第3話:朝チュン


朝チュンとは、キスや抱き合うなどのムードがある場面後に、翌朝のシーンを描き、その空白の時間に行為があったことを匂わす言葉である。

 朝方に鳴く雀の泣き声を入れることで、夜が明けたことを表現する事が多いため、『朝チュン』という名称で言われることが多くなったらしく。

 そう、今はまさに——


 ——朝になり、カーテンの隙間から差し込む光が自分の顔に当たるのを感じて目を覚ます。

 それなりに日が昇っている時間だということを、ぼんやり思考の中で理解した。

 外からは雀が電線に止まって、まさにチュンチュン、もういっちょチュンチュンとこれでもかと泣き散らしている声が聞こえてくる。


 横を見れば、隣で寝てい——いや、起きている緑が私の顔をじっと見つめ、なにやら気持ち悪い笑顔を浮かべ、ご機嫌斜めなご様子。その笑顔がとても怖い。


「やあ、おはよう瑞希。昨日は気持ちよかったかい?」


 えっと……なんだろう……私、昨日なにかしたかしら……。

 考える必要もないことは十二分に分かっているのだけれど、とりあえず知らぬ存ぜぬで目を逸らしてみることにした。


「なんで目を逸らすのかな? やましい事でもあるのかな?」


 話し方まで気持ち悪い。


「んー、おはよう緑! よく眠れたね! すごく気持ちのいい朝だぁ!」


 寝転がりながらも身体を伸ばし、緑に対して快活な挨拶をしてみたり。


「あからさまに話を逸らすな。俺は全然眠れなかったんだぞ」


 あ、いつも通りに戻った。


「へへっ、そりゃ大変だったね……睡眠薬でも買ったらどうかな、あはははは……緑には賢者タイムってものが存在しないんだね!」


 緑に背を向けるように寝返りを打つ。

 だがそんな抵抗も虚しく、緑は私の上を転がって寝返りを打った方にやってきた。重いせいで「うぐぅ」って変な声出ちゃったじゃない。


「ちょっ、怖いんですけど……」


 相も変わらずの笑顔で何か言いたげな顔をする緑。


「賢者タイムが存在しなかったみたいなんだよな。どうしてだろうな?」

「え、そうなんだ。まだまだ足りなかったのかなぁ? 私はすぐに賢者タイム入ったよ? 緑はお猿さんかなにかかな?」


 昨日の夜はそりゃもうぐっすりと。

 この家に来てから一番気持ちよく眠れた。

 珍しく一瞬で。

 起きれば目覚めも良くて、最高の朝だ!


「さーってと、起きよっかなぁ! 今日も一日頑張るぞぉー、おー!」

「おい待て、待てコラ瑞希。何事もなかったかのように一日を始めようとするんじゃねぇ」


 起き上がってクゥーッと再び伸びをして、そのままえいえいおーと手を上げ、力を抜いて手を下げた。


 だが、その下げた手を掴まれ、せっかく起き上がったのに引っ張られ、私はまた寝転んでしまう事になってしまった。

 そして、緑は私を逃がしまいと上に乗って拘束する。あらやだ、乱暴なのはやめてくれるかしら? やるなら優しくしてね? 


「何か言うことは? 瑞希ちゃん?」


 それはもう満面の笑みなんだけど、ピキピキとお怒りマークをおでこにお迎えしている。

 逃げようともがいても、上に乗っかられてしまっては動けるはずもなく。

 それでも私は抵抗して、新たな作戦に取り掛かり「流石男の人! よっ、力があってかっこいいわ!」なんて媚び煽てる言葉を掛けた。でもまあそんな言葉に一切靡くこともなく、耳も傾けることもなく、抵抗虚しく散っていく。

 どんな悪足掻きをしても、無意味と悟った私は、


「だぁー!! もう! ごめんなさいっ! 私が悪かったですぅ! 本当に、本当にやる気満々だったのぉ! でも気付いたら寝ちゃってたのぉ! ごめんってばぁ! 許してよぉ!」


 ジタバタと足を動かし、子供みたく暴れて謝った。


「俺の緊張を返せっ! あんなに良い雰囲気だったのに! とろけそうな目をしやがって! あれはただ眠かっただけかよ! お酒飲んだら眠くなる伏線を見事回収してんじゃねーよ!」


「でもさ、でもっ! 緑にも駄目なところあったよ! 急に『あ、悪い。電気消すついでにちょっとトイレ』とかふざけたことを抜かしたから、その待ってる間に寝ちゃったんじゃない! もはやこれは緑が悪いよ! 5人中5人は緑が悪いっていう!」


「数が少ないのが自信の無さが現れているぞ。それにトイレに行きたくなったから仕方ないじゃん! 生理現象だ!」


「大体よ、ビールを三本も飲んでるから尿意を催すのよ! 緑だって見事回収してるじゃない! どっちもどっち……いいや、緑が悪いに一票! 私の意見に清き一票を!」


「急に選挙になるのやめて。あの状況で寝るとか、やっぱり瑞希は……」


 ちょっと……急に悲しそうにしょげた顔するのは反則よ……。

 ただ性欲<睡眠欲が勝ってしまっただけなんだもん……。

 だけど、私も悪いかも……。


「じゃあさ……今から、する?」

「え、今から?」

「……お互いさまってことで、しよ?」







「……本当に良いのか?」

「……うん……明るくて恥ずかしいけど……いい、よ」


 瑞希は顔を赤くしながらも、こくりとタオルケットで口元を隠しながら頷いた。

 俺はそのタオルケットをゆっくりと下にさげ、片手を瑞希の頬に手を添える。

 そしてゆっくりと顔を近づけると、瑞希も静かに受け入れるように目を瞑ってくれた。


 一センチも満たない距離に顔を近づけ、唇を重ねようとした、その時——


「緑ー! 起きてるー? インターホン壊れてるんだけどー!」


 と、突然に玄関の向こう側、つまり外から俺を呼ぶ声が聞こえてきた。

 まだ瑞希との距離を保ったままだったが、目を瞑っていた瑞希はぱちりと目を開け、チュッと音を鳴らして唇を奪い、「えいっ!」と声を上げながら力強く俺を押した。


「あいたっ」


 横に退かされた俺は抵抗する事もなくごろりと寝転がり、心の中だけで、扉の奥にいる人物に舌打ちを送る。

 せっかくの愛の、愛による、愛の為の、時間が……。

 だが、コンコンと叩き続けられる玄関の音はどうやら止むことを知らないみたいだ。


 ……本当、頼むわ。いつも連絡しろって言ってんだろうが……。

 そんでもって、瑞希はあれだけ俺に下着を見られることを嫌がっていたくせに、目の前で、しかも堂々と! ショートパンツを脱いで下着を曝け出しやがる。気付いていないのか、もういいやなのか、どっちか分からんがスキニーパンツを急いで穿いて、玄関へ向かう。


「茜さん、今開けるんで、コンコンやめてくださぁーい!」

「あ、あーちゃんのこえだぁ!」


 外からは茜の声ではなく、心の声が聞こえてくる。……ということはだ。もしかしてだけど、またお守りですかね?


 寝転がりながらも玄関の方に目を向け、何やらぺちゃくちゃ話しているのを眺めていると、瑞希の顔は赤くなり、ぺこぺこと頭を下げたり上げたりで忙しない。

 なんの話をしているのやら……。


 すると、瑞希が玄関扉を支えている腕の下からひょっこりと可愛く嬉しそうな笑みで、こちらを見てくる心。

 ちょいちょいっと手招きをすると、靴を脱いで(ちゃんと揃えて)駆け寄ってきた。


「みーくーん!」


 何この子ぉ、めっちゃ天使なんですけどぉ……。

 こんなん落ちるに決まってますやんんん!

 俺の胸にダイブしてきた心は、ぷはぁと息を吐き出して顔を上げた。


「みーくんっ」

「心ぉ~、久しぶりだなぁ~。あーちゃんよりやっぱりみーくんだよなぁ」


 俺と心の絆はとっくの昔から固いんだ。

 簡単に瑞希ことあーちゃんに心変わりしてもらっては困る。


「ううん、あーちゃん!」

「ぐはっ!! かはっ!」

「みーくんだいじょぶ?」


 大丈夫じゃないよ、もうすぐ死ぬよ? みーくんが死んだら、心は泣いてくれるかな? 泣いてよ? お願いだから! まじでお願いだから!


「だ、大丈夫だよ……ちょっと危なかったけどね……」

「あ、にゃんさん!」


 忙しないな。今着ているのは、この前の瑞希とのデートで買ったにゃんださんのTシャツで、心が好きなやつでもある。


「そうだぞぉ、心の好きなにゃんださんだぞぉ?」

「すきくないよ?」

「……え?」


 ……嘘だろ? みーくんはね、心が好きだと思ってたから着てたんだよ……? え? 本当に好きくないの?


「……緑、なに泣いてんの?」

「放っておいてくれ……もう俺はズタボロだ……」


 瑞希はやれやれと呆れた顔をしながら、どうぞと茜に座布団を差し出した。


「それで今日はどうしたんですか? 志世君は居ないですけど、心ちゃんの面倒を見てほしい感じですか?」


 瑞希が家に戻ってきてから心は瑞希の上に座って、ニコニコ笑っている。

 そんなに、そんなに瑞希が好きなのか……。


「うん、実は二人にお願いがあってさ……」

「はあ、今回はお守りではないんですね?」

「申し訳ないんだけど、単刀直入に言うわ。来月にある、心と志世の運動会に来てほしいの。それで、緑にはで悪いけど、父親役してくれないかしら……?」


 表情を暗くさせ、申し訳なさそうにお願いしてくる茜を見るのはこれで二回目だった。

 またと言うのは、去年もお願いされたからで、どうやら今年も旦那の正輝君は来られないという事でいいのだろう。


「それはいいけどさ、心達はいいのか。それで」

「心は緑がいいって言うけど、志世はねやっぱり旦那に来てほしいらしくてさ……でも、仕事がぁ~って言われたら何も言えないじゃない」


 心はお父さんが来てくれたことの記憶がある。

 だから心はなにも思わないのか。意外と淡白なんだな。


 だけど志世はそうもいかない。去年も来ていない、そして今年も。

 それがどういう意味か、考えなくてもわかる。

 志世は幼稚園に入って、一度たりともお父さんが来たことがない。去年が初めての運動会だったのにも関わらず、来なかったという事。


「はぁ、じゃあまた今年も志世を説得するところからか?」

「悪いけど……お願いできるかしら? 去年も大変だったけど……」

「じゃ、じゃあ! 私に任せてください!」


 急に手を上げ、立候補した瑞希は自信満々の様子。


「あーちゃんもくる? うんどうかい?」

「うん、もちろん! 心ちゃんの頑張りを見に行くよ!」

「じゃあこころがんばりゅ!」


 ……天使よ、その笑顔を俺に向けてもいいんだよ?


「瑞希ちゃんにそこまでしてもらう理由が——」


「——ありますよ! これまでどれだけ茜さんにお世話になった事か! 今こうして緑と一緒に居られるのも茜さんのおかげですし、私の知らない緑をたくさん教えてくれたじゃないですか! だから私には返しきれない恩があるんです!」


「おいちょっと待て。今聞き捨てならないことがあった気がするんだが?」

「じゃあお願いしようかな……ごめんね。本来は私が説得するべきなんだけど、志世は頑固だから私の話を聞いてくれないのよ。『嫌だ!』の一点張りで」


 おいおい、俺の話は無視か? 聞いてたよね? あれ、俺ここに存在してるよね? 誰かお願い、こっちを見て……。


「任せてください! 志世君は私が籠絡させてみせます!」

「ねえちょっと緑、瑞希ちゃんがちょっと怖いわ。言葉の意味分かって——って、なんで泣いてんの?」


 俺だけなんか蚊帳の外で、相手をしてくれないからなんて言えないさ……。

 でもよかった——ちゃんと存在してる……。



 そうして気が付けば、朝チュンどころではなくなっていた。

 一体、いつになったら俺達はできるのだろうか……。

 先はまだまだ長かったりしないよ、な?

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