第3話:状況は目まぐるしく変化する

 言わるがままに車を走らせ、さかえまでやってきた。目的の場所、それは何となく車中からの彼女の反応を見ていたらすぐに分かった。


 近くのコインパーキングに車を停めて、前を歩く彼女の後ろを、アヒルの子供さながらに歩く。目的地まではそれでほど距離はない。あっという間に辿り着いた。


 予想通りに彼女は目の前で立ち止まり、「ここ!」と指を差す。

 その場所は3℃と書かれた店。


 外に出されている看板には、『BRIDAL』とか『Wedding』などと書かれた、いわゆるブライダル向けジュエリーショップ。


 彼女が買いたいもの、それは『結婚指輪』で間違いないだろう。


 婚約もクソもなく、付き合いすらすっ飛ばして結婚した俺達には婚約指輪と言った、バカ高いものは今更必要ない。


 俺からしてみれば、結婚指輪だっていらないのだけれども。


「ふーん」


 何を思って出たか、曖昧な返事をするだけして、踵を返した。


 告白もプロポーズもへったくれもない俺にとっては、不必要なものと本能が理解して、コインパーキングへと足は勝手に進んでいく。


「ちょっと! 待ちなさいよ!」


 彼女を背にして、歩いていると後ろから追いかけてきて、俺の袖を掴んだ。


「俺には必要ない」


 彼女が口を開く前に、先に答えを言ってやった。


「私はいるのよ! これから絶対に必要になる。それはあなたも同じ。言っている意味が分かるかしら?」


 さっぱり分からない。

 買ったところで身に着けなければ、指輪に意味はない。

 だから俺はいらない。買った所で着けないのだから、金をドブに捨てると同じ行為でしかない。金の無駄だ。


「全然分からんな」

「もぉ、本当に馬鹿ね。いい? あなたと私は結婚したの。って事は、次に控えるのは結婚式。その結婚式で絶対に必要なものなの!」


「結婚式なんて挙げなくていいだろ」

「馬鹿ね! 全然分かってない。私達が挙げなくてもいいと言っても、親はどうかな? どういう反応するかな?  付き合ってもないのに、結婚したことがどういう事か分かる?」


 親が結婚式を挙げろとでも言いたげな話だった。確かに挙げろと言われるかもしれない。


 しかし、そんなのは憶測だ。必ずしも挙式をしろと言われるわけじゃない。ましてやまだ何も言われていない。


「憶測で考えると痛い目見るぞ。……俺みたいにな」


「まだ分かんないの? 耳かっぽじってよく聞きなさい! 親は不安なの。さっきはああして寄り添ってくれたかもしれない。でも、心の中では本当は心配してると思う。だから結婚式を挙げて、皆の前で私達が夫婦として、一つのけじめをつけさせたくなる。特にあなたによ! そこで結婚指輪も挙式も何もかもなかったら余計に親は心配する。不安になるものよ!」


「だからそんなの憶測でしかない。別に今すぐ買う必要なんてないだろ!」

「見るだけでもいいじゃん! おーねーがーいー!」


 ブンブンと腕を振られる。もげそうなくらいの力で。


「駄々こねるんじゃない! 子供かお前! アラサーだろ!」


 ぱたりと振られた腕は止まり、腕を掴んだまま彼女は俯いた。


「……なんで、なんでそんな事言うの? 私はあなたの為を思って言ってるのに……」


 微妙な震えが腕を伝ってくる。

 そして顔を上げた彼女の瞳には水が溜まりつつあった。


 こういうのは反則だろ……。まるで俺が悪いみたいじゃないか……悪いのかもしれんけど。


「……分かったよ。行きゃあいいんだろ? 行きゃあよ!」


 すると水吸収したかのように、ぱあっと笑顔が咲いた。

 心底嬉しそうな笑顔にほんの少しだけ、1ミクロンだけ胸が跳ねた。



 いらっしゃいませ。という挨拶で迎え入れてもらい、店の中に入って行く。

 コの字型に配置されたショーケース。店員は皆、綺麗な女性。


 隣にいるやつには負けるけどな。


 数多ある指輪の中から一つを決めるのは、難しいのではないのだろうかと思っていると、どうやらそうでもないらしい。


「ねぇ! これ可愛い!」

「そうか」

「あ! これも!」

「そうか」

「こっちもいい!」

「そうか」


 適当に返事をしていたせいか、彼女は不服の模様。眉間にしわを寄せらっしゃってござる。


「真剣に見なさいよ!」

「あのなぁ、俺はお前の好みに——」

「お前じゃないし、瑞希」


 名前を呼べってことね。


「瑞希の好みに合わせようと思って言ってるんじゃないか。変に口出したら出したで鬱陶しいだろ」

「でもどうせならちゃんと選びたいじゃん! み、緑にもちゃんと好きな物選んで欲しいじゃん……分れ、ばか」


 なっ! 顔を赤く染めながら、恥ずかしそうに名前を呼んだぞこの女! 

 ちょっとトキメイチャッタじゃないか! 


「分かったから、こんな時まで言い合いするのはやめよ。とりあえず今言った3つの男用の指輪を見せて貰って、それから決めるでダメか?」

「うん!」


 彼女は笑うと可愛くなる。……この言い方だと語弊があるな。美人なのに笑うと子供っぽくなると言い換えた方が正解だな。


 店員さんに男用の指輪を見せてもらい、彼女は彼女で気に入った3つを実際に着け、どれがいいか選ぶ事に。


 誰も買うとは言ってないのだけれど、これは入った俺の負けだろうと半分諦めている。このまま選んでしまったら、買う事になるだろうし。


 はぁ、痛い出費。金は有り余ってるのだけど。


「私はこれがいいと思うんだけど、どう? 似合ってる?」

「いいんじゃない? 俺は合わせるし」

「ほんと!? じゃあこれにする!」


 とまあ、そんなこんなで結局買いましたと。

 流石に25万という大金は持ち合わせていないので、カードで買った。


 あとで半分出すと言われたが、断った。これでも俺は男だ。そんくらい買ってやらんでもない。俺のせいでこんな事になってしまったという自分なりの贖罪のつもりでもある。


「これでいいか? もう帰っていいよな?」

「なんでそんな帰りたいのさ! スタバでも行こうよ! 丁度新作があるんだよ!」

「ミーハーか。一人で行けよ。俺は帰って寝たい。ぐーたらしたい。酒が飲みたい」

「こんな昼間っからお酒飲んでるの?」

「起きたら飲む」

「バカじゃん……」


 うっさい、ほっとけ。


「とりあえずスタバレッツゴー!」

「誰も行くなんて言ってないけど?」

「レッツゴー!」

「……はいはい。分かりましたよ。ごーごーごー」


 コインパーキングには行かず、歩いて近くのスタバへ足を運ぶことに。


「ねぇ……」

「今度はなんだよ」

「手、繋いでみない?」


 スタバに向かう最中に唐突に提案された。


「なんで」

「ほら、私達は恋人、じゃないから。恋人みたいにしてみようかなって。少しくらいなら味わってもいいかなーって?」

「嫌だと言ったら?」

「泣く」


 答えが子供。


「ま、まあ瑞希が嫌じゃないなら別にいいけど……」


 俺はスーツで手汗を拭いて、手を差しだした。

 瑞希は素直に行動した俺に驚いたのか、目を丸くして驚いていた。


「繋がないのか? どっちだ?」

「えっ、ええ! 繋ぐ。うん、繋ぐよ」


 小さな手が伸びて、俺の手を掴んだ。

 久しぶりに触った女性の手は小さく、癖になるような柔らかさだった。緊張で汗ばむ手が嫌じゃないのかと、横を見る。


 彼女は少しはにかんで、「大きいなぁ」と呟いただけで、嫌がるとかそんな感情は何処にもなかった。逆に繋げたことを嬉しく思っているのではないかと錯覚するくらいに。


「これじゃなくて、こっちにしよっ?」

「えっ!?」


 そうして繋がれた手は、ゆっくりと一本一本の指の間に入っていく。

 積極的なのか、それとも……。


「どう? 少しはドキドキする?」

「ピクリともしないな」


 嘘をついた。

 そもそも手を繋ぐこと自体に緊張しているのに、恋人繋ぎなんて緊張以上のドキドキを感じてしまう。


「嘘だぁ。手汗すごいよ?」


 ニシシッと笑い、茶化してくる。


「……気になるなら離すけど」

「ううん! 気にならない! 私も今びしょびしょだから!」


 それは自分も緊張していると言っているようなものだぞ? 気付いているか? 


「そうか……」


 なんと返事をしたらいいのかわからず、適当な返事になってしまう。


 彼女は意外といい子なのかもしれない。

 こうして手を繋いだだけで考えるのは安直すぎるかもしれないが、心の距離は少しだけ近づいた気がした。


 だからと言って、好きにはならないが……。










 家まで送ってもらい、彼の走っていく車を見送る。

 ブレーキランプは5回点滅する事はなく、曲がり角を曲がって帰っていた。

 当たり前だけどアイシテルのサインなんてない。だって彼は私の事を好きでも何でもないのだから。


 ——でも今日は楽しかった。


 あっという間に時間は過ぎていき、もうちょっと一緒に居たいと心なしか思ってしまうくらいには、楽しかった。


 嫌々だけど、ちゃんと付き合ってくれるし、手も繋いじゃった。意外と優しい所がある。


 滲む汗は、緊張というよりも意識してくれたの方が強く感じ取れた気がする。


 久しぶり、こんな気持ち。


 私自身も好きかと問われられると、好きではないと答えると思う。夫婦になったのにおかしな話だよね。笑っちゃう。


 これからどうするんだろう。


 ……あっ! そういえば連絡先聞くの忘れちゃった。

 まあいっか。お母さんに聞けば教えてくれるだろうし。


 いつまでもこんな外に突っ立っている訳にも行かないと、マンションに入ろうとした時だった。


 プップー! とクラクションが鳴り、振り返ると——


「瑞希、忘れ物」

 

 彼は躊躇なく私の名前を呼ぶ。

 少しくらいドギマギしてくれてもいいのに、彼はそんな感じは一切なく平気で私の名前を呼ぶのだ。


「何? 私荷物は全部持ったよ?」

「ああ、違う違う。荷物じゃなくて、これ」


 スマホを取り出して、電話番号の書かれた画面を表示させて渡される。


「今掛けてくれ、今後もなんかあるだろ。俺達は曲がりなりにも結婚したんだ。連絡先くらい知っておかないと、おかしな話だろ」

「お母さんに聞こうと思ってた」

「やめてくれ。それこそめんどくさくなりそうだ」


 心底嫌そうな顔を見せながら、早く打てと促してくる。


「ねぇ、私の事、好きになれる?」

「さあどうだろうな?」

「一応、奥さんだから私。好きになってもらわないと困るんだけど」

「逆に聞くけど、そっちはどうだ? 好きになれるか? こんな俺の事を」


 どんなあなたよ。まだ少ししか知らないわよ。

 めんどくさがり屋で、ひん曲がった考えで、少し優しくて……。


「さあ……どうだろう」

「一緒じゃねーか」


 フッと笑った。その顔は初めて見た。

 何その顔……可愛い笑顔じゃない。反則だよ。


「いつもそうやって笑っていたらどう? いい感じよ」

「ハッ! 嫌なこった!」


 表情はいつも通りになり、口をへの字に曲げる。可愛くない。

 スマホに電話番号を打って、ついでに登録してあげておいた。私の方も登録し、スマホを返す。


「じゃあ、また今度」

「はいはい。じゃーな」


 窓を閉め、颯爽と帰っていった。

 バイバイのキスくらいしなさいよっ! ——なーんてね。


「ただいまー」


 玄関を開け、家に入るとお母さんが何やら忙しなく、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりと動き回っていた。


「ああ、おかえり。瑞希。無事結婚したのかしら? 随分と長く帰ってこなかったけれど」

「……うん、まあね。この通りだよ」


 一枚の紙を取り、母に手渡す。


「緑さんにそんなにご執心とは、驚きね。で、結婚式はいつ挙げるのかしら?」


 やはり、私の予想通りだ。


「まあそこら辺は追々、彼と決めていく予定。今日は早速、指輪を買ってきたの。彼ったら、どうしても今日買おうってうるさくて」


 これは嘘だが、嘘を本当にしてしまえば、それは嘘ではなくなる。

 事実、結婚はした。


「あら、瑞希にゾッコンね」

「うん。で、何をそんなに忙しく荷物を片してるの?」


 廊下には段ボールに荷物が纏められ、色々なものが散乱している。その中には私の服や靴、そして私の部屋にあるはずのTVまで外へ出ていた。



「あぁ、これはあれよ。瑞希、来週末に出て行ってちょうだい」



「え?」

「結婚したなら、緑さんと一緒に暮らしなさい。ましてや交際していないのだからね。時間は有限よ」

「待って待って! 流石に結婚したとはいえ、そんなすぐに出て行っても向こうが困るんじゃない!?」


「大丈夫よ。文月さんと話して決めた事だから! 彼にも伝えている筈だわ」

「私ここまで送ってきてもらったばかりだよ!? そんな話、彼はしなかった! 知らないんじゃない!?」


 絶対にまだ知らない。そんな話があれば、私にだって話してくるはずだから。


「じゃあこれから言うだけよ。心配しなくていいわ」

「まあ、そうかもしれないけど……」

「とにかく、来週の土曜には引っ越し業者が来るから、それまでに片付けなさいよ」


「……はい」



 ひとまず、電話しよう。


 伝え忘れがあるかもしれないし、早めに知った方がいいだろうと思う。

 スマホをタップし、彼に電話を掛けた。


 3コールくらいして、プルルル音は消え彼の声が聞こえてきた。


『おい』


 声音は何やら怒っていた。

 ま、思い当たる節があるのだけれども。


「はい」


『なんだこの(めっちゃ大好きな奥さん)という登録名は』


「ちょっとしたいたずら?」


『なんだそれ。で、何? 用がないなら切るぞ』


「あるある! 大いにある!」


『手短にしてくれ』


「来週から私はあなたの家に住むらしい」


『は?』


「だから、来週から私があなたの家に住むらしい」


『——切るわ』



 ブツリと切られた電話は、ツーツーツーという音だけが聞こえてくるだけ。



「はぁ、こうなると思った」




 意味もなく耳からスマホを離せずにいると、


 ——再び電話が鳴った。

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