第12話:モノローグは答えを出す

 201号室。

 それは先ほどまで知り得なかった緑の秘密の部屋。

 わざわざ古いこのアパートで2部屋借りる理由が私には分からなかった。

 もっと広いアパートを借りて過ごせばいいのに、どうしてここに拘るのだろうか。

 それはきっと緑が抱えている問題に関係しているのだろう。


 ——彼は言った。


『ありのままを受け入れてほしい』


 きっと過去に何かがあった。その言葉は重みがあった。緑は軽口っぽく言っていたが、あの言葉は本心だろう。ここに住んでいる理由に繋がっているかもしれない。

 でも、私には聞く資格なんてどこにもなかった。だから追及できなかった。伴って、彼もわざわざ聞かれてもない事を言わない。

 私と彼の間には大きく分厚い壁が立ち塞がっている。

 茫然と見上げ、登ろうともしなければ、長く続く壁の終わりを見に行こうともせず、ただその場に立ち尽くしているのだ。


 与えられた環境を、自分で作り出した環境をただ平然と過ごし、偽りの中でいつかは来るその別れを待つだけ。何も難しい事ではない。けど——

 ——だけど、嫌だ。嫌になってきた。


 このままの関係で別れるなんて嫌だ。

 もっと知りたい、もっと知っていたい。たくさん話したい。

 こんな気持ちなんだよとかたくさん知ってほしい。これはわたしのわがままでしかないけれど、何も知らずにさよならに向かって歩いて行くのは嫌だ。


 私は緑の事を何も知らない。

 同じように緑も私の事を知らない。いや、知ろうとしてくれていない。

 私自身も言おうとしない。過去に何があったなんて興味ないと決めつけて、口は堅くガムテープを貼り、話すのを拒む。

 緑の歩み寄ってくれる気持ちは行動で示していてくれていた。


 ——でも違う。

 違わないんだけど、違うのだ。

 私がしてほしいのは心の問題で。言葉にするのは難しい。なんて言うのか分からない。


 好きになって欲しい。とはまた違って。

 なって欲しいなんて傲慢で強欲でしかない。だけどそれに近い感情を持っているのも事実。都合のいい事ばかり考えてしまう。

 私は彼の隣に居たいのかもしれない。隣にいるのは私だって思っていたいのかもしれない。


 結局、いつも答えは間違っていてゴールのない道筋を手探りで歩いている結果だ。

 与えられたレールの上を歩くのは簡単で、でも良いことではない。飲み込んでこうあるべきだと決めつけて、気持ちを隠して取り繕っているに過ぎない。

 だから私はそんな生活は嫌だ。最後まで隣に立っているのは私だと。

 なのに——そう思っているのに、いつもいつも考えていることをぶつけることもせず、逃げてばかりなのだ。

 嫌になっちゃう。







 ついに瑞希がこの場に足を踏み入れた。

 ずっと最後まで、別れるまで秘密にしようとしていたこの部屋に。

 違う部屋を借りてもこの部屋だけは契約したままにして、週末に戻って来ようと思っていたくらいには部屋の存在を隠しておきたかった。

 なぜならスペックに囚われて判断されるから。過去にそういった経験をしたからこそ、見せたくなかった。

 年収がどうのこうの、車は外車なのだとかの自慢を辺りに言いふらしては悦に浸る。


 ボロアパートを見てドン引き。

 でも蓋を開けてみれば、金を持っていて。

 知った途端、手の平を返して。

 

 最初から外車で迎えに行き、デートをする。

 こうやって金を持っていることをわざとアピールしたこともあった。

 そして住んでいる家を見せたらドン引き。


 長く付き合う事もなく、結局振られる。

 こんな家に住む必要はない。とまで言われた事もある。

 当たり前の様に自分のスペックとして、ステータスとして俺が隣にいるだけで、別に愛されている訳じゃないと知った。


 ボロアパートに住んでいることだけはひた隠しして、立派なマンションに住んでるとか当然のように嘘をつく。

 引っ越ししよ? それで一緒に住もう。なんて同棲を求められたこともあった。付き合って日が浅いのにもかかわらず。

 暗にここでは住みたくないからと言っているのが丸わかりだ。

 確かに部屋は狭いが別に暮らせないことはないだろう。

 ただそれは自分が住むには不相応な場所でしかなく、ここに住んでいるという自分が嫌なだけなんだと深く理解した。


 色んな家を見せられ、家賃は10万越えのマンションやらを見せられた時、この家賃は誰が払うんだ? と問うと、あなた以外に誰がいるの? お金持ってるならいいじゃないとあっけらかんと言い切られた。

 分かる通り、金だ。金でしか俺は見られていない。ATMとなんら変わりないのだ。


 見てほしい中身はそこじゃないのに。誰一人として、見てはくれなかった。

 いつも好きになって、頑張ってデートに誘って付き合ったりしている自分があほらしくなってきた。そんなことばかりを繰り返していく中で嫌気が差し、避け始めた。


 ——だけど、心のどこかで瑞希はそうあって欲しくないと思っているのも事実。


 そんなの理想でしかないのだけど。思ってしまうのだ。

 だから俺は一歩引いた場所から彼女を傍観している。

 結局、自分から踏み出すことに憶病になって、いつまでも進み出せない俺は愚者でしかない。

 本当に嫌気が差す。







 201号室は私達が生活している部屋とは全然違っていた。いわゆるリノベーションされていたのだ。

 間取りは一緒だけれど、部屋の質の違いは天と地ほどの差がある。

 ここ本当にあのアパート? と疑問を持つくらいには綺麗。お風呂やトイレはそのままだけれど。


 広さは変わりやしないのだが、畳だった部屋はフローリングになっているし、壁も土壁ではなく板張りのちょっとお洒落な壁紙が一面に貼られ、他の壁は白を基調とした壁紙になっていた。

 開けてみたらびっくり。外見と内見が全然違う。ここだけは別の家みたいに感じてなんだか違和感。


 そして床を機械音を出しながら動くロボット、ルンパさん。

 自動お掃除ロボットが掃除をしていた。

 私がいない平日の時間帯に動くようにコソコソと掃除をしているかと思うと少し腹が立つ。

 なのでキッと緑を睨みつけると、「志世~、ゲームしよっかー」と言って逃げて行った。


 床にゴミ一つ落ちておらず、リンゴマークの付いたデスクトップパソコンにでっかいテレビ。壁一面に備え付けられている本棚。びっしりと詰まっている。

 中には仕事で使うであろう本が大半を占めているのだが、所々によくわからないタイトルの長い本が並べられていたり。子供が好きなのだろう絵本もあったり。漫画もあったりと種類豊富に取り揃えられていた。ここは本屋か。

 まあここはあくまでも趣味の部屋ね。

 さっき言っていたことは間違ってはいないし嘘をついているわけでもない。キッチンは使われていなさそうだし、生活自体は隣の部屋でしているのは私が来る前からなのだろうと。


「あーちゃん、おかおがこわいよ?」

「あ、ごめんね。少し考え事してたの。おままごとの続きしよっか」

「うん!」


 それから心ちゃんとおままごとをし、志世くんと緑はひたすらゲームをしていた。

 この部屋に来てからというものの、緑と話すことは一度となかった。







 何も言わなかった。

 彼女はこの部屋も見ても、何も。

 言わなかっただけで、睨みつけられてはいたんだけど。

 心と仲良くおままごとをして遊んでくれていたことにホッとした。

 時折、曇った表情を見せていた瑞希にどことなく申し訳なさを頭の片隅で感じてしまう。


 俺達は近くて遠い。

 物理的距離はとても近いのに、心理的距離は遠い。

 まるで今この部屋にいる瑞希との距離の様に背を向け合って、ぽつんと真っ暗な部屋で当てつけの様にスポットライトを当てられている気がした。

 たまに感じる視線に気付いていながらも、俺は無視をしていた。

 もっと近づいてもいいのだろうか。そんな考えが遊びながらも過ってしまう。あの時の瑞希の表情、態度を思い出して。

 志世とのゲームにも集中できず、いつも勝っているのに何回か負けてしまった。


「みどりよわくなった!」

「ボコボコにすると志世が泣くからわざと負けてやってんだよ」

「おれはなかねーし!」

「いつもべそ掻いて、終いには泣きつかれて寝るやつがよく言うわ」

「そんなことねーし! もう4歳になったからなかねーし!」


 後ろをちらちらと気にしながら、志世は強気で言った。

 あー、これはあれか。瑞希意識してるんだな。女の前では格好つけたいやつね。ませてるなぁ。


「はいはい。分かったから次やるぞ」

「まけないから!」


 こうして俺は瑞希と会話もせず、お昼までの時間を過ごした。







 家にある具材を使って子供たちと緑のご飯を作り、食べ終えたところで心ちゃんと志世くんが公園に行きたいと言い始めたので公園に行くことになった。

 公園までの道のりを私は心ちゃんと手を繋ぎながら向かう。

 本当だったらこんな感じで子供が出来て、公園で遊んだりするんだろうな。

 一回りも二回りも小さい手を握りながらもそんな事を考えてしまう。

 隣にいる人は夫に変わりはないのだけれど、私達の辿り着く先には待ち受けてない未来だ。

 虚しくなる。だってあの時に私が無理矢理結婚なんてしなければ、彼だって幸せだったかもしれないし、私もこんな感情を抱くことなんてなかったんだと。


「あーちゃん、だっこぉ」


 くいくいと手を引っ張り、立ち止まってしまった。


「疲れちゃった? はい、おいで?」


 しゃがんで心ちゃんを抱き上げた。……うっ、意外と重いのね……。

 紅紗の子供より年齢も上だから当たり前か。


「みどり! おれも!」

「男らしく歩け」

「いいじゃん。こころばかっりずるい!」

「ばっかりって、特別扱いしてないだろ」

「いいからしてよー!」

「ったく、甘えん坊か」


 嫌々ながらも緑は志世くんを持ち上げ、肩の上に乗せた。


「たかーい!」


 自分の視線とは違う景色を見て大はしゃぎの志世くんは楽しそう。


「なんかパパとママみたい!」


 心ちゃんが今の状況を見て思ったのか、嬉しそうに言った。

 だけどその言葉がすごく胸に刺さった。


「あーちゃんはみーくんのことすき?」

「ええ、好きよ」


 平然とした顔を作り、笑って言って見せる。


「みーくんは? あーちゃんのことすき?」


 質問に反応するように緑はこちらを見て、緑を見ていた私と目が合ってしまった。

 なんだか気まずくなり、視線を外して前を見ることに。


「もちろん大好きだよ」


 その言葉が嘘だと分かっているのに、恥ずかしいし、嬉しい。


「あーちゃんのことだいすきってー」

「そ、そうね。聞こえてたよ。教えてくれてありがとう」

「んー? あーちゃん、おかおまっかだよ? おねつ?」


 ぺたぺたと顔を触って心配してくれるのは嬉しいんだけど、声に出して言うのはやめて……。


「違うよ。ちょっと照れちゃっただけ」

「みーくん! あーちゃんてれてる!」


 報告しなくていいから!

 緑を見ると、どう反応したらいいのか困った表情をしていた。

 そしてその場に居た堪れなくなった私は心ちゃんを抱っこしたまま早足で公園へと急いだ。







「あんまり遠くに行くのはだめ。危ない事も、知らない人に着いていっちゃだめ。あとは仲良くすること。分かった? 何かあったら私に言ってね」

「「はぁーい」」


 瑞希が注意して遊びなさいと伝えると二人は遊具に向かって走り出していった。

 俺と瑞希はベンチに座って、2人を見守ることに。


「ふうー」

「悪いな。こんな突然で」

「気にしなくていいわ。私自身も楽しいし、気も紛らわせれるし」

「……そうか。ならいいんだけど」


 二言話して、会話は終了してしまった。

 沈黙が続き、瑞希は親さながらの視線を2人に送っていた。

 それを阻むように、瑞希に声を掛けた。


「……あのさ、瑞希」

「ん? 何?」

「……悪かった」

「いいのよ。どうせあの子達が来なかったらずっと知らなかっただけで終わっていただけの話なんだから。たまたま知らなくてもいい事を知っただけ。それでいいじゃない」


 意味を分かっていての返答だった。

 口ではこう言っているが、顔はそうは言っていない。どちらかと言えば、拗ねている。いや、怒っているか? まあどっちだっていいけど、不機嫌なのには変わりない。

 それに謝っているのはその事だけじゃない。


「そうかもしれんけど、その、何も聞かないのか?」

「聞いてほしいの? 私にそんな資格あるかな? 聞いてもいいものなの? 結局聞いたところで、じゃない?」


 視線はこちらには向けず、相変わらず子供たちから目は離さない。

 彼女の言っていることは間違ってない。

 聞いてどうしてほしいのか。自分が彼女を見定めたいのか、反応を見て安心したいのか。それとも幻滅してさよならをしたいのか。

 終わりが来るこの関係に必要のない事だと言いたいのだろう。


 ——そんなんじゃないはずなのに。


 だって君は言った。


『私だけが何も知らないのは嫌』と。


 瑞希なら、彼女なら違うかもしれない。そう思わせてくれた。

 だから俺は話したい。

 聞いてどうしてほしいとかじゃない。

 これは俺のただの気持ちだ。

 だから行動したい。

 逃げてばかりじゃダメなんだ。


「聞いてくれるか?」

「私には聞く理由がない。聞いてどうするの。どうしたらいいの?」

「どうもしなくていい。俺が話したいだけだ」


「……ずるいよ。そうやって一歩引いた姿勢で来るのはずるいよ。……私だって本当は聞きたい、たくさん知りたい。知っていたい。だけどその資格はないじゃん。こんな偽りだらけで嘘で固められた私達が近づく必要なんてないのに。でも、それでも私はあなたの事をもっと知りたい。私の事ももっと知って欲しい。……だから……聞きたい……」


 拳に力を込めて、ギュッとズボンにしわを寄せる。やっとこっちを見た瑞希の瞳には少しだけ涙が溜まっていた。


「うん。じゃあ聞いてくれ。ちゃんと、全部」


 そして俺は彼女に全てを話した。







 全て聞いた。

 彼は彼なりに苦労があった事がやっと分かった。

 話は理解できないものではなかった。

 現に金ばかりを目当てにしている同僚がいるくらいだから。

 多分、あの子だったら緑は無理だろう。そして彼女も無理だろう。悪い子じゃないんだけどね。スペックを重視してしまうのは年相応の判断基準なのかもしれない。それが大多数を占めるわけじゃないけど。彼はその、うん。私と同様に女運がないだけで。

 だけれど、私が話を聞いて一番に出た言葉は怒りに近かった。


「勝手に私を判断しないでよ!」


 人に言える立場じゃないのに、キレた。


「あれ、俺怒られてる!?」

「そうよ! その勝手な決めつけに腹が立つわ!」


 人の事言えないのだけれど。


「確かにお金も大事なのは分かる。中身を見てほしいのも思う気持ちも分かる。でもね、そんなことはどうでもいい。私がムカつくのは緑が考えている私の想像に腹が立つのよ! 中身を見てほしいなら、あんたもちゃんと私の事ちゃんと見なさいよ! 信じなさいよ! 自分が見てないのに相手にそれを押し付けるなんて傲慢もいいところよ!」


 私も同じなのだけれど。


「そんな怒んなって……ごめんって……」

「はぁっー。そこら辺の女と一緒にしないでちょうだい」

「すまん。もう一ついいか?」

「何よ!」

「あの部屋見て何を思った?」

「綺麗な部屋」

「あっはっはっは! なんだそれ!」

「なんで笑うのよ! 広いアパートに住めばいいと思ったけど、理由がありそうだったから! それだけじゃん!」


 何よ。むかつく。


「やっぱあれだ。お前で良かった気がする」

「何がよ!」


 立ち上がり、緑は子供たちの方に向かい出した。


「俺が結婚した相手が——で良かった」

「え?」


 去り際に言われた言葉が私の耳には届かなかった——というのは嘘で。ちゃんと聞こえた。


 瑞希で良かった、ってね。嬉しすぎるよ。ばか、緑。

 その時、彼が走って子供達のところへ行ってくれてよかった。



 だってね? 

 今の私は——見られたくないもの。



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