第16話:ちゃんとしたファーストキス

「ねぇ、キス……しよ」




 ——挙式3日前。


 今まで挙式に向けてたくさんの準備をしてきた。

 とはいえ、私達は披露宴を行わないので、それほど忙しかったか? と誰かに聞かれれば、そうでもないと答えるだろう。


 ここで忙しいと答えてしまったら世の中のプレ花嫁さんに怒られてしまう。

 ……でもね、それでもね! ムカつくことはたくさんあった。なんせ緑は全然手伝ってくれなかったもの。

 招待状を送る必要はないらしいのだけれど、一応体裁として、送ることにした。

 その為、招待状のデザインやら文言はテンプレートの中から選ぶ必要があったのだ。

 だから私は相談して、納得のいくものを選びたかった。

 しかし実際の現実では。


「このデザインで、文章はこれでどう?」


 と言えば、緑は二つ返事で——


「それでいいんじゃないか」


 まるで興味なさそうにぼーっと外を眺めながら言った。まるでとか言ったけど、普通に興味なさげに言った。

 その顔がまた腹立つことよ。

 そして、来てもらったゲストの皆さんに用意するプチギフトを選ぶ時も——


「このフォンダンショコラと種類豊富なバームクーヘンだったらどっちがいい? 緑がいいなって思ってるものはある?」


 と、聞けば。


「どっちでもいいし、特にないな」


 本っ当に! 腹が立つ! むきぃぃー!! と、式場で打ち合わせしているのにキレそうになったり。

 男の人が興味がないのも分かるけど。けどね、これは私達の挙式なの。私だけの為の挙式じゃないの。あなたも私もその日だけは主役な訳で。

 なのにこの男ときたら、人任せもいいところよ!

 だから私はウェディングプランナーさんが席を外したタイミングで、緑の頭をはたいてやった。

 すると、頭を抑えながらキレてきた。


「痛ッ!? 急に何すんだよ!?」

「ちゃんと考えなさいよ! なーにが『どっちでもいいし、特にないな』なのよ! いい加減にしなさい! そのボサボサの髪の毛むしり取るわよ!」


 我ながら緑のモノマネは似ていた気がする。上の上くらいには似ていた。これはもはや本人レベル。


「むしり取るのはやめて。それに本当にどっちでもいいんだもん」

「どっちでもよくてもせめて意見は言いなさいよ! というかどっちって聞いてんだから、普通どっちか選ぶでしょ!」

「あー、それな。女のめんどくさいやつ。選んだら選んだで、私はこっちがいいんだけどとか言い始めるうざいやつ。結局それで自分が良い方選ぶ下衆な質問だな」


 屁理屈ばかり。


「私がいつそんなこと言った? 本当にむしるわよ?」

「すいません。……じゃあバームで」

「理由は?」

「特にな——イデデデデデデデッ!」


 本当に髪の毛を掴んで引っ張ってやる。むしるつもりはなかったが、5本くらい抜けた。まあこんなけボーボーに生えてるなら問題ないでしょ。


「私は意見も言ってって言ったよね? ちゃんと聞いてた? 意味が理解できなかったんですか?」


 下から舐めるように、よくある可愛い上目遣いではなく、ガンを飛ばす。つまり睨みまくっている。


「……すいません。そうですね、はい。バームクーヘンなら皆が食べれると思いますし、味も色々な種類があって、より楽しめると思いました。だからバームクーヘンの方がいいのではないでしょうか」


 ここまでしないとこうして緑は意見をしっかりと言わないのだ。ふんっ、慣れたものよ!

 ——とまあ、こんな感じで基本私が聞かない限り、口を出してこないのである。

 招待状も結局私が全部紙を折ったり、名前と住所を書いて、入れなきゃいけないものを纏めて、封をしてポストに出したのだ。


 何もかも私任せ。全然手伝ってくれない。

 上半身裸になって、ビールを飲みながらテレビを見て笑う緑の傍らで、私はせっせこと準備を進めていた。



 な・の・で!


 今日はそれをダシにして、キスをせがんでいるというわけである。

 まあまあ落ち着きたまへ。君たちよ。誰も自分がしたいからという理由ではない。しっかりとした理由がある。ただ少しだけ、ほんの少しだけ私的な感情が入ってるだけだから。

 挙式にとって、とても大事なことなのだ。


「ねぇ、キス……しよ」


 だからここに戻るわけである。


「上がったり下がったりで本当によく分からないやつだな。瑞希の情緒はどうなっているんだ。バグってんのか?」

「これが女子ってもんよ! つべこべ言わず、私とキスして?」

「自分でとか言っちゃうあたり——」

「は?」

「すいません。何でもないです」

「ならいいわ。じゃあ立ってちょうだい」


 もちろんだけど今は家に居る。

 昭和に建てられたアパート。さすがの私でも外でキスをせがんだりしない。高校生じゃないし、そこまで若いわけでもないから。

 スマホを片手に私は立ち上がり、緑の腕を引っ張って立ち上がらせた。


「待て」

「待たないわ。早く」

「いーや! 待て! おかしいだろ。何しに立つ必要があるんだよ。そもそもしないし、何がしたいんだよマジで」

「もうすぐ挙式だよ? そりゃあ誓いのキスの練習くらいしておかないと! ぎこちなくて失敗したら恥ずかしいわ。わ・た・し・が!」


 失敗して歯でも当たってみなさいよ。恥ずかしくて死にたくなるわ。


「主語が抜けてんだよ! 最初からそう言えよ! そうしたら——ってしないわ!」

「しなさいよ! ちゃんと角度とかどこにキスするのかとか、色々あるんだから! 直前になって、『あ、やばいどうしよう。ちゃんとキスするのこれが初めてじゃん。緊張するぅ』とかなるかもしれないじゃんか! 慣れていた方がいい事もあるのよ!」

「それ俺の真似か? 0点。というかキスってさ唇以外でもいいの?」


 しまった! 余計なことを口走った!


「だめよ! 誓いのキスは唇以外にないわ! 例えあったとしても私がそれを拒否します!」

「拒否を拒否する!」


 むむむむむむむっ!



 ——なーんて、そんなことじゃ諦めません!



「挙式の準備ってぇ~、誰がやったんだろうなぁ~?」


 ジト目で緑の目を捉える。


「……あ、えーっと、二人でやりませんでしたっけ?」

「招待状って、緑の親族まで書いてやったのって誰だったっけぇ~? ねぇ? 誰だった? 言ってごらんなさいよ」


 そう。私はこのために文句を言いながらもちゃんとやってきたのだ。てのは、嘘なんだけど。

 この約3ヶ月、緑と暮してたくさんの事を知った。

 彼は押しに弱い。そして自分に非があると優しくなる。

 それに何やかんや私の言うことを尊重してくれる。

 ここは引けないし、曲げられないのだ。

 29歳の主張だ。


「……ぐっ」


 ほぉーら、何も言い返せない。私の勝ちだ!

 と、思っていたのも束の間。緑は反撃に出てきた。


「あの日、迎えに行ったのは瑞希が心配で、瑞希のためだったんだけどな……迎えに行かなければよかったのかな……」


へっ……? 


「雨の中さ、必死に探して、階段からも落ちて、走り回ってさ。すごく心配したんだよな。でも今となっちゃあ、こうだもんなー」


 ずるいずるいずるい! その話はもう終わりだよ! 完結したじゃない! 終わったの! ほじくり返さないでよ! すごく反省してるんだから! 


「くっ……。な、な、な、なら、いっ一歩近づく努力とは?」

「それはさ、瑞希もじゃないの?」


 劣勢だった自分が形勢逆転できたのが余程嬉しかったのか、ケラケラと笑い始めた。

 私が巨人で小人の緑を見下ろす立場だったのに、みるみる私の体は縮んでしまい、緑より小さくなってしまった。今度は私が見上げていた。


「うぅ……ぐすっ……ずるいよぉ……」

「ちょっ!? 泣くことないだろっ?」

「だってぇ、緑が意地悪言うんだもん……」


 流れる涙を拭う。(嘘)


「ごめんって、俺が悪かった! そうだな俺が悪いな! 練習しよう! 確かに本番ミスとかありえないよな! 何事もやってみるのが大事だよな!」

「今……してくれるって……言ったぁ?」

「うんうん。練習するから」

「言質取ったからね! じゃあ早速練習しよう!」

「なっ!? お前!?」


 ふっふっふ。こういう時、女の涙は最強の武器なのよ! 


「言ったもんね? 約束は守るよね?」

「撤回だ! ナシ! ナシナシナシ!」

「あれれぇ? おかしいぞぉ?」


 私は持っていたスマホをフリフリと緑に見せつける。


「おまっ! 悪賢すぎるぞ……そこまで普通しないからな……」


 緑は状況を悟ったのか、頭を抱えて大きなため息をついた。


「とりあえず一回聞いとく?」


 ここまでは想定内。

 だから私はスマホを片手に持ち、予めボイスレコーダーを起動させ、録音しておいたのだ。

 言い逃れさせないために。


「聞かないわ! もういいよ、すればいいんでしょ。するよ、練習!」

「うん! じゃあまずは入場からね!」

「はぁ? そこからやんのかよ!」

「文句言わない!」


 こうして説得という、半ば強引な練習は始まった。







 瑞希の策略により、挙式の練習をさせられることとなってしまった。

 こいつ用意周到過ぎるだろ。

 狭いワンルームの片隅で腕を組みながら、姿勢を正して立つ。


「ぱぱぱぱーんっ、ぱぱぱぱーんっ! ぱぱぱぱんっ、ぱぱぱぱんっ!」


 よくある演出するのやめろ。

 盛り下がるわそれ。そして中途半端なところで止めるのやめろ。やったなら最後までやり切れよ。


「新郎新婦、入場です!」


 瑞希は新婦であり、BGMであり、司会者らしい。なり切っている。

 口に出してツッコんでやりたいところだが、怒られると分かっているので、余計なことは言わず、黙ることにした。

 好きなようにやらした方が早く終わると思ったし。


「ドアが開きました。ドアまで歩いて一礼」


 わざわざ細かい説明ありがとうございます。

 腕を組みながら、右、左、右、左……と足を合わせて歩く。お互いに一礼をする。

 本来であれば、父親と出てくるのが通常だが、彼女の父は中学生のころに死別したと聞いている。


 なので、ここは母親がすべきだと思った。

 でも瑞希は『私は緑とバージンロードを歩く』と言って聞かなかった。

俺と一緒に入場することは、挙式においても問題はないので良いのだ。

 理由は分からないけれど、彼女がそうしたいならば俺がとやかく言う資格はないので彼女を尊重し、了承した。


「主祭壇まできました。その他諸々が終わりました。はい、誓いのキスです」


 急に端折はしょるな。


「……本当にキスするのか?」

「どうせするもの。一度や二度変わらないでしょ? はい、肩に手を置いて?」


 と、軽く言われても緊張するだろ……。

 初めてキスした時は事故だったから、あまりした感じはしなかったけれど、今回はマジキスだ。マジのキス。何で二回言った? ……とにかく緊張しているってことには変わりない。


「やっぱやめない? ぶっつけ本番の方がいい気がしてきた」

「だーめ。……早くして?」


 そう言って、目を瞑ってしまった。

 肩を掴んだまま、俺は固まる。

 いいのか? 本当にしても……いいのか?


 ——ええい! してしまえ!

 すぐして、すぐ離れればいいだけだ!

 大丈夫。俺ならできる。


「いくぞ」


 狙いを定め、首を少しだけ右に傾け彼女に近づいて行く。

 

 ——点一秒。


 柔らかい唇に触れて、すぐ顔を離した。

 ……ふぅ。終わった。


 やれば出来るじゃないか。完璧な誓いのキスだ。問題ない。


 どやさぁと満足げな顔を浮かべていると、瑞希は目を開けて何か言いたげな表情をした。


「……早い」

「こんなもんだろ」

「違うよ。もっと……だよ」

「いやいや、それはただのキスだろ」

「知らないの? 皆にシャッターチャンスをプレゼントするんだよ。誓いのキスは三秒くらいするものなの」


 嘘だ。そんなわけない。


「じゃあ本番はするからそれでいいだろ?」

「だめ。練習で出来ないことは本番でも出来ない。はい、もう一度」


 練習だからこそ、この程度でいいと思うのだが? しかし、彼女はそれすらも言わせまいと、目を瞑ってしまった。


「……分かった、よ」


 そして再び、さっきより長いキスを実演する。

 挙式では人前。今は瑞希と俺だけ。


 ——一秒……

 ——二秒……

 ——三秒……


 心の中で数を数えて、唇を離していく。

 唇は離れることを拒むように、ゆっくりと端から先端に余韻を残しながら離れていく。

 瑞希と俺は至近距離にいる。まだ離したばかりなので、目を開ければ普段近づかない距離にいるわけで。

 そうして目を開けると、瑞希も目を開けた。

 暫く見つめ合うと瑞希がぽつりと一言。


 それは俺にしか聞こえない声で、熱っぽく艶やかな吐息交じりの声音で、頬を赤く、体温を上げながら。


「——もっと、して……」


 そして俺の唇は奪われてしまう。

 

 きっと俺だけじゃない。

 誘惑に負けるのは、誰にだってあるだろう。

 

 キスをされた俺はそのまま彼女を受け入れるように——長いキスをした。

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