第8話:砕ける

 そして次の日——といきたいところだが、ちょっと待ってほしい。

 なぜ俺はまた瑞希と同じベッドで寝ているんだ?

 なぜ俺はまた瑞希にくっつかれているんだ?

 ねえ、誰か教えて。


 まあ誰かに尋ねたところで、答えを知っているの他でもない、俺だけなんだけども。

 一言でいえば、彼女が布団を持ってこなかった。いや、布団を持っていなかった、のが正解だろう。

 結局越こうして一緒に寝る羽目になったという事である。


 かくして、引っ越しが終わった翌日。

 瑞希が引っ越しを終えた事なので、このアパートの住人に挨拶をしたいと言い出した午後12時。

 俺は引っ越してきたのはお前だけだから、挨拶なんていらないと言ったのだが、頑なに行くと言って俺の話を耳を塞いでシャットアウト。


 仕方なく、行くことになった。

 俺、押しに弱すぎじゃない? と自分の今までの行動を思い返し、全部言われたことを了承していることに気付く。まあ、気付いたところで、何の意味もないのだけれど。どうせ言っても聞かないんだからね。

 そもそも、このアパートには住人も少ないが、部屋数も少ない。理由は言わずもがな、ボロいからだ。

 1階に5部屋、2階に5部屋の計10部屋で作られている。


「まずは隣の201号室から行きましょ?」

「201は……誰も住んでない」

「そうなの?」

「……そうだ」

「今の間はなにさ」

「何でもない。とにかく201は誰も住んでない。203も住んでない。2階で部屋を借りている人は205号室の吉田さんと俺だけだ」

「じゃあ205号室の吉田さんからだね。ちなみに一階は?」

「確かこの部屋の下の102号室は住んでる。でもキャバ嬢やってるねーちゃんが住んでるから昼間は寝てるんじゃないか? 多分だけど」


 102号室に住む、石川ありささんは、俺が引っ越してきた一年後にここに越してきた。

 一度挨拶したきり、会っていない。

 そして、その時にこう言われた。


『私、キャバ嬢やってるから、夜はどんだけ騒いでも、ハッスルしても問題ないからね! 楽しんで!』


 と、謎の発言をもらいました。

 そんなに俺が遊んでる人間に見えたのだろうか。未だに謎だ。

 なので一昨日の夜のように、多少騒いでも問題はない。騒がない事に越したことはないのだけれども。


「なんでその人がキャバやってる事知ってるの? もしかしてキャバ好き? 通ってんの?」


 じとーっと効果音が出そうなくらいの疑いの眼差しと冷え切った声だった。


「この俺が通ってると思うか?」

「どうだろう」

「そこは思わないって即答しろよ!」

「できれば通ってほしくないのだけれど?」

「通わねーよ。通う前提で話を進めるな!」

「ならいいわ」


 何がいいんだよ。通ってたら悪いのかい。通ってないけども!


「んで101号室が大家さんの鈴木助太郎さんが住んでらっしゃる。年齢は65歳のおじいちゃんで、めっちゃ可愛いちょっとエロい人だ」

「そこまで詳しく聞いていないのだけれど? でもまあいいわ。いい人だけど変態なのは十分に理解したよ。エロじじいってことね」

「エロ爺はやめてやれ」


 このすずき荘のオーナーには、予め瑞希と同居すると伝えておいてある。同居するので、もし家賃を上げるのであれば、また教えてくださいと言ったのだが、「あぁ構わんよ。そのままで」と快く了承して頂いた。

 一つだけあることを言われた。他には言われなかったが、一つだけ。


『夜のハッスルはほどほどにな?』


 にやにやとしながら言ってきたのだ。その顔はむしろバンバンしてくれと言わんばかりの含みが入っていた。このエロ爺! 俺は男だけどそれはセクシャルハラスメントだからなと略さずに、分かりやすいように心の中で言っておいた。……やっぱりエロ爺は訂正しなくていいわ。


「それで他の部屋は?」

「いない」

「は? このアパートそんなに住人少ないの?」

「ああ。この見た目だ。こんなもんだろ。住んでるだけすごいぞ」

「それ自分で言っちゃうのね……」


 こうして、順に挨拶をしに、まずは205号室へ。

 はい、いませんでした。

 次が最後です。

 オーナーの鈴木さんの部屋に行き、インターホンを押すと直ぐに出てきてくれた。


「はいはい、こんにちは。鈴木ですー」

「初めまして、文月緑のの瑞希です」


 一々、妻を強調すんな。

 そして声もワントーン上げるな。


「あれまあ、べっぴんさんじゃないか。緑君やるときゃやるねぇ?」

「いえ、そうでもないっすよ」

「べ、べっぴんなんて照れます」

「これからよろしくお願いします。もし騒がしかったら言ってください。すぐに黙らせるんで」

「ちょっと! まるで私がうるさいみたいじゃない!」


 ほら、早速うるさいじゃん。


「おっ、それは夜の事かね? ほどほどにしなさよいよぉ」


 またにやにやとこのエロ爺。はたくぞ。


「はい。ほどほどにしますね」

「当たり前のように答えるのやめて!」


 華麗にスルーを決め込み、挨拶は終了。かと、思いきや。


「あ、そうだ。緑君、201号——」

「あーはいはい! それはまた伺いますね! では、また来ますので!! ほら、瑞希部屋に戻るぞ!」


 素早く礼をして、瑞希に早く行けと背中をぐいぐい押す。


「えっ!? ちょっと今鈴木さんが何か言おうとしてたよ?」

「いいから。お前には関係ないから」

「何よ! 気になるじゃない!」

「多分工事があるんだよ! 工事!」


 何とか誤魔化して、部屋に戻った。








 部屋に戻った俺達は、次なる任務へと向かう。

 それは家具などのが売っているミトリだ。

 いつものようにを走らせ、30分ほどで店に辿り着いた。


「ねぇ、布団なんていらないよ」

「瑞希がいらんくても、俺はいるの。俺が使うからいいんだよ」

「えー一緒に寝ようよー」

「嫌だわ。こっちの身にもなれ」


 肉まんを押し付けられ、脚を絡められ、終いには元カレと勘違いされ。こんな事何回もあって堪るか。鬱陶しいにもほどがあるわ。


「こっちの身ってさ、どういう事?」

「色々あんだよ」

「あー分かったぁ。ムラムラするんでしょ?」

「誰がするか」

「そこはしなさいよ!」


 ペしりと肩を叩かれる。

 ……普通にするから。本人を目の前に言えるかそんなこと。


「今日は布団とパーテーションを買う。それが済んだら即帰宅だ」

「布団はいらないけど、パーテーションはいるわね」


 本来はいらないんだけどな。お前がいても、いなくても。方法は他にもあった。けど、話したくないので黙っておこう。


「布団は高級なものを買う。パーテーションはシルエットが見えるやつがいいな」

「自分だけずるい! そして変態だ! 私の身体が見たいのかしら?」

「前者は本当だが、後者はただの冗談だ」

「何よそれ! 私自分で言うのもあれだけど、スタイルは良いんだからね!」


 ほんとあれだな。


「はいはい」

「むきぃーーー!」




 それから店内を歩き回り、目的の布団を選んでカートに入れる。


「なんかこうしてホームセンタ―に来ると、新婚気分ね」

「何言ってんだ。新婚だろ俺達は」


 新婚。間違いなく新婚だ。何一つ間違ってない。けど……。


「……そうだったね」


 瑞希は視線を落とし、静かに微笑んだ。

 その笑みは、聞かなくても理解できる。そして、同時に俺は余計なことを言ったと思った。


「まあなんだ……その、あれだ。ごめん」

「……謝らないでよ」

「悪い……」

「だから謝らないで」


 何も言えなくなった俺は言葉を飲み込み、黙ることにした。


「もう帰ろっか……」


 頷きだけを返し、買う予定だった布団とパーテーションを買って、家路へと着いた。







 家に着いてから、雰囲気が悪い。いや違う。私が余計な事を言って、緑の言葉を聞いて、ただ無性に惨めな気分になったからだ。自分が悪い。

 緑の言ったことは何も間違えていないし、悪気があって言ったわけじゃないのも重々承知している。

 一人で盛り上がって、一人で盛り下がってるだけ。自分勝手な自己嫌悪に陥ってるだけで。

 緑は気を遣って、車内で話しかけてくれていたが、微妙な相槌に、声になってない返事を繰り返して私が拒絶していた。


「なぁ」

「……」


 私に話しかけてきたのは分かっていたけど、無視してしまう。


「これは独り言だ」


 そう言って彼は言葉を続けた。


「余計な事言った。ごめん。瑞希が考えている事は何となくだけど、分かっているよ。だから謝る。ごめん……それと、俺はこんな状態は嫌だな」


 何にも悪くない。

 これはだから自分勝手な自己嫌悪で……。


「じゃ、俺ちょっと出かけてくる。なんかあったら連絡してくれ」


 え……?

 そのまま彼はどこかへと行ってしまった。

 カンカンと階段を下りていく音だけが部屋に聞こえ、そしてその音も聞こえなくなってしまった。


 愛想を尽かされたのだろう。

 お互い望まぬ結婚。

 それがどんなことを意味しているのか、最初から分かっていたはずなのに。

 私も悪いのだ。勢いで了承してしまったし、彼がやめようと言っても、やめなかったのは私だ。

 今更になってやめようなんてそれこそ無理な話で、もう道は絶たれ、崖になっている。

 お母さんに心配をかけたくない、好きでなくても彼と一緒にいなければならない。それはお互いに。

 来るところまで来てしまっているんだ。


「あぁーあ。私ってめっちゃめんどくさい女だなー」


 空虚な独り言が漏れ、ベッドに倒れ込む。


 ——ちゃんと謝ろう。

 私が謝ってしまえば済む話なんだから。彼はもう謝ってくれた。変に意固地になっても余計に関係にひびが入るだけだし、それで今まで通りの私でいればいいんだし。

 だけど、緑は何処に行ってしまったのだろう。もしかしたら今日は帰って来ないかも……。と考えていたら、玄関が開いた。

 出て行って5分ほどで帰って来たのだ。片手にコンビニの袋を持って。


「ただいま」

「……おかえり?」

「なんだ喋れるじゃないか」


 憎まれ口を叩きながら、フッと笑った。


「……ごめんなさい」

「ん? 聞こえない」


 耳に手をやり、どこぞの議員のように耳を傾けた。……ムカつく。


「だから、ごめんなさいって!」

「なんでキレるんだよ。というか何に対して謝ってんの?」

「わかんない! わかんないけどごめんなさい!」

「ははっ! なんだそれ! でもらしいっちゃらしいかもな。別に俺は何も思ってねーよ。ほれ」


 こちらに歩み寄り、袋から取り出したものを頭の上に置かれた。


「何?」

「モンブラン」

「なんで?」

「ご機嫌取り。餌付けとも言う」

「ムカつく」


 こんなんで私が言う事聞くとでも?


「ま、とりあえず食べて、仲直りだ」

「そんなに私は簡単な女じゃないんだけど」

「じゃあ没収だ。2つとも俺が頂く」

「ごめんなさい! やっぱり食べます!」


 手の平クルクルパーだ。

 簡単じゃん。


「ちょろいなー。でもまあ、俺はそっちの瑞希の方が好きだぞ」

「へっ!?」


 すすす、好き!?


「何照れてんだ。あほか」

「てっ、照れてなんてないし! ばーか!」


 私より、彼の方が実は考えてくれているのかもしれない。

 なんかそう思えてきた。喧嘩じゃないけど、仲直りじゃないけど、彼にとって私がいつも通りであって欲しいと思うなら、私はいつも通りでいいんだ。

 彼がそれを望むなら私はそうすればいい。いつかそれが砕けて、もっと素を見せれるようになっていけばいい。例え無理としても、できるようにやれることをやれば。


「やっぱり没収だ! 残念だなぁ。せっかく瑞希の為に買って来たのなー」

「あっ! ごめんなさいー! 許してー! モンブラン食べたいですー!」


 こうして私達の喧嘩と言う、喧嘩と言えない何かが終わり、何かが砕けた気がした。

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