第11話:お説教?


「ひゃあっ! やめてよぉ! やめてってぇ、みどりぃー! ごめんなさいって言ってるじゃんかぁー!」


 いつも通りの光景に、安堵しつつも、動かす手は止めなかった。


 ——これは数十分後の話。





 泣き散らしていた瑞希が泣き止むまで玄関でずっと抱き寄せ、慰めていた。

 まあ長かったことよ。

 でも泣いてしまうのは仕方がない。


 ずっと好きだった相手に酷い言葉を浴びせられ、終いには脅されてヤられそうになってしまったのだから。こうなるのも当然だった。

 だから、俺はひたすらに彼女を抱き寄せ、頭を撫で、背中を優しく叩き続けたのだが……。


 泣き終えてから、家に上がって布団にちょこんと座った瑞希。俺は冷蔵庫からお茶を取り出してからとりあえず飲めと渡して、彼女の隣に腰を下ろした。

 ちびちびとコップに口を付けて、可愛らしく飲む瑞希の瞳にはまだ薄っすらと涙が溜まっている。


 まるで泣き止んだ子供だ。

 物を与えて泣き止ませたわけではないが、そんな感じの印象を受けてしまう。悪い意味じゃないぞ。

 きっと髪の毛を切って短くなったのも影響している。幼さがそのせいで助長されてしまっているのも一つの要因だ。

 当初は綺麗で美人な女性のイメージだったけれど、今となっては可愛い子供っぽい女性な感じで。どちらにせよ可愛いのには変わらないのだが。

 まじまじと瑞希を見過ぎていたせいか、訝し気な顔をしてぽつりと一言呟いた。


「……なによ」


 体育座りをして、自分の顔を膝に埋めるようにうずくまって隠れるが、目だけはこちらを見ている。


「いや、別に、何でもない……けど」


 お前に見惚れていたなんて、口が裂けても言えないだろ。


「迎えに来るのが遅いよ……」


 聞こえないと思ったのか、小さなか細い声で言ったのだが、はい残念。聞こえてます。


「聞こえてるぞ」

「別に何も言ってないもん」


 プイッと視線を外し、頬を膨らまして逃げた。

 そんな一つの行動が可愛く思えてしまう。

 だけどな、何も言ってなかったら、聞こえてるぞ。なんて言わないんだよ? 分かるかな? 瑞希ちゃんや。


「これはお説教が必要だな。やっぱり」

「お説教? なんで、私が?」


 きょろきょろと首を巡らせ、自分に指を差しながら小首を傾げた。

 おいおい。この部屋に俺と瑞希以外に誰かいるのかな? 普通に怖いんですけど? 


「瑞希以外に誰がいるんだ?」

「……そこ」


 俺の背後を指差され、俺は慌てて振り返った。


「誰もいねーじゃねーか。ビビらすのはやめろ。話を逸らすのもな!」

「うっ……」


 居心地が悪そうに身体を縮こまらせた。


「でも、さっき私に頑張ったって言ってくれた……じゃん」

「ああ、確かに言いました。だがそれとは別にだ」

「何でよ、慰めなさいよ!」


 まさかの逆ギレ。慰めなさいよって、もうその言葉が出る時点でだいぶ元気になってるよね、あなた。


「性に合わんからな、ああいうのは。ちょっとこっち来なさい」

「私隣に座ってるんですけど……」

「コップを机に置いて、さあ。さあ! 来なさい!」


 身を引いて、心底嫌がるような表情を浮かべた。


「一体、私をどうしようっていうの?」


 自分の身を抱きしめながら、眉を顰める。


「うーん……お尻ぺんぺん?」

「馬鹿じゃないの! セクハラよ! 立派なセクハラ!」

「何言ってんだよ、今更だろ? あんなに抱き合ったり、キスしたりしてんだ。お尻ぺんぺんくらいどうってことないさ」


 やれやれと両手を小さく上げて見せると、瑞希は顔を赤くした。


「抱き合ったのは不可抗力じゃん! あれは緑からしてきたんだし、私の本意じゃないもん……ちょっと都合よくさせてもらっただけで……」


 何の話をしているのかよく分からなかった。俺はさっきの玄関での話をしていたんだが……。


「本意じゃない……? こりゃあもっとお仕置きが必要みたいだな」

「ひゃっ!? ちょっと待って! 心の準備がまだできてにゃいっ!」


 何それ、にゃいって。というか、心の準備ができたらいいのかい。


「まあ冗談は置いてといて、瑞希、何故もっと早く連絡してこなかったんだ? もし、俺があの場にいなかったらどうするつもりだったんだ?」


「……そのままなるようになるかなって。もうどうしようもないって思ってた。こういう運命なんだって。これが私への罰なんだって。助けてほしかったけど、私が緑にそこまでしてもらう理由がなかった……でも、怖くて中々送ることが出来なかったのもある。ずっと肩を組まれていたし、送ろうものなら見られちゃう可能性が高かった。それに店から出たら、緑は車に乗っていなかったし、どこか行っちゃったんだーって思ったら、タイミング逃がしちゃって……」


 段々と話す声は小さくなっていったが、しっかりと聞こえる声で言ってくれた。


「すぐに連絡してって言ったじゃん。結果的に送ってきてくれて、瑞希が無事だったから良かったけど、遅かったらどうなってたことか、瑞希にだって分かるよな? アプリで探せても、家までは分からないんだから」


「うん、きっと私はあの人の言いなりになって、抱かれてた」


「そうだな。そうなっていた思う。それで傷つくのが瑞希だけだと思うな。俺だって、そりゃ傷つく。理由なんて必要ないだろ? 力になりたかった。ただそれだけだ。だから瑞希の背中を押したんだ。俺は一体、瑞希の何だ。頼ってはいけない相手なのか? あいつに嬉しいこと言ってくれていたのも嘘なのか? そこがすごく悲しかったよ。もっと俺を信じてくれよ。俺は……お前の旦那だろ?」


「……ごめんなさい、約束したのに私は約束を破った。……って、ちょっと待って? いつから聞いてたの!? やだっ! 待って……いつから!?」


 頭を抱えはじめ、顔は段々と赤く染まりつつある。


「んー、まあほぼほぼ最初から? 過保護すぎたかもしれんな俺も」

「あー! もう! 最低っ!」


 顔はついに真っ赤になり、ビシバシと乱雑に肩を叩いてくるが、別に聞かれてまずい事ではない気がするけど。


「ちょっ、痛いって! 何っ! なんでそんな怒ってるの! 情緒バグりすぎだろ!」

「うっさい! 信じらんないっ!」

「なんだとぉ! お前の為に行ってやったのに、そんな言い方ないだろぉ! やっぱりお仕置きだ!」

「きゃー! やめてっ! 暴力反対っ!」

「うるさい! お前にはこれくらいがちょうどいいだろ!」


 揉みくちゃになりながらも、瑞希の攻撃を躱して、押し倒して馬乗りになる。そして、しゅるりと手を通し、脇腹に手を置いた。


「ちょっ——ひゃんっ! ひゃあぁぁぁぁーー!」


 いつも通りにお仕置きを。

 この阿呆にお仕置きを。

 お尻ぺんぺんは流石にセクハラと怒られるだろうから、いつもやってるこれならばと思ってこっちにしておいた。


「ごめっ、ごめなしゃいっ! 私がわりゅかったぁ! ゆりゅしてぇぇ!」


 許しを乞うて、足掻いて、暴れる瑞希を無視して、無心になってくすぐりまくる。

 時折「あひゃっ、あひひっ」と変な声を出すから面白い。


「ひゃあっ! やめてよぉ! やめてってぇ、みどりぃー! ごめんなさいって言ってるじゃんかぁー!」


 そろそろ潮時か。

 仕方ない、あと十秒でやめてやろう。


「はぁ……はぁ……」


 顔を真っ赤にさせたまま、息遣いが荒い瑞希がどうも艶めかしく見えてしまい、自分が今何をしていたのかと急に我に返ってしまう。状況を見るように辺りを見渡した。


 ——あれ、今結構いけないことしてないか?


 下を見れば、シャツはだけて露わになった白いきれいな肌。よくよく考えれば、今俺は瑞希の上に跨って座っている。

 その光景で現実に戻った俺は顔がカァーっと赤くなるのが自分でも分かる。

 下を見ていた視線を上げていくと、瑞希と目が合ってしまう。


 顔が真っ赤になっている彼女は目を横に逸らし、

「……見ないで。今ちょっと、顔赤いから……」


 顔を手で覆って恥ずかしそうに隠した。

 でも指の隙間を開けて、こちらを見て来る。だけど、視線がぶつかると隙間は閉じられる。


「……いつまで上に乗っかっているのよ……」

「あぁ、うん、そうだな、なんかごめん……」


 自分自身も恥ずかしいので、ぎこちない返事で上から後ろに下がるように降りると、瑞希も起き上がった。

 そしてそのまま起き上がった勢いで飛びついてきた。


「どわっ!?」


 形勢逆転、さぞ滑稽。

 何時しかの様に逆転劇の始まりかと思いきや……倒れこんだ俺の上に覆いかぶさるように抱きつくだけ。


「瑞希……?」


 まだ息が上がっているのか、耳元で「はぁ、はぁ……」と、吐息が当たる。

 身体も熱を帯びるように熱い。

 暫く黙っていた瑞希は口を開いた。


「——ありがとう」


 と、一言だけ。

 だから無理に引き剥がすことはせず、俺は彼女の頭に手を置き、そっと撫でる。


「本当に何もなくてよかった」

「うん。遅くなちゃったのはごめんね」


「まあ俺も知ってて動き出さなかったから。俺も悪いよ。それとヒーローは遅れてやってくるもんだろ?」

「汗びしょびしょだったけど、息も上がってたけど、かっこよかった。一生懸命走ってきてくれたのが伝わったよ。本当嬉しかった」


「そっかそっか。よかったよ。走った甲斐があったってもんだ」

「私だけのヒーローだよ」


 嬉しそうに笑って身体を揺らした。

 俺が今見えるのは天井だけど、笑顔なのが見える。

 伝わってくる熱、肌の感触、匂いが、感情が、ありがとうと俺を包み込むくらいの気持ちが全身から伝わってくる。


「まあそうだろうな。俺達は夫婦なんだから、瑞希を守るのは俺の役目だ」

「ふふっ、何それかっこよくないよっ」


「そこは嘘でもかっこいいっていう所なんだぞ。覚えとけ」

「やーだ、言わないっ」


 耳元にあった顔は上がっていき、目の前にくる。天井が見えていた視界は瑞希の顔で遮られた。その距離十センチもない。


「……今度はどしたよ?」


 顔を逸らし、横を見る。


「こっち見て?」


 しかし、瑞希によって戻されてしまう。


「これはお礼だから。あくまでもお礼だから——」


 ゆっくり近づく顔に、目を瞑って受け入れた。


「——ありがとねっ」


 照れくさそうに離れて、もう一度感謝の言葉を口にする。

 その笑顔だよ。

 俺はずっとその笑顔を見たかった。

 自分がした行動は間違ってなかったと、彼女の笑顔を見て思う。


「瑞希も笑ってた方が可愛いと思うぞ」

「はっ!? 急に何!?」

「ほら、いつも俺に笑った方がいいって言うけどさ、瑞希も同じだよ」

「……そっか。分かった。じゃあいつも笑顔でいられるように、緑が頑張ってね!」


 満面の笑みで、俺が頑張れと。

 こういう所は相変わらずだが、それなりに努力はしよう。

 瑞希の笑顔が消えないように。







「ねぇ、緑。挙式後の約束覚えてる?」

「覚えてるぞ。確かデートに行きたいって言ってた」

「明日、デートしよっ!」

「いいよ」

「やった! 明日が楽しみだ! あとあと、今日から一緒に寝るのに戻せない?」


 どさくさに紛れて、なんちゅうことを……。


「だめ、かな?」


 そんな捨てられそうな子犬みたいな顔は反則だろぉ。だめなんて言えねーよ。


「……いいよ」

「本当!? うれしい! ありがとう!」

「今日は何回抱きついたら気が済むんだよ……」

「さあ? 何回もかな?」


 やっと戻った関係に嬉しく思う。


 長かった。


 ——戻れて、本当に良かった。


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