第11話:瑞希は心配

 日々は何事なく進んでいたのだが、遂に問題が起こった。

 これは俺が悪いのか? と自問自答したところで答えは出ないもので、ただ、言えることならば言っておきたい。


 ——結婚したことを言わなかったのは、言う必要性を感じなかったから、ただそれだけであると。


 一軒家を見に行った日から暫く経った頃。いつも通りに会社に出社し、いつも通りに業務に勤しんでいた時だった。


 隣から震えるような声で、「え……? えぇ?」と聞こえてくるのだ。その声の主は柴田芽衣であり、反応するように横を見ると彼女の視線は俺の左手を凝視していた。

 その左手には結婚指輪が付けられている以外に何もない。机に置かれた手だけでしかなく、驚くことなんてどこにも存在しなかったのだ。


 なのにも関わらず、手で口を塞ぎ、段々と顔は青ざめていく。そんな柴ちゃんの顔を見ていると自分の左手に何か起こっているような錯覚をしてしまい、ついつい机の上から手を上げてくるくると回して色んな所をチェックしてしまう。

 特にこれと言って何もないし、何かついている訳でもない。付いているのは指輪だけ……あっ。


 ここである一つの事に気付いてしまう。

 そういえば、俺って雪菜には結婚したことを伝えてはいたけれど、柴ちゃんにはこれと言って何も伝えていなかったな……でも、別に伝える必要性はないよね? 

 結婚指輪をはめて出勤するのは初めてでもないし、逆に今気づいたの? ってこっちが言いたくなるくらいだよ。


 だが、驚いているのは指輪ではないだろう。結婚したからと言って、柴ちゃんに何かあるわけでもない。もしかして俺のこと……なんて考えるのは烏滸がましいというか、烏滸がましい。俺の手を見ていたわけじゃなく、机に何かしらの虫がいたのかもしれないしな。

 一通り自分なりに解釈して、柴ちゃんに話しかけた。


「柴ちゃん、どしたの? 虫でもいた?」

「い、いや、そうじゃなくて……え? 先輩って結婚したんですか……?」


 どうやら結婚のことのようでした。


「あー! 芽衣ちゃん聞かされてなかったのぉ~?」


 俺の代わりにニヤニヤと笑みを浮かべながら答えたのは雪菜で、どうやら私は知ってましたぁ! とマウントを取っているみたいに見える。


「雪菜先輩は知ってたんですか?」

「私はだいぶ前から知ってるぅ」


 なんか知らんけど、うざいなこいつ。


「なんで私には教えてくれなかったんですか?」


 ぐいっと、顔が近づき、上目遣いで問いただしてくるが、華麗に躱して俺は背筋を伸ばしてごっほんと咳払いをした。


「特に言うことでもないかと……思いました」


 あれ? これだとビビってるような感じになっちゃうな。正しくは『別に言う必要ないだろ』って言いたかったんです。


「はぁ……先輩さぁ、そう言うのは早く言ってくださいよねぇ……こっちの気も知らずにさぁ……」

「こっちの気とは何のことでしょうか?」


 じろり。ではなく、ぎろり。


 怖い視線が俺の目を捉え、逃してはくれない。獲物を逃がしまいとこれでもかと睨みを聞かせて、言外に「焼肉」と口パクで伝えて来る。これはもう言っちゃってるね。言外とは少し違うね。


「なんでそうなる……」

「約束したのに連れてってくれないのと、私に対しての謝罪もかねて」

「た、確かに約束はしたな。うんうん……謝罪は?」

「いいから奢れよ」


 こわっ! どうしたんだ!? いつもの可愛い柴ちゃんはどこ!? 


「はっ、はい! ご馳走させていただきますっ! いつになさいますかっ!?」

「今日じゃないんですかぁ? 高いところって約束でしたよねぇ?」


 ニッコニコの笑顔だ。すっごいニッコニコだ。


「そうですよね。分かってますとも! 奥さんに連絡して今日はご飯いらないですって言っておきますとも」

「私もいくー」

「何しに?」


 柴ちゃんはニッコニコの笑顔から一変。真顔で雪菜に来るなよという圧を与える。


「だって焼肉食べたいんだもん」

「じゃあ一人で勝手にどうぞ? 私は先輩と行くんです」


 一人焼肉はいいぞ。好きなタイミングで食べられるし、焦がさなくて済むからな。


「ねぇ、緑~芽衣ちゃんが意地悪してくるー」

「言わなくても分かってるから。柴ちゃん、三人で行こ? ちゃんとご馳走するし」

「……はぁ、仕方ないですね。でも先輩の隣に座るのは私ですから」


 俺の隣? なんでまた? 俺一人、君たち二人で座ればいいじゃないか?


「はいはい。可哀想だからそれくらい譲ってあげるわよ」


 勝手に話を進めるな。俺の意見は聞きもしないのかい? あんたらは。

 そうこうしているうちに2人はフンッとそっぽを向いて、間に挟まれた自分だけがどういう状況か分かりもせず終わってしまったのだった。


 仕事をしながらも、瑞希には連絡しておかないとご飯を作ってしまうので、メールを送る。


〈今日、急遽会社の人達とご飯行くことになったからご飯はいりません。急ですいません〉—11:50


 昼休憩になったら向こうから連絡が帰って来るだろうと、スリープさせ残り十分だけ業務に戻った。







 昼休憩、ご飯を食べながらスマホを見ると緑からのメールが届いていることに気付いた。

 平日に連絡してくるなんて珍しいなぁーと思いつつ、メールを開いた。

 ふむふむ。飯はいらないと……んー、女かな?


〈それは男の人?〉—12:05


 ——送信っと。いい年こいて嫉妬とか気持ち悪いかなーって思ったけれど、それでも気にしてしまうのは仕方がないんだよなぁ。知らないのは嫌だし、隠されるのも嫌だ。これで女の人って言われたらダメなんていう訳じゃなくて、知っているということだけで安心するのだ。私はそれなりに彼を信頼しているから。説得力がないと言われるかもしれないけど、知っているってだけで気の持ちようは全然違う。


〈違う。雪菜と後輩の柴田芽衣って子だ〉—12:10


 やっぱり。私の勘はずばり的中だ。

 ここは素直にいいよと言うのはつまらないので、ちょっとだけ意地悪言ってみよう……でも、緑はじゃあやめるって言いそうだし、やっぱやめておこう。


〈いいよ。ちゃんと帰ってきてね〉—12:12


 本当は嫌だけど、付き合いは大事だから。


〈ありがとう。なるべく早く帰るようにする〉—12:14

〈緑って意外とモテるから心配〉—12:15


 嫉妬が文面に出てしまったけどいいかな? まあもう送っちゃったんだけど。


〈心配しなくても、俺は瑞希だけだから〉—12:16


 やだもう……にやけちゃうじゃないっ!


「瑞希、顔がだるんだるんに緩みまくってる。顔で惚気るのやめて。腹立つわ」


 一緒に食事をしていた麻里子をすっかりと忘れていた。空気のような存在で扱ってしまってごめん。


「もしかしてまたブルドックみたいに可愛くなってた?」

「可愛くなってた。本当にむかつく。イチャコライチャコラ、キィーーーー!!」


 お弁当を包む風呂敷を口に咥え、下に引っ張って漫画のように悔しそうにした。


「ゴメンナサイ」


 これほどまでに誠意のない謝罪をして、お弁当を食べ進めていく。そして緑のメールも返信しておいた。


〈私も緑だけだよ〉—12:30







 返信が届き、スマホがブブッと音を立てて振動した。

 スマホを手に取り、瑞希が作ってくれた弁当を頬張りながら確認。


〈私も緑だけだよ〉という返信を見た俺は柄にもなくにやけてしまい、咄嗟に目の前に座っている2人に悟られないようにすぐに表情を戻したのだが……。


「ちょっとあの人スマホ見てニヤついてるんですけどぉー」

「本当だぁ、あれは顔面で惚気ていますねぇ」


 気付かれていないと思っていたが、瞬でバレた。こいつらどんだけ俺の顔を見てるんだって話にもなるが、自意識過剰にはなりたくないのでやめておこう。いや、待てよ? 雪菜は俺の事が好きってのは間違ってないから間違ってないとも取れるよな。でも柴ちゃんまでもが……ないよな。


「今一瞬で顔を戻したはずなんだけど、お前らはどんだけ俺の顔ばかり見てんだよ」

「そりゃあ好きだもん! 見てたっていいじゃん」


 というのは、雪菜。こいつは大胆になりすぎ。


「好きですから当然の事です!」


 同調したのは言わずもがな、柴ちゃん。

 ……と、言うことは。


 アンサー。

 柴ちゃんは俺の事が好き。


「モテモテじゃん俺。だけどごめんな柴ちゃん」

「え?」


 自分で言った事に気が付いていないのか、小首を傾げる。顎に手をやり、しばらくするとやっと理解に至ったのか、顔を手で包み込んで隠した。

 大丈夫だよ。顔が隠れていても、耳が真っ赤なのは丸見えだから。


「芽衣ちゃんさー、意外と大胆なのね!」

「お前が言うな」

「もう、やめてください……こんな感じで告白するなんて思ってもいなかった……」


 自爆した柴ちゃんはついには告白とまで言ってしまったが、まあ好きと言ってる時点でもう、ね?


「俺にはな瑞希がいるから、ごめんな。好きになってくれてありがとな、柴ちゃん。素直に嬉しいよ」

「……結婚していると何もできませんし、最初から私は負けていたってことですからね。自分が悪いです。でも、不本意な気持ちの伝え方になったのだけが気に食わないです」

「知らんがな……」


 柴ちゃんは悔しそうに俯いた。

 それを見た雪菜が「まあまあ」と彼女の肩を叩いた。


「結婚しちゃったけど、好きになっちゃいけないことはないんだからさ。言えずに後悔するよりは言って後悔でしょ? 私なんて出張で緑を夜這いしてやろうって襲いに行って振られたんだからね? 私よりマシだよ!」


 だーっはっはっは! と声を上げて笑って、更に柴ちゃんの肩を強く叩いた。


「何ですかこの人、頭おかしいのでは?」

「同意する」

「ちょっと二人して酷くいないっ!?」


 三人して笑って、お昼休憩は終わったのだった。







 仕事が終わり、一人での帰り道。何時しかもこんな事があって、勘違いして家を飛び出しては雨の中泣いたことがあったなぁと思い出した。

 今となってはいい思い出の一つであり、悪い思い出でもある。


 もう緑は仕事が終わってご飯を食べてる頃かな、何を食べてるんだろう。

 何を思ったか私はスマホを開いて、GPSキャッチャー開いてしまっていた。


 違うの! 信じてないわけじゃないの! これは何を食べているのかが気になっただけで、本当に信じてないわけじゃなくてですね……そう! 私とは違う人と美味しいところに行ってるんじゃないかって怪しんでるだけなのよ! 


 スマホを見ると、会社から出ていて既にお店に入ってる様子だ。

 マーカーはピタリと止まって動くことはない……よし、もう終わり。これで——そう考えていたのにもかかわらず、足はお店の方向に向かって歩き出してしまっていたようだ。


 違うの! 足が勝手に歩いてくの!


 辿り着いたお店は岐阜県にある美味しいで有名な焼肉屋さんとチェーンの居酒屋があるビル。どっちだろう。


 何を思ったか私はまたもや勝手に手が動いてしまって、緑にメールを送ってしまった。


〈今日は何を食べるの?〉—18:03


 あーあ、聞いちゃった。

 返信はすぐに来た。


〈焼肉だよ〉—18:03


 うっわ! めっちゃいい所じゃん! ずっる! 連れてってよ! 私も!


〈また焼肉なのね。まあ楽しんで〉—18:05


 返信をして、足早に家路へと向かう。ここに来ていたことはバレないようにしておこう。ここまで来ておいてだけれど、今になって気持ちが悪いと反省した。


 よーし、今の15分くらいは記憶がなくなったことにしよっと。

 

 エー、ワタシハナゼココニ……。


 ——カエロウ。




あとがき


こんばんは、えぐちです。


更新遅くてすいません。


最近ですが、ライトノベル新人賞の方に挑戦してみようと思ってまして、そちらの方ばかりをやっているので、更新が遅くなっています。

勝手で申し訳ないですが、しばらくは週一更新でやっていきます。ご了承を。


いつも読んで頂きありがとうございます。

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