを掛けたところでやっと玄関の扉が開いた。もう閉まるって時だったのに、また屋根を開けて正輝君に手を振る。
「おはよう、正輝君」
「何で君がここにいるんだよ」
あからさまにため息をついて、げんなりとした表情を見せつけてきた。
「まあまあいいじゃないっすか。これから会社行くんでしょ? 送りますよ、さあ乗ってください」
手を助手席に向けた。
「遠慮しておく」
「せっかくアイスコーヒー買ったんですから。ほら、屋根も開けて気分爽快な気持ちで会社に行ける事なんてそんなないですよ? これが最初で最後かもなんで乗って行ってください。悪いようにはしませんし、もうしつこくお願いする事もやめますから。あ、でも少しは言いますけどね」
「分かりました、乗ります……とは行かないでしょ。電車に乗って行くからいいです」
そう言ってスタスタと歩いて行ってしまう。
「あぁ、ちょっと!」
急いでシートベルトをして、ドライブにシフトレバーに入れ込んで車を進める。そして、正輝君をナンパするように横並びになってスピードを合わせて乗れ乗れとナンパに力を入れた。
「君もしつこいな。どれだけ運動会に行ってくれと言ったって、行けない物は行けないんだよ」
「それは分かったからさ、とりあえず乗ってよ正輝君」
またもや大きなため息をついて、諦めたように立ち止まった。
「ゴキブリホイホイ並みの粘着性があるね。君は」
「脱皮して抜け出すほどの執念はあなたにはなさそうなんで、しつこくいけばいいと思ったんですよ」
ドアを開けて、どっさりと座った正輝君に、分離したコーヒーを手渡す。
「分離しちゃってるじゃん」
「出てくるのが遅いし、すぐに車に乗らないからでしょ」
「緑くんがいるなんて思わないでしょ普通」
「ま、それもそうだ」
正輝君がシートベルトを締めたことを確認した俺は車を進めていく。
少しの間は沈黙が続いていたが、その沈黙を破ったのは正輝君だった。
「……最近、何もかもが上手くいかないんだよ。思いがけないトラブルに、志世に嫌われ始めてきたし、もう何もかも嫌になってきた。でも、それでも投げ出すわけにはいかない。運動会も行きたかった。会社には言ったんだ、これでもね。確かに自分が任された仕事だからやり遂げたいって思っているのも事実なんだ」
「志世は家ではどんな感じなんですか?」
「あんまり口を聞いてくれなくなった。無視するわけじゃないけど、適当に返事をしては俺を避けるようにママの所へ行ってしまう。自分の家なのに、家に居場所がないみたいに感じる。茜も無視しているわけではないんだ。普通に話を聞いてくれるし、仕事が忙しい事も理解してくれている。だけど、茜自身も運動会に来てほしいってあれから何回も言われてしまってさ、もうどうにもできないんだよね。何が正解で、何が不正解なのかもわからなくなってきた。全部放り出して、逃げたいのに、今日もこうして嫌々ながらも会社に足を向けて進んでいく自分がいるんだよ。ほんと馬鹿みたいだよ」
満身創痍、か。
運動会の当日、何かしら大事な会議かそれとも説明会があるのか……言っているプロジェクトが始まる時から日程が決まっていたら、確かに会社に言った所で変わらない。いや、変えられない。プロジェクトリーダーがいなければ成立しない仕事であれば、こうもなってしまうか。
「詳しい事情を僕が聞いたところで何かできるわけでもないので聞きはしませんが、その日どこかで時間を作ることは出来ませんかね?」
「時間か……例えば何時?」
「いや、具体的にはまだ知らないんで何も言えないんですけど」
「それが運動会とどう繋がるんだい?」
「時代は変わってるんですよ。ITが発達してるでしょ?」
昔と今は違う。スマホだってある、タブレットだってある、PCがタブレットにもなる。そんな時代なんだ。使えるものは全部使おうじゃないか。
「LIVEで正輝君に見てもらうんですよ。遠くに居ても応援はできる。一時期、オンラインに飲み会とか、オンライン結婚式とかあったじゃないですか。あれを使えばいいんです。簡単に言えば、テレビ電話を使う時間を作って欲しいって事ですよ。例え来られないとしても、見ることは出来ることだし、向こうからもお父さんからの応援を聞く事だって出来る。それが志世と心に受け入れることが出来るかどうかは分かりませんが、そこは俺と瑞希と茜で何とかします。正輝君は応援と約束を絶対してください。来年は絶対行くと、パパが一緒に志世と走るって」
これしか出来ることはない。時代が発展していなければ出来なかった。あとは正輝君の反応次第で先は決まる。
「分かった。なるべく時間を作ろう。会社にも掛け合うよ」
意外とすんなり。本当は行きたいんだね、運動会。
「ま、来てくれることが一番なんですけどね。でも仕方ない、話を聞く限りどうしようもないんですもんね。じゃあ時間が分かったら連絡します」
丁度いいタイミングで名古屋駅に辿り着いた。
「アプリはRiNEでテレビ電話って事で」
「ああ、分かったよ。世話になってばかりだね。ほんとごめん」
「まあ家族ですから、お互い様。俺が困ったら、今度は正輝君が俺を助けてくださいね」
「約束するよ、ありがとう」
ハザードランプをつけて、車を停車させた。
アイスコーヒーを片手に持ちながら、車を降りてドアを閉めた。
「オープンカーって最高だね。こんな気分爽快で毎日出勤で来たらいいのにな」
「なんすか、嫌ですよ。車で毎日送るなんて」
「誰もそんなこと言ってないじゃないか。今日はありがとう、これからも迷惑かけるけど、よろしく頼みます」
「あいよ、
「おう」
「あ、そうだ。もしサプライズがしたくなったら言ってください。俺が協力しますんで」
去り際に伝えた言葉に『どういうこと?』と疑問な顔をしていたが、のちに理解できるだろう。もし、の話だ。仕事が早く終わるかなんて俺には分からないからね。
頑張ってよ、正輝君。
そんな思いを込めて、拳を上げて親指を立て、家路へと向かった。
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