第17話:挙式当日

 ついにやってきた挙式当日。

 

 カーテンを開ければ、外は快晴。雲一つない、青が一面に広がっていた。

 七月になり、季節は夏。もう真夏である。


 挙式日和と言ってもいいくらいに、天気は良好。きっと地上40階から眺める景色はさぞ綺麗だろうに。

 そんなことを考えながら、俺達は朝早くからせっせこと慌ただしく準備をしていた。


「緑、今日は挙式なんだから、その髭を剃るなり、整えるなりの事くらいはしてね」


 瑞希は荷物を纏めながら、こちらを見ることなく言った。

 ここ最近、髭を剃っていないので、もじゃもじゃとは言わないがそれなりに生えてきている。だからこその指摘だろう。自分で見てもだらしない。


「分かってるよ。そのつもりだから」


 キッチンで顔を洗い、シェービング剤を口周りに塗って剃っていく。

 髭を剃りながら思う。……剃るのめんどくさい。あぁ、脱毛してしまおうかな、と。和製オーランドブルームみたいになることを夢見ていたが、結局なれないし、めんどくさくなりつつあるので脱毛してしまおうかまで考えてしまっている。


 さらに言えば、一人でいる時は気にすることはなかったが、瑞希が来てからは流石にこうしてキッチンで髭を剃るのはいかがなものかと気になってきた。

 そろそろ引っ越して、ちゃんと洗面所がある家に移ったほうがいいのではないかと。


 水で流してしまえばいいのだが、それを処理するのは俺じゃなくて瑞希だ。いや、俺がすればいいだけの話なのは分かっているつもりだけど、あの、ほら、めんどくさいじゃん?

 本当は瑞希も嫌なんじゃなないかなと、多少なりとも気にしている。


 ……挙式が終わったら、部屋探しでもすっか。丁度いい相談相手がいることだし。

 髭を剃り終わり、身支度の準備を進めていく。まあそれ程の準備なんてないんだけど。

 タキシードシャツの下に着る肌着とベルトくらいなもんだ。あとは財布にスマホ、充電器を鞄に追加して入れるだけ。


 ——よし、準備完了。


「瑞希、俺はもういつでも行けるぞ」

「私はあと少し!」


 忙しなく、あっちへ行ったり、こっちに来たり。

 何をそんな準備するものがあるのかよく分からない。昨日必要なものは式場に搬入したし、そんないらないだろ。


「じゃあ俺は今のうちに車回してくるよ」

「分かったー。気を付けてね」


 座っていた重い体を立ち上がらせ、車のカギを持って家を出た。


 三ヶ月後と自分で決めたのはいいけれど、結構あっという間だった。

 準備は……そうだな、ほぼ瑞希が、いや全部瑞希に任せ過ぎたのは反省している。


 それに三日前のキス。

 あの時の感触が頭からついて離れない。

 今日、再び瑞希とキスをする。それも大勢の前で。

 あぁ、なんか緊張してきた。

 上手くできるように頑張るしかないんだけど、どうしても緊張する。……童貞みたいだな。俺はセカンド童貞なんだけど。


 そう思いながら、俺はガレージにやってきた。

 今日くらい派手に行ってもいいだろう。

 これは格好つけなのか、ただ乗りたいだけの欲求なのか、それとも瑞希を少しでも喜ばしたいからなのか。そんなよく分からない感情で、ガレージのシャッターを開けた。

 そして車に乗り込み、エンジンをかける。

 いい音がガレージ内に響き渡った。調子をこいてもうひと吹かし。


 ブォォンッとさらに音が反響し、ただの近所迷惑だ。……これ以上はやめておこう。

 シフトレバーをドライブに入れて、家に向かった。







 準備が終わり、家で緑を待っていると外から何時しか乗せてくれた車の音が聞こえてきた。


 ——今日は軽じゃないんだ。


 さては、格好つけてんな? と思いながら玄関を出るとやっぱり緑の車だ。

 屋根は開けていなかったが、間違いなく緑の車。

 アパートの前で停車させ、ハザードランプがカチカチと点灯した。

 すぐに緑は降りてきて、私に気付いたのかその場から声を掛けてきた。


「準備は終わったか?」

「うん! 終わったよー!」

「りょーかい」


 トランクを開けるだけ開けて、階段を登ってきた緑。


「ほれ、荷物貸してみ? 俺が持ってくから」

「別にいいよ。これくらい私持てるよ?」

「今日くらい格好つけさせろ。持ってやるって」

「……わかった、ありがとう」


 荷物持ってくれただけなのに、なんかちょっとカッコよく見えるんですけど。これはまやかしですか?


 荷物を渡すと、緑は「は? なにこれ重すぎ」と言いやがった。さっきの言葉は撤回させていただきます。


「これが女子なの! こんなもんよ!」

「へぇ、大変だな。

「馬鹿にしてる」

「いいやしてない」

「いーや、してる!」

「うるさいな。もう行くぞ」


 音を鳴らしながら、古びた階段を先に降りて行ってしまう。


「ちょっと待ってよう」


 玄関の鍵を閉めて、私も急いで緑へ続く。


「よし。最終確認だ」

「はい」

「歯磨きはしたか?」

「したよ」

「よし。行くぞ」

「その確認だけ!? おかしくない!?」


 よく分からない最終確認をして、式場へと車を走らせた。

 もちろん車の屋根は開けて、オープンで。







 式場に着き、初めにゲストの待合室を見に行くことにした。

 入り口にはあらかじめ撮りにいった前撮り写真がウェルカムボードとして飾られていた。


 何やかんやここまで来たんだなぁと改めて実感し、身が引き締まる。

 今日はみんなの前で堂々と嘘をつく日であり、神様さえ騙す日でもある。でも同時に私達が結婚したと証明する日でもある。

 いずれバチが当たるだろうけど、本当にさえしてしまえばいいだけだ。バチは当たらない。

 私の決意は固まっている。絶対に緑を好きにさせるこの気持ちだけは。

 絶対にこの隣にいる男を落としてみせると!


 ぐっ! と拳を握りしめ、自分を奮起させた。



「じゃあ着替えにいきましょうか」

「はい」


 控室に移動して、緑と私は別々の部屋に案内され、私はメイクから取り掛かる。

 ちなみに緑はまだ私のウエディングドレス姿を見たことはない。

 休みの日にこっそりとドレスを選びに行き、決めてきた。

 最終フィッティングは二人で来てくださいとのことだったので、二人で行ったが緑にはまだ見せたくないと頑なに拒んで見せなかった。


 それに私も緑のタキシード姿は見ていない。

 だからこそ、早く見たいし、見てほしい。感想が待ち遠しいのだ。


 ヘアメイクさんに髪の毛のセットをしてもらいながら、私はそんなことを考えていたり。

 今、隣の部屋では着替えれるところまで着替えて退屈しているんだろうなと考えてみたり。


 退屈しのぎの為に連絡でもしてあげようかしら。これはあれよ。私がしたいからじゃなくて、暇してるから相手してあげようっていう優しい心よ。

 スマホを手に取り、緑に連絡を送ってみる。


『緑さん、暇でしょ?』


 こんな感じでいいかしら? なんでこんなに堅苦しい他人行儀な文言なのだろうか。ま、細かい事はいいや。送信っと。

 すると、すぐ返信が来た。


『忙しいから邪魔しないでくれ』


 はぁ? 何この人。本当に腹が立つわね。忙しい? そんなわけないでしょ。部屋でどうせボケーっとしてるだけでしょ!


『私は暇なんだけどー』

『俺は忙しい』

『嘘つくのはやめなさいよ』

『嘘じゃない。今は精神統一をして、心を落ち着かせてるんだ』


 何やってんのこの人。あほかしら?


『ばか?』


 あの緑でも緊張するんだ。意外だ。彼は肝が据わってる人間だから緊張なんてしないものだとばかり思っていた。

 どんな感じでその精神統一しているのか見てみたい。

 そして、それきり返信が来ることはなかった。







 控室で俺は言われたことはしっかりとやり、後はメイクさんを待つだけ。

 鏡の前に置かれた椅子に腰を下ろして、自分を見つめる。

 ……情けない顔だな。

 ペしりと両頬を一発叩き、目を瞑った。


 今日が終われば、とりあえずひと段落。

 言われた通りにやればいいだけ。なにも難しい事はない。

 嫌々ながらも練習だってしたんだ。……とはいえ、少しだけまだ不安が残っている。

 とにかく恥をかかないように一生懸命やるしかない。

 無になろう。無に。

 ——視界は真っ暗。何も考えちゃいけない……。


『——もっと、して……』


 いかんいかんいかん! そんな三日前の記憶を思い出すな俺よ! あれはもう終わった出来事だろ! いや、でも柔らかかったなぁ……って違う違う! 全然精神統一出来ないじゃないか。


 すぐに違う事を考えてしまう自分を恨む。というかこれに関しては瑞希が悪いだろ。

 あの時、俺はセーブが聞かなくなり受け入れてしまった。

 求めて来る瑞希が魅力的で……つい。

 いけない事と分かっていても感情はコントロールできなかった。


 俺は欲求不満なのかもしれないな……。

 そんなことを考えていると、スマホが音を鳴らした。

 スマホを見ると、送ってきたのはどうやら隣の部屋にいる瑞希だ。

 どうせ暇してるから連絡して来たんだろう。画面をタップしてアプリを立ち上げると——案の定だ。


 これは俺が暇だと確信した上で、私が構ってあげるよと言いながらも、本当は私が暇だから構ってほしいという連絡に間違いない。なんだこいつツンデレか。


 なのでそんなことはしてやらんと突っぱねる。

 はぁ~、お気楽でいいな瑞希は。こっちは緊張しまくってるのに。


 それから何通か送られてきて、返信したがめんどくさくなって送るのをやめた。

 隣同士に居ながらも、わざわざすることでもないし、何なら俺が隣の部屋に行ってもいいのだ。プランナーさんからはどっちでもいいと言われているからな。

 だが、それは瑞希が嫌がると思うので、しないだけ。


 暇なのは変わりないので、とりあえず歯磨きをすることにした。さっきも磨いたけど、この後にキスをするんだから。口臭には気を付けないとね。







 準備はお互いに終わり、後は緑にこの姿を見せるだけ。

 メイクさんに一言、しばらく二人きりにさせてくださいと告げ、用がある時はノックをしてからでお願いしますとも言っておいた。

 控室を出て、隣の部屋をノックする。


「はーい」

「瑞希だけど。ちょっといいかな?」


 扉を開け、中に入った。


「……」


 緑は固まっている。私を見て、固まっている。

 そして私も固まっている。緑を見て固まっている。


 かかかか、かっこいい! 反則! 普段見れないからこそ、余計にかっこいい!! 無理! 

 めっちゃ似合ってる……。


「瑞希……その、あれだな、綺麗じゃないか……えっと、可愛いと思う……よ」

「えっと、その、緑も、すごく……かっこいいよ……」


 ぎこちないまま私達は互いを褒め合った。何だろう何してるんだろう。


「恥ずかしくなってきた……」

「あぁ……俺もだ……」


 ついに、こうして目の前にタキシードを着た緑を見ると、結婚するんだという実感がこれでもかと押し寄せて来る。


「あのさ、緑。緊張してるんだよね?」

「まあ、な。そりゃ」

「じゃあさ、もう一度だけキスしてみない?」

「なんでっ!?」


 驚きすぎ。


「直前に最後の練習よ? 少しは気が楽になるかも」

「そうかな? 余計な気がする」

「もうっ! 察しなさいよ。ばか」

「何がだよ!」


 キスしたいの! なんて言えないので、適当に誤魔化す。


「私も緊張してるの。だからキスして、その緊張をほぐして」

「……わかったよ」

「ありがと……」


 目を瞑ると、緑は肩に手を置いて、あの日さながらにキスをしてくれた。


 温かい。柔らかい。

 唇同士が触れるだけで何でこんなにも満たされていくのだろう。

 すごく緑が好き、だからかな。


 離されていく唇を離したくないと、緑の顔に手を添えてグッと引き寄せる。

 だめかも……とろけちゃいそう……。

 離したくない欲が止まらない。

 でも一旦離れてしまう。緑が離してしまう。


「ちょっ、瑞希……だめだって……」

「だって、したいんだもん……もう一回だけ……」


 そう言って私は緑の唇を奪った。

 これがのちに起こる事件の引き金だったことは言うまでもないだろう。







 挙式が始まる。

 胸の高まりは落ち着くことはない。

 左には腕を組んだ瑞希。

 頬を赤く染め、嬉々とした表情をしていた。


 こんな直前にキスするやつはいない。

 上手く彼女の顔が見られない。


 もう……本当に馬鹿野郎だよ……。


「それでは新郎新婦の入場です。皆さん拍手でお出迎えください」


 中から司会者らしき人の声が聞こえてきた。


 もうすぐにドアが開く。


 その時だった。


「緑、頑張ろう。今からも、これからも——ずっと」


 開かれる扉を真っ直ぐ見つめながら、瑞希は言い切った。

 ——これからもずっと、と。


 覚悟を決めるしかないのだ。

 ここで嘘をつく。嘘を本当にしてしまえばいいんだと。 

 だから——


「そうだな。きっと上手くいく」


 自分なりの言葉で、笑顔で、そう答える。

その言葉に瑞希はこちらを見て、今までに見せたことのないくらいの笑顔を俺に見せてくれた。


 今まで一番、心が跳ねた瞬間だった。可愛いとか綺麗とかそんな感情じゃない。撃ち抜かれそうになるくらいの何かを感じてしまった。

 


 迎え入れられるように沸き起こる拍手に2人で一歩ずつ歩んでいく。

 歩んできた道をなぞるように進み——次なる未来への道へと。




 ——そして、俺達の挙式が幕を上げた。

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