第4話:俺と志世の青春物語


「ちなみに聞くけどさ、去年はどんな感じで志世君を説得したの?」


 茜と心が帰った後、俺の膝の上に乗った瑞希は後ろを振り向きながら、質問してきた。


 なぜだろう、なぜ彼女は今、俺の上にいるのだろうか。

 特別理由なんてないのだろうけど、彼女はちょこんと素知らぬ顔をして、座ったのだ。


 その行動を普通に受け入れ、後ろからお腹に手を回している俺も、ついにどうかしちゃったみたい。

 恥ずかしげもなく、普通に手を回した。

 瑞希も瑞希で気にもしていない。だから俺はこのままでいようと言葉を返す。上に指を差しながら。


「そうだな、まあこんな感じだ」

「もしかして、また回想?」

「そうとも言う」







 丁度、今と同じ一年前の九月。

 俺は茜に呼び出されたんだ。

 理由も言わず、とにかく来てくださいと。電話越しに聞こえる声音はどうも良くない感じが伝わってきた。

 珍しく敬語だし、きっとなんかあったのだと思い、俺は了承した。

 姉を心配する俺ってば、なんて優しい奴だろう。


『それはいらないから早く進めて』

『大事なところで口を挟むのはやめてくれ瑞希』


 そして近くのコメダで待っていると言われたので、ひとまず俺は理由を問いただす事なく向かったんだよ。


 店には茜、志世、心の順で片側に並んで座っていた。

 心はいつも通りの笑顔を振りまき、天使のように可愛いかったよ。メロンソーダをこぼしながら、口にアイスクリームをつけて、まあ天使だった。


 だけど、その隣に座っていた志世は茜の服をちょんと摘まんで、今にも泣き出しそうな顔で俯いていた。あからさまに元気がない様子で。

 とりあえずたっぷりアイコーを頼み、話を聞くために話を切り出した。


「なに、どしたの志世。元気ないな?」

「……」


 ご機嫌は斜め。というか、もはや垂直に落ち切っているくらいにご機嫌はよろしくない。何があったのか知らんけど、ここまで志世が怒っている、もしくは悲しんでいると言った方がいいのかは分からんが、とにかく初めて見た。


 泣くのはゲームで負けた時くらいで、他で泣いている所は見たことがない。

 でも今の志世は泣きそうだった。


「ごめんね。急に呼び出しちゃって」


 茜も元気がなさそうな声で、困った表情をする。

 その時に、ふいに頭に過ったのは『離婚』。それ以外に思いつかなくて……まじかと俺は勝手に悲しんでいたわけだ。


「いや、いいよ。全然暇してたし。まあ休日はいつも暇してるんだけどなっ、ガハハハッ」


 暗い雰囲気を一新しようと、無理に笑って見せると、心だけが素直に笑みを返してくれたが、志世は睨みつけてきた。

 ……どうやら事の現実は重大らしい。


「で、どうしたんだ? なにがあった? 俺が力になれるかは分からんけど、できる事なら協力はする」

「……実は、来月に運動会があるんだけど、パパが来れなくなっちゃってね。志世はパパが来てくれることを楽しみにしていたみたいで、拗ねちゃってさ……」


 ……うん、う——は? 離婚じゃねーのかよ。ビビらせんな。


「それが俺を呼んだ理由にどう関係するんだ?」

「そうね。単刀直入にお願いする。緑に父親役をしてほしいの」


 待て待て。話が全然読めない。

 正輝君が来れなくても、運動会には差し支えないと思うのだが……確かに来てほしい気持ちも分かるけど、全員が来られるわけでもないし、それぞれの家庭に事情は付いて回るだろう。

 だからと言って、わざわざ俺がお父さん役をする必要がどこにある?


「みどりじゃイヤ! パパがいいの!」


 茜の言葉を聞いた志世は怒って、茜の太ももを叩く。


「志世、痛いからやめて。それに来れなくなっちゃったのは仕方がないでしょう? 親子リレーを楽しみにしていたのもママは分かってるけどさ……ママにはどうしようもできないの。だからこうして緑にお願いしているのよ?」


「そんなことしらないもん! パパがいいの、パパじゃないとダメなんだもん!」


 目の前で繰り広げられる親子喧嘩。……ではないな。


「おい、志世。ママを叩いちゃ駄目だろ」

「うるさい!」

「うるさいのはお前だ。男のくせしてピーピーうるさいな、泣き虫」


 キッと睨みつけると、志世は黙った。


「なあ志世、パパじゃないとダメなのか?」


 こくり黙ってうなずきだけを返して、瞳に涙を溜める。


「パパは足が速いのか?」


 この質問にはちゃんとした意味があった。

 志世とこれまで関わってきて知ったこと。


 それは——負けず嫌い。これに尽きる。


 勝負事には本気で一位になりたいのだろう。誰にも負けたくない、勝気なのだ。

 ゲームでも、いつだって自分が勝つまでやりたがる。自分が負けた事を認めたくないのだ。


「うん、パパは足が速いから一番になれる……」


 やはりそうか。分かりやすい奴なこと。


「志世は俺の足の速さを知らずに言っている」

「みどりはおそいでしょ。しってるもん、みどりとかけっこしてまけたことないもん」


 あっはっは、馬鹿言うな。

 手加減してるに決まってるだろ? え、決まってるよね?


『自信ないんかいっ!』

『だから語ってる途中にツッコミを入れてくるな』

『ボケたのは緑でしょ』

『そうでした』


 話を戻そう。

 志世は手加減されていることを知らないのだ。

 だから俺では嫌だと言う。

 パパにこだわる理由も、パパに来てほしいからではなく、自分が負けるのが嫌だから。

 またこりゃ、ませたガキなこと。


「おいおいおい、志世。緑はめっちゃ速いんだぞ?」

「ウソつかないで」

「よし、じゃあこの後公園で俺とかけっこをしよう。それで俺が勝ったら、ちゃんとママに叩いてごめんって謝るか?」

「……わかった」


 それからコメダを後にし、公園にやってきた。


「じゃあ茜がスタートの合図をしてくれ」

「了解……緑、ありがとね」

「姉弟だろ。困ってたら助ける。当たり前の事だぞ」

「あらなんか嫌だ、弟なのにキュンときちゃったわ」

「やめとけ気持ち悪い。早くゴールラインに立ってこい」


 心は楽しそうにスタートラインの線を木の枝に書いて、「スタートラインッ」とはしゃいでいる。その感情はよく理解できないが、楽しいならそれでいい。


「パパがどれだけ速いか知らんけど、志世、俺を甘く見るなよ」

「みどりになんかまけないもん!」


 そう言って、スタンディングスタートの構えをした。

 志世がそうなら、俺はこれで行こう。

 クラウチングスタートを構える。実はこれが和製英語として使われていることを知っているか? 本当はクロウチスタートと言うんだぞ。明日から使える豆知識だ。


「なにそれぇーだっさーい」


 隣から嘲笑が聞こえてくるが、気にしない。

 これは勝負だ。


「そう言っていられるのも今の内だぞ」

「じゃあ準備は良いかなー!?」


 ゴールラインに辿り着いた茜は大声でこちらに問いかけてくる。


「おう!」


 こちらも合図をして、茜の合図を待つ。


「よーーーーい——ドンッ!」


 上から下へと振り下ろされた腕を確認し、スタートを切る。

 我ながら良いスタートダッシュだ。


 志世はこちらを見ることなく、ただひたすらにゴールを目掛け走っていく。

 こ、こいつっ、意外と早いじゃねーか!!


 一生懸命走る志世の姿は、本当に一位になりたいんだと思わせられる。

 負けたくない、僕が1番だと。


 だからと言って、俺は手を抜かないがな。

 一気に加速して、志世を置いて行く。

 負けじと食らいつこうと志世もスピードを上げた。


『大人げないわね……』

『こうでもしなきゃ納得してくれんだろ』


 まあ結果は当然俺の勝ち。

 志世は数秒後にゴールテープを切ったわけだ。


「はぁっ、はぁっ……みどりめっちゃはやいじゃん! まえはおそかったのに!」

「これが大人だ。舐めんな。きっとパパよりも速いぞ。俺じゃ物足りないか? これだったら一位なんて余裕だろ?」

「うん!」


 機嫌も直ったのか、キラキラと目を輝かせグッと額の汗を拭いた志世。


「ぜったいいちいだよ!」

「任せろ! 余裕だ!」


 そして俺と志世は熱い握手を交わし、青春の物語が始まったのだ。


『ママへの謝罪を2人して忘れてどうする……』

『おっと、すっかり忘れていた』







「これが志世を納得させた過去の青春の話だ」


 自慢げにどやってるが、大人げない大人の話だった。

 でも、成功したのには変わりはないけどね。


「それで、運動会での結果はどうだったの? もちろん一位だよね?」

「……もちろん!」

「今、間があった気がするんだけど」



 振り向き、緑の顔を確認すると、目が斜め右上に向いている。

 ……こいつ、あんなに格好つけて一位じゃなかったな。


「で、何位だったの?」

「だ、だから一位だって」

「で、何位だったの?」


 目を逸らす緑の顔を掴みこちらを向かせ、問い詰める。

 顔も右上向いっちゃって、嘘下手か。


「そ、それがだな……最下位で、つまりドベチンだ」


 なぜ同じことを二回言った……。


「ちょっとそれじゃあ今回、志世君がここに来なかった理由って……」

「そうだ。多分、茜は志世もここに連れてきて、話を進めるはずだったと思う。でもそれは叶わなかった。なぜなら、俺が嘘をついてしまったからだ。一位を取ると約束して、下から一位を取ってしまったからな」

「なんで? 他のお父さんたちに比べたら緑はまだ若い方でしょ? 皆速かったってこと?」

「違うんだ」


 あからさまに落ち込んで、表情に影を落とす。だけど、そのまま話を続けてくれた。


「俺は運動会のリレーの為に入念な準備をしてきた。あの日、熱い握手を交わした次の日から俺はジムに通い、走り続け、ベンチプレスを上げた」


 おぉう……形から入るタイプなのね。ベンチプレスを上げる意味はないよね?


「足を速くするために努力は惜しまなかった。どこに筋力をつけるか調べ上げ、毎日仕事終わりにジムに通い、調べた通りに筋トレに励んだ。志世との約束を守るために。食事制限もかけ、ビールをもやめたんだ」

「なんでそんなストイックなのよ……」

「だがしかし、来たる運動会当日に俺は——とあるミスをした」


 ここまで完璧に仕上げてきてミスですって!? 身体のコンディションは完璧なはずなのに! なぜ!? どうして!?

 気が付けば、緑の語りの雰囲気に流され、私までなんかおかしくなってきた。


「——つを間違えたんだ……」

「なんて?」

「靴を間違えたんだ……」

「は?」


 靴を間違えたって、どういうこと? スニーカーなら走れるじゃない。いや、もしかしてこいつ……。


「サンダルで行ってしまったんだぁぁぁ!!」


 あほ。ばか。たわけだわ。

 てか耳元でうるさいな……ここに座ったの私なんだけど。


「靴間違えるとかあほじゃん」

「だが、そこまではいいんだ」


「え、いいの?」

「サンダルでも俺が履いて行ったのはビーサン。意外と早く走れるんだ。そして一位を走っていた志世からバトンを受け取り、走り始めた。途中まではよかったんだ、途中まではな……」


「焦らさないで教えてよ」

「第二コーナーに差し掛かって、後ろから来るパパ圧に負けてしまったのか、盛大に足を滑らせ、俺は転んだんだよ……」


 よくあるやつやんっ! 運動会で張り切りすぎて転んじゃうお父さん、絶対と言っていいほどによくあるやつやんっ!


「はぁ……そういうことね」

「そういうことだ」


 緑の話はそれからも続き、志世君とはしばらくの間、口をきいてもらえなかったそうだ。


 結論として分かったことは、緑の肉体が素晴らしいのはこの運動会のおかげって事と、志世君の説得はお先真っ暗と言ったところ。


 こうして緑が爆死したため、志世君の信頼は落ちるところまで落ちてないだろうし、どうしたもんか……。

 今考えても答えは出そうにもない。

 まだ時間はある。ゆっくり考えるとしよう。


「じゃあ私がこれから説得を頑張るためにもさ、ギュッてしてよ」

「唐突だな……まあいいよ。はーい、ギューーーッと」


「ふふっ、なんかくすぐったい。首に髭が当たるぅー」

「んだよっ。……ごめんな、今回は志世の説得は俺が力になれることはないから、瑞希にかかってる。俺は俺のやるべきことをするからさ、頼むよ」


「しょうがないなぁ。……ならもう一個要求していい?」

「いいよ」


「キスして?」


 そう言うと、緑は後ろから私の顎をくいっと横向け、唇に触れた。


「もっとしてもいい?」

「しょうがないなぁ、いいよ」


 


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