第13話:待ち合わせ


 着いてしまった。

 よりによって、約束の時間の三十分も前に。

 待ち合わせ場所に辿り着いてしまったのだ。

 周りを見渡しても、勿論瑞希の姿はない。当たり前だ、今は九時半なのだから。集合時間は十時となっているし。居なくて当たり前なのだ。


 腕時計を見て、時間は進んでいないと分かっていながらも、時間を確認してしまう。改めて見ても、短針も動いていなければ、長針も動いていない。動いているのは秒針だけ。間違いなく九時半だ。


 もし、こんな所を瑞希に見られてしまえば、きっと茶化されるだろう。いいや、間違いなくここぞとばかりに言ってきそうだ。


『あれあれぇ~? 緑はもしかしてだけど私よりデート楽しみにしてなぁ~い?』


 にやにやと小馬鹿にした笑いを浮かべて、こんな感じに言ってくるに違いない。

 容易に想像できてしまうのも、どうなのだろうか。


 ……くそっ、惨めだっ! (まだ何も言われていないし、そもそも瑞希はいないんだけど)


 なんやかんや楽しみにしてるのは認めよう。

 やっと元通りに戻れて、こうしてデートをするのも久しくないわけでもないが、ちゃんとしたデートと言うものは初めてだ。

 服は選んでもらったが、ちゃんと髪型はでセットしてきた。

 スマホで検索して、自分に似合いそうな髪型を探したり、そこからyoutubeでセットの仕方を一から学んだりもしたんだぞ。……おい、どんだけ楽しみにしてんだよ俺!


 まあいい。

 ただ、この髪型が今の自分の格好に、顔に、似合っているかは定かではない。さっきからちらちらと視線を感じるし、ちょっとだけ不安。

 瑞希に会って早々に「何その髪型、やっば」とか言われたらどうしようとか、そんな一抹の不安を抱えているのだ。


 雪菜から貰ったTシャツはグレーのビックシャツと言われているものらしく、胸にはワンポイントでブランドロゴがあしらわれているだけの超が付くほどのシンプルな物。

 下は言われた通りに黒のスキニーでナイキのスニーカー。エアマックスさん。


 全体的に見て、自分的評価を自分に与えるならば、百点満点だろう。これがにゃんださんのTシャツだったならば、プラスで特別に五十点の加点を与えてもいいくらいなんだけど。


 さてさて、周りから見た俺はどうなのだろうか。

 自己評価は百点満点だから胸を張ってもいいのか? いやいや、自分を過信しすぎるのはよろしくない。やっぱりマイナス五十点くらいにして、総合評価は五十点にしておこう。

 再び周りに目を配ると……うん。自意識過剰と言ってもいいだろう。誰一人、俺を見ている奴はいなかった。調子に乗ってすいませんでしたっと。


 そろそろ移動しよう。

 こんな所を瑞希に見られてしまったら、恥ずかしさで心臓が止まってしまう。

 大騒ぎになる前に退散だ。







 着いてしまった。

 時刻は九時。

 待ち合わせ時間よりも一時間も前に名古屋駅に着いてしまった。


 ついうっかり。楽しみすぎて身体が勝手に歩き出していただけなの。本当に、身体が勝手にね? 名古屋駅に向かって行っただけなの。私の意思を無視して、気付いたら金時計に着いてただけだから。


 見渡す限り、ひと、人、ヒト。

 人まみれだ。


 私は喧騒の中に紛れ込んで、一人ぽつんと来るはずもない緑も待って突っ立っている。

 たくさんの待ち人を待つ人がひしめき合っていて、ある種の名古屋駅名物だ。


 視線を巡らせれば、所々で快活な声が届いてくる。

 どうやら声の主の大学生っぽい人達は、高校の頃の友達と久しぶりに会ったみたいな、そんな感じに見える。派手に染め上がった髪色に太陽に焼かれただろう肌。ザ・陽キャと言わざるを得ない。


「焼けたねぇ」

「そうなんよぉ、水晶浜に女の子達連れて行ったんだよねぇ」


 声が大きいせいで会話が丸聞こえ。テンションが高いのも分かるが、もう少しトーン落とそうか。

 他にも「お待たせぇー」と甘い声を出した女の子が男の子に駆け寄ったりと、イチャイチャを見せつけられたり……くっ、悔しいとか思ってないもんね! 私だってデート! なんだから! と意味もなく対抗意識を向けてみたり。


 色んな光景を目の当たりにして、思うことが一つ。

 私もあんな感じに幸せそうな笑顔になれるのだろうか、と。


 なれるといいなぁ……。

 イチャコラカップルを横目に見つつ歩き始め、二階の人が少ない場所へと移動した。

 上から見ると結構な人の数だ。こんなにもいたのかと少しばかり驚いた。


 視点を変えてみれば、違う景色になる。

 私自身も変えてみようかしら。


 まだ五十分もある。

 金時計が差す、時間は九時五十分でまだまだ待ち合わせには余裕が過ぎるほどに有り余っていた。どうやってこの中途半端な時間を過ごそうかと考えてみるが——カフェ、スタバ、本屋くらいしか思いつかない。


 まあこの時間だとやってないんだけどね……。やっているところもあるけれど。

 なので、人間観察でもして時間を潰そうかな。

 ガラス張りの壁からパンツが見えないように鞄を膝の辺に持って来て隠し、下を眺める。

 時たまにスマホを眺めたりと、どうにかして時間を過ごしていった。


 そして三十分もした頃、金時計周辺を見ていると、見覚えのある服と顔を見つけた。


 ——緑だ。


 どうやら今しがた到着した様子で、辺りをきょろきょろと見渡してそわそわしていた。ふふっ、もしかして私を探していたりするのかしら。

 いないはずなのに探してしまう。私と一緒の行動をしていることに笑みが零れる。


 むふふっ、もしかしてだけど……むふふっ。


 暫く、と言っても五分も経っていないのだが、緑を眺めているとスマホを見ながらどこかへ移動し始めたので、慌ててエスカレーターを降りて、背中を追いかけていく。

 金時計から去って行く緑に追いつき、周りの目を気にせず私は背中から抱きついた。


「どっーん! あははっ」

「のわぁっ!?」


 間抜けな声が出て、前屈みになったところをどうにか踏ん張ってくれた。彼のおかげで派手に転ばずに済んだ私と緑。

 心の中で小さくごめんなさいと謝っておいた。


 これで緑じゃなかったらどうしようかと思ったけれど、声を聞いたので間違いなく緑だった。

 大衆の目を気にもせず背中に飛びついてる私は結構やばい奴なのでは? とも思ったけれど、どうやら周りの目は一瞬だけこちらを見て、何もなかったかのようにスマホと睨めっこし始めた。

 声を聞いて一安心し、悪戯っぽく耳元で緑にしか聞こえない声で囁いた。


「だぁーれだ?」

「……何でもういるんだよ……」


 緑の言葉はここにいるはずがないと思って出た言葉だと理解する。嫌がっている訳じゃなくて、多分私に見つかったことを悔いている感じだ。

 だから私はその通りに答えてあげたのだ。


「あれあれぇ~? 緑はもしかしてだけど私よりデート楽しみにしてなぁ~い?」

「うっ……」


 正面を振り返った緑は頬を赤くしながら、おどおどとし始めた。苦虫を噛んだような表情で唸った。


「そ、そんな事ない……。集合時間の三十分前に来るのはしゃっ、社会人の基本だろ」


 それを言うなら十分前行動だと思うんですけど?

 さては、私と同じで気付いたら着いてた感じだんな?


「ずっと上から見てたよ? 私」

「こわっ、ん? 待てよ、ずっと……ってことは、瑞希こそ早く来すぎじゃね? 見てたってことはつまり俺よりも早く来ていないと見れないよな? さては、ウキウキしすぎて一時間前に来ていたくちだな?」

「うっ……」


 しまった……墓穴を掘ってしまった……。べ、別にウキウキしてないもん! 気付いたら着いてただけだもん!


「ふっ……図星か。分かりやすい奴だ」

「違うもんっ!」

「はいはい、違うね、違う」


 適当にあしらわれ、歩き始めてしまう緑。

 私を置いてさっさと先に行かないでよ。


「ほら、行くぞ」


 と、思いきや。

 立ち止まって手を差し伸べてきた。

 むぐぐぐぅ……反則行為! イエローカード! もうっ、ずるい。


 だけどそう思いながらも、私は伸ばされた手を素直に取り、ててっと小走りして緑の横に並んだ。


「どこに行くの?」

「は? 知らんけど」


「……は?」


 どこかに行くから手を伸ばしてきたのかと思った私が馬鹿でした。







 隣を歩く美人にドギマギどぎまぎ。

 何なんだろうこの人。めっっっっちゃ可愛いんですけど!

 俺、今瑞希と手を繋いでるんだよな!? 隣歩いているのが俺で大丈夫かしら!? 不相応な男だと思われてませんか? 過行く人たちの視線が痛いんですけど?


 それにさ! なんで今日に限ってスカートなの? 反則過ぎるだろ。ギャップ、これぞギャップですよ。

 家を出て行くときはいつも通りの格好をしていたはずなのに。


 白のノースリーブシャツは鎖骨ら辺までシースルーになっていて、ちょっとエロティカルで俺にクリティカル。

 つい韻を踏んでラッパーみたくなっちまっただろ。


 肩から露わになっている白い腕は綺麗すぎて妖艶さがマシマシ。もうちょっと油をマシマシにした方がいいんじゃないかと思うくらいには細いけど、でもまたそれがいいのも事実。


 おっとっと、いかんいかん。

 卑猥な目で見てしまっている自分を少しだけ戒め、今度はスカートに着眼点を置く。全然戒められていないね。

 瑞希のスカート姿は初めて見るからいつもとは一味違う。纏う雰囲気も何もかもが違うのだ。そりゃ見る目もエロくなってしまう。仕方がねぇものだ。


 家で見る生足と今見る生足とは違って、色気がむんむん。細いし、モデルみたいに長い脚をしている。

 本当に何なんだろう。この人モデルやった方がいいのでは? 受付嬢からモデルへとジョブチェンジをお勧めしたくなるわ。


 そんな事ばかりを考えて、前も見ずに歩いていると、くいくいと手を下に引っ張られた。


「ちゃんと前見て歩いてよ……見過ぎ、だから……」

 喧騒に遮られるくらいの声で恥ずかしそうにそっぽを向きながら言った。

 ……俺、そんなにじろじろと見ていたのかと、俺も恥ずかしくなってそっぽを向いた。


「す、すまん……」

「別に、いいけどさ……」


 会話はこれ以上に続くことなく、ぎこちなさだけが余韻として残ってしまった。

 ただ、そんな中でも繋がれた手は離されることなく維持している。


「あのさ、そのぉ……どうかな?」


 なんの脈絡もなく、歩みを止めることもなく、ただ真っすぐを見て瑞希は何かを訪ねてきたのだ。

 言いたいことはおおよその見当がついている。だから俺は——


「まあ、いいんじゃないか? 俺は嫌いじゃないけど……」

「けど?」


 前を見ていた顔はこちらに向いて、小首を傾げる。


「……少しセクシーすぎる、かもな」

「ふふっ、何それー。少しはドキッてしてもらえるかなって思ったんだけどなぁ」

「ああ、したよ。今もしてるくらいだ」

「ふぇ?」


 驚いた顔を見せたと思えば、すぐに顔は赤くなっていった。


「その、何だ、たまにだけが——」


 他の誰かに見せてほしくないと、独占欲染みたことを口走ってしまいそうになってしまったので慌てて口を手で覆った。


「今日がそのなんじゃないの?」

「それもそうだよな」


 バレていた。

 少しいじけた様子で頬を膨らました瑞希。ころころと表情がよく変わるやつだ。

 それと同時に素直に褒めてやれない自分が馬鹿みたいだった。ただ感想を思ったままに言えばいいのに、言えない自分がもどかしい。


 怖がることなんて何もない。褒めてやるだけなんだから。

 肩に入った力を抜き——意を決して、口を開いた。


「可愛いと思うよ。すごく似合ってる」

「ほっ、本当!?」

「本当だ。可愛いぞ」

「あ、ありがと……」


 ほら、簡単じゃないか。

 難しく考える必要なんてどこにもない。


「緑もかっこいいよ。ちゃんと約束守ってくれるね」

「何が?」

「髪型だよ、男のおめかしは髪型のことだよ?」

「ま、まあな。やれば出来るってもんよ」

「ねえ、ちょっと今さ、知ったかぶりしたよね?」

「してねーしっ!」


 見透かされすぎ。自分も大概だ。


「今日は一段と綺麗な瑞希だと思うぞ。本当に、可愛いよ」

「……えっと、うん。ありがとっ!」


 パッと花を咲かすように向けられた笑顔に胸が弾む。

 瑞希は今日を楽しみにしてくれていた。

 この姿と嬉しそうな笑顔を見れば何となく分かる。

 手に滲む汗が増して出てきている気がするが、その手を離すことはない。


 脆く繋がっていた糸は周りを固め、確固たるものに変わった。

 些細な事で切れてしまう蜘蛛の糸ではなく、脆くない糸へと。

 物理的な物では表せない、俺達だけの関係。

 俺だけじゃないと、そう思わせてくれた。

 

「今日は楽しもうな!」

「うん! あの日から楽しみに待ってたからとことん遊ぶ! 私のせいだけど、やっとなの。やっと緑と一緒に居られる」

「それもそうだな。もう過去のことは忘れようぜ。今日で発散だな」

「さんせーい!」

「で、とりあえず歩き回ってるだけなんだけど、どこ行くんだ?」

「知らないけど」

 

「は?」


「冗談だよっ! 行こっか!」


 こうして行き当たりばったりみたいなデートが始まった。

 

 きっと今日は、今までの中で1番思い出深い日になることは間違いないだろう。


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