第3話:それぞれ

 名古屋駅に辿り着き、銀時計を目指して歩いて行く。

 名古屋駅と言えば、金時計。

 有名な待ち合わせ場所である。正面入り口から入ってすぐ、四本の連なるエスカレーターの奥に聳え立つ、名古屋駅のシンボル的時計。

 シンボル的時計って何だ。ロンドンか。


 だが、今回は遊びに行くわけではない。よって待ち合わせは銀時計になるのだ。

 新幹線に乗る場合、金時計よりも銀時計の方が改札が近いし、そこまで人がいないので見つけやすいという利点がある。

 裏口と言えばいいのか、裏正面入り口と言えばいいのか分からないが、名古屋的言い方をするならば、新幹線側。

 タクシーに乗って名古屋駅に向かう時、正面か新幹線側と聞かれる。

 だから、銀時計を目指すときは新幹線側であるのだ。覚えていて損はないだろう。


 まあ、この時間ならば金時計でも人は少ないのでどっちでもいいのだが、どうせ新幹線に乗るのならば、銀時計でいいだろう。

 カラカラとキャスターの音を鳴らすキャリーケースを引きながら、その場所に向かって歩いて行く。

 正面入り口から金時計を通り過ぎて、ただひたすらに真っ直ぐに。

 名古屋駅のいい所は、どこに何があるか分かりやすい、という所だ。

 あと強いて言うならば、人が東京よりも大阪よりも少ないところ。

 人の往来は都府に比べてみれば、その差は歴然。

 つまり、名古屋最高! ひゃっほう! となる。


 そんなくだらないことを考えているうちに銀時計に辿り着いた。

 金時計の三分の一程度まで小さくなったシンボル的時計第2号。

 大人二人分にも満たない大きさだ。

 ……銀時計さん、今日はありがとうございます。とても立派です。と、謎の感謝とゴマを擦っておいた。


「おっはよー! 緑ー!」


 少し遠い場所から、ご主人様を見つけた犬さながらの様子で大きく手を振って来た雪菜。

 声が大きいので注目を浴びてしまう。通りゆく人々がチラチラとこちらを見て来る。

 なので俺は知らぬフリに徹することにした。

 ガラガラとキャリーケースの音を激しく立てているおかげで、近づいてくるのが分かる。お願いだから話しかけないで……。


「ちょっと! なんで無視すんのよ!」


 あぁ、それは知り合いだと思われたくないからです。


「えーっと、人違いです」

「はぁ!? 冗談はやめてよね!」


 もうちょい声のトーンを落とそうか。


「声がでかいんだよ、声が。もう少し静かにしてくれ」

「ごめんごめん! なんかこういうの久しぶりじゃん! 大学生の頃を思い出しちゃって!」


 あははーと笑いながら頭を掻いた。


「今日は仕事だぞ。旅行じゃないんだ」

「わかってるよう! もう、いけずっ!」

「うっさいわ。んじゃ行くぞ」

「はいほーい! れっつとーきょー!」


 だからうるせえっての。


 高らかに声を上げ、手も上げている雪菜を無視して、改札を通って売店に寄る。

 朝ご飯は瑞希が作ってくれたので、買うのは飲み物だけ。

 えっーっと……ビールは——おっと、危ない危ない。今日は旅行じゃないんだ。

 癖でビールを取ってしまった、どんだけ俺はアルコールを欲しているんだよ。

 そしてそんな様子を雪菜に見られていたわけで。


「みどりぃ~? 今日は旅行じゃないんだよぉ~? そういうのは仕事終わりねぇ?」


 したり顔で言われた。まさにブーメラン。

 うぜぇーと思いつつも、ビールを戻してお茶を取る。


「それだけ? 朝ご飯は?」

「おにぎり持ってきたから」

「緑のくせに?」

「ああ、緑のくせにな。……本当に何だろうな」


 フッと口端を引き攣らせ、笑みを浮かべる。

 俺を見た雪菜は不思議そうな顔をし、少し暗い表情をした。


「……意味わかんない。ま、私はサンドイッチでも買おうかな」

「それ買ったら、行くぞー」

「はーい」


 買い物を済ませ、ホームに移動。

 時計を見れば、あと5分もしないうちに新幹線に乗り込めるだろう。


「ねーねー、緑」

「ん?」

「今日さ、仕事終わったら美味しいとこに食べに行こ?」

「まあいいけど……」


 美味しいとこってどこだ。俺は知らんぞ。


「緑の奢りね?」

「何でだよ。誘った方が奢るだろ。別に行かなくてもいいんだぞ」

「ごめんって! そんな意地悪言わないでよ!」


 こうやって素直に謝ってくるが、待ってほしい。

 こいつは奢ってもらう気しかないのが丸わかりだ。

 要約すると「意地悪言わないでよ! 奢ってよ!」だ。

 だから答えよう。


「いや、奢らねーよ?」

「ちっ! バレたか。そういう所だけは察しがいいんだから!」


 この女、性格が悪くなってきている気がする。擦れてきた。

 舌打ちするような子じゃなかったのに。高校の頃は物静かで、可愛くて、おっぱいでかくて……ってそれは今も健在か。


「割り勘で」

「はいはい、分かりましたよーんだ!」


 頬を膨らまして、少し拗ねている雪菜は可愛かった。

 変わってないな、昔からそういう所は。


 それから新幹線に乗り込み、腰を下ろす。

 ビジネスバック以外は上に乗せて置いた。足元にあっても邪魔だからな。

 そして、鞄の中から弁当箱が入った袋を取り出して、弁当を取り出すと、中には何やら手紙らしきものが一緒になって入っていた。


 雪菜には見られないようにこっそりと見てみると『緑へ』と可愛らしい文字で書かれた白い封筒。

 流石にこの場で堂々と見るわけにも行かないので、今見るのはやめて、鞄の中に隠す様にしまった。

 仕事が終わったあと、ホテルで見るとしよう。


 ——今日こそ、伝えないとな。


「ひまー。新幹線ひまー」

「子供じゃないんだから、駄々こねるな」

「えー、これってさぁ、緑が私に構ってくれるべきなんじゃないの? イチャイチャ的な?」

「誰がそんなことするか。俺はご飯中だ」


 瑞希が作ってくれたおにぎりは色んな味があって食べ応えがある。おかずも美味しいので、ご飯がススムくん。

 瑞希って、料理練習してここまで作れるようになったって言ってたよな……普通にすげーわ。うん。めっちゃ美味しい。


「それって、ご飯食べ終わったらしてくれるって事でいいの?」

「どんな解釈をしたらそうなるのかな? 聞いてた? 話」


 俺の言葉を聞いて、またぷくりと頬を膨らますが、その頬を片手で挟んで掴むと、ぶすーっと情けない音と共に空気が抜けていく。


「けちー」


 俺の手から逃れるように身を引く雪菜は、拗ねた様子で窓の外を眺めた。

 いつまでもこのような状態が続くのは良くない。俺の為にもならないし、雪菜の為にもならない。


 そして——瑞希を悲しませることになる。

 俺があんな態度を取ってしまった手前、雪菜とこうしてじゃれついている、じゃれつかれているのは非常に良くない。

 人には電話が掛かってきただけであの態度。

 でも俺はこんな事をしてしまっている。

 ただの後ろめたさだ。クズの極み。やってる事は俺の方が最低だと思う。

 俺が間違っている。


 何が正解で、何が間違いのか、それすらもハッキリと分かっていないが、きっと今の俺がしていることは全て間違っている気がした。

 そう、瑞希じゃなくて——俺が全ての根源だ。


 ——あぁ、そうだ。

 瑞希にメールを送っておこう。

 仲直りとかじゃなくて、ただの感謝。

 俺が今出来ることはこれくらいしかないのだから。







 このタイミングで緑が出張になったのは、私の為にある気がした。

 自分を見つめなおす為に、与えられた時間。

 何をすればいいかなんて私にはわかりゃしないけれど、冷静になって考えるための時間だと思う。


 ——でも、正直に言うと寂しい。


 緑はあの『雪菜』という女性と一緒の時間を過ごしている。

 あの時見た光景は未だに忘れることはない。

 彼女は緑が好き。これは間違いないだろう。……見たら分かるんだよね。恋してる乙女って。


 緑も満更じゃななさそうだったから、余計に辛い。

 人の事言える立場じゃないと充分理解しているけれど、辛い。

 どこにも勝てる所が、今の私にはなくて、負けてばかりで、勝とうともしていない。

 状況は悪化していくばかり。怒鳴られて、泣いて。

 本当にめんどくさい女ったらありゃしない。

 私は少しでも緑の中に入り込めているのだろうか? 入っていたら嬉しいけど、それはきっと勘違い。

 1か月もこの状態で……これで嫌われてないとか考えられないもん。


 ……うぐっ。

 すぐに涙が出てくる。

 いつから私はこんなに泣き虫になったのだろう。

 出て行ってからそこまで時間は経っていないのに、私は寂しさというものに押しつぶされてしまいそうになっちゃう。

 頑張るって、決めたのに。

 弱っちい自分が大嫌いだ。


 私はあの電話で過去と決別できてないことを知った。これもただの弱さで。

 たった一本の電話で動揺してしまった。

 それを見られてしまったのが、この現状を生んでしまった。あの時、寝言を聞かれていたと確信した。


 過去に縛り付けられた鎖は何処までも私を掴んで離してくれない。

 そんな事ばかり、同じことを考えてばかりで、先に進めない。

 辿り着く答えはいつも存在しなくて、結局どうしたらいいのかも分からない。

 無限の負のループ。

 頑張ろうとしても、考えは暗くなり、どこに向かえばいいのか分からなくなる。

 

 私が緑の目の前から消えてしまえば、幸せになるかもとか。

 私がいるから、緑は幸せになれないのかなとか。

 ネガティブな思考になって泣いてしまう。


 時刻は7時半を大幅に回った。

 そろそろ仕事の準備しないと……と思った矢先、ピコンッと携帯が鳴った。

 手に取り、見てみると緑からだった。


〈朝ご飯ありがとう。美味しかったよ〉


 んんんんんん~!!


 布団に寝転がり、声にならない叫びをぶつける。


 一瞬だった。

 一瞬で、ネガティブな気持ちは吹っ飛んだ。


 起き上がり、キッチンへと急ぐ。

 蛇口をひねって、水を出し、顔を勢いよくバシャバシャと洗う。

 タオルを取って、ごしごしと顔を拭いて、パチンと戒めのために顔を叩いた。


「頑張るんだろ! わたしぃーー! めそめそすんなぁぁぁぁ!」


 声が掠れるくらいの叫び。こうして私は自分を鼓舞する。

 いつまでもこんなままじゃダメ。返って悪化させる。

 緑が帰って来るまでには、いつも通りに戻るんだ。


 そして、ちゃんと向き合うんだ。

 私と緑は夫婦であって、夫婦じゃない。けれど、私は本物になりたい。

 押し付けがましいかもしれないけれど、そう決めたのは自分だ。


 ——頑張れ、私。


 メールを返し、仕事に向かった。







 約一時間と四十分という長い時間を経て、東京駅に辿り着いた。

 持たれかかって、くかーくかーと寝ている雪菜を起こし、新幹線から降りた。


「ふぁぁー! よく寝たぁ!」


 新幹線のホームで大きく身体を伸ばした雪菜の顔は、スッキリとしていた。


「めっちゃいびき掻いてたぞ」

「え!? 嘘!? 本当!?」

「嘘だ」

「しょーもない嘘つくのやめてよね!」


 ぽんと肩を叩かれる。


「さあ、こっからは切り替えて行くぞ。仕事だ」

「うん、分かってる!」


 東京駅から徒歩五分圏内に本社はあるので、すぐに本社へと辿り着いた。


「こんにちは。本日、名古屋支社から呼ばれて参りました、文月と白石です」


 本社には立派な受付があり、受付嬢に挨拶をする。

 瑞希もこんな感じで仕事しているんだろうなーと、ふと思った。


「はい。お話は聞いております。遠方からお越しいただき、感謝申し上げます」


 それから受付嬢に期間限定の社員証を受け取り、名古屋支社同様にゲートを通って、オフィスに移動する。


「やっぱり東京はすごいねー。ビルの大きさが違うなぁ」

「いやいや、名古屋も負けてない」

「なんの意地張ってんのよ。どう見ても負けてる」

「名古屋はいい所。でかい田舎だ」

「それ褒めてんの? 貶してんの? ええ加減にしにゃーと、市長にどえりゃー怒られるよ(訳:いい加減にしておかないと、市長にすごく怒られるよ)」


 真似をしながら言うが似てない。

 正直、あそこまでの名古屋弁を使う人はいない。あの人だけ。

 エビフライをエビフリャーとか言わないから。まじで、0人説。


「そんな訳あらすか。おみゃーの方が馬鹿にしとるがや(訳:そんな訳ない。お前の方が馬鹿にしてる)」


 エレベーターに乗り込んで、人がいない事にケラケラと笑いながら、名古屋弁で会話する。

 大袈裟な名古屋弁はこうでもしない限り、基本使わないのだ。

 目的階に辿り着き、音と共に扉が開く。

 降りると早速、お出迎えがあった。受付から連絡があったんだろう。素晴らしいな。


「文月と白石さん、今日は遠方からありがとうございます」

「お、みやっちじゃん。久しぶり!」

「ちょっと……やめてよね」


 堅苦しそうに挨拶してきたのは、宮田恵梨香みやたえりか

 以前もここに出張に来たことがあり、その時に色々と教えてもらって仲良くなった人だ。年齢は俺より一つ下、28歳。


「初めまして、白石雪菜です!」

「初めまして、宮田恵梨香です。今日から3日間よろしくお願いします」


「「よろしくお願いします」」


「では早速ですが、こちらへ」


 案内してくれるみやっちの後ろを歩いて、オフィスへと向かった。


 とりあえず今日1日頑張ろう。







 いつも通りに仕事に励む。

 お昼までの時間はあっという間に過ぎ、もう午後だ。


「ねえ、瑞希。そういえば、いつになったら男紹介してくれるの?」


 突然、思い出したかのように麻里子がいつの日か約束した話を口にした。


「えーっと……ごめん。今はちょっと無理かな……」


 ぎこちない笑顔で返すと、麻里子は不思議そうな顔を浮かべ、首を傾げる。


「なんか、最近元気ないよね? もしかして旦那さんと喧嘩してる?」


 喧嘩……か。まあそれに近しいものかもしれないと思った私はその通りに言葉を返した。


「……まあそんなところ」

「分かった!」


 何が……?


「今日、話を聞いてあげる! ご飯行こ! あ、でも旦那さんのご飯あるもんね」

「ううん。今日は帰って来ない」

「え!? それやばくない!? 出てっちゃった!? 一体何をやらかしたの!?」


 驚きながらも、なぜか楽しそうだ。……嫌な女だな。


「違うの。今日から出張で」

「なーんだ。びっくりした。じゃあ行こうよ、ご飯。せっかくだし」

「うん。いいよ。たまには息抜きも大事だよね」


 少し相談に乗ってもらおう。

 ついでに私達の関係を話してしまおうかな。話さない限り、相談できないし。


「じゃあ決定だ! あと半日頑張ろう!」

「うん」







 仕事が終わり、東京駅構内にある居酒屋で雪菜とご飯を食べていた。

 ここは前来た時に、みやっちに教えてもらった場所でもある。


 相変わらず東京駅は人がひしめき合っていた。

 そんな中を掻い潜って、マップと睨めっこをしてようやくたどり着いた居酒屋。まじで人多すぎ東京。


 周りを見渡せば、仕事終わりのリーマンたちが楽しそうに酒を飲みながら会話に花を咲かせていた。

 俺達もその一員という訳で、ビールを飲んで、おつまみをかじり、くだらない話に仕事の話をしつつ、夜の時間を楽しんでいた。

 瑞希は今頃、家に居るかなと、頭の片隅で考えながらも。


「あのさ、緑。もし部屋が一つしか予約されてなかったらどうする?」

「そりゃもう一つ部屋を借りるだけの話だろ」

「一緒に寝られるチャンスなのに? こんな美女と狭い空間で夜のひと時を過ごせるというのに?」


 自分で言うな。否定はしないけれど。


「ああ、それでもだな。俺は別の部屋を取るな」

「全っ然! 私に興味ないじゃんか! 私告白したのに! 少しくらい気にしろ!」


 やけくそにビールを一気飲みした。


「あんま飲みすぎるなよ。明日も仕事なんだから」

「分かってるよ! 緑がこうさせてるんだからね!」

「人のせいにすんな。俺にだって色々あんだよ」

「緑の癖に生意気ー。焦らすとかそんないい男でしたか?」


 急に悪口やめて。

 それに違うから。


「はいはい。すいませんね」

「むっか! 何その顔! すいませーん! 生2つ!」

『あいよー』


 この辺で止めておかないと、明日の仕事に影響しそうだな。


「ついでにお会計も」

「ちょっと! まだまだこれからよ!」

「明日も仕事なんだからマジで控えろ」

「むぅー。いつからそんな風になったの? 緑、最近変わった」


 変わった? 俺が? どこが? どういう風に?


「変わってない。いつも通り」

「変わりましたー。なんか最近ご飯も行ってくれないし、私に対して冷たくなった」

「最初から程よく飲みに行ってるじゃないか。それに冷たくないわ」


 自分で言っておきながら、確かにと思ってしまう。そりゃそうだろ、家に瑞希がいるし、美味しいご飯があるんだから帰るだろ。


「いつもだったら俺も飲むぜー! って感じだったし、私に対して遠慮しなくなった」


 酒に関してそうかもしれない。

 飲みすぎて、頭ガンガンしたこともあった。それが楽しかったのも嘘じゃない。雪菜と二人で過ごす時間があるだけで、嬉しかった。


 それはきっと好きだったから。

 でも、今は違う。


「大人になったって事だろ。いつまでもこうもしてられない」

「別にいいじゃん。誰かと付き合っているわけでもないんだし。、私に彼氏がいるわけでもない。遠慮する相手がいないんだから必要もない。自分の自由じゃん。遅刻しなければ良いだけで」


 雪菜の言葉は俺に強く刺さった。

 今、話すべきなんだろうと思った。


 ——だが、俺はまた逃げてしまう。言えない、言いたくても言えなかった。


「頭ガンガンの二日酔いで仕事とか嫌なんだよ。しかも今は名古屋じゃないし、尚更。こいつ酒くせーって思われるのが嫌なんだよ」

「緑はいつも酒臭いけどね」

「うっそ!? まじ!?」

「嘘だよーんだ! 朝の仕返しだ!」


 あははっと笑い、ビールを呷る雪菜は楽しそうだった。

 それに引き換え、俺は——違う人のことばかり考えていた。







「はぁ!? 好きでもない人と結婚したぁ!? じゃあ挙式で好きでもない人とキスしたってわけ?」

「ちょっと……声が大きいよ……」


 麻里子に真実を打ち明けた。

 だから、このように驚かれているわけで……。


「でもね、私は好きなの」

「それで、元カレから電話が掛かってきて、電話を切りもせず、出て拒否するわけでもなく、躊躇した!?」

「……はい」

「最っ低よ! あんた!」


 ごもっともです……。


「そうだよね。そう言われても仕方がないよね」

「そもそも瑞希はどうしたいの?」


 どうしたいって……そりゃ、仲直りしたい。私は緑が好きだから隣にいたいし、楽しい日常に戻りたい。


「仲直りしたい」

「そうじゃなくて、元カレ。躊躇したって事はまだ好きなの?」


 麻里子の問いに、私は全力で顔を横に振って否定した。


「違うの……。私、心のどこかでまだ気にしてるんだと思う。それは好きとかじゃなくて。一方的に別れを告げられて、私の気持ちなんかまるで無視で。当然のように私の前から去っていったと思っていたら、今になって電話が掛かってきて……正直、何の電話だったか気になってるの」


 支離滅裂だった。

 私の言ってることは、第三者が聞いたら、それは好きじゃんと言われてもおかしくない事だと思う。でも、本当に好きなのは緑。


「じゃあ連絡してみればいいじゃん。何の電話だったの? それで終わりじゃん」

「そうだけど、緑はしてほしくなさそうだし、私が緑の立場だったら嫌だもん」


「このままもやもやしたまま、旦那と過ごしていくの? それは私としては有り得ない。どっちかと言えば、はっきりした方が旦那の為にもなるんじゃないの? 言葉で好きって言っても、いざ本人に電話したら、やっぱり好きかもーってなるかもしれないじゃん。だったら電話するか、会ってみて自分の気持ちに向き合うべきだと思うけど」


 麻里子の言葉は私の気持ちが変わるとでも言いたげだった。


「でも緑が……」

「旦那を言い訳にしちゃだめ。本当は話したいんでしょ? 会いたいんでしょ? はっきりさせたいんでしょ?」


 見透かされている。

 私がしたいのは、理由を知ることだけ。

 あの日からずっと考えていた。

 私の何がいけなかったのか、本当に4番目だったのか、あんなに愛してくれていたのも全て嘘だったのか。

 ……知りたい。


「確かに聞きたいことはたくさんあるよ。でも聞いた時に堪えれる気がしない……」

「なら、そうやってずっと答えを知らないまま生きていけばいいじゃん。ずっと旦那とは元通りになれないまま」


「それは嫌!」

「あのね、瑞希。辛いのはあんただけじゃないよ。知ってしまったものは忘れられないの。なかった事には出来ないの」


「分かってるよ……そんな事」

「多分さ、旦那はあんたのこと好きだよ」


 ……え?


「緑が……私を好き? ないよ。そんなの。だって、緑には好きな人がいるもの……」

「それも。ちゃんと聞いた? ちゃんと瑞希も話した? 何も知らないで勝手に決めつけてるだけじゃない? 話もせず、聞きもしてないのに憶測で決めつけるのは最低よ」


 麻里子の言う通りだ。

 私は聞いたわけじゃないし、自分の話をした事もない。


 あの日、私は自分の中で勝手に決めつけて、泣いた。

 それでも緑が見つけてくれたことが嬉しかった。

 勝手に自己解決しただけで、何も知らないまま。


 その結果が、これだ。

 でも、私だって頑張ってる。


「向き合いたいって思ってるから、私なりに頑張ってるよ。手紙だって書いて渡した。読んでもらえるか分からないけれど、やれる事はやってるの!」


 当たっても意味がないのに、むしゃくしゃして当たってしまう。

 もう、何もかも分からない。


「頑張ってるなんて自分で決めることじゃない。自分の物差しで測れるのならば皆頑張ってるわ。自分で言うものじゃない。人に言われて、初めて頑張ってるって思って良いの。瑞希の気持ちも分かるよ。でもね、それを決めるのは瑞希じゃない」


「じゃあどうしたらいいのよ! このままずっとなんて嫌! でも、どうしたらいいか分からない! いつまで経っても関係は平行線のままで、なんて嫌だよぉ……」


 こんな状態が何か月も続くなんて嫌。でも解決方法が見つからないんだよ。

 いくら緑のために尽くしたって、伝わらなければ意味がない。そんな事だって分かってる。でも! 何もしなければ何も変わらないじゃない!


「そんなの自分がどうしたいか伝える以外にあるの?」


 私は何も言えなかった。

 それは私が一番理解していて、理解できてなかった事だったから。

 やろうとしても上手くいかない。

 取り繕って、緑の顔色を窺って、話をして。


「手紙でちゃんと書いた? 旦那に向き合いたいって言った?」

「……うん」

「じゃあいいじゃん。そんなに悩むことじゃないじゃん。あとは瑞希と旦那さんの問題だよね」

「そうかな……ちゃんと伝わってるかな」

「それはどうだろうね。……だけど、きっと大丈夫だよ」


 麻里子は優しく微笑んだ。


「ありがとう……麻里子」


 こんな私の為にしっかりと怒ってくれた。相談して良かったと心の底から感謝した。

 お昼に嫌な女とか言ってごめんなさい。


 緑が帰ってきたらちゃんと話せるといいな。


「というかさ、何をそんなに悩んでるのか意味が分からないわ。自分が一番の最適解を分かってるじゃない。本当に意味不明だわ。瑞希って、ばか?」


 ……やっぱり嫌な女だ。

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