第7話:温かい

 ふと、目が覚める。

 ぼやけた視界。

 部屋の電気は点いたままだった。


 目を擦ろうと左手を動かそうとするが、何かに掴まれてて動かない。なので右手で目を擦り、ぼやけた視界を鮮明にしてから、左を見た。


 ……何この状況。


 なぜ俺は瑞希と手を繋いでいるのだろうか。

 というか、俺はどうやって家に入った? タクシーに乗ってからの記憶がまるでぽっかりと穴が空いたように抜け落ちている。


 そして、もう一つ。

 どうやって着替えたんだ……はっ!? もしかして瑞希が……マジか……。


 瑞希を動かして起こさないように、そっと自分のズボンをめくり上げる。

 ……しっかりパンツまで履き替えてるじゃあないか……。マジか。

 そっと左手を動かし、寝返りを打って、自然と瑞希の方へと向き合った。


 よく見れば、いつの間にか髪の毛が短くなっている。

 綺麗で長かった髪の毛はバッサリと肩くらいまでに切り揃えられて、内側にカールしていた。


「……似合ってる、な」


 柄にもなく、そんな言葉が零れてしまう。

 ロングヘアーの彼女も悪くなかったが、ボブになった彼女もまた良い。とういうか良い。


 寝ている瑞希の姿は久しぶりに見る。ぎこちなくなったあの日から俺達は一緒に寝なくなった。

 あからさまにお互いが壁を作って、当然のように別々で背を向けあって寝てきた。

 一緒の布団でこうして寝るのもそりゃ久しぶりなわけで。どうして一緒に寝ているのかは分からないところだけれど、やはりこれが一番しっくりくる。

 なんやかんや俺も一緒に寝ることが好きだったみたいだ。

 垂れる髪の毛を避けて、耳に掛けると気持ちよさそうに寝息を立てている。

 何を思ったか、俺は瑞希の頭を撫でてしまった。


「んんー」


 撫でられるのが気持ちいのか、表情が柔らかい。


 ……なんだろう。めっちゃ可愛く見えるんですけど。

 いやあ、可愛いとは思うよ? 整った顔をしてるのも知っているし、スタイルもいい。容姿は言っちゃあ何だけど、そこら辺にいる女性とは段違いに可愛いのは間違いないんだよ。


 でも、そうじゃなくて。

 撫でていた手を離し、もう一度目を擦って、じぃーっと見てみても——可愛いな。

 一般的にじゃなくて、何かが違うんだよ。

 ……ああ、そうか……これが、好きってことか。つまりは恋のパワァーってやつか。


 何だよそれ恥ずかしいなおい。まるで恋する乙女じゃないか。

 これが俗に言う、フィルターが掛かった状態というやつか。好きであれば、可愛さ何倍増し的な? 乙女じゃねーか。

 そうしてまじまじと可愛い瑞希を見ていると、視線を感じたのか目をぼんやりと開けて、にへぇと笑った。


「みどりぃー……」


 ん? これは目を覚ましたというか、寝ぼけているな? 目すぐ閉じちゃったし。


 ——ちょちょちょちょちょぉい! 


 なんで抱きついてくるんだよっ!

 脚を絡めるなぁ! それ良くないぞっ! お前の悪いところだぞっ!

 あとなんでお前はいつもノーブラなんだよ! ……ああん。もう色んな所が柔らかいです。はい、ありがとうございます。


 だけど、懐かしく思う。

 初めてこの家に泊まった時だったか? 

 瑞希がベッドで寝てて、俺が床で寝てた時。

 シングルベッドで二人で寝た、いつしかの思い出。

 俺が聞かれてないと思って、口にした言葉をがっつり聞かれたんだよなぁ。続きを聞かせるか、一緒に寝るかという究極の選択肢を与えられて、仕方なしに一緒に寝たんだったな。

 あの日もこうやって正面ではないけれど、起きたら抱きつかれてたんだ。


 変わったよ、俺達。

 色んな事がたくさんあった。

 充実しすぎてた。

 恋人でもなく、夫婦でもないのに、恋人の聖地で永遠の愛を誓ったりした。

 最終的には挙式でも愛を誓った。


 全部が嘘だった。でも、今は嘘じゃない。

 嘘は嘘でも本当にしてしまえば、嘘ではなくなる。

 俺が自分に言い聞かせていた言葉がこうして現に嘘じゃなくなってきている。


 ただ、これは俺に限った話だけれど。

 この嘘は、一人では成立しない。

 俺だけが想っていても意味がない。

 捕手がいない投手だ。

 投げたものを受け取ってもらえて、初めて成立する。

 だから、これはまだ嘘でしかない。


「みどりー」

「……」


 寝言だ。

 今日のこいつは本当にグイグイ来る。

 きっといつも寝ている時はこうやって俺は縁に追いやられていたんだろうなと思う。

 正面から抱きつかれたことはないから、もうやばいんですが。


 男の本能が機能しちゃってるわ。

 そういえば俺って風邪引いてたよな? 違う意味で熱上がりそうなんですが。(既に上がっている)


「ぎゅー……んへ……」


 顔を胸に埋めながら、小さな声を出して頬を緩ませる。

 こちとら心証穏やかではないのだが、がっちりホールドされているので抵抗の余地なし。もし抵抗するのならば、起こす以外に他ならない状況だろう。


 とりあえず初めての夜のように寝たふりではないことは確か。寝息を立てているし、これで寝たふりとかだったら女優になった方がいい。抜群の演技力に、わたくし脱帽です。

 起きたら覚えてなさそうな感じはするので、起こすことはやめておこう。


 まあここで以前のように元カレの名前を出さなくなっただけ、俺の存在が彼女の中で大きくなったというポジティブ思考で嬉々としておこう。問題になってるのはその元カレなんだが。


 だから今くらい甘えさせてもいいか。いや——違うな。これは俺がこうして居たいだけなんだろう。

ただの自己弁護から素直じゃない自分から——一つ決別した夜中だった。


 ——うん、温かい。







 なんだか暑苦しく、目が覚めてしまった。

 私はいつの間にか寝てしまっていたみたいなんだけど————何この状況ーー!?

 なんで!? なんで!? なんで私は緑と抱き合ってるの!? どうして!? ねぇ! 誰か教えて!? どうしてぇぇーーーーーーー!!


 脚まで絡め合っちゃって、まるで付き合ってラブラブしてるラブラブでラブラブなカップルみたいじゃないのぉー!

 嬉しいんだけど! 嬉しいんだけどもぉ!


 繋いでいた手もいつの間にか離されて、私は緑の左腕を枕にし、収まるようにすっぽりとはまり込んでいた。

 右腕は背中に回され、全身で緑の体温を感じる。 

 視線を上げれば、すぐに緑の顔。

 

 ……近い、近いよう……。


 なんでこの人はこんなに平気にすやすやと気持ちよさそうに寝ているのかしら。

 カァーっと自分の体温は上がっていってしまい、全身真っ赤に茹で上がってしまう。

 あらやだ、私も熱かな?

 冷静になりなさい、文月瑞希。

 私から抱きついたわけじゃないの。これはあくまでも不可抗力。

 悪いのは緑。私が望んで抱きついたわけじゃない。抱きつかれているのだ。うん。


 ……と、自分に言い聞かせているのだが。

 こうして触れ合えることは嬉しい。久しぶりだし、いつもは私から背中に抱きついて寝ていたからね。あ、違うよ。あれもいつの間にかなの。いつの間にかいつも抱きついてるだけ。私の意思はそこには存在しないの。

 本当に。本当だから。まじよ。ここまで言っているんだから信じなさい。マジよ。


 こうして緑から抱きついてくるなんて、もう二度とないんだろうなぁ。

 人は風邪を引くと甘えん坊になる。みたいなドラマや漫画、アニメで見たのだけれど、現実でも存在するものなのね。

 まあ仕方ない。甘えさせてあげようじゃないか。ふふっ、私優しい。


 そんなことを考えながらも、私達の現実は何も解決していない。

 今だけかもしれない。これが最後かもしれない。

 私が決めたことに、緑が了承して頷いてくれるとは限らないし。

 だから今だけは——甘えさせてください。

 そして私は緑の胸に顔を埋めて、背中に手を回す。


 ——うん。温かい。







 今度はアラームの音で目が覚める。

 抱きついていた瑞希も同じように目が覚めたみたいだ。

 至近距離で、もはやゼロ距離と言ってもおかしくない距離で視線がぶつかった。

 先に口を開いたのは俺ではなく、瑞希だった。


「えっと、その、おはよう」


 もじもじしながら、恥ずかしそうに小さな声で呟く。


「あー、うん。……おはよう」


 お互いに挨拶を交わすと、恥ずかしくなった俺はくっついた身体を離し、距離を取った。

 同様に瑞希も視線を外し、ゴロゴロと転がって距離を取る。

 俺は胡坐をかき、瑞希は正座。

 気恥ずかしい。ぽりぽりと頬を掻きながらも言葉は出てこない。


 瑞希は瑞希で、自分の胸を触って「しまった……ノーブラ……」とぶつぶつ言っていた。

 それ、今に始まった事じゃないだろ。今更感ハンパないぞ。俺から言わせてもらうならば、今更恥ずかしがってんじゃねーよ、だ。


「ね、熱はどう?」

「下がったかな」

「そ、そう。良かった」

「瑞希のおかげだな」


 なにがあったか知らんけど。


「そ、そう言えば! 雑炊作ったの! 食べる?」

「俺の為に作ってくれたんだよな。もちろん食べるよ」

「じゃあ今から温めるね!」


 上擦った声で慌ただしくキッチンの方へ移動していった。







 恥ずかしいっ! あんな至近距離なの結婚式のキス以来じゃない!?

 もう、夜中といいさっきといい、私の心臓は持たないよ……。

 土鍋に入っている雑炊を火にかけ、心此処に在らず状態でかき混ぜる。

 いつまでも好き好き! ばかりではだめだ。

 昨日約束したんだから。ちゃんと今日話さないと。

 カチッとコンロの火を止め、鍋掴みを使って机まで運び、お椀と蓮華を取って持って行く。


「いただきます」

「はい、どうぞ」


 はふはふしながら口に運んでいく緑を眺める。

 美味しいかな? 少し心配……。


「うん。美味しい」

「そう! 良かった!」


 それからパクパクと食べて、あっという間に食べ終わってしまった。食欲もあって、元気そうで何より。この人、本当に美味しそうに食べるから嬉しい。


「ご馳走様」

「はい、お粗末様でした」


 タイミングとしてはここしかない。

 帰ってきてからでもいいんだけど、ここで話しておきたい。


「緑、話があるんだけど……」

「うん。分かってる。でも、今じゃなくてもいいか? 仕事から帰ってきてからがいい。ほら、心の準備っているだろ? それに、今は瑞希と普通の話がしたいから」


「それもそうだね」


 朝から重い話なんてごめんだよね。

 私も緑の立場だった普通に嫌だし。


「俺がいない間、何もなかった?」

「うん。なかったよ。特にこれと言って」


「そっかそっか、ならいいんだけど。……あ、そうだ。チーズケーキ食べたい」

「え、今!?」


「今! めっちゃ美味そうだったんだよ! なんか生クリームみたいなチーズケーキでさ!」

「しょうがないなぁー、じゃあ一緒に食べよ」


「そういう約束だっただろ。何を当たり前の事言ってんだよ」

「そうだったね。嬉しい」


「何が?」

「ちゃんと覚えていてくれたことが」

「忘れるわけないだろ? 瑞希との約束なんだから」


 もう。そういう所! 緑の悪いところで、すごく好きな所!


「ありがとう。好きだな、緑のそういうところ」

「なっ!? やめてくれよ恥ずかしいな……」


 そっぽを向きながら、頬を掻く緑はなんだか嬉しそうに見えた。


 ——全部好き、なんだけどな。


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