第5話:こんなラッキースケベは嫌だ。

 週末の金曜日、俺はとある人と居酒屋に来ていた。


「だぁーはっはっはっ! くぅー! かっかっかっ! 腹が痛ぇ、腹が痛えよ! 緑!」


 何ともお下品な笑いが店に響き渡る。がやがやとした店なのでさほど気にはならないが。


 ビールジョッキを片手にバンバンと机を叩くこいつは、黒原新くろはらあらた


 俺の古き良き友人、いや、親友だ。

 幼、小、中、高、大とずっと同じところに通い、実家も近かった。いわゆる、幼馴染ってやつだ。


 彼は爽やかイケメンという言葉が似合うくらいに、俺とは正反対の顔立ちである。俺はどちらかと言えば老け顔だからな。自分は年相応の顔立ちであるかもしれないが、正面に座って腹を抱えて笑ってるこいつは年不相応な顔立ちだ。とにかく若い。29歳とは思えない。


 ただ、性格はこの通り最悪。人の不幸話でご飯三杯は行ける口。

 黒原ではなくて、腹黒と苗字を変えた方がいいと幼稚園の頃から思っているのは内緒だ。


 彼はこうやって俺にはズバズバと思った事を言う。しかし、初対面の人には本性を隠すのか、人当たりは抜群にいい。


 だからこそ、こいつはモテる。だが、本性はこんなんだ。いつも付き合っている相手に振られている。当の本人は気にもしていないが。


「少しは祝福したらどうだ? これでも結婚したんだぞ」

「いーっひっひっひ! やめっ! これ以上っ! 笑わせないでっ、くれっ!」


 それだけ話せれれば大丈夫だと思うのだが。


「まあそんな感じで、明日から一緒に暮らすの訳だが、どうしたらいいと思う?」


 そう、明日は土曜日だ。

 つまり瑞希があのおんぼろアパートに引っ越してくる。

 今までの彼女とは同棲をした事がない。あんな汚い家で過ごしていくとか、彼女には酷だろ。


「知るか。なるようにしかならんだろ」


 これまでの経緯は全て話した。だからこいつは爆笑していたのだ。


「一緒に寝たりすんのかな?」

「ぶふっ!!」

「汚ねーなぁ!」

「お前が悪い。……あのなぁ、一応結婚したんだろ。例え嘘でも、戸籍上は夫婦になったんだろ。しかも、聞けばそんなに印象は悪くないらしいじゃないか。一緒に寝るくらいなんてことないだろ。何ならその先までやってしまえ!」


 その先だと!? 

 ないないない! 無理!


「俺達は所詮、紛い物だ。あいつに好意はない。良い奴だがな。それに向こうもそんな気はないだろう」

「めんどくさ。離婚すれば?」

「それは無理」

「じゃあ別々に寝るだけの話だ。お前が変な妄想を繰り広げてるからそんなやらしい考えが出てくるんだよ。この、むっつりスケベ!」

「——っ!」


 新に反論する言葉が見つからなかった。という事は、俺がむっつりという称号はあながち間違っていないのだろう。


 俺が意識しているから、こんな考えになってしまっているんだと。

 いやいやいや! 普通は意識するでしょ! え!? しないの!? するよね!?


「一つ聞くけどさ、お前はあのボロアパートから出ないつもりなの?」

「流石に俺だけならまだしも、彼女まであの家に住まわすわけにはいかないだろ。部屋を見つけ次第、出るよ」

「だったらその間だけでも我慢するしかないだろう。お互いに。だからそれまでは同棲する気持ちで初々しくよろしくやってればいいじゃんか。それもできないなら他人とルームシェア感覚で心を無にして、住めばいいんじゃね?」

「ルームシェアなんてした事ないから、その感覚が分からんのだけども?」

「めんどくせーな。相手が俺だと思って過ごしていけば良いだろ」

「それはそれでなんか嫌だわ。気持ち悪い」

「こっちこそごめんだわ! お前みたいなズボラ男!」


 絶対に無理だ。こいつにはまだ瑞希の顔を見せていない。だからどんだけ綺麗な女か知らない。男だったら確実に可愛いと言うと思うくらいには可愛い。

 あれを新に置き換えて過ごすなんて、無理! 無理! 無理! 大切な事なので3回言いました。


「参考にならん。お前に相談した俺が馬鹿だった」

「あぁ、お前は馬鹿だ。この俺に相談するくらいだからな!」

「自分で言うんじゃねーよ!」


 どうしたものか。

 とりあえず布団でも持って来てもらって、床で寝てもらうか、それとも俺のベッドで寝てもらうか……。

 それに片付けもしないと。明日どれだけの荷物が届くか分からないし、帰ったら片付けよう。


「んじゃ、そろそろ帰ろうぜ」

「おうよ」


 グビっと最後の一杯を喉に通し、俺達は解散した。







 家に帰ると、玄関前でちょこんと座っている瑞希がいた。

 なにやら大荷物を置いて、それに身を寄せるように寝ているではないか。


「おい、起きろ。何やってんだこんな所で」

「ふぁぁー、あ、緑じゃんー遅いー」


 目を擦りながら、背伸びをした。

 普段着で、かつ動きやすそうな格好をしている。


「遅いも何も、何しに来たんだ。俺は今日来るとは聞いてないぞ」

「電話したもんー出なかったんじゃんー」


 ポッケからスマホを取り出し見てみると、確かに連絡が来ていた。不在着信一件のみ。


「もっと掛けろよ。それに出なかったのになんでお前はここにいるんだ」

「だってここに着いてから掛けたんだもん。家に居ると思ったのー」


 ぽんぽんとお尻を払いながら立ち上がった。


「普通に考えてこんな所で寝てたら危ないだろ。もっと自覚を持て」

「えー何? 私の事心配してくれてるの?」

「当たり前だろ」

「へっ!?」


 驚いたように、彼女はもじもじと膝を合わせた。


「とりあえず家に入れ。風邪引くぞ」

「う、うん……」


 瑞希が持ってきた大荷物を手に取り、家の中へと入っていく。

 荷物は想像以上に重く、一体何が入っているのだろうかと疑問に思った。


「思った通り、相変わらずだわね」

「ああ、そのまんまだ。これから掃除しようと思っていたところだ」

「じゃあ丁度いいね! 私、掃除しに来たの」

「母か!」

「奥さんよ! いい加減にしてちょうだい。あ・な・た」

「やめてくれ反吐が出る」

「んあもう! さっきの台無しだわ! プラマイゼロ!」


 何のことかさっぱり。


「んで、その大荷物はなんだ?」

「ああ! これね! 今日はこのまま泊まって行くから、その服と掃除道具とか、まあ色々よ! 乙女には必要なもの!」


 待て。

 今こいつなんて言った?

 泊まって行くとか言わなかったか?


「泊まっていくと言ったか?」

「うん、言ったけど?」


 さらりと、何かおかしい? みたいな感じで首を傾げたこいつの頭はどうなっている。

待て、とりあえず待て。

 泊まる? 布団なんてないぞ? どこに寝るつもりしてるんだ? この家にはベッドは一つしかないし、シングルベッドだぞ。

 親が親なら子も子だ。行動が大胆すぎる。

 家に上げてしまったが故に、帰れとは言い辛いし今日はお酒を飲んでしまっているから車で送ってやる事も出来ない。……くそう。詰んでるじゃねーか。


「どこで寝るつもりしてるんだ?」

「え、そこのベッドだけど?」


 今度は当たり前の事を言いなさんなとでも言いたげな顔だな。


「待て待て。俺は何処で寝るんだ?」

「ベッドでいいじゃない」


 なんでそうなる。そうはならないだろ。少しは恥じらいを持ってくれお願いだから。


「いや、いいわ。俺は床で寝るから」

「私はいいよ。一緒でも」

「嘘でもそんな事言うのはやめろ。俺達は夫婦かもしれないが、一線は越えない。それともなんだ? お前は好きでもない男とそういう事する類か?」

「そんなわけないじゃーん! 冗談よ! 冗談! 床で寝てちょうだい!」


 なんだ、冗談かよ。うぜぇ。てかお前が床で寝ろよ。

 なぜか少しだけ彼女の表情は陰っているように見えた。


「さぁ! 今日はこの汚部屋を綺麗にするぞー!」


 汚部屋って言うのやめてね。そうなんだけど。






 夜は更け、深夜一時。

 部屋はほぼ彼女のおかげで綺麗になり、見違えるようになった。

 ゴミ袋は計4つ。意外とちゃんと掃除するとこんなにもいらない物やごみが出てくるんだと少しだけ感心した。

 部屋はいつもより広く感じるし、模様替えもした。

 インテリアコーディネーターになった方がいいのでは? と思ったくらいだ。


「はぁー、疲れたぁ」

「そういえば、風呂は入って来たのか?」

「ううん。掃除してから入ろうと思ってたから入ってない」


 だよね……。


「どこで服脱ぐつもりしてる? この家は見ての通りワンルームだぞ。そこが風呂だし。見ての通りぱーぱーだ」


 この家は全部が直結しているので、廊下は存在しないし、洗面所も存在しない。珍しく風呂とトイレは別になっているが、扉を一枚挟んでいるだけ。


 もちろん一人暮らしなので、パーテーションがあるわけもなく、丸見えなのだ。

 堂々とここで服を脱ぎ、全裸を見せて風呂に入らなければならない。そして、全裸で出てきて服を着なければならないのだ。


「え……どうしよう……」

「まあ俺の事は気にせず脱いでくれても構わないぞ」

「見たいだけじゃん! ……いずれは見せる事になるかもしれないけれど……」

「見ても何も思わないから安心しろ。それと最後なんて言ったのか声が小さすぎて聞こえん」

「うるさい! 少しくらい興奮しなさいよ!」


 言ってる事、無茶苦茶だぞ……。


「じゃあ俺はお前が風呂入ってる間は外にいるから、出てきたら教えてくれ」

「風邪引いちゃうよ?」

「だったらどうしろと……」

「トイレに入ってて! それでお風呂入ったら声掛けるから出てきていいよ! で、また出る時になったら掛けるから!」


 めんどくさっ! これからも風呂入るたびそうしないといけないわけ!?


「はいはい。じゃあ俺トイレ行くからさっさと入ってくれ」


 立ち上がり、トイレに入ろうとすると、


「絶対に覗かないでよ! 覗いたら命はないと思ってちょうだい!」

「覗かんから、はよ入れって」

「だから何よそれ! ちょっとくらい覗きなさいよ!」


 お前はどうしてほしいんだよ……。


「じゃあな」


 バタンと扉閉め、便座に腰を下ろした。

 扉の向こう側からは、衣擦れの音が聞こえてくる。……脱いでるな。

 この壁を挟んだ向こう側には、全裸の女がいると考えると、エロい。

 スタイルもいいんだろうなぁ。ちょっとくらい覗いて……いかんいかん。俺は紳士なのだ。そんな変態チックな事はしない。頑張れ俺。邪念を振り払うんだ。


「もういいよー!」


 その合図でトイレから出る。


「おまっ、ままま!? なっ!? 何してるんだ!?」


 彼女はバスタオルを身体に巻いて、にやけ顔で仁王立ちしていた。


「サービスよ! サービス」


 目を手で覆い、見ないように隠す。

 こいつは親そっくりだわ。本当に馬鹿。


「いいから早く入れよ! こっちに近寄ってくんな!」


 足音で彼女が近づいてくるのが分かってしまう。そして目の前に立ち、俺の両肩に手を置き、耳元で囁いた。


「どう? 少しくらいは興奮したかしら?」

「したした! もうしたから!」

「もっとちゃんと見てよ!」

「何がしたいんだお前は!」


 それ以上近づかないでくれ。お前、胸が意外とあるじゃないか。脱いだらすごいってやつかよ。反則だろ。柔らかいし、なんかいい匂いするからほんと離れて!


「少しくらいドキドキしてもらおうかなって思って!」

「してるから! 早く離れてくれ! 当たってるから!」


 完全にからかってやがるこいつ……。


「あら、これはあれよ。当ててるの」

「ビッチか!」

「失礼ね! これでも貞操観念は高い方よ!」


 そうは思いませんけど。どう考えても低いだろぉ!


「もう離れてくれよっ!」


 抱きついてくる彼女を無理矢理引き剥がし、ふぅっと肩を落とし一息ついた。


「あっ!」


 ぱさっと、何かが落ちる音がし、その音と声に釣られ、顔を上げると

「いやぁぁ! 見ないでぇぇ!!」


 ——パッシコーン!


 頬に張り手が炸裂し、俺は床へと倒れ込んだ。


「本当に、ばっかじゃねー……の……」

「……見た?」

「それはもう綺麗なおちく——ぐへっっ!」

「最っ低っ!!」


 げしげしと踏みつけられるが、これって俺が悪いの……?

 ねぇ、誰か教えて?


「もうお風呂入ってくる!」

「いってらっさい……」

「覗いたら殺すから!」


 覗かねーよ、ばーか。


 ……あぁもう。この先不安しかない。こいつと同居生活なんて上手く行くのか? 毎回毎回、こんな事あっても困る……。


 ——そうだ、とりあえずパーテーション買おう……。

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