第4話:好き


 ホテルにチェックインし、部屋へと入る。

 すぐにシャワーを浴び、寝る準備万端。

 勿論の事だが、部屋は別々。よくある部屋が一つしか予約できていないというテンプレートなんて存在しないのだ。


 さて、と。

 ずっと気になっていた瑞希からの手紙。

 このタイミングでしか読むことは出来ないだろうと、鞄から取り出した。


 ——コンコンッ


 読もうとしたタイミングでドアがノックされる。

 あいつ以外の誰かが来ることは有り得ない。何とも間が悪い。

 なので手紙を鞄に戻し、ドアを開けた。


「えへへー、遊びに来たー。おじゃましまーす!」


 ——やはり、雪菜だ。


 ほのかに香るシャンプーの匂いと少しだけ髪の毛が濡れていたので、お風呂上りなのが見て取れる。それに部屋着だし。……なんちゅう格好してるんだ、こいつ。

 着ていた部屋着はオーバーサイズのTシャツ一枚。彼氏の服を着た彼女? みたいな服だ。もちろん下は穿いてない。あ、パンツは穿いてると思うよ?


 ニコニコと満面の笑みで立っていた雪菜は小さい体を活かして、俺を掻い潜って部屋に入っていってしまう。


「ちょっ、おい! 何しに来たんだよ」


 遊びに来たってやる事は何もない。


「んー? 夜這い?」


 人差し指を顎に当て、思案して言った言葉は嘘でもやめて頂きたい内容だった。


「やめてくれ」


 とりあえずドアを閉めて、ベッド付近で立っている雪菜に近づく。


「ここに来たって何にもないぞ」

「一緒にいたいんだもん。……好きなんだから」

「そんな事……今さら……」


 すると、突然抱きつかれてしまった。


「ねえ、緑は私の事……嫌い?」

「……別に嫌いじゃないけど」

「だったらさ……」


 ドンッ——


「あの時みたいに私を抱いてよ」


 ベッドに押し倒され、上に跨られてしまう。

 そして雪菜は着ていた一枚だけのシャツを脱いで、下着姿になった。


「雪菜、やめてくれ」

「嫌だ。緑が悪いんだもん……」

「俺が何をした?」


 今にも泣きそうな声。分かった気がする。何を言いたいのか。


「だって、だって、私に何か隠してる。だから私に冷たいんでしょ。分かってるんだから」

「……」

「ほら、なにも言い返さないじゃない……」


 隠している。それは事実だ。

 いつの間にか、彼女にバレてしまっていた。

 ぼたぼたと流れ落ちる涙が来ているTシャツを濡らしていく。


「緑が私に興味がないのは分かってるの……だから、こんなことをしないと振り向いてくれないと思ったの! あの日みたいに……私を抱いてよぉ!!」

「……ごめん、できない」

「何でよぉ!」


 もうここで言うしかないのだろう。

 落ち着いた時に話そうとして、逃げていた罰だ。


「どうせ付き合ってる人がいるんでしょっ! そうでしょ! 最近弁当だし、今日だって朝食べてたの、彼女が作ってくれていたんでしょ! だったら、なんでもっと早く言ってくれないの!」

「ごめん、そうじゃないんだ」

「何がそうじゃないのよ! ちゃんと言ってくれなきゃ分かんない!」


 起き上がって、話そうとすると肩を抑え付けられてしまう。

 だけど、言葉を止めることはしない。もう、今しかない。今ここで隠したって、雪菜を傷つけるだけで何も解決しやしない。もう十分に傷つけてる。俺が悪いのだ。

 例え、傷つけると分かっていてもここで言わなければもっと酷にさせてしまう。

 俺の勝手だけれど、ごめん。

 許してくれなんて言わないから。



「結婚したんだ」


「えっ……」


 雪菜は俺の言葉で固まってしまう。

 それもそのはずで。

 付き合っている彼女がいると思っていて、事実はそれを上回る答えだったから。


「今まで、言えなかったんだ」

「……嘘、だよね? 嘘だ。そんなの嘘だ!!」

「嘘じゃない。今の俺が嘘を言っているような顔に見えるか? 俺は結婚した。ちゃんと話すから、上から降りてくれ。服も着てくれ」


 押し付けられていた手を取って、雪菜を起き上がらせる。

 力の抜けた雪菜は放心状態だった。

 服を渡しても、着る様子もないので無理やり布団を被らせた。


「実はあの日、雪菜に告白された時に伝えようと思ったんだ。でも、雪菜の告白で言い辛くなって、ここまで後回しにして逃げてきた。……すまない」

「何それ、じゃあ私はあの時から既に負けてて、負け戦に挑んでたって事? ……あはは、なにそれ、ほんと、ばかじゃん……」

「本当に申し訳ない」


 謝ることしかできなかった。

 ツケが回ってきた。

 あの日、しっかりと俺が伝えていれば、こんなにも雪菜を悲しませることはなかったのに。分かっていながらも、言えずに逃げた俺への罰だ。

 これで縁を切られても仕方がない。


「私、すごい緑のことが好きだったのに。これじゃもう何も出来ないじゃん……」

「すまない」

「この気持ちどうしたらいいの? 私は何処にぶつけたらいいの?」

「殴ってくれて構わない。それだけのことをしたのは俺だ。俺が全部悪い。気持ちを知ってたのに、遠回りした。気が済むまで殴ってくれ」

「じゃあ遠慮しないから」


 そう言って大きく振りかぶられた手。

 俺は静かに目を瞑って、殴られるのを待った。


 ……だが、その手は振りかぶられることなく、頬にそっと添えられる。


「……できるわけないじゃん。好きなんだよ……だからさ——」


 あの夜に感じた感触が伝わる。

 高校生から付き合って、上手くいかずに延長していた恋はようやくここで終止符が打たれる。

 俺も、雪菜も、きっとこれで終わる。


「——これくらいは許してよね。それだけ私が好きだって分かって」

「十分に伝わった。本当にごめん」


「ほんとだよ。ばかやろう。……男紹介しなさいよね」

「あいにく、俺は友達がいないんだわ。紹介してやれるやつなんて、新くらいしかいない」


「私も知ってる人を紹介とは言わないの。探してきて」

「……善処します」


 とは言ったものの、探すってどうやってだよ……。


「ねえ、緑。奥さんのこと、好き?」

「何だよ、急に」

「いいから教えてよ」


 今は上手くいっていないけれど、仲直りしたいと思っている。

 楽しかったころに戻りたいし、瑞希の笑った顔をもう一度見たい。


 離れて気付いた。

 瑞希が俺の中で大きな存在になっていることを。

 こうしてホテルの一室にいると、あいつに会いたくなる。考えなかったことはない。いつも頭の中には瑞希がいる。


 どれだけ関係が悪化しても、俺は嫌になって出て行くこともしなかった。

 いつも嫌な出来事から逃げてばかりの俺が、逃げ出しもせず、考えて、考えまくってどうしたら上手くいくのだと、瑞希との時間を優先している。


 これは親がどうだとか、そういう問題じゃない。

 ただ単に、俺は瑞希と居たいのだ。

 


 つまり、これは——



「——好き、だな」



「うっざ。はぁー白けたわー。抱かせてやったら気持ち変わるかなと思ったのに。もう戻るわ、じゃーね! それと、結婚おめでと。これは嫌味だから」


 こいつ今とんでもないこと言ったな。


「ありがと、っておい。服着ろ!」

「あ、忘れてた。じゃ、おやすみ」

「おやすみ。また明日」







 一つの問題が四か月越しに解決した。


 だが、これは雪菜がそうしてくれたからだけであって、俺が何かしたわけでもない。

 もっと早くに伝えていれば、こんな事にはならなかった。結局、雪菜に助けられた形でしかなかった。

 本当に申し訳ないことをしたと、自分を悔いるばかりだ。


 

 そして、瑞希の手紙を読むために、手紙を取り出して封を開ける。

 ゆっくりと一文字一文字を読んでいく。


『緑へ

 お仕事お疲れ様。

 多分、この手紙を読む時はホテルかなと思って書いてます。朝だったらごめんなさい。

 えっと、ここ最近の私は緑に迷惑を掛けてばかりです。

 あの日の電話での私の態度のせいで、こうなってる事は重々承知しています。

 都合のいいように思えちゃうかもしれないけれど、私は仲直りしたい。

 ちゃんと話したいです。

 今までの私は何も緑に話してこなかった。緑ばかりが私の事を考えてくれていて、私に色々してくれているのに、私は緑に何もしてないよね。

 勢いで結婚したけれど、時間を重ねていくたびに楽しくなっていったし、緑の事をもっと知りたいと思った。もっと一緒に居たいって。


 結婚したことを緑は後悔してるかな? 

 私は結婚したことを後悔したことないよ。


 だから、出張から帰ってきたら、私の話を聞いてほしいです。

 わがままばかりで、ごめんね。

 早く緑に会いたいです。           瑞希より』




 何だよこれ。何だよ……ばか瑞希。

 何もしてないのは俺の方だろ。

 瑞希はこうやって向き合おうとしてくれてるじゃないか。それに引き換え、俺は何もしてない。

 悪いのは俺だ。素直になれない俺が悪いんだよ。


 自然と俺の手はスマホを取り、電話を掛けた。







 家に帰り、お風呂から上がると電話が掛かってきた。

 着信表示を恐る恐る見ると、緑からの電話だった。

 すぐに応答ボタンを押して、耳に当てる。


「……もしもし」

『俺だけど……』


 なぜか久しぶりに聞く声な気がした。一日も経ってないのに。


「どうしたの?」

『あ、いや、どうしてるかなーって、思ってな……』


「ふふっ、何それ。家に居るよ」

『それもそうだよな、ごめん』


「仕事は大変?」

『まあぼちぼちってとこ』


 お互いにぎこちない会話。

 相変わらずだなと思ってしまう反面、少しだけこうして会話できることが嬉しい。


『……あのさ』

「うん」


『手紙、読んだ』

「うん」


『俺もこのままじゃ良くないって、ずっと考えてた。でもどうしていいのか分からなくて、つい怒鳴ったりしてごめん。帰ったらちゃんと話を聞かせてほしい。ちゃんと聞きたい』

「うん。すべて話す。……私もこのままじゃ、嫌なの。仲直りしたいよ……ぐすっ……ううぅ」


 泣いちゃいけないのに、涙が出てきてしまう。

 緑の優しさに、考えてくれていたことに、嬉しくて。


『泣くなよ……どうしたらいいのか分からなくなるから……』

「ごめん……」


『……一人だとさ、その部屋なんか気味悪いだろ? 俺気付かなかったけど、瑞希がいるから明るくなるって思ったんだよ』

「何それ、意味わかんないよ……」


『いいんだよ。分かんなくて。だから俺も仲直りしたい』

「うん。私、早く緑に会いたい」


『ばっ!? そ、そういうことを言うんじゃねーよ! 恥ずかしいだろ』

「何でよっ! 会いたいんだもん、寂しいんだもん」


『あと二日だから、待っててほしい』

「うん、待ってる」


『話変えようか。お土産何がいい?』

「あははっ、雑! 話の変え方が雑だよ」


 思わず笑ってしまった。


『文句言うなよ。何も買ってきてやらんぞ』

「銀座のチーズケーキがいい。美味しいらしいよ」


『何だそれ。知らんから却下』

「調べてよ。私も知らないけど」


『ははっ、瑞希も知らねーのかよっ!』

「しょーがないじゃん。調べておくから、買ってきてくれる?」


『もちろん。買っていくよ』

「もう一つお願い。帰ってきたら、一緒に食べたい」


『当たり前だろ。一緒に食べるさ』

「うん。ありがとう」


『……じゃあ、そろそろ俺寝るわ。瑞希もあんまり夜更かしするなよ』

「うん。私ももう寝るよ。じゃあ、おやすみ」


『おやすみ』

「仕事頑張ってね」


『瑞希もな』


 ブツっという音が鳴り、電話は切れた。

 短い時間だけど、長く感じた。

 耳からスマホを離せず、動けない。

 緑の声が耳を通って、脳に焼き付けられる。

 ……早く会いたい。


 それから今日は寂しいから許してねと、緑に断りを入れてから、緑の布団に寝転がった。


 少しは戻れたかな?

 遠回りして、遠回りして、こんな簡単なことに気付けなかった。

 でも私達には簡単な事じゃなかった。

 いつまでも背を向けていちゃいけない。

 ちゃんと向き合おう。


 緑の枕を抱きしめて、足をバタつかせる。

 

 そして、言葉にできない思いの丈をぶつけた。



 ——好きぃぃーーー!






『早く緑に会いたい』


 瑞希の言葉が離れずに、ボケーっとしてしまう。

 身体もなんだか火照って熱い。


「俺も早く会いたくなっちまったじゃねーか。ばか瑞希め……」


 枕に顔を埋め、悶える。




 ——俺、めっちゃ好きじゃんあいつのこと。


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