第11話:瑞希は戸惑う
一週間がとても早く感じる。過ぎ行く時間はあっという間。
緑とこのアパートに住み始めてから、もう今日で丁度2週間が経った。
布団の中でそんなことを考えていた。
隣には結婚した相手、文月緑がすやすやと寝ている。上裸で。
この人は本当にパンツ一丁で過ごしていて、2週間も経てば見慣れたもの。
そして私も私で、抱きついて寝ている。これも慣れたもので……何をしているのだろうか。
寂しいから? 心地よいから? 寒いから? ——いいや違う。
これは——
——ピンポーン
家のチャイムが鳴った。
今はまだ7時半を少し回ったばかり。こんな早朝に一体誰だろう。……大家さんかな?
「緑、誰か来た。出ないと。私こんな格好だから出たくない」
自分で言って自分で思った。この人は私よりまともな格好をしていないと。やっぱりこういう時の為にも服を着てもらった方がいいのだろうか……。
「ん~、こんな朝っぱらから家に訪ねて来るやつなんて碌な奴じゃないだろ。無視無視」
「無視はだめだよ。失礼だよ」
「じゃあ瑞希が出てよ……」
「嫌だよぉー」
緑ぃ~と縋る思いで身体を揺らすと、一度鳴ったインターホンは連打され始めた。
止まることを知らないように、ひっきりなしに鳴る。終いには、ドアを蹴飛ばされる。
更に追加で「緑! 起きてるだろ! 出て来なさい!」と怒号が聞こえてきた。
……女の人だ。しかもこの人の名前を呼んでいる。
誰? もしかして、この人なんかした?
「ねえ緑、起きて。あなたにお客さんだよ」
自分ではそんなつもりないのに、発された声音は自分が思っているより酷く低かった。
「ほっとけ……」
そんな簡単に言う状況じゃないでしょ。聞こえてるよね? この声が。
もう! こういうやつだったのすっかり忘れてたわ!
鳴り止まないインターホンのチャイムにイラつきながらも身体を起こして、パーカーを軽く羽織り玄関を開けた。
「どちら様ですか!? こんな朝っぱらから!」
開口一番怒鳴りつけてやる。
「こんにちは」
「……っ!?」
扉の向こう側にいたのは、綺麗な女性と2人の子供だった。
「こっ、こんにちは……」
あ、愛人っ!? も、元嫁!? 緑ってバツイチ子持ちだったの!? いやいや、そんなことがあったら情報としてもらっている筈だ。
「どうも」
ニッコリと笑った彼女。だが、その瞳の奥は暗く淀んでいるように見えた。
「心、志世、緑を叩き起こしてきてちょうだい」
2人の子供は「はーい!」と手を上げて、私が支えている扉の手の下を潜り家の中へと入っていってしまう。
「あっ、ちょっと……」
「いいのいいの」
「いや、良くないでしょ!? というかどちら様ですか!?」
「ふふっ」
目の前に立つ彼女は口に手を添えながら笑みをこぼした。何がおかしいのか私には理解できない。分かる事はきっと彼女は——緑にとって大切な人。
——チクリと痛みが走った。
「あなたが噂の緑の奥さんね」
私を見極め、見定めているようだった。まるで鑑定されているような感じ。
だから私は言い切る。
「そうです、私が緑の妻です!」
キッと睨みつけ、さながら敵対心を剥き出す。
「嫌だもうっ! そんなに敵対心抱かないで? あなた何か勘違いしているわ」
「はい?」
「良かったね。元嫁じゃなくて——私は緑の姉よ」
彼女の言葉に脳が処理に追いつかない。元カノでもなく、姉。愛人でもなく、姉。元嫁でもなく、姉。こんな簡単な事なのに、処理しきれずにへにゃりと腰が抜けてしまった。
「ちょっ、大丈夫?」
「……はい。すいません。ちょっと安心したというか、何というか。安堵感? ……ですかね」
私はホッとしている。なんで——なんで私は安心しているのんだろう。
「ママー! 緑起きたー!」
「こんのクソガキ、呼び捨てすんな! みーくんだろぉ! このやろう」
「きゃー、あははは」
「やっと起きたのね。あのアホ。はい、ほら立って?」
お姉さんから差し出された手を取って立ち上がった。
緑は子供をくすぐってキャッキャッと何やら楽しそうにしている。こっちの身も知らずに。あの馬鹿たれめぇ。というかあいつお姉さんって気付いてたでしょ! 言いなさいよ! もう!
緑に対するイライラを我慢しつつ、お姉さんを家に上げた。
そしてそこで気付く。私は今すっぴんで、頭もボサボサで、だらしのない寝巻きを着ていることに。
急いでタンスかっら服を取り出し、「すいません。着替えます」と一言告げ、パーテーションに隠れて着替えていると——
「あ、お姉ちゃんのパンツピンクー!」
お姉さんの子供がパーテーションを覗き込んで、私に指を差しながら大声で言った。
「ひゃっ!? ちょ、ちょっと、しぃー!」
穿きかけのズボンを上げずに、人差し指を立てて制止させる。
「こら! 志世! 何やってんの!」
「ごめんなさーい!」
本当にクソガ——おっと、これ以上はだめ。我慢我慢。
ササッとズボンを穿き、パーテーションから出て、お茶を用意した。
それから、なぜお姉さんが今日ここに来たのかを理由を聞く運びとなった。
♢
朝っぱらから本当に碌でもない奴らが押しかけて来た。あのインターホン連打とドアを蹴る感じで誰か速攻で分かった。だからこそ俺は出たくなかった。理由はわかっているから。
彼女は俺の3つ上の姉。
そして茜の上に座っているのが弟の
一姫二太郎。子育てするにあたって、理想的な順番と言われている。何故だかは知らんけども。
「で、がきんちょ共々連れ立ってきた来たという事は、そういうことだよな?」
「ええ、緑が考えている通りよ」
今までもこうして何回か連れてくることがあった。なのでお察しの通り、今日はこいつらのお守りをしてほしいというところだろう。
母に頼めばいいのに、いつも俺の所に連れて来る。まあ俺自身もがきんちょの事は嫌いじゃない。寧ろ大好きだ。生意気だけど、やっぱり子供は無邪気で可愛いもので。
何やかんや子供も俺を好きでいてくれるはず。そう思っていたいという願望が強いだけなんだけども。
机を間に挟み、俺と瑞希が並んで、正面に茜と志世が座った。
「とりあえず改めて紹介する。俺の妻の瑞希です」
「初めまして、瑞希です。先ほどは情けない姿を見せてしまって申し訳ございませんでした」
「気にしなくていいのよ。突然押しかけたのは私なんだから。逆にごめんね?」
茜は頭を下げて、向き直すとそのまま言葉を続けた。
「私は緑の姉の
「はい。仲良くなれるように頑張ります」
「お願いします」
「さ、自己紹介を終えたことなので、今日はよろしくね。緑、瑞希ちゃん」
こうやって毎回毎回、急に連れて来られるのが嫌なんだ。前もって連絡をくれればいいのに。
「この子達の面倒を見ればいいんですか?」
瑞希は言葉の意味を理解しながらも、神妙な面持ちで茜に問い尋ねた。
「うん。そういう事になるわ。一緒に住んでるとまでは聞いてなかったの。突然で迷惑かけちゃうけど、お願いできるかしら?」
「も、もちろんです」
「俺からも謝るよ。ごめんな。こんな急で。茜、これからは連絡くらい入れてくれ。俺達にも都合があるから。毎回毎回、二人の面倒見れるわけじゃないし。瑞希だって驚くだろ」
「本っ当にごめんっ! 急用が入っちゃったの……。気を付けます!」
手を顔の前で合わせ、深々と頭を下げた。
「大丈夫ですよ! 任せてください!」
本当か?
ふんっと力こぶを見せつける瑞希は少し無理をしているように見えた。
「瑞希ならきっと仲良くなれるさ。な、心?」
「うん!」
心は無邪気な笑顔を見せ、嬉しそうに瑞希を眺めていた。心は純粋に仲良くなりたいと思っている感じがする。
それを見た瑞希も自然と笑顔が出ていた。これで少しは安心できただろうか。
「心ちゃん、よろしくね。私の事はみーちゃんって呼んでね?」
「みーちゃん?」
「おい、それはだめだ。心は俺の事をみーくんと呼んでるんだ。だからだめだ」
「何よ! 別に一緒だっていいじゃない。名前の頭文字一緒なんだから!」
だめに決まってんだろ! 俺の特権だ。
「だめだ。お前はあーちゃんにしろ」
「何でよ!」
「旧姓が蒼井だからだよ」
「ああもうっ! 分かったわよ」
「じゃあ心ちゃん、私はあーちゃんね?」
ふぅ。俺の特権は何とか守られた。
「あーちゃんとみーくん!」
「うん。そうそう! 志世くんもあーちゃんって呼んでね?」
「みずき!」
こいつは言う事を聞かない。俺が何度もみーくんと呼べと言ってきたのに、一度も呼ばれたことはない。だから言うだけ無駄だ。
「うん。瑞希でもいいよ」
呼び捨てされても彼女は気にもしていなかった。逆に名前の方がしっくりきているように感じる。
「この部屋じゃ子供たちもつまらないだろうから、隣の部屋に連れて行ってあげれば——」
「んっっんー!!」
派手に咳ばらいをし、咄嗟に姉の言葉を遮った。
急に爆弾投下するのやめてもらえますか!?
「……隣?」
「あ、いや、何でもないけど……?」
瑞希の目は鋭く、今にも刺されそうなくらいな
「え? 緑は201も部屋借りてるの知らないの?」
終わった……。
「緑、ちょっと表出よっか?」
「瑞希……さん?」
笑顔なのに怖すぎる……。
「いいから出なさい。茜さん、ちょっとすいません」
「あれれ、もしかしてやっちゃった?」
瑞希に手を取られる前に、心を上から降ろし、俺は引きずられる様に外へ連れ出されていく。
「みーくん、あーちゃんにおこられるの?」
「そうだよ。ちょっと行ってくるね? 泣いてたらよしよししてね?」
「うん! よしよしするー!」
そんな天使な笑顔で言われたら意地でも泣いちゃう。
♢
「どういうことかしら?」
ああ、本当に怖い。その笑顔、怖い。
俺が隠して、嘘ついていたから悪いんだけど……滅茶苦茶怖い。
「あなた、隣は誰も住んでないって言ったわよね? どうして嘘つくの? 私ちょっと悲しいかも」
「ごめんって、そんなつもりじゃくて……その、あれなんだよ。趣味というか、仕事部屋というか……」
「仕事って何さ。あなたはサラリーマンでしょ?」
声音はとても冷え切っている。
「ほら、あれだよ。Webライターって言ったよね? それだよ」
「そんなのわざわざ部屋借りてまでやる必要あるの?」
「仕事とプライベートは分けるタイプなんだ」
ドヤって言い切ると、頭を叩かれた。
「ドヤってんじゃないわよ! 隠さなくてもいいじゃない……私だけが知らないってすごく嫌だ。私はこれでも……あなたの奥さんなの。隠し事はやめて……」
段々と声は小さくなり、俺は酷い事をしたと実感してしまう。
外見が歪だからこそ、中身はしっかり伝えるべきなのかもしれないと、こうして瑞希の悲しそうな顔を見て思った。
「ごめん……」
「嫌だ」
「本当にごめん」
「じゃあぎゅって抱きしめて?」
「なんでそうなるの!? 全然関係ないよね!?」
「何? あんた今私に口答えしてるわけ? どの立場から物を言ってるわけ?」
「すいません。します」
瑞希の要望通り、身体を引き寄せ包み込む。……まじで何やってんのこんな朝っぱらから。馬鹿じゃないの。
でも彼女はズズッと鼻を啜っていた。その行動が何を意味しているか、俺は分かっているつもりだ。
少しこもった声で、そのままの体勢で、もう一つ、念には念をともう隠し事はない? と聞いてきた。
「……あります」
「怒らないから言って?」
「……もう一台、車を持ってます」
「どういう事?」
俺達は抱き合いながら会話を続けていく。
「そのままの意味なんですけど……」
バシッと背中を叩く。痛いんですけど。
んんん~~! と声にならない声で早く答えろと身体を跳ねさせる。
「外車を一台、持っています」
「……なんで隠していたの?」
「それは……ありのままを受け入れてほしかったから、かな? 分からん」
「何それ……もう、ない?」
「もうない。これで許してくれるか?」
「嫌だ」
「なぜ!?」
これ以上に何もない。これが全てだ。もう何も出てこないぞ。
「最後にぎゅって力込めてごめんって謝ったらいいよ」
「なんだそれ……でも、まあ、あれだぞ。今回だけだぞ」
「だからどの立場で言ってんの?」
「すいません」
言われた通りに、ギュッと力を入れて耳元で「ごめんね」と囁いた。
「……許す」
こうしてなんとか俺は許してもらうことができた。
離れた後、彼女は顔を真っ赤にさせ、そそくさと部屋に戻って行った。……情緒不安定か。
そして俺は少し時間を空けてから家に戻りましたとさ。
——めっちゃ恥ずかしかった。
♡
何やってるんだろう何やってるんだろぉ!!
私ってば、何を!?
『ギュッてして?』
はぁ? きっも! 私めっちゃきもい!
んぁ~~~~!!!
「おかえり。ラブラブね? いいわね、若いって」
家に入るや否や、茜さんがニマニマとしながら寄ってきた。
「いや、そうでもないですよっ」
「顔真っ赤よ? 嘘はよくないわ」
「いや、そうじゃなくて、違わないですけど——違いま……すよ」
「まあ事の顛末くらい知ってるわ。私そろそろ行かないと。はい、これ。私の連絡先だから登録しておいて? いつでも話なら聞くから、頼ってちょうだい。私はあなたのお姉さんなんだから……一方通行は辛いね」
すれ違い様にぽんぽんと肩を二回叩いて行く。
「えっ?」
「じゃ、私は行くから! 子供たちよろしくね! 夕方には迎えに来れると思うから!」
そう言って慌ただしく玄関を出て行った。緑も遅れて家に入ってきて、はぁ~と大きくため息をついた。
茜さんは知ったような口ぶりで、私達の関係を見抜いている気がする。それと一方通行ってなに? 言い逃げされた気分でもやもやしてしまう。
「あーちゃん! あそぼぉー!」
「あ、うん。そうだね。何しよっか?」
「おままごと!」
「いいよ! じゃあ隣の部屋でやろっか!」
「おい。なんでそうなる」
「みどり! おれもとなりがいい!」
ナイス志世くん!
「はぁぁ、わーったよ。行けばいいんだろ……」
「じゃあ、皆でれっつごー」
高く拳を上げると、子供たちは倣って同じように拳を上げた。
「「おー!!」」
秘密の部屋に入れる。
——ちょっと楽しみだ。
でもあれかな? 汚なかったりしないかな?
***
あとがき
こんばんは、えぐちです。
すいません、ちょっとタイトル変更しました。
それだけです。
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