第14話:にゃんださん
時間的にここに来るのは必然だったと思う。
「お待たせしました、モーニングセットAの方は?」
「はい! 私です!」
ぴしりと手を上げた瑞希は嬉しそうに見える。朝ご飯は食べていないからお腹が空いていたのだろう。今日のデートは腹ごしらえからのスタートだ。
「次にBセットですね。どうぞ」
「ありがとうございます」
とりあえずどこも開いていないので、コメダに来たわけだ。
目の前に置かれた二つのモーニングセット。
AとBと言われているが、中身はそれ程変わりはない。ただ、トーストに付けるものが違うだけ。
瑞希はタマゴペースト。
俺は小倉あん。
それぞれ茹で卵付き。
飲み物一杯に対対して、トーストが付いて出てくるのだ。
名古屋人としてはこれが当たり前。モーニングのない喫茶店は喫茶店じゃないと思うくらいだからな。
どうやら県外はそうでもなかったみたいで驚いたことを覚えている。
名古屋の当たり前は他では当たり前じゃない。
スガキヤもまさしく同じで、全国にあると思っていたら、まさかの東海三県にしかないことを知った時は驚いたどころか腰を抜かした。……すまん、嘘だ。
最近は関西方面までに進出しているらしい。安くて美味しいスガキヤ、もっと広まれ!
そんなどうでもいい名古屋情報を誰に教えるわけでもなく考えて、切込みの入ったトーストをちぎり、小倉あんを付けていく。
トーストはやっぱり小倉に限る。
ちなみに頼んだ飲み物は『たっぷりアイスコーヒー』
伝票には『たっぷりアイコー』と書かれている。
豆知識だが、この伝票に書かれている『たっぷりアイスコーヒー』の略称は店舗ごとに違ったりして面白い。
例えばだが、『た-アイコー』だったりもする。普通に略称で書かない場合もある。
瑞希が注文したのは『たっぷりミルクコーヒー』
では、伝票にはなんて書かれていると思う?
1:た-ミルク
2:たっぷりミルコー
3:たっぷりアイミルコー
答えは——
『たっぷりアイミルコー』だ。
正解の人には拍手を送ろう。
これも店舗ごとに違ったりもする。
コメダの一つの楽しみ方なので、一度見てみるといいだろう。
むしゃむしゃとトーストを齧って、アイスコーヒーを喉に流していく。
コメダのコーヒーは世界一うまい。モーニングも最高だ。
「一切れちょうだい? 私の卵ペーストと交換しよ?」
「いいよ。ほれ」
トーストの入っているバスケットかごを瑞希の方へ渡すと、不服な顔をした。
「違う」
「何がだよ……」
食べたいんじゃないのか? どうしてほしいんだ……。
すると、少しだけ顔を俺に近づけ、口をパクパクとさせてきた。まるで餌を食べる魚のように。
……もしかして食べさせてほしいと? あーんをしろと?
「あほか。自分で食え」
「むっ!」
「痛っ!? えっ!? 痛いんですけどぉ!?」
激痛が走った足元を見るために机下を見ると、自分の足にはヒールが刺さっていた。あ、パンツ見えそう……。もう少し足を上げてくれれば、っておい。俺はパンツを見たくて仕方がない中学生か。
顔を上げて、瑞希を見る。
早くしろと言わんばかりな表情。
どうしてもしてほしいらしい。だからと言って暴力はいかんですけどね?
刺さってるからね。普通に痛いからね?
「ったく。分かったよ。やればいいんだろ、やれば!」
「あーん」
「それ言うの俺だからな? 自分で言うもんじゃないからな!?」
「はーくしてー(早くして)」
口を開けたまま、お待ちになっている瑞希が面白いので、スマホを取り出してカメラに収めた。
「ひょっと! ひゃめへよね! (ちょっとやめてよね)」
「はいはい、あーん……」
——ガブリ。
ぱくり。の方が可愛らしい表現で女の子らしいと思うのだが、現状を見たらガブリの方が相応しいと思った。
だって瑞希はパンを口に入れただけではなく、俺の指ごと食ったのだから。
「おい。俺の指まで食うな。パンじゃねーぞ。それに痛い」
「……」
口にパンと指を咥えているので、何も言わない。
そしてつつーっとなぞるように指から口を離した。……ちょっとえっちだった。
食べ終わってやっと口を開く。
「ごめん、つい美味しそうで」
「汚ねぇ」
「汚くないわよっ……やっぱり汚いかも……」
改めて自分で思ったのか、お手拭きで丁寧に拭かれていく指。
拭かれ終わった指を眺めていると、
「どんだけ自分の指眺めているの? 舐めたかったの? 気持ち悪いわね」
かぶりついておいてそれはないわ。
「んなわけねーだろ。あほか」
まあ? 少しくらい思ったけど? 男ってこんなもんだよね? ミジンコレベルで思うよね? 何か問題でも?
「俺にもタマゴペーストくれよ」
「そうだったね。はい、あーん」
「俺はやってもらわなくていいから。普通に食べますから」
差し出されたトーストを手で受け取り、口の中へ放り込み咀嚼した。
ったく、何だってんだ。
その不服そうな顔やめろ。アラサーだろお前。ラブラブで周りが見えない高校生カップルか! 自重しろ!
「これ食べ終わったら行くぞ」
「ちぇ」
「行くからな!」
「わかってますよぉーだ……緑のけちんぼ」
「はいはい、けちんぼですよ。ごめんなさいね」
♢
コメダを後にして、JRゲートタワーモールへと移動した。
外から上がるエスカレーターに乗り、ゲートタワー内へ入っていく。
二階からウィンドウショッピングとやらをするらしい。
色んな店を見ては回っていく。
「あっ! ジ アレイだよ! タピオカだよ!」
一通り周って、見つけたのはタピオカで有名なお店。このゲートタワーが出来てから、よく名古屋のローカル番組で良く紹介されていたので俺も知っている。
「さっき飯食ったばっかじゃん。今はいらないわ」
「ですよねぇー、私も同じー」
同意してくれてはいるものの、視線は店から離れてくれないみたいだった。どうやら飲みたくて仕方ないらしいが、ここで屈さないのが俺なのだ。
「少し空腹になってからの方が俺は美味いと思うのだが、どうだろうか?」
遠まわしに今は飲みたくないと言いつつも、しっかりと後で飲もうと含みを持たせておく。これが大事。
飲みたくないと断言してしまえば、「じゃあまた今度の機会に……」としょげてしまう可能性が無きにしも非ず。
だからこそ、今より後で飲もうと伝えるのが正解なのである。
「うーむ……確かに一理ある。さっきアイミルコー飲んだばっかりだしなぁ……そうだね! 一通り見て回ってからにしよっか!」
ほら、正解。
俺は瑞希の旦那なので扱いくらい心得ている。
「じゃあ三階に行きますか」
「うんっ」
三階はレディス、コスメと言った女性ものファッションが多い階で瑞希はどうやらお気に入りの店があるらしいので、黙ってついて行く。
入ったのはエヌズセレクトという女性の服が売っているお店。
何やら高そうな雰囲気がぷんぷんと漂っている。
でも瑞希が着ていそうな服も多い。スカートももちろんあるが、パンツも豊富に取り揃えられていた。
握っていた手は離され、あちらこちらへと動き回り始め、楽しそうだ。
久しぶりに来た買い物なのか、子供みたいに目を輝かせている。
「これ可愛くない?」
見せてきたのはノースリーブの膝下丈のワンピース。
腰には大きめのリボンがあしらわれており、ウエストを引き締める効果が何とか……店員さんに説明されているのを小耳にはさんだわけで。まあ俺には全く理解ができない話だったが。
「俺に聞くのはどうなの……? 知ってるでしょ? ダサいの」
「あ、自覚したんだね。成長したじゃん! えらいえらい」
服を持っている手とは逆の手で頭を撫でられてしまう。
「子供じゃないんだからやめろって……」
「あーごめんごめん。なんか成長したことが嬉しくて……で、どう? 似合いそうかな?」
自分の体に合わせて、見せてくる。
下から舐めるように瑞希の全身を見ていく。
聞かれたからにはちゃんと答えないと、蹴られそうだし……。
でもこの人は何でも似合う気がするのは俺だけかしら。
普通に似合ってるしか言えないんだけども、そのままの言葉で伝えたら、多分蹴られる。
なぜ俺は蹴られることに怯えているのだろうか。……ふっ、どうやらいつの間にか尻に敷かれていたみたいだ。あーやだやだ。
「似合っていると思います」
「え、なんで敬語?」
「いえ、特に理由はありませんけど。とてもお似合いです」
結局、似合ってるとしか言えなかった。
しかも敬語になってしまった。
怒られなかったことに安堵さえ覚えてしまう。
「じゃあ黒か白だったらどっちがいい?」
うっわー、出たよ。
この質問いっちゃん嫌なやつだわぁ……。前も挙式の準備でキレられたの思い出す。髪の毛むしり取られたんだよなぁ。
正解がない答えほど難しい問題はない。
何が間違っていて、何が正解なのか。それは本人しか分からないのだ。
だから俺は、敢えて別の選択肢を取ることにした。
「……うーん。それもいいんだけど、こっちにあるくすんだ水色っぽいワンピースの方が好きかもしれん」
指を差してそのワンピースを示す。
そして恐る恐る瑞希の顔色を窺うと……あれ? 怒ってないぞ? もしかして初の正解ですか!?
「それもいい! 緑にしてはやるじゃん! こっちの方が可愛いかも!」
テテテッと小走りして、ワンピースを手に取った。
よく見れば花柄になっており、少しだけ花柄と元の生地が違う。
元々の生地は色が少し薄く見え、花柄は生地が分厚くできている。なので花柄がちゃんと見えるように作られているといった感じだ。
腰には同じ色味の細いベルトが付いている。
「どお?」
「うん、こっちの方がいいかな。俺は」
「じゃあこれにしよっかなぁ。値段は……」
そう言いながら、襟もとにある値札を見て、目をギョッと大きくさせた。
ついでにベルトの値段も見て、またギョッとした。
「あー、うん……ちょっとやめとくー」
「なんだ、せっかく似合ってたのにいいのか?」
「三万は高い……」
「……否定はしない」
ワンピース一枚三万って、どこぞのセレブレだ。高いわ、俺のにゃんださん見習え。千円だぞ。
「うぅー、他の店も回るー」
がっくしと肩を落とし、店から出て行ってしまう瑞希。
そんなに気に入ってたのかと、残念そうに去って行く瑞希の背中を眺め、店員さんに一声かけてから店を出た。
♡
結局、あれから色んな店を回ったけど、何も買わなかった。
気を取り直して、緑の服選びに勤しむことにする!
もうにゃんださはやめてほしいからこそ、これからは私色に染めてあげるのだ! はっはっは!
「何笑ってんだ、気持ち悪いな」
「女子に向かって気持ち悪いとか最低。ダサ男は黙ってて」
緑は時々、普通に毒を吐く。思った事を口に出しすぎる節がある。
普通の女の子だったら傷つくと思うし、もっと考えてほしいところ。でも私も大概だから人のことは言えないね。
「ダサッ……くねーし……」
「いやいや、ダサいから」
これ以上言ったら泣くかもしれないからやめておこう。……って、もう手遅れかも。
「……帰る」
踵を返し、逆方向に歩いて行ってしまう。
ちょちょっ、何拗ねてんのよ!
「子供かっ! そんなに真に受けないでよ。気持ち悪いって言った緑が悪いんじゃいの?」
腕を引っ張り、帰ろうとする緑を必死に食い止める。
「それもそうだな。俺が悪い……でも本当に気持ち悪い笑みだった」
「……帰る」
掴んでいた腕を外し、カツカツと大きいヒール音をわざと立てて、緑とは逆方向に歩いて行く。
「ちょちょちょっ、ごめんって! 冗談だから、瑞希ごめんって」
「なーんてねぇ! 冗談でしたぁ!」
ペロッと舌を出し、してやったりと。
そんな私の顔見た緑はげんなりとした表情を見せた。
「ささっ、緑の服見よ!」
「それもそうだな。俺ダサいしな」
「やっぱり自覚あるんじゃん」
「まあそれなりにな。気持ち悪いとか言ってごめん」
「いいよ。私もごめんね」
お互いに謝って、目的の店へと歩き出す。
私は緑の好みを知らないけれど、自分なりに分析して、好きそうなお店をピックアップしました。にゃんださから何をピックアップしたのやら。
「ビズ行こ! 四階!」
「ビズ? ……クールビス? ビズリーチ?」
「ビズグラだよ!」
「何それ知らない」
「ビズレリックグラマーだよ! 知らないの?」
「知らない。俺が知っているのはにゃんださんだけだから」
緑の言葉に私は頭を抱えてしまう。
逆ににゃんださなんて誰も知らないから。どこに売ってるかもしらないわ。
そこら辺のスーパーに売ってるの? ねぇ、教えて?
「なんだ、頭痛か? 俺、薬持ってるけどいるか?」
私を心配してくれるのは嬉しいんだけど、原因はあなただからね……。薬じゃあ治らないわ……。
「だ、大丈夫よ。早く行きましょう」
「急にどうしたんだよ。心配になるじゃないか」
……こっちはあなたが心配よ。
♡
目的の店に入り、色々と見て回ってみる。
ここはシンプルな物もあれば、派手目の物まで取り揃えられているから、緑も選びやすいかと。それに奇抜な動物な奴もあり、にゃんださみたいなキャラクターもいる。だからと言って、それがダサい訳でもない。
とにかくにゃんださから離れてもらいたいのだ。
「緑的に気に入ったものはある?」
近くにいた物色している緑に問いかけると、既に一枚のTシャツを持っていた。
「それがい——」
言葉を出そうとしたが、詰まってしまう。
驚きで言葉が出ない。
なんで……何でそれがあるの……え、もしかして有名なの……?
「おい、瑞希……これは、あの有名で大人気な……俺が愛してやまない『にゃんださん』じゃないか!?」
——そう、緑が持っていたのは、あの『NYANDASA』であるのだ。
ブサイクな猫がワッペンとして小さく胸の辺りに堂々と構えている白のTシャツ。
嘘嘘嘘! そんな可愛げのない猫が人気なんて……在り得ない!
「よく見た? ちゃんと目を凝らして見た?」
「あぁ、俺が見間違えるわけないだろ。これはまさしく『にゃんださん』だ!」
言う通り、にゃんださだ。
なんでいつも頑なに『ん』を付けるのだろうか。私、しっかりと教えたはずなのに。
「へぇ~、まあそれはやめておこっか」
「何故だ! ここは有名な店なんだろ! 見るからにお洒落さんが多いし、あっ、ほら! 値段もそこそこするぞ! これはお洒落に違いない!」
「ん~、でもさ、たくさん家にあるじゃん。私は違うのがいいなぁ」
「よく見てみ? 後ろの裾ら辺には小さくにゃんださんの足跡がついていて、可愛さも備えている。瑞希、買おうぜ!」
熱い熱い。
熱狂的ファン過ぎる。そして、近い近い。
分かったから、買えばいいじゃない。
……んと、待ってよ? 買おうぜ? というのは、一緒の奴をってこと? お揃い?
「私はいらないかなぁ……あははは……」
「遠慮すんな。俺が買ってやる。ほら、薄いピンクのもあるし、お揃いだ」
あらやだ。
お揃いって言葉を聞いただけで可愛く見えてきたわ……ってちがーーーーう!
お揃いなんて恥ずかしいよ! 私達もうすぐ三十路よ!? 人前で着るなんて無理無理!
「恥ずかしいから……」
「だったら部屋着にしよう! どこも行かない日はこれを着ればいい。むしろ! 合わせて着る必要もない!」
ぐいぐい来るなこの人。
めっちゃ嬉しそうなんだけど。
「緑は恥ずかしくないの?」
「恥ずかしいも何も瑞希以外に見せることないじゃん! 余裕だ、余裕!」
まあデザインも悪くないし……でもあれだけ馬鹿にしてたのに、なんだか申し訳ない気持ちもある……。
「私あれだけにゃんださを馬鹿にしてたんだけどいいの? 一緒に着ても」
「構わん構わん。これを機にハマれば尚良しだろ」
「……じゃあ、買おうかな……」
「よし、じゃあ買ってくる!」
意気揚々に服を二着レジに持って行き、購入。
「ほら、これ瑞希の方な」
「……うん。ありがと」
渡された袋を手に取って、ぎゅっと抱きしめる。
……結構嬉しいかも、お揃い。
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