第7話:寝言
目を覚ますと、目の前に広がるのは見違えるように綺麗になった部屋だった。
そういえば昨日掃除して模様替えもしたんだ。
体を起こそうとするが、何故だが動かない。
長い眠りから目覚めた俺はまだ意識がぼんやりとしていた。
……金縛りか?
いや、違うな。手は動くし、腕も上がる。じゃあなぜ身体がこうも動かないのだ……? ゆっくりと視線を違和感のある腹の方に下げることで、状況を理解した。
4月の朝はまだ冷える。なのに暖かいのだ。特に背中から脚にかけて、そして腹も。
ベッドは小さいおかげで寝返りをすれば、すぐ落ちてしまうくらいに2人で寝るには狭い。だから下に落ちないように彼女を壁際に追いやって寝た。
俺とベッドの端は丁度、
そんな事はどうでもいい。とにかく暑い。
視線を下げ、腹に回された手を見てため息が出る。
瑞希は俺に抱きついて、気持ちよさそうに寝ているのだ。
シングルベッドは狭いので、2人で寝るものじゃないと改めて思う。だからと言って、床で寝るのもごめんなんだが。
昨日はある意味、濃い一日だった。
思い出すだけで恥ずかしい。
って違うわい! なんだこの状況はよぉ!!
なんでこいつは俺に抱きついて寝てんだよ! 俺は抱き枕じゃないぞ。しかも俺の脚の間に脚を入れ込んでくるのはやめてぇ。
俺だって男だ。お前こそもっと俺を男として見やがれ馬鹿たれぇ。
胸もがっちり当たってるし、何なの? ビッチなの?
しかもノーブラかよぉ……。柔らかいんですけどぉ……。全体的にふにふにしてるんですけどぉ。まじで勘弁してくれぇー。
両腕でホールドされているから動けないし……金縛りならぬ、女体縛り。俄然、こっちの方が気分は最高なんだけど。
心を無にし、俺は仏になる。
これは背中に肉まんが当たってると思えばいい。それだけだ。
「おい、起きろ。そして離せ。暑苦しい。肉まんを押し付けるのはやめろ」
「んー」
くそう。この肉まんめ。全然起きる気がないじゃないか。
仕方ない。こうなったら強行手段に限る。
腹に回された腕をほどき、引き剥がす。それから足で、脚をどかして抜け出す。
——しかし、そう簡単にはいかなかった。瑞希は「んー! んっ!」と寝ぼけた声で離れる俺のTシャツを引っ張り、引き戻されてしまった。
「……京介……」
寝言か、彼女は悲しそうな声を出した。
誰だよ、京介って。俺は文月緑だ。
「いい加減にしろ」
腕を振りほどき、ベッドから脱出。彼女は「んあー」と抑揚のない声を出して、またすやすやと眠った。
カーテンを開けて、日差しを部屋に入れ込む。只今の時間は、9時。
引っ越し業者が来るのは……何時だ? そういえば時間を聞いていなかった。それにこいつは俺の家に居ていいのか? どの荷物を運ぶかを業者に指示するのはこいつだろ? こんなところで元カレの名前を呼んでる場合じゃないだろ。
「おい瑞希。起きろ、お前こんな所で呑気に寝てる場合じゃないだろ。引っ越し業者が家にくるんだろ。帰らんと」
身体を揺すって起こす。
「……きょうす——じゃない……ごめん。おはよう」
またもや元カレさんご登場。でもごめんね、俺は京介じゃないから。
「はい。おはよう。俺は緑だ。悪かったな、さっさと起きろ」
「……うん。ごめん」
目を擦りながらむくりと起き上がり、ぺたりと女の子座りをした。
「いいから早く起きて着替えて帰れ」
「そんなに怒らなくても……」
は? 俺が怒ってる? 何に? 怒る要素がどこにある?
「怒ってないから。それより引っ越し業者は何時に来るんだよ?」
「んんと、10時?」
「なんで疑問形なんだよ」
「今何時?」
「9時だ。帰らなくていいのか」
「一旦、帰るよぉー、ふぁああ」
大きくあくびをしながら、ベッドから降りて、俺の目の前に立って腕を大きく開いた。
なんだ? それはオリジナルの伸びってやつ? もしくは毎朝のルーティン?
「何やってんの?」
「朝のぎゅー待ち」
「あほか」
「……だって怒ってるもん……」
「だから怒ってねぇって!」
「怒ってるじゃんー」
いつも通りだ。ちゃんと目を見て話してるし、変わらない口調だ。
「しつこいな」
「はやく、して?」
寝起きだからか、彼女がなぜか艶めかしく見えてしまう。スウェット生地のショートパンツからすらりと伸びた細く綺麗な白い脚に、首回りが緩いはだけたオーバーサイズのTシャツが妖艶さを助長させている。
「なんで、俺がそんなこと——」
「どーん」
倒れ込むように抱きついてきた。昨日の今日でよくこんな事できるな。
「はいはい。よしよし」
観念した俺は頭を撫でてやる事にした。
「うーん。もっと……」
胸に顔を埋め、なおいっそうに撫でろとわがままを言ってくる。
夫婦になって1週間、俺は少しばかり彼女の性格を分かりつつあった。こうなったら最後——やるまで離してくれないし、無理矢理引き剥がそうもんなら駄々をこねる系女子になる。
なので、何も言わずに従うのが一番の最適解。
「……あれ、おかしい……」
してもらっといて、その発言はどうなのだろうか。
「はい、終わり。さっさと準備して帰れ」
「あ、いつも通りだ」
「だからいつも通りだっつってんだろ……」
「そうだね、いつも通りだ!」
それでもまだ離れてはくれず、顔だけを上げてこちらをじーっと見てくる。
「なんだよ」
「家まで送ってくれるよね?」
「嫌だよ、めんどくさい。夜じゃないんだし、帰れるだろ」
夜ならまだしも、この時間だ。危なくもないし、いつも出歩いてるだろ。
「おねがい! 送って? だーりぃん!」
かわいくねーし、逆効果でうぜぇだけだ。
「タクシーを呼んでやるよ」
「旦那タクシーがいいなぁ。助手席は私専用でしょ?」
「んなわけあるか」
「えー違うの? んー、一歩近づく努力とは?」
せっこ! こいつマジで嫌な奴だわ! ほじくり返すな、恥ずかしい事を!
「十分に近づいてるだろ。見ろ、この距離感ゼロ」
「これは私がくっついたからノーカン」
「くっついてきた事を受け入れてやったんだ、それこそノーカン」
「むぐぅ」
頬を膨らませ、ぐしぐしと背中に回された手で、Tシャツを引っ張る。
「はぁ、分かったよ。仕方ねぇなぁ……」
「わーい! じゃあ準備しまーす! あっ! 着替えるから出てって!」
「はいはい」
俺は諦めて肩を落としながら部屋を出た。ここ俺んちだよな?
♡
緑が部屋を出て、私は着替えを始めた。
服を脱ぎ、お気に入りの水色のブラをつける。そしてその上から服を着た。
彼に聞かれてしまった。
完全に寝ぼけてしまって、緑を彼と間違えてしまい、やらかしてしまったよぉ。怒ってたのは多分、間違えたからだ。
夢で見てしまったが故に、起きた事故。誰が悪いって、私以外の誰でもない。きっと嫌な気持ちになっただろうな。
私だってもし緑が元カノの名前を寝言で呼んでいたら嫌だもの。好きじゃないのに、それでも嫌だと思う。だって今いるのは私だし。
「やっちゃったなぁ」
誤魔化すつもりで抱きついてみたものの、なんか違くて、それに私の方がずるい気がした。すんなりと受け入れられたのも怖いし、実は嫉妬してくれてたり——ないない。あるはずがない。
彼が嫉妬なんて、この世の終わりみたいなものよね! あり得ないわ。
着替えも終わった事だし、そろそろ呼びますか。
「もういいよー」
声をかけると、無言で部屋に入って来た。
「ごめんね」
「だから何が。さっきから謝ってばっかだぞお前。やましい事でもあんのか?」
「ううん、何にもないよ」
「だろ。じゃあ意味もなく謝んな。こっちもなんて返したらいいのか困る」
「そうだよね。ご——なんでもない」
言われて早々に謝る所だった。咄嗟に口を手で塞いだ。
「ぷっ!」
「なんで笑うのさ」
「隠しても隠しきれてないからな」
「もう。嫌な奴!」
「お互い様だろ?」
「それもそっか!」
「「あはははっ! ……ハッ!!」」
そして準備を済ませ、家に向かおうとしたのだが、ちょっと待ってほしい。
「ちょっと」
「今度は何だよ」
「その格好で行く気?」
「はぁ? 普通の格好してるだろ」
彼は確かに普通の格好をしているが、ちょっと待ってほしい。
「その格好は嫌。ださい、ちょーださい」
「はぁ!?」
彼の着ているTシャツはどでかい猫の絵が真ん中に描かれている何かのキャラクターなのか、くそださTシャツだ。しかも、上に羽織ってるシャツもその猫が散りばめられたシャツで、本当にやめてほしい。
猫の下に書かれている文字。それはNYANDASA(にゃんださ)だ。
もう名前にダサって書かれてるよ。それわざと着てるの? ださいよ。笑われるために着ているようなものじゃない。
「にゃんださんを馬鹿にするな! ブランドだぞ!」
「それのどこがブランドよ! どう見てもそこら辺に売ってるダサダサのTシャツじゃない。ついでに言っておくけど〝にゃんださん〟じゃなくて〝にゃんださ〟だから!」
「なっ! そうだったのか……」
気付いてなかったの……。
「ちなみに聞くけど、ブランドならそれなりに高いのよね?」
「いや、一〇〇〇円だ。あとこの上のシャツは、一五〇〇円だ」
ドヤ顔で安いだろと自慢してくるが、ブランドだったら普通高いだろって自慢するんだからね? 大丈夫?
「ブランド料一体いくらよ!」
「知るかそんなの!」
壊滅的センスに脱帽よ。こんなんだったなんて……。
「着替えて! 流石に嫌!」
「めんどくさ。別にいいじゃねーか。送るだけなんだし」
「だめよ。業者に持って行ってもらわないものだってあるんだから」
「そこまでやるとは言ってない」
「やってね? だぁーりぃん?」
「うぅっ、げろ吐きそう……」
あんたの服のセンスのなさにこっちは吐きそうよ!
なんとかして、無地のTシャツに着替えてもらい、家を出た。
♢
ぎゃーぎゃーうるさい女を横に乗せ、瑞希の実家の立派なマンションに辿り着いた。
見上げるくらいに高いマンションは、うちとは大違い。一部屋いくらするんだろうと思いながら立ち尽くしていた。
「早く行くわよ。田舎者」
上を見上げながら歩くとよく言われる言葉だ。そのニュアンスで言われた。
「黙れ引きずり女」
「何が?」
急に声音の温度が下がる。こわっ。もう言わないようにしよっと。
「なんでもないですよ。瑞希お嬢様」
「ならよくてよ。さあ行きましょうか」
「仰せのままに」
ご令嬢、執事ごっこをしながら、マンション内に足を踏み入れ、彼女の家に入っていく。
「お邪魔しまーす」
「あら、いらっしゃい。緑くん。今日はお手伝いに来てくれてありがとうね」
「いえいえ、本当にありがた迷わ——」
瑞希は俺が何を言おうとしたのか理解したのか、肘打ちをしてきた。
「お気になさらず、夫として当然の事ですよ。パパッと終わらせてあげますよ!」
力こぶを見せつけ、意味もなくドヤ顔。
「あら、頼もしいわ。じゃあ早速だけどこれとこれお願いしていいかしら?」
「はい! 何なりと!」
指定されたものを運び出し、車へと運び積んでいった。
引っ越し業者も到着したようで、あっという間に荷物は運び出されて、ものの30分でボロアパートへと帰った。
それ程に荷物があるわけではなかったみたい。
でも、俺の家に入れてみると、そうでもなかった。部屋はあっという間に物で溢れかえり、昨日掃除してよかったと思うくらいだった。
「さあ、こっからが本番よ!」
——カシュッ。至福の時間がやってまいりました。
「かぁぁぁ!」
「ちょっと何もう終わったみたいな感じでビール飲み始めてんのよ!」
「終わっただろ。十分に働いた。もう働きたくない……」
「終わってないよ! これからって言ってるじゃない!」
「えーまだやるの? 明日でいいじゃん」
「だーめ! ハイ没収!」
「あぁ、俺の癒しがぁぁー」
缶ビールは奪い取られてしまい、冷蔵庫へと戻された。
「癒しならここに居るじゃない」
瑞希は自分を指差しながら言った。自意識過剰だと思います。
「何を言ってるのかよくわかりません」
「手伝ってくれたら、いい事——し・て・あ・げ・る!」
ぱちりとウインクして、俺の唇を人差し指で触れた。
「な!? 何をしてくれるんだ!? 金か? 金でもくれるのか!」
「あげるわけないでしょ。馬鹿なの?」
「じゃあ一体何を?」
「それは、秘密よ!」
言葉に釣られ、俺は精一杯手伝ったのだった。
そして、いい事とは大したことではなく、ただのハグだった。
俺の時間と労力とビールを返せ!
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