第5話:リベンジ
「じゃあ行ってくる」
「うん、気を付けてね」
日曜に話を聞いてから、彼は仕事が終わるとスポーツウェアに着替えて、外に出て行くようになった。
俺はやれる事をやるからとは、きっとこの事だろうな、と思いつつも感心していた。
人の為にここまでするものなのかと。
他の人だったならば、多分走りこんだりはしないだろう。
いいよ、の一言で終わり、そのまま運動会を迎えて、走るだけ。
大半の人は後者だと思う。
……でも、緑は前者だった。
ほんと、変に馬鹿真面目なんだから。
「ふふっ、まあそこが緑のいい所なんだけどね」
思わず声が漏れてしまう。
だけどね、もう少しでいいから私にも構ってほしいところ。帰ってきてはシャワーを浴びて、ご飯を食べて、寝るだけ。
平日は毎日その繰り返し。
「……なーんかなぁ、つまんないんだよなぁ」
ご飯を作りながら、頬を膨らまして不満を垂れる。
大体一時間で帰って来るので、それ合わせてご飯を用意している。平日に私の出来ることはこれくらいしかないので、せめて美味しいと言ってもらえるように手によりをかけて作らさせて頂いているわけで。
やっとこさの週末、私は明日志世君を説得するために茜さんと会う。
正直何も考えていない。
今の志世君が何を考えて拒んでいるのかすらもよく分からないし、緑が約束を破ったことに対して怒っているのかもしれない。もしかしたら本当にお父さんに来てほしいのかもしれない。
だから会ってから考えてようと思っているのだ。
子供は難しい。
言葉で嫌だと言っても、何が嫌なのか迄は言ってくれないから、正解が何かを手探りで探していくしかない。
言葉の端々にある思いを掴んで、辿っていかなければならないから。どこに本心があるのかを。去年は一番を取りたかった。だからと言って今年も一番が取りたいから、大舞台でコケる緑は嫌だと言っているわけでもないかもしれない。
お父さんに来てほしい。ただ純粋にそう思っているのかもしれないからこそ、しっかりと話を聞くべきだろう。
すると沸騰した鍋があふれ出し、ごぼごぼという音で自分が考え込みすぎたことに気付いた。
「おっとっと……」
ぱちりとガスコンロを消し、意味もなくふぅーっと息を掛ける。
とにかく、明日にならないとなにも始まらない。
♢
「ただいまー」
一時間の走り込みを終え、家に帰った。
「おかえりー」
丁度、ご飯を作り終えてキッチンに立っていた瑞希はエプロンでざっと手を拭いて、タオルを持って来てくれた。
「これからどうする? シャワー? ご飯? それとも、わ・た・し?」
きゃぴるんっとウインクをした瑞希はからかって言っているのが見え見えだ。
だから俺は、
「そうだな、じゃあ瑞希を頂こうかな」
「へっ?」
両手を上にあげ、いやらしく指を動かす。
そしてぺろりと唇を舐めて見せる。
「ちょっ、ちょっと待って!? ほんとっ? ほんとに私なのっ!?」
「そろそろかなって思ってたんだよ。タイミングとしてはバッチリだし、明日は休みだから……そうだな、朝まで寝かさないぜっ!」
「えっ、朝まで! そんなに持つかな私……」
……冗談なのにそんなマジで考えるのやめてほしいなぁー。
「嘘に決まってるだろ? シャワーだよ、シャワー」
「……そっか、そうだよね……」
あからさまに落ち込むのやめてくれるっ!?
「こんな汗まみれで逆に良いのか?」
「まあ、どうせ汗かくし……いや、やっぱり嫌かも。ちょっと臭い」
普通に傷つくんですけど。
でも風呂入ったら、そういうことでいいんだよね?
「とりあえず入ってくるわ」
「はーい」
♡
今日はそういうことでいいんだよね?
浴室から聞こえるシャワーの音を耳に入れながら、そんなことを考えていた。
服を掴んで手前に引っ張り、下着を確認すると——今日水色じゃん……。
なんか緊張してきた……。
シャワーを浴び終えてすぐにするわけでもないのに、私はドキドキと胸を鳴らしていた。
ガチャリと開いた浴室の扉に驚き、肩を跳ねさせてしまうくらいに緊張している。
「お先でしたー」
そんな私の緊張を他所に緑は気の抜けた声で風呂から上がって、冷蔵庫に入っているプロテインをごくごくと飲んで、「プハァー! プロテイン最高!」とパンイチで声を出した。
ちょっとこのタイミングでのパンイチはやめてほしい。目がその体に引き付けられちゃうし、特に——げふんげふん。これ以上は自分の為にも言わない方がいい。えっちな人だと思われてしまうから。
「今日のご飯はなにー?」
「ご、ご要望の鶏肉のささ身と味噌汁とサラダだよ!」
ここ最近のご飯は割と質素で、緑の為の筋肉飯を作っている。
傍から見たら、筋肉をつけるために運動し、筋トレをしている人にしか見えないと思う。これが運動会の為だと誰が思うのだ。
「んじゃ、早速いただきますか」
「はい、頂きます」
そして半裸、もはや全裸と言っても過言ではな人を隣にご飯を食べていく。
ちらちらと横目で緑の身体を見ていると、その視線に気づいたのか口にささ身を頬張りながら首を傾けた。
「な、何でもないよ!? 今更だけど、いい体してるなーって思っただけだから!」
咀嚼して、水で流し込むと緑はゆっくりと口を開いた。
「めっちゃ見てたくせにそれはどうなの」
バレてたー!! そんな見ているつもりはなかったのだけれど、バレてたー!!
「……気付いてたなら言ってよね」
「触ってみるか?」
「いいの? 固い?」
「それは触ってからのお楽しみだ」
そう言うと、力こぶを作り「ほれ」と上腕二頭筋をこちらに寄せてきた。
「では、失礼します」
「優しくしてくれよ、な」
紛らわしい言い方やめてくれるかしら!?
私はひとまず人差し指でちょんと触ってみることに。
「あっ……」
ん?
もう一度、ちょんっと。
「おおんっ……」
さらにちょんちょんっとすると、
「あっ、おおんっ……」
「ちょっと! 触るたびに変な声を上げるのやめてくれる!? 気持ち悪いし、なんか変な気分になるでしょうが!」
「すまんすまん、気を付ける。突くだけじゃ筋肉の固さは分からんだろ。ちゃんと触って、感じてくれ」
感じてるのはあんたでしょっ! って言いたくなったけど、言ったら緑の思う壺なので止めておこう。
「じゃあもう一度失礼します」
今度は手の平で包み込むように触り、グッと力を入れたたり、抜いたりしてみた。
「え、すごいっ……はぁっ、こんなに固くて、おっきい……」
「なあ、瑞希もわざと言ってるだろ」
バレたか。
「すごいね! 元々こんな感じなの?」
「去年からキープしてるからな。例えビールを飲んでも体型管理は割としていたからずっとこんな感じだと思う。でも流石に少しは太ったかも……じゃあ続いて胸筋もどうですか?」
「胸筋までっ!?」
「おうとも。これはベンチプレスを上げて鍛えた最高の筋肉だぞ」
「自慢げにこちらに身体を向けて、ぐいぐい胸を押し付けようとするのはやめて」
暑苦しいし、セクシーだから目のやり場に困るのよ……。
「早く触れ!」
「どんだけ触って欲しいのよ!」
うるさいので乳首よりも上の方を仕方なく触ると、
「あっ……」
だから一々声を出すな!
「ねえ、それやりたくてわざと触らせてるでしょ」
「バレたか……」
「それにしても分厚いね。固いわ」
「だろだろ?」
「私のも触ってみる?」
胸を突き出してみると、緑は一瞬固まった。
「……いいのか? すっごく柔らかそうだけど?」
「冗談よ、それは後でね?」
自分で何を言っているのだろうと思ったが、まあいいやとそのま流した。
「えっと……その、はい。楽しみに? してます」
♢
ご飯を食べ終わり、いつもの晩酌タイム? 的な寝るまでのゆっくりタイム。
瑞希はお風呂に入り、俺はテレビを呆けた顔で見ているこの時間。
机にはビールではなく、キンキンに冷えたお茶。
ズズッと啜り、ふぅーと一息。
これが落ちるいているように見えるか?
むしろ全くの逆だ。
めっちゃ緊張している。
また前と同じような状況に緊張しているんだ。
なぜ俺達は前もって今日こそやりましょう的な約束ごとを言外に約束しているのだろうか。全く持って意味が分からないこともない。
だって結局あの日以降、手を出すことはなかった。
瑞希も瑞希で俺より早く寝ちゃうし、まだなんだろうと思って出来なかったというちゃんとした理由がある。
今日こそは! 絶対に!
お茶を手に取り、ズズッとまた啜る。
テレビを消して、精神統一。
…………………………。
「お風呂あがりましたー」
大丈夫。今日は以前より緊張していない。
聞こえてくるシャワーの音にも、衣擦れ音にも無心でいられた。
湯上りで身体が熱いのか、瑞希はクーラーの下に行き、冷たい風を両手を広げて浴びている。
相変わらず露出度が高い寝巻なこと。えっちいんだよな。
かく言う俺は、パンイチで過ごしていたわけだが、今は服を着ている。実はあの日も着ていたのだが、まあそんな過去はどうでもいい。
細かいこだわりだが、服を着ていた方が自分の為にもなるし、そのあれだよあれ。それに服を脱ぐ行為があってこそだと、訳の分からない俺の嗜好だ。
「気持ちいー! ね!」
と、言われましてもね……。
俺はとっくの前に風呂から上がってるから何も言えんのだが。
「それはよかったな」
緊張しているのは俺だけな気がしてきたので、ここは男らしくしよう。
全然緊張なんてしてないんだからねッ!
「ねぇ緑、もしかして緊張してるの?」
「は、はぁ? 全然してねーしっ!」
「あはははっ、してるじゃん! 分かりやす!」
「うるさい瑞希だって本当は緊張してんじゃねーのか?」
「そりゃ……してるよ?」
急にしおらしくなり、俺の隣に腰かけた。
風呂上がりだから顔が火照っているのか、それとも本当に——
「なんかさ、俺達っておかしいよな」
「そうだね。始まりからおかしかったもん」
いつだって俺達はおかしい。きっといつまでもおかしいのだと思うけど、これが俺達らしさってもんだと。
「えっちするのに時間かかりすぎだよ? 高校生に戻った気分だよ。もっとグイグイきてもいいのに」
「んなこと言っても、緊張しちゃうし、先に寝るじゃねーか」
「確かに」
お互い笑みを浮かべ、つい口に出してまで笑ってしまう。
「でもさ、私と緑はこれが合ってるよ」
「そうだよな、俺もそう思う」
♢
話し終えたあと、いつものように歯磨きをし、寝る準備を済ませた。
部屋は真っ暗になり、エアコンの音だけが部屋に聞こえてくる。
段々と暗さに目が慣れて、向かい合って寝ている瑞希の顔が見えてきた。
手を頭の上に置き、優しく撫でるとくすぐったそうに身を捩って、抱きついてくる瑞希の身体は熱い。
胸に蹲っている瑞希を少しだけ離して頬に手を添えると、分かってるよ言わなくてもと静かに目を瞑った。
そして唇を重ね、リベンジを。
「……んっ……はぁっ……」
耳を甘噛みすると、漏れる嬌声。熱を帯びた吐息は艶めかしい。
いつしかエアコンの音は聞こえなくなり、自分達だけの世界に入っていっていることに気付く。
あんなに恥ずかしがっていたのに、始まってしまえばどうってことなくて。
「……やばいよ……緑……私、すごく幸せかも……」
「それは俺も一緒だよ」
そう言ってまたキスを繰り返し、服を脱がして、脱いで、部屋は熱気を帯びていった。
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