第12話:デート前

 瑞希との約束により、デートをすることになった日曜日。

 追加注文で、カップルらしいデートをしたいとのこと。

 言われたのは待ち合わせから始めたい、だ。


 カップルらしいデートっちゃデートかもしれんが、俺達は夫婦なんだですけど、と言いたくなったが、野暮なので止めておいた。


 まあ、そこそこ楽しみにしている自分もいるので、提案に賛成した。

 ふふっ、デートぞ。デート。

 何年ぶりだ。女の人と出かけるのなんて。


 あっ、つい最近瑞希と野間灯台にデートに行ったばかりだったわ……。

 あれもデートだけど、待ち合わせから始まるデートは瑞希とは初めて。だからなんだか初々しく感じる。


 まるで付き合いたてのカップル。まさにカップルらしく、そのものである。

 布団の中でそんなことを考えながら、起き上がった。

 いつも抱きついている瑞希は既に起きている様子なのだが、部屋を見渡しても彼女の姿は見当たらない。


 もう出てったのか……早いな。まだ七時半だぞ。どんだけ楽しみにしてんだよ。

 ぼんやりとしたままの視界の中、立ち上がりシャワーを浴びようと浴室の方へ歩いて行く。


 そして、パーテーションの奥に入ると——

「にゃっ——!?」


 甲高い声が上がり、ぼけっと見ると、そこには瑞希がいた。


「……ん、何だ、いたのか。もう出てったのかと思ったわ」

「なっ、ななな! なんだじゃなぁーーーーーい!!」


 ぼやけた視界に何かが飛んでくるものが見えた。

 ——刹那、頬に激しい衝撃と破裂音が響き渡ったのだ。

 衝撃に耐えきれず、倒れ込んでしまい、色んなところが痛い。


「……急に何するんだ、よ……」


 解せぬ。

 俺は何も悪い事をしていない。それだけは確かだ。ただパーテンションの奥に移動したら瑞希がいただけ。それだけなのに、なぜ叩かれた。しかも結構強めに。

 すっかり覚めた目で立ち上がって瑞希を見ると——なんと、下着姿で蹲っているではないか。


 ……ご馳走様です。


「聞こえてるんですけどっ! 心の声が漏れてるんですけどっ!?」


 水色の下着と綺麗な白い肌を露わにしている。

 髪の毛は濡れており、彼女もシャワーを浴びていた後だと見て取れるが、殴ることではない。

 なんせ俺は過去に一度、全裸を見ているのだから。

 それにしてもなんかエロいなぁ、髪が濡れているからか? ……いいや、違う。下着姿だからだ! 

 当たり前の事を当たり前に考え、当たり前に言ってみた。


「そんなまじまじと見てないであっち行ってよ! ばかっ! 変態! ダサ男!」


「これは男の本能。見てはいけないものを見てしまった時、男は見てしまうのだ。目が寧ろ離れてくれない。俺は離れたいと思っているのだが、目が離れてくれないんだ。ありがとう」


「うっさい馬鹿! なに感謝してるのよ! あっち行ってよっ!」


 蹲ったまま、これから着るであろう服で体を隠す瑞希。耳まで真っ赤になっておられる。


「まあまあ、お互い様じゃないか。裸の付き合いってやつだ。ほら、俺を見てみろ」


 腰に手をやって、見せびらかす。

 俺はいつだってパンイチ。

 瑞希がいようといまいと、パンイチで過ごしてきた。


「一緒にすんなあ! 私は女なの! 緑は男だから見られても恥ずかしいことないじゃん!」

「おいおいおい。男でも恥ずかしいものは恥ずかしいんだぞ」

「そんな仁王立ちで言われても説得力ないからぁ! 早くあっち行ってよっ! もう! このっ、変態っ!」

「んだと! 誰が変——」


 と、そこまで言いかけたところに、丸められた使用済みのバスタオルがクリーンヒット。目の前で綺麗に広がって顔に覆いかぶさった。


「へいへい、分かりましたよっと……」

「最初から素直にそうしてればいいのよっ! ばかっ」


 とにかく罵られ、怒られただけ。

 バスタオルを顔から外して、カゴに突っ込み、布団に戻って寝転がった。

 今日は水色。今までも見てきたかの様に言ってみるが、彼女の下着姿は初めて見る。瑞希っぽい色だった。うん、似合ってたよ。ありがとう。


 やはり改めて見ると意外にあるんだよな、胸。着痩せなのか分からんけど、服を着るとそうでもないんだよ。摩訶不思議。さらしでも巻いてんのかね? 知らんけども。


「シャワー浴びるんでしょ」


 イラついた表情で、ごみを見るような目で、俺を見下ろしてくる瑞希はどう見ても怒っている。

いつも通りの格好でパンツスタイルだ。

黒のスキニーに、夏だからなのかノースリーブのシャツを着ている。


「入ってくるわ」

「私、髪の毛乾かしたら一旦実家に帰るからね」

「何故に?」

「今日は待ち合わせから始めるデートって約束したじゃん。この家から出て行ってもしっくりこないし、新鮮味がない」


 言わんとする事は分からなくもない。


「まあなんでもいいけど、気を付けて帰るんだぞ」


 俺の言葉を聞いた瑞希は何やら考え込むように顎に手をやり、じーっと見つめてくる。何かを考え込むように。

 その視線に耐えられなくなり、状況を変えるために口を開く。


「な、なんだよ……」

「緑ってさ、過保護というか、親目線だよね」


「自覚はある。でもな、人は出かける前に『気を付けろよ』と言われるだけで、無自覚に気を付けるらしい。事故が減るとも言われているんだぞ。言うだけ無料タダなんだから、俺は言ってるだけ」


「そっかそっか。緑は私の身を案じてくれてるんだね。優しいね。じゃあ私も言っておこうかな。緑も気を付けてくるんだよ?」


「もちろんだ。ありがとな」


 これから数時間後、好きな人とデートに行く。考えるだけで胸が高鳴るものだ。

 待ち合わせ、初々しく感じる。


 今日は何をするのかは分からないけれど、一緒に歩けるだけで、見える景観は変わっていくのだろう。


 何を見て、何を思うか。

 これは一人では当たり障りのない日常の風景でしかないのだろうけど、そこに好きな人がいるだけで景色はきっと大きな変化をもたらしてくれる。

 恋のパワァ―って、いつも絶大なほどに自分を変えてくれる。

 いつもと同じなのに、隣にいるだけで違うのだから。


「シャワーから出る頃にはもういないんだよな?」

「うん。十時に名古屋駅の金時計ね! あっ、NYANDASAのTシャツ着てくるのは絶対に、絶対にやめてね!」


 二度も念を押して言うのはやめてくれませんかね。


「……分かってるよ」


 実はそれを着て行こうと思っていたのは、俺の心の中で留めておこう。口に出して言ってしまえば、後のことは容易に想像できる。


「絶対だめだからね! おめかしして来てよ? せっかくのちゃんとしたデートなんだから!」


 そこまで言われると、服を選ぶのも怖くなるんですけど……。


「あ、あの……非常に申し上げにくいのですが……」

「どうしたの。急に改まって」


 自分で言うのはあれですけども、どうやら俺は壊滅的センスらしい。

 お洒落だと思って着ていたNYANDASANはダサいらしいし……。ボロクソに言われたことを未だに根に持っているんだからな! と言いたいところでもある……が、言えない。怖いので。


 デザインは可愛いはずなんだけれど、大衆受けはどうもよろしくないらしい。

 お洒落な瑞希に言われてしまえば、それはダサいのである。瑞希の言葉は絶対。

 でもね、反抗させてもらうけど、ダサいって言ってきたの瑞希だけだから、一概には言えないはず……。自信ないけど。


 もしかしたら会う人みんなはダサいと思ってるけど、口には出来なかった的な感じだったらどうしよう。とか思っちゃったりしちゃったり。

 だから、自分で服を選ぶのが怖いのである。


 ——29歳、文月緑。自分と向き合い始めた瞬間です。

 

 効果音が鳴り、レベルアップ! (思考だけ)


「そのくらい自分で考えなさいよ……だけど、ダサい服着て来られても困るから私が選んであげるよ」

「ありがたき幸せ」


 敬意を表す土下座をして、正座でじっと待つ。


「下はスキニーでいい? 暑いとか思わない?」

「はい、大丈夫です」

「てかさぁ、こうして見てみると、センス皆無だよねぇー」


 Tシャツを取り出しては広げて、フッと馬鹿にしたような笑いを溢しては、ポイッと投げられるシャツの数々。


 あぁ、そんなぞんざいな扱いはやめてぇ……。

 あぁ、それお気に入りのにゃんださん……。


「ないわ。もう困ったさんだわ」

「おいおい、困ったさんじゃ、困ったさんなんだけど」

「やかましいわね。逆に言わせてもらえば、よく今までこれで過ごしてきたわよ。尊敬に値するわ、違う意味で。これで誰にもダサいって言われなかったの?」

「心は可愛いって言ってくれた。心は心から優しい子なんだ。だから心って名前なんだよな」

「今は心ちゃんの話なんてしてないんだけど」


 心が可愛いと言ってくれたから、それだけの数のにゃんださんTシャツがあると言っても過言ではない。

 もはや心の為にあるTシャツまであるぞ。


「まあ子供には少なからず受けはいいかもしれないけどさ、ないわ。うん、ないない」

「辛辣っ! 俺にも心があることを忘れないでね? 心だけに」

「ダサい」

「……スイマセン。モウナニモイイマセン」


 それからもどんどんと放り投げられて山積みになっていく数々のシャツたち。

 憐れなり。


「これかなー、なんか緑が自分で買ったとは思えないくらいのセンスの良さなんだけど」


 広げて見せられたTシャツは、一昨年かもうちょい前くらいに雪菜に誕プレとしてもらったものだった。

 ……まさか、雪菜のやつまで俺のセンスを見てプレゼントしてくれたというのかっ!?

 

 そんなことは今となってはどうでもいいのだが、自分で買った服は見事に予選落ちして、人から貰ったものが優勝してしまうという番狂わせ。いや、番狂わせでもないな。当然の結果だろう。


 自分のセンスのなさに脱帽です!


「それは会社の人から誕生日に貰ったやつ」

「女の人?」

「まあ、そうだが……?」

「ふぅ~ん……」


 広げたシャツを見て、少し頬を膨らました。


「なんだよ」

「いやぁ、別にぃ~? 何もですけど?」


 と言いつつも、不服なご様子。

 むくれっ面をしている。

 女の人から貰った服というのが、どうやら気に食わないらしい。

 そんな事で怒られても困るんだけど……。


「とりあえず今日はこれで……嫌だけど」

「嫌なのか、じゃあにゃんださんで」

「それはもっと嫌っ!」


 ぐさりと心に言葉が突き刺さった。……そろそろ泣くよ? 俺、泣くよ?


「じゃあそれで」

「あとは自分で着れるよね? 着替えさせてとかまでは言わないよね?」


 馬鹿にしてんのかこいつ。


「言わねーよ……ありがとな」

「どういたしまして! じゃあ髪の毛乾かしてくる!」

「はいよ」


 そそくさとドライヤーをかけ始めた瑞希を眺めてから、俺はシャワーを浴びることにした。







 他の女性から貰った服で私とデートとか普通に嫌だけれど、致し方ない。

 緑の壊滅的センスには驚くどころか呆れて薄い笑いがでるくらいだ。

 だがまあ、私には秘策があるので良しとする。

 今日はデート。行く場所は名古屋駅。という事は……言わなくても分かるだろう。


 私は笑みを浮かべながら、家路へと向かっていた。

 敢えて、緑の前ではスキニーパンツを穿いている所を見せてきた。これはいつもと同じ服装だと思わせるためにある。多分、緑は今日もズボンか。くらいにしか思っていないはず。寧ろ、何も思っていないまである気がする。


 とにかくまたスキニーかよという先入観を与えておいてきたのだ。

 ……でもでも、今日は茜さんにご教授をしていただいたことを実践して、緑を驚かせる。やっと実践できる。自分のせいで出来なかったんだけどね。

 彼の前で初めて穿くスカート。勝負服と言っていいだろう。

 ちゃんとおめかしして、髪型もアレンジする。少しだけセクシー感を取り入れて、大人な色気も出していく。ドキドキさせられたら私の勝ちっ!



 題して、

『緑をドキッとさせちゃおう大作戦!』



 はい、パチパチ~。

 感想が楽しみだぁっ!

 考えているだけで楽しくなってきた。足取りも軽く、気が付けば我が実家の目の前まで辿り着いていたくらいに私の気分は上々↑↑ ミヒマルGTを聞きたくなるくらいに、テンションは高い。



 こうして、久しぶりの実家に到着。

 聳え立つマンションを見上げると、そんなに出て行ってから日が経っていないのに何だか懐かしい。


 母に会うのは挙式以来で、こんな私達の結婚をすんなりと受け入れてくれ、挙式では涙を流してくれていた。


 文月家も蒼井家も大分ぶっ飛んでいるが、結婚してよかったと今になっては思っている。

 当初さえ申し訳ない気持ちばかりだったが、今は胸を張って言える。

 結婚して良かったと。あの日、緑と出逢えて良かったと。

 昨日までどん底だったけれど、緑のおかげで仲直りではないけど、今までの関係に戻れた。

 どんな時だって、彼は私の事を第一に考えてくれるというのが、何より嬉しかった。


 色々あったことを思い出しつつ、玄関を開けて、家の中に入る。


「ただいまー」


 鍵を閉めて、家に上がった。

 廊下を歩き、リビングに続く扉を開ける。


「お母さん、ただいま」


 テレビに夢中だった母に声を掛けると、私の声に驚いたのかビクッと肩を跳ねさせて振り返った。


「びっくりしたぁー、どうしたのこんな朝早くから」

「ちょっとね、今日はデートするんだけど、待ち合わせしよってなったから帰って来たの。お母さんにも会いたかったし」

「嬉しいこと言ってくれるじゃない」


 嬉しそうな表情をしていた。

 この広い家には母が一人で暮らしているから、寂しかったんだろう。

 昔はここで家族四人が過ごしてきた。

 でも父は早くに死別してしまい、妹の紅紗あきさは結婚して出て行って、遂には私もここから出て行ってしまった。

 だから母は寂しいのだろうと思って、顔を出したのだ。


「一人は寂しくない?」

「少しくらいはね。でも、自由だから楽しいわよ」

「そっか。それなりに充実してるのね」


 存外に悪くないらしく、一人を謳歌しているみたいだ。……良かった。


「お茶飲む?」

「うん。でもその前に色々準備してくるね」

「分かったわ。終わったら言ってね」


 リビングを後にし、自部屋に行き、着替えを始める。

 着ていた服を脱ぎ、ズボンも脱ぐ。

 下着姿になり、クローゼットに未だ持って行っていない服と睨めっこ。


「どうしよっかなぁー」


 確か、緑が好きなのはロングスカートだったはずだけど、この時期は暑いかしら。……あ、これにしようかな!


 手に取ったのは、夏らしい明るい緑色の膝丈のレースフレアスカート。

 見た目も暑苦しくなく、レースなので涼しそうに見える。あ、勿論だけどレースの内側には厚めのスカートがあるからパンツは見えない。

 これに合わせて、白のノースリーブシャツを合わせて、インしよう。ベルトを巻いて、腰回りをスッキリさせて、Aラインを意識させ、完成だ。


「よし、これいいじゃん!」


 靴はパンプスで、色は薄いグレーのやつが一番合うかな。

 全身鏡で改めて自分の格好を確認。


「うん、悪くない」


 これで緑がドキッとすれば完璧。

 服装が決まったことなので、次は髪型。


 早速、洗面所に移動した。

 今は肩まで切り揃えられ、向こうの家で乾かしてきただけなので、すとんと真っ直ぐに重力に沿っているだけ。

スマホで自分がしたい髪型を検索し、画像を表示させて、見ながらセットしていく。


 太めのコテアイロンで緩くサイドを巻く。

 内側にではなく、ウェーブを意識して。やり過ぎず、程よくカールさせるのが肝。

 そして全体コテを当てたら、次にムースを付け、軽くヘアスプレーをかける。

 はい、完成。緩いパーマ風ボブの完成です。


「化粧は出かける三十分前でいっか。お母さんと話しながらでも出来るし! とりあえずお母さんと話そうっと」


 それからリビングに戻り、母との会話に花を咲かせていった。







 シャワーを浴び終え、髪の毛も乾かし終わって、後はセットするだけの状態なのだが……。


「セットの仕方、分からねぇ……」


 瑞希の選んでくれた服を着て、髪型に悩んでいた俺は諦めるかのように布団に寝転んだ。


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