第4話:俺と志世の青春物語
「ちなみに聞くけどさ、去年はどんな感じで志世君を説得したの?」
茜と心が帰った後、俺の膝の上に乗った瑞希は後ろを振り向きながら、質問してきた。
なぜだろう、なぜ彼女は今、俺の上にいるのだろうか。
特別理由なんてないのだろうけど、彼女はちょこんと素知らぬ顔をして、座ったのだ。
その行動を普通に受け入れ、後ろからお腹に手を回している俺も、ついにどうかしちゃったみたい。
恥ずかしげもなく、普通に手を回した。
瑞希も瑞希で気にもしていない。だから俺はこのままでいようと言葉を返す。上に指を差しながら。
「そうだな、まあこんな感じだ」
「もしかして、また回想?」
「そうとも言う」
♢
丁度、今と同じ一年前の九月。
俺は茜に呼び出されたんだ。
理由も言わず、とにかく来てくださいと。電話越しに聞こえる声音はどうも良くない感じが伝わってきた。
珍しく敬語だし、きっとなんかあったのだと思い、俺は了承した。
姉を心配する俺ってば、なんて優しい奴だろう。
『それはいらないから早く進めて』
『大事なところで口を挟むのはやめてくれ瑞希』
そして近くのコメダで待っていると言われたので、ひとまず俺は理由を問いただす事なく向かったんだよ。
店には茜、志世、心の順で片側に並んで座っていた。
心はいつも通りの笑顔を振りまき、天使のように可愛いかったよ。メロンソーダをこぼしながら、口にアイスクリームをつけて、まあ天使だった。
だけど、その隣に座っていた志世は茜の服をちょんと摘まんで、今にも泣き出しそうな顔で俯いていた。あからさまに元気がない様子で。
とりあえずたっぷりアイコーを頼み、話を聞くために話を切り出した。
「なに、どしたの志世。元気ないな?」
「……」
ご機嫌は斜め。というか、もはや垂直に落ち切っているくらいにご機嫌はよろしくない。何があったのか知らんけど、ここまで志世が怒っている、もしくは悲しんでいると言った方がいいのかは分からんが、とにかく初めて見た。
泣くのはゲームで負けた時くらいで、他で泣いている所は見たことがない。
でも今の志世は泣きそうだった。
「ごめんね。急に呼び出しちゃって」
茜も元気がなさそうな声で、困った表情をする。
その時に、ふいに頭に過ったのは『離婚』。それ以外に思いつかなくて……まじかと俺は勝手に悲しんでいたわけだ。
「いや、いいよ。全然暇してたし。まあ休日はいつも暇してるんだけどなっ、ガハハハッ」
暗い雰囲気を一新しようと、無理に笑って見せると、心だけが素直に笑みを返してくれたが、志世は睨みつけてきた。
……どうやら事の現実は重大らしい。
「で、どうしたんだ? なにがあった? 俺が力になれるかは分からんけど、できる事なら協力はする」
「……実は、来月に運動会があるんだけど、パパが来れなくなっちゃってね。志世はパパが来てくれることを楽しみにしていたみたいで、拗ねちゃってさ……」
……うん、う——は? 離婚じゃねーのかよ。ビビらせんな。
「それが俺を呼んだ理由にどう関係するんだ?」
「そうね。単刀直入にお願いする。緑に父親役をしてほしいの」
待て待て。話が全然読めない。
正輝君が来れなくても、運動会には差し支えないと思うのだが……確かに来てほしい気持ちも分かるけど、全員が来られるわけでもないし、それぞれの家庭に事情は付いて回るだろう。
だからと言って、わざわざ俺がお父さん役をする必要がどこにある?
「みどりじゃイヤ! パパがいいの!」
茜の言葉を聞いた志世は怒って、茜の太ももを叩く。
「志世、痛いからやめて。それに来れなくなっちゃったのは仕方がないでしょう? 親子リレーを楽しみにしていたのもママは分かってるけどさ……ママにはどうしようもできないの。だからこうして緑にお願いしているのよ?」
「そんなことしらないもん! パパがいいの、パパじゃないとダメなんだもん!」
目の前で繰り広げられる親子喧嘩。……ではないな。
「おい、志世。ママを叩いちゃ駄目だろ」
「うるさい!」
「うるさいのはお前だ。男のくせしてピーピーうるさいな、泣き虫」
キッと睨みつけると、志世は黙った。
「なあ志世、パパじゃないとダメなのか?」
こくり黙ってうなずきだけを返して、瞳に涙を溜める。
「パパは足が速いのか?」
この質問にはちゃんとした意味があった。
志世とこれまで関わってきて知ったこと。
それは——負けず嫌い。これに尽きる。
勝負事には本気で一位になりたいのだろう。誰にも負けたくない、勝気なのだ。
ゲームでも、いつだって自分が勝つまでやりたがる。自分が負けた事を認めたくないのだ。
「うん、パパは足が速いから一番になれる……」
やはりそうか。分かりやすい奴なこと。
「志世は俺の足の速さを知らずに言っている」
「みどりはおそいでしょ。しってるもん、みどりとかけっこしてまけたことないもん」
あっはっは、馬鹿言うな。
手加減してるに決まってるだろ? え、決まってるよね?
『自信ないんかいっ!』
『だから語ってる途中にツッコミを入れてくるな』
『ボケたのは緑でしょ』
『そうでした』
話を戻そう。
志世は手加減されていることを知らないのだ。
だから俺では嫌だと言う。
パパにこだわる理由も、パパに来てほしいからではなく、自分が負けるのが嫌だから。
またこりゃ、ませたガキなこと。
「おいおいおい、志世。緑はめっちゃ速いんだぞ?」
「ウソつかないで」
「よし、じゃあこの後公園で俺とかけっこをしよう。それで俺が勝ったら、ちゃんとママに叩いてごめんって謝るか?」
「……わかった」
それからコメダを後にし、公園にやってきた。
「じゃあ茜がスタートの合図をしてくれ」
「了解……緑、ありがとね」
「姉弟だろ。困ってたら助ける。当たり前の事だぞ」
「あらなんか嫌だ、弟なのにキュンときちゃったわ」
「やめとけ気持ち悪い。早くゴールラインに立ってこい」
心は楽しそうにスタートラインの線を木の枝に書いて、「スタートラインッ」とはしゃいでいる。その感情はよく理解できないが、楽しいならそれでいい。
「パパがどれだけ速いか知らんけど、志世、俺を甘く見るなよ」
「みどりになんかまけないもん!」
そう言って、スタンディングスタートの構えをした。
志世がそうなら、俺はこれで行こう。
クラウチングスタートを構える。実はこれが和製英語として使われていることを知っているか? 本当はクロウチスタートと言うんだぞ。明日から使える豆知識だ。
「なにそれぇーだっさーい」
隣から嘲笑が聞こえてくるが、気にしない。
これは勝負だ。
「そう言っていられるのも今の内だぞ」
「じゃあ準備は良いかなー!?」
ゴールラインに辿り着いた茜は大声でこちらに問いかけてくる。
「おう!」
こちらも合図をして、茜の合図を待つ。
「よーーーーい——ドンッ!」
上から下へと振り下ろされた腕を確認し、スタートを切る。
我ながら良いスタートダッシュだ。
志世はこちらを見ることなく、ただひたすらにゴールを目掛け走っていく。
こ、こいつっ、意外と早いじゃねーか!!
一生懸命走る志世の姿は、本当に一位になりたいんだと思わせられる。
負けたくない、僕が1番だと。
だからと言って、俺は手を抜かないがな。
一気に加速して、志世を置いて行く。
負けじと食らいつこうと志世もスピードを上げた。
『大人げないわね……』
『こうでもしなきゃ納得してくれんだろ』
まあ結果は当然俺の勝ち。
志世は数秒後にゴールテープを切ったわけだ。
「はぁっ、はぁっ……みどりめっちゃはやいじゃん! まえはおそかったのに!」
「これが大人だ。舐めんな。きっとパパよりも速いぞ。俺じゃ物足りないか? これだったら一位なんて余裕だろ?」
「うん!」
機嫌も直ったのか、キラキラと目を輝かせグッと額の汗を拭いた志世。
「ぜったいいちいだよ!」
「任せろ! 余裕だ!」
そして俺と志世は熱い握手を交わし、青春の物語が始まったのだ。
『ママへの謝罪を2人して忘れてどうする……』
『おっと、すっかり忘れていた』
♡
「これが志世を納得させた過去の青春の話だ」
自慢げにどやってるが、大人げない大人の話だった。
でも、成功したのには変わりはないけどね。
「それで、運動会での結果はどうだったの? もちろん一位だよね?」
「……もちろん!」
「今、間があった気がするんだけど」
振り向き、緑の顔を確認すると、目が斜め右上に向いている。
……こいつ、あんなに格好つけて一位じゃなかったな。
「で、何位だったの?」
「だ、だから一位だって」
「で、何位だったの?」
目を逸らす緑の顔を掴みこちらを向かせ、問い詰める。
顔も右上向いっちゃって、嘘下手か。
「そ、それがだな……最下位で、つまりドベチンだ」
なぜ同じことを二回言った……。
「ちょっとそれじゃあ今回、志世君がここに来なかった理由って……」
「そうだ。多分、茜は志世もここに連れてきて、話を進めるはずだったと思う。でもそれは叶わなかった。なぜなら、俺が嘘をついてしまったからだ。一位を取ると約束して、下から一位を取ってしまったからな」
「なんで? 他のお父さんたちに比べたら緑はまだ若い方でしょ? 皆速かったってこと?」
「違うんだ」
あからさまに落ち込んで、表情に影を落とす。だけど、そのまま話を続けてくれた。
「俺は運動会のリレーの為に入念な準備をしてきた。あの日、熱い握手を交わした次の日から俺はジムに通い、走り続け、ベンチプレスを上げた」
おぉう……形から入るタイプなのね。ベンチプレスを上げる意味はないよね?
「足を速くするために努力は惜しまなかった。どこに筋力をつけるか調べ上げ、毎日仕事終わりにジムに通い、調べた通りに筋トレに励んだ。志世との約束を守るために。食事制限もかけ、ビールをもやめたんだ」
「なんでそんなストイックなのよ……」
「だがしかし、来たる運動会当日に俺は——とあるミスをした」
ここまで完璧に仕上げてきてミスですって!? 身体のコンディションは完璧なはずなのに! なぜ!? どうして!?
気が付けば、緑の語りの雰囲気に流され、私までなんかおかしくなってきた。
「——つを間違えたんだ……」
「なんて?」
「靴を間違えたんだ……」
「は?」
靴を間違えたって、どういうこと? スニーカーなら走れるじゃない。いや、もしかしてこいつ……。
「サンダルで行ってしまったんだぁぁぁ!!」
あほ。ばか。たわけだわ。
てか耳元でうるさいな……ここに座ったの私なんだけど。
「靴間違えるとかあほじゃん」
「だが、そこまではいいんだ」
「え、いいの?」
「サンダルでも俺が履いて行ったのはビーサン。意外と早く走れるんだ。そして一位を走っていた志世からバトンを受け取り、走り始めた。途中まではよかったんだ、途中まではな……」
「焦らさないで教えてよ」
「第二コーナーに差し掛かって、後ろから来るパパ圧に負けてしまったのか、盛大に足を滑らせ、俺は転んだんだよ……」
よくあるやつやんっ! 運動会で張り切りすぎて転んじゃうお父さん、絶対と言っていいほどによくあるやつやんっ!
「はぁ……そういうことね」
「そういうことだ」
緑の話はそれからも続き、志世君とはしばらくの間、口をきいてもらえなかったそうだ。
結論として分かったことは、緑の肉体が素晴らしいのはこの運動会のおかげって事と、志世君の説得はお先真っ暗と言ったところ。
こうして緑が爆死したため、志世君の信頼は落ちるところまで落ちてないだろうし、どうしたもんか……。
今考えても答えは出そうにもない。
まだ時間はある。ゆっくり考えるとしよう。
「じゃあ私がこれから説得を頑張るためにもさ、ギュッてしてよ」
「唐突だな……まあいいよ。はーい、ギューーーッと」
「ふふっ、なんかくすぐったい。首に髭が当たるぅー」
「んだよっ。……ごめんな、今回は志世の説得は俺が力になれることはないから、瑞希にかかってる。俺は俺のやるべきことをするからさ、頼むよ」
「しょうがないなぁ。……ならもう一個要求していい?」
「いいよ」
「キスして?」
そう言うと、緑は後ろから私の顎をくいっと横向け、唇に触れた。
「もっとしてもいい?」
「しょうがないなぁ、いいよ」
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