十冊目 『ウマ娘へ至る道 ―競馬を題材とするフィクションここ最近史 その壱―』
『走る』の小説(KAC2021語り残し)01
『ウマ娘へ至る道 ―競馬を題材とするフィクションここ最近史 その壱―』
現在スマホゲームのトレンドといえば、実在の競走馬の擬人化美少女キャラによる育成競馬ゲーム(というカテゴライズでいいのかどうかはなはだ不安ですが)
『ウマ娘プリティーダービー』です。
カクヨムで小説を書いている人たちはアニメ・ゲームの最先端で遊んでいる人も多いでしょうから、すでにこのコンテンツに突撃している人もいるでしょう。
一歩さがって、アニメで見てゲームに興味を持ち始めた人もいるでしょう。
さらに「また擬人化ゲームか」と冷静に観察している人もいれば、「いやあ。競馬もわからんし、どこが面白いのかさっぱり」という人もおられるかとおもいます。
そんな方々に向けてウマ娘のどこが面白いのかを自分なりに滔々と語るという趣旨でこの稿を進めていくのもありといえばありなのですが、一応、このエッセイは思い出して読みたくなった本を捜して再読し、感想文的な何かを語るというものですので(荒れ放題の部屋の現状から目をそらしつつ)今回もそれを踏襲し、『競馬の本』を掘り出してきて、その上で、ウマ娘視点というかウマ娘思考で読み直してみたいとおもいます。
とはいえ。あんまりコアな本もダメなようなきがします。
たとえば『咲-Saki- 』のアニメをみて麻雀に興味を持った人にいきなり『麻雀放浪記』(阿佐田哲也著)はしんどいかもしれません。
であれば。『咲-Saki- 』→『哲也 ~雀聖と呼ばれた男~』→『アカギ』→『ムダヅモなき改革』→『スーパーツガン』→『むこうぶち』→『哭きの竜』→『麻雀放浪記2020』(映画)→『麻雀放浪記』(映画)→『麻雀放浪記』『ドサ健ばくち地獄』(小説)ぐらいに少しずつ酸素を減らしていくと高山病にならない……じゃなくて、大体楽しめるようになるのではないでしょうか。
……
(麻雀放浪記が楽しめる体になるための強化プログラムに見えるのは気のせいです)
ともかく、ウチにある本や図書館にある本、すぐに手に入る本あたりで、現在のウマ娘につながる「競馬を題材とするフィクション」を追いかけてみたいと思います。
1:現在の「競馬を題材とするフィクション」の原点としての『優駿』
かつて。競馬に関するフィクションは、ギャンブルとしての競馬とそれにかかわる人々との悲喜こもごもを描いていました。
それがやがて「馬を育てる生産者の物語」や「競走馬と騎手が一体となって勝利に向かうスポーツ」「競走馬を最高の状態に仕上げレースを闘うチームとしての調教師と厩舎」さらには「長い歴史を持つ文化としての競馬」「さまざまな人が携わる産業としての競馬界」という多角的な視点を持つ題材として描かれるようになりました。
その起点となるのは小説『優駿』(宮本輝著 1986年刊行 第21回(1987)吉川英治文学賞受賞作)だと思いますし、これを原作として超豪華キャストで映画化された『優駿 ORACIÓN』(1988公開)でしょう。
◇◆◆
四月。まだ寒い北海道の小さな牧場で一頭の仔馬がこの世に生を受ける。
美しい青鹿毛の、黒い仔馬はその姿のとおり「クロ」と名付けられ、すくすくと成長する。
強い競走馬を生み出そうとする牧場主。優れた競走馬を生み出すために理想の牧場を志す息子。仔馬に夢を託す馬主とその娘。仔馬の資質を見抜き育成する調教師。過去の負い目から命がけの騎乗に臨む主戦騎手。
スペイン語で「祈り」を意味する「オラシオン」という名を与えられ中央競馬を闘っていくかつての仔馬はいつしか競走馬に関わるものが等しく夢見る舞台――日本ダービーへと駆け上がっていく。
そしてさらにもう一人。重い病によって入院生活を強いられながら「オラシオン」の事を知りその活躍に願いを賭ける少年がいた――
一頭のサラブレットで結ばれた人の縁と、彼ら全ての願いと祈りが、『東京優駿』のゴールへと集約していく。
…………
この時代にこの小説が生まれ、ベストセラーになり、映画化されその映画もヒットしたのは果たして偶然か運命か、それとも戦略だったのか。少なくとも現在の競馬のイメージをつくるきっかけであることは間違いありません。
ハイセイコーが伝説になり、皇帝シンボリルドルフがターフを去った頃、日本中央競馬会はシンボルマークを変え、
「新しい気持ちの中央競馬会です。――『JRA』とよんでください」
と広告を打ちました。
馬券売り場が「WINS」になったのもこの頃。
競馬場を改築して大型映像ディスプレイ(のちに『ターフビジョン』と命名)を設置。次々に広告やCMを打ってイメージアップをめざし、積極的に宣伝活動を開始します。機関紙の売り上げが伸びる。本も売れた映画も作った。あとはルドルフに代わる新たなヒーローがいれば……というところで、「白い稲妻」タマモクロス、それにつづいて「平成三強」とよばれたイナリワン、スーパークリーク、そして「芦毛の怪物」オグリキャップが登場し、天才騎手武豊がデビューして勝ち星を重ねていく……舞台が整い役者が揃って、中山競馬場は最高入場者数を記録するなんてことになりました。
できすぎです。この頃のJRAは神がかっています。
ハイセイコー以来、第二次競馬ブームの到来。
競馬は文字通り、娯楽とニュースの表舞台に駆け上がったのです。
2:『競馬漫画は少年誌では受け入れられない』。この2頭が現れるまで、人はそう言っていた。
『風のシルフィード』(本島幸久 作)1989年―1993年 週刊少年マガジン連載
『みどりのマキバオー』(つの丸 作)1994年―1997年 週刊少年ジャンプ連載
※第一部(「有馬記念」まで)
「ゆくゆくはGⅠを戦う競走馬になるが、生まれた時は足にハンディキャップを持っていた」というオグリキャップ(1987年デビュー-1990年引退)と同じ場所からスタートした競走馬「シルフィード」は、騎手の道を選んだ主人公森川駿とともに成長し、ともに戦っていく。
決して裕福ではない小さな牧場に生まれた競走馬が大レースに勝つまでにのし上がるというタマモクロス(1987年デビュー-1988年引退)をモデルとした「ミドリマキバオー」もまた、モデルであるタマモクロスと同じ背景を背負ってライバルたちと競い合って成長していく。
この二頭の白い競走馬をそれぞれの主人公とする二つの競馬漫画が前述の『風のシルフィード』と『みどりのマキバオー』でした。
昭和から平成かけて活躍した二頭の競走馬への憧憬を背負い、その影を追うようにして平成の幕開けとともに走り始めたこの二つの作品は、競走馬と騎手との関係と、ライバルとの激しいレースを見どころとした少年漫画でした。
見出しはJRAのとある年の天皇賞(秋)のCMのもじりですが、ギャンブルと縁遠く、「タマモクロス」も「オグリキャップ」も知らなかったであろう若年層に競馬そのものを教え、また少年誌を起点に「スポーツと文化の融合」としての現在の競馬のイメージを作り上げたのは、この葦毛(白馬)二頭の存在が大きかったと思います。
続編の『 蒼き神話マルス』も『たいようのマキバオー』も、それぞれ時間をおいて当時の競馬界を反映しながらちゃんと面白いのがさすがです。
3:あえて『優駿』のノスタルジーを追いかけながらカラっと力の抜けた牧場物語。そして騎手はじめ競馬に関わるさまざまな職種『ホースマン』の世界に光が当たる。
『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』(ゆうきまさみ作)
1994年―2000年 週刊少年サンデー 連載。
春の北海道をバイクで旅行中、空腹とガス欠で行き倒れた主人公久世駿平。
彼を救ったのは一頭の子馬と牧場一家の次女だった。ほとんどの成り行きとほんの少しの下心で渡会牧場に居候を始める主人公だったが、そこでの出会いと経験が彼を競走馬育成から調教師、騎手やそれを取り巻く競馬に関わるすべてのプロフェッショナルたちの業界――『ホースマン』の世界へといざなう。
……ああ。それにしても、今見てもストライクイーグルがかわええ。
馬を描くのは「レイバーよりずっと難しい」とは一巻巻末の作者の弁ですが。
たしかに『機動警察パトレイバー』の後が競馬マンガというか、競走馬を育てる牧場の話だったというのが現在からみればちょっと違和感があります。これもまた時代の要請だったということなんでしょうか。そして素直に競走馬と騎手のスポコンをやらなかったところにサンデーらしさを感じるのは私だけでしょうか(笑)
少年誌のどれをみても一つくらい馬の話が載っていたという時代。
自分自身が「ゆうきまさみファン」と自覚しているので、公平な判断をしかねるのですが、それでもわたしは少年誌に連載されたこの頃でウマ関係マンガの中では、これが一番好きですというほかありません(笑)
ヒロインたちのかわいいことと言ったら正直今もってゆうきまさみ作品中最強。一度読みだしたら止まらない話づくりのうまさも際立ってます。
ああ。前述のストライクイーグルは競走馬なのでヒロイン枠ではありません。
また「騎手」というプロフェッショナルの、あるいは勝負師の世界を描く物語が増え始めるのもこのあたり。
『優駿の門』(やまさき拓味作)1995年―2000年「週刊少年チャンピオン」連載
『ダービージョッキー』(武豊原案 一色登希彦作画 工藤晋構成)
1999年―2004年「週刊ヤングサンデー」連載
などがその代表格でしょうか。
競馬を馬と人との絆の物語としてとらえて、さまざま切り口から競馬を描き続けるやまさき拓味作品は絵とドラマの密度が凄いです。情報量もある。競馬の事を広い視野、さまざまな見方で知ることができるという点で特別なマンガ家さんです。
『優駿の門』に代表されるやまさき作品がナタの切れ味なら、絵柄もあって洒脱な『ダービージョッキー』はまさにカミソリ。危険と隣り合わせのジョッキー(騎手)の視界をスピード感いっぱいに見せてくれる快作です。
この作品で原案の立場にある武豊騎手。この人の登場はセンセーショナルでした。
ご本人だけでなく「騎手」に対する世間の見方も一変させてしまいました。
自然、新旧の鞍上の名人たちへの興味も掻きたてられるという流れで、日々聞こえてくる武豊さんの名前をききながらいつの間にか競馬に興味を持ち、「名手岡部」「闘将加賀」なんてもしかしたら競馬ファンの人たちだけの話題だったかもしれない方たちのドラマを知ることになる――なんて流れも出来ました。
騎手の物語は一つ間違えば命に係わる危険な場所で、自らの体のみならず馬という別の生物を操りあるいは一体となってただ一つの栄光へ突っ込む鉄火場の勝負師たちの、あるいは極限下のアスリートたちの物語です。この時代に拓かれた騎手たちの物語はいまや障害競走や馬術競技など新しい切り口の物語が生み出されるまでになりました。
その転換点に「天才ジョッキー武豊」の存在があったことは誰もが認めるところだとおもいます。
武騎手が競馬の普及浸透にマルチに活躍しているのは衆知のとおりです。ウマ娘の「プロモーター」でもあり、解説者役でアニメに登場しています。
4:とりあえずのまとめ
オグリキャップに代表される第二次 競馬ブーム以降、「競馬」のフィクションは、書きようで(描きようで)「ギャンブル」ぬきでも成立するし、それ以外の場所に物語となりうる様々な題材(テーマ)があり、それを丹念に描けばコンテンツとして成立するし成功するのだということが実証されました。
ある意味、それは長い歴史と、さまざまな職種の人々が参加して紡ぎあげる文化としての競馬が、「ギャンブル」であるという以外に沢山のみるべきドラマを持っていることの発見でした。
少年誌に週刊連載できて小学生や中高生が夢中になって読むし、土曜日夕方6時30分からお茶の間でアニメを放映できる。
芥川賞作家が一頭のサラブレットの成長を縦軸にさまざまな人間ドラマを織りなす物語を紡いでベストセラーになる。
――であるのならば。
実在の競走馬を擬人化かつ美少女化した上で、別の世界の物語と設定し、ファンが忘れることができないさまざまなエピソードをちりばめて(場合よっては不幸な原作――史実を書き換えたりもして)、新たな物語としてゲームとアニメの中に再現することも可能……になっちゃうのです。
……等と。
こんなふうに、馬と人間、携わる人との人間ドラマばかり見てくると、反動でがっつり濃い「競馬はギャンブル派」方面の濃い話を読みたくなってくるのですが、今回それをやっていると書いている文章がおわらないので、このまま「競馬はロマン派」路線で次の稿へと進みたいと思います。
次回『そして、ウマがしゃべりだす』へ つづく
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