第2話:思惑は錯綜する

 決め台詞が個室に響き渡った。

 シーン……と静まり返り、俺以外の三人は目が点になっている。


 まあそうだろう。

 このお見合い当日に、出会ったばかり、ましてやほんの一時間しか話していない相手に突然求婚されるんだから。普通に考えれば気持ち悪い。考えなくても気持ち悪い。


 だが、これもシナリオ通り。

 いきなりの求婚で、相手の親は必ず「そんな、お付き合いもせず結婚だなんて」と言ってしまう。だからこその思い付いたこの作戦。


 断る事に関しては世界一。

 これは断られるために、俺が遠まわしに断っているのである。


 まさに天才的発想。誰も彼もが思いつかない、ここに居る三人が仏像のように固まるくらいに、素晴らしい作戦なのだ。


 ニヒルな笑みを浮かべて、蒼井さんのセリフを待っていると——


「痛たたたたたっ!」


 相手は見えない位置、つまり太ももを力の限り母親に抓られた。


「あんた! 何を馬鹿な事——」


 まさに母が俺を叱責しようとした時だった。

 遮るように俺と同じくらいの声量で、顔を赤くしながら声を上げたのは——瑞希さんだった。


「こ、こちらこそお願いしますっ!! 私、緑さんと結婚します!」


 人生はなにがあるか分からない。

 シナリオ通りには上手くいかない。


 確実に断られる保障なんてどこにもなかった。

 微かに、僅か1%でも了承される可能性があったのであれば、それは確実と言われるものではなくなる。


 浅はかだった。俺は断られると100%思っていたのだから。憶測で勝手な思い込みで彼女は俺を拒否すると考えていたからだ。


 ——だが、答えは全く持って逆だった。


「「「え!?」」」


 俺を含めた、瑞希さん以外の3人が揃えて声を出してしまう。

 驚いてしまったが故に、声を出してしまったその口を咄嗟に抑える。だって、ここで俺が驚くのはおかしな話だからな。


「わわっ私、変な事言いましたか?」


 こいつマジで大丈夫か? ってそんな心配している場合じゃない! このままでは結婚に話が進んでいってしまう!


「瑞希、お付き合いもせず結婚よ? あなたはどういう意味か分かってる?」

「分かってる。でも、緑さんの言葉と目は本気で、ビビッと心を撃ち抜かれちゃった……」


 彼女は手を胸に置き、頬を赤く染めながら言った。



 嘘だろぉぉぉぉ!?

 嘘だよぉぉぉぉ!?

 本気じゃないよぉぉぉ!?

 あなたは俺の何を見ていたんですかぁぁぁ!?



「でもねぇ……」


 どうにかして、この状況をひっくり返さねば!


「僕は本気です!!」


 鞄から一枚の紙を取り出した。

 そして、勢いよく机の上にバンッと音を鳴らし、一本のボールペンを置いた。

 この紙には俺のプロフィールが書かれており、印鑑も押されている。


「緑、あんた! 本当に何考えてんの!?」


 いいぞ、母さん。その調子だ、もっと頑張れ!


「流石にそれは気が早くないですか? 緑さんが本気なのはすごく伝わりますけど。親としては、はい、いいですよ。とは言えないです」


 蒼井さんもいい調子だ。このままお見合い破断まで一緒に歩もうじゃないか!


「……婚姻届けまで用意してくれてるなんて……」

 

 おい待て。そこのお前。何婚姻届に手を伸ばして書こうとしているんだ? あほなのか? 馬鹿なのか?


 や、やめろぉぉ!


「瑞希、あなた本気なの?」

「うん。私、運命感じちゃったかも。この人なら、笑顔の絶えない家庭を築いていけるわ!」


 それはもう目を輝かしちゃって。

 脳内お花畑で。

 母の言葉が伝わらないくらいに。

 彼女はボールペンをワンプッシュし、筆先を出した。


「緑、そんなに瑞希さんに惚れていたなんて……」

「……」


 やっべー、まじどうしよー。


 汗がドバドバと飛沫を上げるように吹き出してくる。ジャケットの下に来ているシャツは、雨に打たれたかのようにびしょ濡れだ。


「この一時間でそんなに惹かれ合ってしまうなんて、運命さだめなのかしらね。瑞希も立派な大人だし、貴方が良いと言うなら、反対はしないわ」


 お、お願いだから、反対してぇ……。


「結婚保証人の欄は私達、親が書くのはどうかしら?」

「それは良い提案ですね!」

「書き終わったら、私達は早々に帰るから、二人で今後の話でもしてちょうだいね」


 瑞希さんは、こくこくと首を縦に振りながら、返事をし、俺は静かに、小さく「はい」と返事をした。




 ——終わった……。




****





 どうする。ここまできて、ごめんなさい嘘でした。と言ってしまうか?

 ここまで来て、最低なことをしてしまうのか……。


 書かれた用紙を眺め、二人きりの個室で俺達は、話に花を咲かせて——いるわけないだろ!


 向こうは向こうで、赤くなっていた頬は青くなり、非常に気まずい状況になっている。


「あ、あの……」

「何?」

「すいません。現実に戻って来たかも……」

「は?」


 彼女は急に何を言い出したかと思えば。


「どうしよう!? 結婚するの!?」


 ……っ!?

 これはもしや、もしかして!?


「今さらになって、二人きりになった途端、現実が押し寄せてきた」


 急に馴れ馴れしい話し方だな。本当に人が変わったかのように。


「それは結婚するのはやめようって事で?」

「あ、いや、そういうんじゃ……そうかも」


 まじで!?


「マジっすか? ありがとうございます」


 深々と頭を下げて、お礼をすると、彼女は驚き目を見開いた。


「え!? もしかしてさっきのは嘘だったの?」


「はい。断りたかったけど、いつも母に邪魔をされるから、逆に断られればいいやと思って、急に結婚を迫るみたいなことしたんだけど」


 包み隠さず、本音をぶちまけた。嫌われたっていい、だってもう会う事はないんだから。


「最ッ低! あなたそんな人だったの!?」

「おっと、君も同じじゃないか? それに結婚しなくていいのなら、利害は一致している気がするけど?」

「確かにそうだけど……じゃあお母さんたちにはなんて説明するの?」


 ……やべぇ、婚姻届けなんて持ってくるんじゃなかった。保証人欄に名前まで書いてもらって、ごめんなさい。やっぱ無理でした。なんてことを言ったら……想像しなくても分かる。


「はぁー、そこだよなぁ」

「てか、あなた猫被りすぎ。母親がいなくなってから、気を抜き過ぎじゃない?」

「それはあんたも一緒だから。急にため口使いやがって。友達か! 一応、俺の方が年上だぞ!」


「はぁぁ? ちっさい男ね! ハッ! あそこも小さいんじゃないの!」

「あそこは関係ないだろ! それにこっちだって同じだ! くそつまんねぇ話ばっかしやがってよ! こっちの身にもなれよ!」


「あんたこそ、「ご趣味は?」とかくそつまんない話吹っ掛けてきたじゃない。何よあの顔! 思い出すだけでも腹立つわ!」


 こいつ、まじでむかつくな。

 猫被りはお前だろ!


「危うくこんな性格悪いやつと結婚するところだった。本性が知れてよかったわ。無理、絶対無理。何が笑顔の絶えない家庭だよ。馬鹿じゃないの」


「……っ!」


 何も言い返せないのか、プルプルと肩が震え始めた。


「あーあ。言っちゃいけない事言ったー」


 子供みたく彼女はそう言って、婚姻届けを手に取った。


「それはもう破って捨てておいてくれ」

「はい? なんで私がそんなことしないといけないわけ? ちょっと顔がいいからって調子乗らない事ね!」


 彼女は立ち上がって、個室を出て行こうとした。


「おい、待て! 話は終わってないぞ! どうやって母親を説得するつもりだ!」

。ちなみにあなたは今日、何でここまで来たのかしら?」

「車だけど……」


「じゃあ送って頂戴。

「は?」


 なぜ区役所……?


「自分で歩いて行けばいいだろ」

「へぇ、いいんだ? それは私のすることを肯定すると捉えるけど?」

「どういうことだよ」


「馬鹿なあなたに教えてあげるわ」


 すぅーっと深く呼吸をして、俺に指を差した。


「——私とあなたは結婚するのよ!」




 やはりこいつは馬鹿だ。





*****





 致し方なく、本当に仕方がなく、俺は嫌々彼女を車に乗せ、区役所に車を走らせた。


 何とかして、結婚を引き留めようと思い、この道中で考えを改めさせる為にも、必死に言葉を探した。


 ——が、逆に言い包められてしまい、只今、区役所前で仁王立ちをしている。


 母達に言い訳が出来ないのも頭の中では重々理解している。だが、足が動かない。


「ちょっと、早く来なさいよ! こんなところで駄々をこねったって仕方ないじゃない! あなたのせいでしょ! 私も母に迷惑を掛けたくないし、心配させるようなことはしたくないの! あなただって、お母さんに言い訳の一つも考えられないし、このままではお母さんの顔に泥を塗る事になるのよ! もう利害の一致でしょ! 結婚するしか方法はないの!」


 区役所の前まで来て、結婚する、しないの話をしている時点でこれからの未来はないのでは? という周りからの視線が痛い。


「だからと言って、好きでもないやつと結婚するのはどうなの?」

「私は嫌いじゃないから大丈夫!」


 なにその自信。嫌いじゃないって、好きでもないじゃん。

 俺はどちらかというとちょっと嫌い。


「でもなぁ、いっその事怒られた方がいい気が」

「ここまで来てうろたえてんじゃないわよ!」


 パシンッと頭に平手打ちが炸裂した。


「いってぇな!」

「いつまでもそうしてたって何も変わらないわよ! 男だったらドンと構えろ! 情けないやつだな! ほら、行くよ!」


 なんかこいつ母さんみたいな性格してんな……。


 手を取られ、抵抗をすることなく区役所に入って行く。


 こうなってしまったのも自分のせいだ。

 俺があんな事せず、素直にデートだけして、はいさようなら。ってしておけば良かったのに。


 あぁ! くそ! もうどうにでもなれ!



 区役所に婚姻届を提出し、嬉しくもない祝福の言葉を職員から頂き、晴れて夫婦になった。

 蒼井瑞希は文月瑞希ふづきみずきとなり、俺は何も変わらないが、『夫』という肩書がついてしまった。


 なにやら満足した顔で、瑞希さん改め、瑞希は「ついに人妻……」と呟いており、嬉しそうだった。


 もしやこいつ本当は俺の事好きなんじゃないかと、自意識過剰な考えが横切る。

 好きであろうと、好きでなかろうとどうだっていい。


 家も別々だし実際に家を借りるにも、買うにも時間は掛かる。一か月以上はこれまでと同じように一人で暮らしていけるわけだ。


 問題なのは、その後だ。


 結婚してしまったら、そりゃ一緒に暮らすだろうよ。通い妻なんてずっとはやっていられないからな。


 そもそも通わなくても結構なんだが。



 それから車に乗り込み、家まで送ろうとすると、彼女が行きたいところがあると言ったので案内されるがまま、車を走らせた。


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