第6話:歩み寄る気持ち。

 電気を消してから、一時間が経った。

 あれから私と彼はあまり話すことなく就寝となり、只今真っ暗な部屋の中、ベッドの上で羞恥に悶えています。

 話しかけても曖昧な返事をして、すぐに会話は終了するし、目が合えば逸らされてしまう。目を見て話してもくれなくなってしまった。


 あの目はどんな意味を孕んでいるのだろうかと考えると、気になって夜も眠れやしない。自分のせいだと分かっていても、恥ずかしいものである事は間違いない。


 大胆な行動をしてしまったと後悔しているけど、やっぱりそれなりに私を女と見てほしかったからやっただけ。彼が私を一ミリ足りとも女として見てくれないから、寧ろ彼が悪いまである。あんな奇行に走らせたのは彼のせいだ! 


 かと言って、私も彼の事が好きというわけでもないからたちが悪い。押し付けがましいったらありゃしない。良い人である事は間違いないのだけれど、それだけでは好きと言い切れない。

 でも夫婦になってしまったんだから、少しくらい歩み寄りたいのも事実で。例え紛い物でも、偽りでも、嘘でも。

 愛せなくてもいい、好きでなくてもいい、ただ歩み寄ろうとする気持ちくらい少しでもいいから見せてほしい。

 私だけが——なんて傲慢かもしれないけれど、そう思ってしまう。


 私が一歩近づけば、彼は一歩後退る。決してくっつかない磁石のN極同士で、S極同士だ。

 無理に近づいたところで、私達がくっつくことはない。結局そんな関係のまま終わるんだと思う。バツが付くのも時間の問題で、いつかはさよならする。だって——そうでしょ?


 自分は強欲だ。

 在りもしない期待を押し付けているだけで。

 だけど、自分はそうでもなくて。

 何がしたいのかすら、自分でも分からない。


 あぁぁぁ!! もうっ! なんかムカついてきたぁ!!

 足をバタつかせ、当たり用のない怒りを、ベッドにぶつけた。

 床でぐっすりと寝息を立てやがってさぁ! 図太すぎるでしょ! こっちは全然寝られないのに。

 そっか、私が女として見られてないから、か。


「んんん————っ!」


 枕に顔を押し付けて、声にならない叫びをぶちまけた。

 そして、むくりと起き上がりベッドから降りた。







 寝られない。

 彼女に背を向けて寝転がり、寝たふりに徹していた。わざと聞こえるようにスースーと寝息を立てるふりをして、寝てますよアピールをしているのだ。起きているとバレたら、話しかけられそうなので。

 瑞希は多分起きている。さっきから何やら動いたり、バタバタと足を動かす音が聞こえてくる。


 あのハプニングから気まずくて、上手く話せないし、目が合うと、なんか申し訳なくて逸らしてしまう。

 あの光景が脳裏に過り、卑猥なことを考えてしまう自分がいるからだ。

 童貞みたいだが、童貞ではない。

 俺はさらに先をいく、セカンド童貞だ。……あれ、童貞じゃん。


 正直、瑞希は何がしたいのか全く持って分からない。

 なんであんなに積極的? というか、大胆なことをするのだろうか。

 彼女はすごく魅力的な人ではある。

 容姿も整っているし、スタイルもいい。脱げばすごい。

 だが、バカだ。


 突飛な行動をして自爆。俺はその被害者。

 向こうが被害者面しているが、あいつが加害者なのは間違いない。あんな理不尽にキレられて殴られたのは、人生初めてだ。


 そこまでしなくても十分に魅力はあるし、性格もあれを抜けば普通にいい。優しいし、いつも笑ってるし、恥ずかしがり屋な所もあるけど、俺は嫌いじゃない。むしろそこが彼女の魅力なんだと思う。

 この家を見ても何も言わないし、普通に俺のベッドで寝るし。


「んんん————っ!」


 突然、後ろからなんか奇声が聞こえ、ビクッと肩が跳ねてしまった。

 なんだなんだ!?


 ——トン。


 起き上がって、床に足を置いたんだろう。振動が伝わってきた。

 トイレか……?


「……っ!?」


 ——違う。トイレではない。

 だって彼女は今、俺の隣に寝転がった。


 そして俺にくっついて、背中に顔をくっつけてきた。彼女の温もりがじわじわと伝わってくる。

 何!? 何なの? この人、ちょっと今日おかしくない!?

 脈が上がり、バクバクと音が鳴る。

 この無音の中、外まで聞こえてしまうんじゃないと思うくらいに、跳ね上がった。


「ねぇ……もっと私を見てよ……ちょっとくらい女として見てよ……私ばっかりじゃん……」


 今にも泣きそうな声で切なく、切実なお願いだった。僅かだが、震えているのも背中越しに伝わってきた。


「緑は私の事、嫌い?」


 ……不安か。

 寝てると思ってて、言っているのだろう。

 答えを聞きたくて瑞希は言ってるわけじゃない。だから答えたところで意味がないと思った俺は黙ることにした。


 真っ暗な静寂に包まれ、俺は動くことなく、言葉を出すこともなく、5分くらいが経った。


「私は———」


 その先の言葉は聞けなかった。

 正確に言えば、聞こえなかった。

 瑞希はそこで眠ってしまったみたいだったから。

 寝息だけが後ろから聞こえてくる。すやすやと気持ちよさそうに寝ている。

 俺は静かに起こさないように体を起き上がらせ、彼女を持ち上げた。


「軽っ」


 あまりの軽さに驚いて、つい声が出てしまう。

 このスタイルだからな、そりゃ軽いわな。


「よいしょっと……」


 ベッドへと寝かせ、掛布団を掛けた。……よし、起きてないな。

 その場に腰を下ろし、彼女の頭を撫でると、少しくすぐったそうに身を捩った。


 綺麗な髪に、整った顔。寝顔は可愛らしい。

 不安——なんだろうな。俺がこんな感じなばっかりに。

 俺は彼女を、瑞希を女として見ている。だから今だって寝れないし、緊張している。心臓もまだ速度を下げることもない。


 好き。とまではいかないが、少しくらい歩み寄ってもいいのではないか。俺達は一応、紛い物だけど夫婦になった。これは変えようのない事実で。

 しかし俺達はいつか別れると思う。いつまでもこんな関係でいられるとは到底思えない。

 だったら無理に距離を詰める必要なんてないと思っていた。


 ——だけど、彼女は違った。


 これまでの行動は全部自分たちの為であり、一番考えていてくれているのだ。

 偽りの関係でも歩み寄ろうとする気持ちを持ってくれていたのは彼女だけだ。


 ——なのに、それなのに俺は……。


 一方的に君を拒否して、壁を作っている。距離感を正しく取らないといけないとばかり考えて。

 嫌々受け入れてるのも、情けない事に自己保身でしかない。いずれボロが出て、バレてしまう。それを恐れているからだ。後々に起こる面倒事を避けているだけ。


 全部、自分勝手で己の怠惰が招いた結果だ。

 恋愛に憶病になり、これまで異性を遠ざけてきた。めんどくさいと一言で片づけて逃げてきたからこうなってしまった。


「……ごめん、ごめんな」

「もう少しだけ待ってほしい。俺は瑞希の事は——」








 起きてしまった。

 彼にお姫様抱っこで持ち上げられた時に身体が動かされて目が覚めてしまった。いつの間にか、彼の隣で寝てしまっていたみたい。


 起きてたんだ……。

 てことは、多分さっきの聞かれていたんだろうな。あぁ恥ずかしい!

 でも聞いてたところで、返事はくれない。彼はそういう人だ。私のことなんて興味ないし、好きにもならないんだから。


 人生、上手くいかないものだ。

 今までも、今も。


 ベッドに寝かせられ、掛布団を掛けてくれる。こういう所が反則なんだよなぁ。あざといというかさ、見られてないからって優しくしてさ。

 ……と、考えていると予想だにしていない彼の行動に驚いてしまった。


 あ、ああああ頭を撫でてる!? 

 は、恥ずかしい!


 咄嗟に身を捩り、抵抗を見せると手は離れていった。あぁ、もうちょっとしてほしかった……。


「ごめん、ごめんな」


 小さな声で緑は言った。

 それが何に対する謝罪なのかは、分からなかった。


「もう少しだけ待ってほしい」


 だけど、その一言で分かってしまった。彼が何を言いたいか。

 きっとそれは私にとっていい事であり、彼にとっては難しいもの。

やっぱり聞かれてたかぁ。


 少しだけ申し訳ない気持ちになってしまう。私があんな事言わなければ、彼は思い詰めることはなかったから。無理して合わせる必要もないのに。私の勝手な押し付けでしかない。彼は別に間違った行動をしているわけでもない。この関係は歪だから、彼のような態度を取ってもおかしくない。


「俺は瑞希の事は嫌いじゃない。でも好きでもないと思う。それは多分瑞希も同じだと思うけど。君は素敵だ。美人だし、可愛いところもある。性格は大胆だけど、心優しいよな」


 待って待ってぇ! 急にべた褒めしないでよぉぉ! にやけちゃうじゃないのぉ!


「それに初めてだったんだ。ありのままを受け入れてくれたのは、瑞希が初めてだったんだ。少しだけグッときた」


 ねぇ! もうやめてぇ! 笑いそう!


「だからさ、俺も一歩近づく努力をするから……だから」


 もうっ、だめぇぇ!


「ぷっ!」

「え?」


 体を横に向け、緑の視線から逃れる。


「……おい」

「…………」

「起きてるだろ」

「…………」

「ふーん。寝たふりするんだぁー。それならこっちにも手がある」


 えっ、何するつもり!? どうしよう!? 観念して起きた方がいいかな!?


「行きまーす」

「あひゃひゃひゃひゃあぁ! やめっ! あひゃひゃひゃひゃっ!」


 脇腹に手が入り、こしょぐられて笑いが止まらない。


「やーっぱり起きてるじゃねーか」

「鬼! 変態! セクハラ! かっこつけつけまん! ばーか!」

「なっ! お前一体どこから聞いてた!」

「おーしえなーい!」

「もう一回してこしょぐられたいみたいだな?」

「ひっ!? ごめんなさい全部聞いてました!」


 やられる前に速攻でばらすと、彼は恥ずかしそうに顔を茹で上がった蟹のように赤くさせた。


「全部かよ……あー、恥ずかしい。忘れてくれ」

「緑も忘れてくれるなら、忘れてもいいよ?」

「わ、わかった。忘れるから……」

 


 なーんてね。忘れれるわけないじゃん! 

 ずっと覚えてるよ。


 ——だって、嬉しかったもの。


「もう一つ条件追加! さっきのだから——の先を聞きたいんだけど、教えてくれる?」

「嫌だ」

「じゃあ私と一緒に寝てくれる?」

「それも嫌だ」

「一歩近づく努力をしてくれるんじゃないの?」

「……ぐっ」


 心底嫌そうな顔するのやめてくれる? この暗闇でも目が慣れちゃったら少しは見えるんだから。


「どっち?」

「……一緒に寝ます」

「んー? 聞こえなーい」

「聞こえてるだろ!」

「今一瞬耳が悪くなったの。で? なんて言った?」

「一緒に寝るっつったんだよ! もういいだろ!」

「へぇ……そんなに一緒に寝たかったんだ! 仕方ないなぁ、ほら、おいで?」

「うぜー。それにこれ俺のベッドだし」


 したり顔で手招きすると、不服そうにぶつぶつと文句を言いながら、しっかりと隣に寝転がった。

 

「そんなに恥ずかしいこと言おうとしてたのかしら?」

「ちげーよ。床で寝るの痛いんだよ。もういいから、寝ろよ」

「おやすみのハグは?」

「調子に乗んな」

「ちぇー」


 今はこれでいいのかもしれない。

 決して好きになることはないとしても、これで。

 彼なりの一歩は踏み出してくれた気がするから。



 


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