第10話:二人の感情は……

 週末、いつも起きるとくっついて寝ている瑞希が珍しく早起き——最近は瑞希の方が早起きだな。

 彼女は俺の出した条件を普通にこなしてくれているのだ。朝昼晩、しっかりとご飯を作ってくれていた。


 ってのは置いといて、目を覚ましているけど、目も開けずに二度寝をしようと態勢を横向きに変えると、瑞希が揺すって起こしてきた。


「準備して」


 まだ起きたばかりなので、意識はぼんやりとしている。だから何の準備をするのだ? と思いながらも背を向けたまま眠りに向かう。


「起きないと……耳をはむはむするよ?」


 その言葉を聞いた俺はズズズッと布団の中へと潜った。


「ねーえ! 起きてるじゃん! おーきーてー!」


 うるさい、やかましい、近所迷惑。静かにしろ28歳。


「おきてー、朝! 朝だよぉう!」


 あまりにもしつこいので、重い体をゆっくりと起こした。


「……」


 起き上がったものの、目は開かない。


「早く準備して?」


 目を擦りながら小首を傾げるていると、両手を肩に置いてさっきの倍の力で揺さぶられた。


 かっくん、こっくん、かっくん、こっくん。


 リズムよく首がもげそうになるくらいに前後へ頭が振られる。

 段々と鮮明になってきた意識。

 寝起きで出ない声を振り絞って出した。


「おぎ……たがら……やべて……」

「ならよし!」


 タンッと軽快な音を鳴らして肩を叩いた瑞希は立ち上がってキッチンに移動していった。


「もうすぐご飯できるから、その間に着替えて、ちゃんと目を覚ますことー」


 こちらに背を向け、鍋に入ったみそ汁らしきものをかき混ぜ始めた。


「……ぶぁい」


 適当な返事をして瑞希の隣へ立つ。蛇口の栓をひねって水を出した。ジャバジャバと流れる水を手の平で受け止め、顔を洗っていく。

 ……冷たい。でもおかげで目は覚めた。


「はい、どうぞ」


 瑞希から顔用のタオルを受け取り、雑把に顔を拭いた。


「あんがと」

「どういたしまして。それにしても髭すごい伸びたね。すごく似合ってる。ワイルドだ」

「オーランドブルームを目指しているからな。あんな感じの大人の色気ってのに少しは憧れるものだ。ただな、俺は髭の調整とか手入れがめんどくさいから、結局ただの無精ひげになるのがオチだ」

「そこまで伸ばしたなら少しくらい頑張りなさいよ! せっかくかっこいいのに」

「おい、さっきから聞いてりゃ褒めに褒めまくってくるな。煽ててんのか? それともなにかやましい事でもあんのか?」

「え? 別に? 何もないけどぉ?」


 ひゅーひゅーと音が鳴らない口笛を吹く。顔もどことなく嘘をついている顔だ。下手くそか。あからさますぎるだろ。


「聞こうか。今日は一体どこに行くつもりだ」

「……それは言えない」


 目を逸らして、先ほどかき混ぜていたみそ汁をまたかき混ぜ始めた。そんなにかき混ぜても味は変わらんだろ。……そこまで隠したい——確実に俺の嫌がる場所なのは間違いないだろう。果たして、どこに連れていかれることやら。


「怒らないから言ってみろ」

「絶対に怒らない?」


 上目遣いであざとくしているが、残念。俺には通用しません。


「あぁ、怒らないさ。俺は優しさの塊で作られている男だからな」

「約束ね? 何があっても怒らないのと絶対に拒否しないこと」


 さらりと条件を追加して来たぞこの女。という事はだぞ? 絶対に嫌な場所だ。うん、間違いない。


「怒りはしないが、拒否は内容によっちゃするかもな」

「じゃあ言わない」

「言いなさい」

「嫌っ!」


 プイッと拗ねるように顔を横に向けた。だがしかし、抵抗は無駄。なぜなら俺には秘策があるからだ。


「俺は脇腹が弱い事を知っている」


 両手を広げ、そして指をくねくねと動かして見せる。


「ひっ!? 待って! それはセクハラよ! セクシャルハラスメント! 場合によっては性犯罪に近しいことよ!? 知らないの!?」


 おたまを持ったまま、一歩後退る瑞希。


「何を今さら……俺達はお互いにまさぐり合った仲だろ」


 一歩詰める俺。


「なんか語弊がある! 私はまさぐった事なんてない!」


 まさぐった事はないかもしれんけど、お前はいつもおっぱいを背中に押し当てて寝てる事をご存じですか?


「それと俺達は夫婦だろう?」

「こんな時ばかり都合のいい事を……」


 また一歩後ろに下がるが——残念でぇしたぁ、もう壁でぇぇす! この家はワンルームなのをお忘れでしたかぁ? 狭いんですよぉぉぉ?


 いつもはやられっぱなしなので、このくらいしてもプラマイゼロだろ。


「さあ、もう逃げられないぞ。ふっふっふっ」

「顔が変態のそれになってる!? 変質者はここです! おまわりさんっ!」

「両隣の部屋は空き部屋だぞ? どれだけ騒いでも君はもう逃げられない。助けも来ないし、抵抗も出来ないんだぞ? 観念するがよい」


 持っていたおたまを顔の前に出して、脇を締めおたまに隠れるように目を瞑った。


 ……あれ、なんかちょっと可愛いく見えるんですけど……。


 いやいやいや! ないないない! これはきっと錯覚だ。間違いなく幻覚を見ているだけだ。

 そして更に一歩近づいて、瑞希に聞こえる声で「こしょこしょこしょ」と声に出した。


「——ひゃんっ!」


 瑞希は変わった声を上げた。


「って、俺まだ何もしてないんだけど」

「こ、声に驚いただけよっ!」

「んで、まだ言わないつもりかな?」

「言わな——ひゃんっ! 言いますっ! いいましゅからぁ!」


 こちょこちょと脇腹を掴むと、やっと観念した。少しだけ胸を触ってしまったのは、こいつが暴れたからで、決してわざとではない。むしろこいつが悪い。


 瑞希は、はぁ~とため息をついてから言葉を続けた。


「結婚式場に行く」

「断る」

「ほらあ、そう言うと思ったから言いたくなかったのよ!」


 知らないまま連れてかれる方が嫌なんですけど?

 そもそも、だ。なぜ急に結婚式場に行こうと思ったのか、明確な理由を教えてもらわなければこちららとしても納得がいかない。

 一歩近づく努力をしてやらんこともないし、それを引き合いに出してくるのも分かってるからこそ、その理由を問いたい。


「どうして結婚式場なんだ? 俺はしなくていいと言ったはずだけど」

「あれ? 聞いてないの?」

「何を、誰から?」

「私達の母親たちからよ」


 ふーむ、おせっかいぶっ飛びババアの差し金か。


「何を言われたんだ?」

「そうね。話してあげるから、とりあえず、ね? この状態から解放してくれないかしら?」


 俺と瑞希は壁際で、壁ドンに近い形で向かい合っている。壁ドンをしているわけじゃない、いつでもくすぐり攻撃を出来るように構えているだけで、ときめく要素は何処にもない。

 少し頬を赤く染めながら言ってくる瑞希はどうやらドキドキしてるらしい。ここで一つ俺はある事を思い付いた。


「ちょっと目を瞑ってくれ」

「な、なにをする気かしら!?」

「いいから」

「わ、分かった……変なことしないでよ?」

「しないしない。俺はここまで瑞希と寝てきて一度たりとも襲った事がないんだぞ? そんなに信用がないか?」


 ムラムラしたって俺は抑えてきた。当たる胸がふにふにしてたって、抑えてきた。俺は理性の化け物だ。他の男だったら確実に襲われてるからな。多分、それを分かっててやってるんだろうけど。


「確かに……ある意味自信さえ綺麗に削ぎ落すという事も理解してほしいところなのだけれどぉっ」


 目を瞑りながら言った。


「それは襲ってもいいって捉えてもいいんだな?」

「そうは言ってない。でも今の言葉で十分だわ」


 さて、顔を近づけましょうか。


「まだ?」

「まだだよ」

「ん? 近くない? 近いよね!?」


 そっと壁に手を置き、肌と肌が触れ合うところまで顔を寄せる、そして——


「フゥッー」

「ひゃぁぁ!」


 瑞希は奇声を上げ、左耳を触りながらへにゃりと座り込んだ。


「なななっ、何してんのよ!?」

「耳に息を吹きかけただけだけど?」


 ちょっとした悪戯をしてやった。いつもやられてばかりだから、ちょっとした仕返し。

 座り込んだ瑞希はこちらを見上げて、ぷるぷると小刻みに震えながらも、何か言いたげな顔をしている。


「たまにはこうして見下すのも悪くないな。滑稽滑稽。だっはっは」

「調子に——乗るなぁぁ!」


 おたまが俺のお玉にクリーンヒット。


「はうぅぅぅ~」


 膝から崩れ落ち、瑞希の胸に顔がダイブ。……あ、柔らかい……。


「え、ええ、ええええ!?」


 瑞希がテンパってるが、俺は痛みでそれどころじゃない。男の急所を狙うのは反則だろぉ。


「ごめん! そんなに痛かった!?」


 男の一番攻撃しちゃ駄目なところだから……。子供が出来ないあそこになったら責任とれよ……。あ、それ以前の問題だったわ。

 そのまま瑞希の胸に顔を埋め、よしよしと頭を撫でられ、俺が惨めになってきた。

 これからおちょくるのはやめよう。自分が痛い目を見るから。







「本当ごめん! つい勢いよく叩いちゃった」

「あれは叩いたじゃなくて、殴ったの方が合ってる気がする。あー、なんかまだじんじんする」


 こうして緑が喋れるようになるまで、5分くらいかかった。

 悪い事したと思うけど、自業自得よね? 先に仕掛けてきたのはそっちなんだから。


「まあでもあれだ。瑞希のおっぱいでチャラだな」

「なっ!」

「意外とあるんだな。見た事あるけど」

「もう忘れて! いつまでも記憶の片隅に残しとかないでよ!」


 言わなくてもいい事を一々口に出して言うな!


「いやいや、無理でしょ。俺男なんだし」


 顔の前に手を上げて真顔で横に振った。


「もういいから! 本題に入りましょっ!」


 彼はあそこを揉みしだきながら、そのまま言葉を続けてどうぞという顔をした。

 話したいのだが、揉み揉みされているあそこ目が行ってしまう。気になって仕方がない。


「ちょっとその左手! やめなさいよ! 人前でやる事じゃないわ」

「気にしなくていい。続けてくれ」

「気になるのよ!」

「はいはい。やめたやめた」


 ゴホンと一つ咳ばらいをして、気持ちを切り替えをして話を始めた。


「私達の母達が言っているのは、ケジメの為にもしっかりと結婚式を挙げろということ。私も前に同じことを言ったよね? 母達も結局同じなの。心配なの。私達は付き合いもせず結婚をしたから、心配なの。すぐ別れるんじゃないかってね。だから親族の前でしっかりとその意志を見せてほしいってところじゃないかしら」

「ケジメね。間違った事は言ってないけど、本当にするの? 結婚式って結構お金が掛かると聞いているけど。それにいつやるんだ? 準備に時間も掛かるんじゃないのか?」


 質問が多い。


「お金は結構するけど、安心して。私はあなたに全部払ってもらうつもりはしてないから」


 結婚式は基本的に300万くらい掛かると言われている。あくまでも披露宴までして、かなりの人数を呼べばの話。それに私は披露宴までするつもりはない。挙式だけでいいと思っている。


「挙式場はもう決めてあるの」

「そうなの? どこ?」

「名古屋駅にあるところ。今日はそこに行くの」

「これから見て判断してくれって感じか」

「まあそんなところよ」


 意外とすんなり受け入れてくれるので驚いた。もっと嫌だ嫌だと駄々をこねるかと思ったのに。


「やる事に反対はしない。ケジメとして認めてもらえるなら構わない。ただ、俺は友達が少ないから人数呼べないぞ?」

「挙式だけでいいから、その心配は杞憂よ」

「披露宴はしないって事か?」

「その通り。披露宴をやるとなると、私達のプロフィールやら何やらを作らなくちゃいけなくなるし、付随して写真だって必要になってくる。よく考えてみて? 私達交際0日婚だから写真なんて一枚も撮った事ないし、どっかに遊びに行ったとかもない。だからめんどくさい事はやめましょ。ケジメとしてなら挙式だけで十分だわ」


 ふむふむと頷いて納得の模様。

 彼なりに考えていてくれるのはありがたかった。私だけじゃない、か。


「分かった。それでいい。瑞希が言ってる事はごもっともだしな」

「じゃあパパッとご飯を食べて行くわよ」

「りょーかい」







「待って!」

「んだよ」

「着替える前にどんな服を着ようとしてるか見せなさい」

「言わなくても分かってるって、にゃんださんはダメなんだろ? だからワンポイントのにゃんださんを着る」

「全然分かってない!?」

「ワンポイントならいいだろ。細かいな」

「細かくない! もっと自分に関心持ちなさいよ! それ本当にダサいから!」


 この人は自分に無関心すぎる。顔に合ってないのよ。でもちょっとギャップがあって可愛いのだけれど。それでも流石にダサいんだってにゃんださは。にゃんださんじゃないって教えたのに、頑なににゃんださんって言うし。


「今度私が服買ってきてあげるから。本当にそれやめて」

「まあそこまで言うなら……金は払わんからな。誰もおねがいしてないし」

「払えって言ってないでしょうが!」

「ぴーぴーうるさいな。小言ババア」

「あー! 言っちゃいけない事言った! 私はババアじゃないし! まだぴちぴちの20代だし! あんたこそだらしないおっさんじゃない!」

「うむ、否定はしない」

「しなさいよ!」


 呆れる。やれやれと両手をひらひらとさせ、着ていた服を脱いだ。私も同じ気持ちだよ! 

 無地のTシャツを着始めて、ふと思う。この人わざとダサい服を着てない? と。

 だって結局着替えるなら最初から無地を着ればいいだけの話で。


「ねえ、わざとにゃんださを着てるの?」

「当然だ。瑞希ににゃんださんの良さを知ってもらう為にとりあえず一回は着るようにしている」

「無駄な努力をするな! 良さなんてこの先ずっと分からないわよ!」

「チッ。……いつか必ず着させやるからな」

「着ないわよ! 何で私が着るのよ!」

「うるさいな。さっさと行くぞ。小言ババア」

「また言った! あ、待ってよぉー」


 着替え終わった彼は玄関から出て行ってしまう。

 私も荷物を持ち、外へ出て玄関のカギを締めた。階段を降りようとした時に視界にあるものが入った。


「あれ? 201って住んでないんじゃなかった?」

「あ、これな。たまに間違って俺の郵便が隣に入ったりすんだよ」

「へぇ。そうなんだ。郵便局の人はお茶目さんなんだね」

「みたいだな」


 そう言った緑はその郵便を自分の部屋のポストに突っ込んだ。


「んじゃ行きますか」

「はーい!」








 車を走らせ、15分。

 瑞希から聞かされていた結婚式場に辿り着いた。道案内も必要なく、知っているタワービルだった。

 ビルを見上げ、棒立ち。


「こんなところに結婚式場なんてあんのか?」

「あるよ。40階にね」

「まじでか。すげー」

「いいから行くわよ」

「へーい」


 彼女の後ろ姿を見ながら歩いていく。

 これがちゃんとした私服なんだろうな。

 彼女はいつもパンツスタイルで、スカートを穿いている所を見たことがない。会社に行くときもパンツだし。

 スカートではないけれど、お見合いをしたあの日はドレスだったからスカートも似合うのだろうけど。スカートを穿かない意味とかあるんだろうか。


「なあ瑞希」

「どうかした?」


 振り返り立ち止まった。向かい合って話すような内容ではないんだけども。


「あ、いや、スカートとかは穿かないのか? いつもスキニー穿いてるイメージあるけど」

「あら、よく見ているのね。私のこと興味持ってくれたのかしら?」

「そういう訳じゃないけど、何となく」


 ニッコリと笑いながら質問を質問で返されて、自分が何を言ったのか理解してしまい、曖昧な返事しか出来なかった。


「まあいいわ。スカートね。まああんまり穿かないかも」

「聞いといてあれだけど、そっかとしか言えんわ。なんかすまん」


 彼女はお洒落だ。ファッションのファの字もない俺が根拠もないのに言い切れる。こんな人が奥さんで本当に良いのだろうか。俺みたいなズボラで、お洒落もしない、家も汚い、ぼろいこんな俺で良いのだろうか。

 彼女自身は俺の事を好きでも何でもない。俺もそうだけど、やはりこちらとしては申し訳ない気持ちが多少なりともある。だからこそ出た謝罪なのかもしれん。


「謝る必要なんてないよ。興味を持ってくれたと思えば、プラスよ。マイナスにならないように努力するわ」

「なんだそれ」


 思わず吹き出してしまった。

 努力する必要なんてないのに、なぜ君はそこまでして俺との生活に協力的なのだろう。


「じゃあ行こっ?」


 くしゃっと破顔し、手を取られる。


「手を繋ぐの久しぶりねっ。まだ緊張しちゃう」


 俺も同じだ。緊張する。

 あどけない瑞希に心臓が跳ねる。


 ダメだ——ダメだからな。そうやって自分に言い聞かせ、エレベーターに乗り込んだ。







 久しぶりに繋いだ手は大きくて、ごつごつしていた。

 エレベーターに乗り込むまでの短い時間だったけど、すごく緊張した。

 彼には悟られないように誤魔化したが、言葉よりもずっと胸はドキドキと脈を打っており、式場案内をしてもらっている今ですらまだその緊張は解けない。自分でしておいて、こんなに緊張するならやめておけば良かったかも……。


 顔を上手く見られないし、目が合っても話すことが出来なかった。緑は「ん?」とそんな私を見て、はてなマークを頭に浮かべていた。

 でもその緊張もチャペルを見たら吹き飛んだ。


「こちらに立ってください」

「「はい」」


 私達は並んで言われた通り立ち、右に緑、左に私。これは教会式の時のちゃんとした立ち位置らしい。普段から緑の左側に立っているので違和感はない。


「では、いきますよ——こちらがチャペルになります!」


 スタッフさんの掛け声で、大きな重い扉が開けられた。


「わぁぁ! すごい! めっちゃ綺麗!」

「すげーなー」


 白を基調としたスカイウェディングチャペル。

 目の前に広がるのは青々とした空。床に空の青さが反射して写っている。


「めっちゃいい!」

「そうだなー」


 私の興奮具合とは打って変わって緑は冷静沈着。まあ男の人はあんまりこういうのには興味ないものね。当たり前の反応か。


「ゆっくりとお進みください。良かったら腕を組みながらでも」

「ねえ、いい?」

「まじか……まあいいけど。こ、こうか?」


 少しだけ戸惑っていたけれど、腕を組んでくれた。


「すごい綺麗だよ」

「そ、そうだな」


 緊張しているのか、緑の表情は硬い。身体の動きもがちがちだ。今から緊張していたら、本番は持たない気がする。大丈夫かこの人。本番で何かしらやらかしそうなんだけど……。

 それからバージンロードの説明を受け、ちょっとした挙式の流れも聞き、その場を後にした。


「——これで以上になりますが、他に何か聞きたいことや、分からない事はありませんでしたか?」

「あ、ちょっといいっすか?」


 緑がちょこんと手を上げた。

 何を聞くのかと耳を傾ける。


「あの挙式だけ挙げれればいいんですけど、その場合だったら最短でいつできますか?」

「そうですねぇ、今の所は三か月後の七月だったら出来ます」

「瑞希はここを気に入ったか? 他をもっと見て回りたいか?」

「ううん、私はここが良いなって思って見に来たから、ここがいい。緑は?」

「俺は瑞希の希望を尊重する。だからここがいいならここにしよう」

「いいの?」

「うん。いいよ? だってここがいいんだろ?」

「まあそうだけど。なんで最短?」

「早くやる事に越したことはないからだ」


 それただ面倒くさいだけじゃん。


「じゃあここで挙げよっか」

「という事なので、ここでやります。契約という形でお願いします」

「ありがとうございます。ではもうしばらくお時間頂きますが、よろしかったですか?」

「はい。構いません」




 こうして挙式会場は決まり、たくさんの契約書に目を通し、無事契約は完了した。


「瑞希、まだ時間あるし、今日は特に予定ないだろ?」

「え、ああ、うん。ないけど。どこか行きたいの?」


 緑が物珍しく、どこかに連れて行ってくれるみたいだ。驚き。


「忘れてるかも知れないけど、今日はもう指輪完成して取りに行っていい日だろ? 取りに行くぞ」

「あ、そうだった!」

「あんだけ無理矢理連れて行ったくせに忘れてんじゃねーよ」

「ごめんごめん」


 覚えていることも驚きだった。こういうのには無関心だと思ってたから。勝手に一人で取りに行ってこいとまで言われることを想像していたんだけど……。


「ねえ、私勘違いしてたかも」

「急にどうした」

「私さ、こういう事には興味ないと思ってたし、指輪だって一人で取りに行かせれられると思ってた。でもそうじゃなくて、ちょっと変な感じって言うか……その、緑は意外と気が利くんだなーってさ。傘を持って迎えに来てくれたし、優しいんだね」

「褒めても何も出ないぞ」

「素直に受け取りなさいよ!」



 こういう所は相変わらずだけど、それでもちょっと好きになっちゃいそうで。


 ——ダメダメ。私達は所詮、偽物なんだから。


 私が好意を抱けば、この関係は崩れ落ちる。それだけはあってはならない。緑にも迷惑をかけてしまうし、私も困る。


 このまま、このままの関係でいないと。

 そう自分に言い聞かせ、走り出した車の中から——過ぎて行く景色を眺めた。

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