第10話:目に映る情景は『  』だった。

 俺達を待っていた担当者はまさかの新だった。瑞希に視線を送ると、首を傾げて小難しそうに俺の言いたいことを考えているようだ。ただ、俺の聞きたかったことは黒原不動産に電話をしていたのか? ということだけで、別に大した意味はないのだが。


 暫くすると、どうやら考えるのを諦めて新と話し始めたので俺は黙って目の前にある家の外観を見てみることにした。

 浄心は割と都心部に近いため、多分土地自体が中々ないのだろう。駐車場は二台停められるが、家自体は三階建て。名古屋だけではないと思うが、最近の家は土地の狭さを活かして三階建てで作られている気がする。車に乗りながらの時とか、駅に行くまでの道のりでよく見かけるし、ネット調べても名古屋は特に多い気がする。


 ただ、大体が一階に風呂や洗面所があるので、導線が悪すぎるのがネックだろう。あと三階は暑いというイメージはどうしても拭え切れない。これに関しては実際に上がってみれば分かるだろう。


「緑、家に入るよー」


 瑞希の声掛けに見上げていた視線を正面に戻して、玄関先へと向かう。

 玄関ポーチは廊下みたくなっており、自転車も停めれるくらいのスペースもある。突き当りが玄関ではなく、突き当り右に玄関があるので、外からは中は見られないようになっている。意外とこれはでかいと思う。

 それに上をみると間接照明がちゃんとついている。ふむふむ、意外といいではないか。


「そういえば緑にはこれ渡してなかったわ」

「ん、あんがと」


 新から渡されたのはこの家の物件の内容が書かれたものだろう。ぺらぺらと捲りながら家の中に入った。

 三階建て4LDK! ウォークインクローゼット完備! 床暖房完備! と、この家の注目すべきところを推して書かれている。


「意外と広いんだな」

「他の三階建てに比べたら、ここは広い方だな。しかもここは二階に全部が詰まっている。とりあえず案内するから二人して紙ばかり見てないで顔を上げてくれたもう」

「あ、すまんな」

「ごめんなさい」


 靴を脱いでスリッパを履くと、布生地の手袋を渡される。


「汚したらいけないから嫌でも着けてくださいね、緑くん。もちろん消毒してあるから安心してね」

「緑がそんな事気にするわけないじゃない」


 瑞希さん? 一体、あなたの中の私はどんなイメージなのかしら? 


「あー、逆だった。ちゃんと消毒してから着けてくれよな」

「おいっ!」

「「あはははっ」」


 二人に馬鹿にされながらも、しっかりと手袋をつけて、案内される方向についていく。

 最初に連れていかれたのは、七畳の寝室。一階に部屋は二つあり、トイレが一つだけで浴室や洗面所はない。先ほど言っていた全部が二階に詰まっているというのは、そういうことなのか。最高じゃないか。導線は完璧じゃないっ! と言っても、俺が何かをするわけでもないんだが。


 玄関を通る時にポーチに窓があったから気付いていた、何なら外を見た時から気付いていたのだが、玄関側に一つ部屋がある。そちらを俺の部屋にしよう。うん、そうしよう。


「それであっちの部屋は六畳になってる」

「あそこが俺の部屋になるわけだ」


「なんでそうなるの!? えっ、買うの!?」

「なんか見たら欲しくなっちゃうやつだな。どこもかしこも綺麗だし、新築の匂いも最高だ。賃貸も悪くはないが、THE家感! ってのを感じちゃってな」


「こいつ、多分これからも他を見に行くだろうけど何処行っても同じことを言うと思うよ。大体の旦那さんは自分の部屋を欲しがるし、緑の発言は珍しくもなんともないから、瑞希ちゃんは黙ってスルーしておけばいいよ」


「そうなんだね。じゃあほっとくわ」

「いやいや、俺にはどう考えても必要だろ!? 201の仕事部屋があるんだから」


 今住んで居る所を一つだけ借りている訳じゃないんだから。瑞希も知っているのに、俺に部屋を与えないつもりか!? ただただ困るんだが?


「仕事部屋という名の遊び部屋でしょ。私、緑が仕事している所見た事ないよ。本当にしているのか怪しいくらいだよ」


 ……確かに。

 っておーい。自分で普通に納得してしまったじゃないか。瑞希と結婚してからはあまりしていないが、たまにはやってる。ほら、茶封筒届いてたことあったよね? ほら、してるじゃない。文月緑は働き者なんだからね。知らないだろうけど、意外と年収あるんだからね?


「でもさーあ、あの部屋の荷物はどうしたって一部屋分要るだろ」

「そうね。それこそ緑が言ってた1LDKじゃ、物足りないよね? 借りっぱなしすると言ってたのに、どうしたのかしら? 家が買いたくなったのかしら?」

「……っ」


 瑞希の言った事に返す言葉も見当たらなかった。咄嗟に出た言葉は言葉ではなく、情けない表情だけがこの場に残った。


「ちなみにこの家は3480万とかいてあるが、ローンを組むとしたらいくらくらいになるんだ? 大体でいいから教えてくれ」

「ちょっと待ってくれよ……えーっと、金利がこうであーで……」


 電卓を取り出して、まるで不動産の仕事をしているように叩きまくる。


「大体だと、九万弱くらいにはなるだろう」

「値引きは? どんなもん下げれるの?」

「容赦ないな。まだ全部見たわけじゃないのに」


 安くなることに越したことはないからな、ここは友人割引を期待するしか。


「悪いが俺の一存で、ここまで下げてやるって今すぐには言えんが——」


 人差し指を立て、ニッと笑う。


「このくらいは頑張ってみる」

「さすが、新様」


 俺と新の会話に入って来れない瑞希は首を交互に振りながら、俺達の男の熱い友情を『どういうこと? 1って何?』と言いたげな顔をしていた。


「百万ってことだ」


 状況を察した優しい俺は瑞希に百万の値引きを頑張ってくれるらしいと教えてあげた。


「ほえぇー、百万もー? いいのー?」

「まあ買うってなったらね? まだ賃貸するかもしれないんでしょ。あくまで買うとなったらの話ね」

「それってここじゃなくても頑張ってくれるってことでいいいんだよね?」

「……もっ、もちろんさ!」


 今、間が開いたけど。ここなら頑張れるってことなのか?


「さっすが、新君だね! かっこいいわ! 買う時は新君しか頼めないね!」

「あったりめーだぁ! 俺に任せておけい!」


 瑞希が送る純粋無垢な視線に新は気圧され、柄にもなく見栄を張った。


「じゃあ続きの案内よろしくねっ!」

「了解しましたぁ!」


 きっと何かの魔法を掛けられて、新はあんな風になってしまったのだろう。例えばそうだな、よくあるやつで言えば『魅了』とかだな。知らんけど。

 二階に上がると、すぐに対面式のキッチンがあり、左を見ればリビング、右を見れば洗面時とお風呂、そしてトイレがある。

 リビングの向こう側にはベランダもあるので、洗濯物を干すときは楽だろうな。


「ベランダ出てみてもいいか?」

「ああ、いいよ。スリッパ置いてあるから」


 新の了解を得て、リビングの方へ足を向けて歩いて行くと、あることに気付いた。


「お、おい、みずきぃ! ちょっとこっち来てくれい!」

「なにー?」


 風呂場の方を見ていたのであろう、遠くから声が届いてくる。急かす様に早く早くと言い続けるとパタパタと駆け足で来てくれた。ちょっとだけ顔がイラついていたのは見なかったことにする。


「吹き抜け! すげぇ!」

「そんな事かい」

「なんでだよ! すげーじゃん!」

「貰った資料に書いてあるし、知ってる」


 あぁ……そゆことね。そりゃあすいませんでした。

 一人で勝手に興奮して呼び出したのに、俺は素知らぬ顔でベランダへと足を向け、窓から外へ出た。瑞希も一緒になって外に出てきた。


「静かでいいね」

「そうだな」


 新は俺達の雰囲気を見てか、こちらに干渉してくることはなかった。

 振り返って外から見る部屋の景色は想像以上に良いもので、ここを買うと決めたわけではないのに、瑞希と暮していく日常が目に浮かんでくる。料理をしている瑞希の横で、必死に手伝う自分やダイニングテーブルで話をしている自分達、ソファーに並んで座って笑いながらテレビを見ていたりと、浮かんだ情景は幸せ以外の何物でもなかった。

 きっと、どこで暮らしたって楽しいはずだろう。


「見えるね、何となくだけど緑との新しい生活が」


 微笑みながら言う瑞希の顔は嬉しそうで、そして俺と同じように幸せそうだった。


「ああ、見えちゃうな。楽しそうな俺達が」

「ここじゃなくてもきっと見えるだろうけど、やっぱ一軒家は違うね」


「見に来てよかった。これから先のこと考えていたつもりだったけど、まだまだ甘かったわ。賃貸も悪くないけど、改めてこうして新築として、自分の物になるって考えると、更に気が引き締まるよ」


「ゆっくり考えていこうね。焦って決める必要もないからさっ。たくさん見て、たくさん考えて、たくさん話し合っていこ」


「そうだな」


 ベランダから家の中に戻り、三階を見せてもらい今日はここまでとなった。


「どうだった? 初めての一軒家だよね?」

「良かった。特にここは。まだここしか見てないんだけどね。三階建てにしては完璧と言っても過言ではないな。欲を言えば二階建てがいいんだけど。それともっと安いところで」


「私もそれは賛成かな。三階は疲れちゃうし、暑かったしねぇ。それに値引きしてくれてもちょっと高いかなぁ。二人で払うにしても、やっぱり先の事を考えたらもうちょっと安く済ませたい。子供が出来たりしたら私は一時的に働けなくなるし」


「分かったよ。じゃあ次の条件だけはピックアップしておこうか」

「瑞希はどんなもん?」


「八万以内が理想」

「ま、俺もそんなくらいだな。賃貸でもこれと同様な部屋を探そうもんなら結構値段行くと思うし、201を借りたまんまにするって言ってたけど、プラスαで払わないといけないのは金の無駄だからな。まじで今更だけど」


 賃貸で1LDKでも六万とかするから、201を借りたままにしたならば、結局同じ値段もしくはそれより高くなってしまう。であれば、4Lか3Lで八万以内で支払いが済む家を買った方が断然にお得だろう。それに自分の物になるってのは大きなものだしな。


「この辺でその値段は無理に近い。あってもあんまりってのがあるからね。少し離れてみるのはだめなのか?」


「俺達は二人とも仕事場が名駅だから地下鉄もしくは名駅まで一本で行ける所ならいいかな。理想を言うならば、この辺から離れるのは惜しい。生まれ育った故郷だし、慣れていた方が気が楽でもある」

「私も同意」


「おーけー、じゃあまた調べておくよ。条件に見合いそうな場所があったらメールを入れるから、二人で話して見学したくなったら言ってくれればいいから」


「ありがとな」


 話し合いを終え、車に乗り込んで今日の予定はこれにて終了。

 お昼から見ていたのだが、気付けば15時過ぎになっていた。


「よし、瑞希。今日は外食にしよう」

「なんで?」


「気分だ」

「そ、分かったよ」


「どこ行きたい?」

「じゃあ焼肉! 美味しいところ!」


「了解。とりあえず一旦家に帰りますか!」



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