第10話 昼練
翌日。二時限目と三時限目の間に設けられた昼休みの時間に、日吉キャンパスに所属する一年生は全員、大ホールに集められた。全員動きやすい服装と運動靴で来るように、との補足付きで。
夏樹はその日、二限も三限も授業が無かったので、ジャージとTシャツに着替えて少し早めに大ホールへ向かった。
「ちはっ!」
挨拶をして大ホールに入ると、そこにはドラムスティックをくるくると回しながら退屈そうに立っている、トロンボーン三年生の浜名の姿があった。
ほっそりとした七分丈の紺色のジャージに、黒いTシャツ。髪を高い位置で束ねた浜名の姿は、普段よりもいっそう快活でそのスタイルのよさが際立っていた。よく見るとそのTシャツは半分溶けたような人骨のイラストと、「とろんボーン」という文字がプリントされた、なかなかシュールなデザインだが、浜名は何を着ても洗練された着こなしに見えるから不思議だ。
「おお、大橋。おつかれ。」
「お疲…、失礼します。」
あわてて夏樹が言い直すと、浜名は目を細めて、よろしい、とつぶやいた。
夏樹のほかには二年生の下原や竹野、秦、松木など八名ほど、一年生は山本と池辺、五嶋、大口が、みなジャージやTシャツ姿で所在なさげに立っている。
「こんにちは!」「ちはっ!」
挨拶の声がしたので振り返ると、大ホールの入り口に永村、剣崎、堀川、ハルカが立っていた。二限の授業に出ていた面々だろう。
「よーし、そろったね。」
四人が荷物を端に置いて準備を済ませると、浜名が言った。藤沢のキャンパスにいる掛野と中野は、今回の練習には参加しないらしい。
「じゃあ、昼練はっじめまーす!」
「はーーーーーーーい!」
浜名がドラムスティックをカンカンと叩き合わせながら大声で叫ぶと、周りの二年生たちがそれに負けじと大声で返事をした。
一種宗教団体じみた光景だった。
あっけに取られている一年生を見て、浜名はへにゃりと形の良い眉を曲げた。
「一年生、声出して。もう一回行くよ、昼練はじめまーーす。」
「は、はーーーーーい。」
浜名の言葉に、一年生たちもあわてて返事をした。とにかく何をするにも、二年生のやることに合わせておけば、まず間違いはない。この何週間かで一年生たちは、この部での身の振り方を学んでいた。
「というわけで、いよいよ今日から、ドリルの練習を始めます。」
浜名は全員の顔を見渡しながら言った。
「まあ今更だけどいちおう自己紹介をしておくと、ドラムメジャーサブの浜名です。パートはトロンボーン。好きな食べ物は納豆。よろしく。ドリルっていうのは、みんなもう知ってると思うけど、簡単に言えば、立ったままで歩きながら演奏をすること。マーチングとも言うね。」
浜名は腰に手を当てて、さっそく説明を始めた。
「といっても、ただ楽器を持って歩けばいいわけではなくて、みんなでそろって美しく、かっこよく歩かないといけません。だから、今日からこの昼休みの時間を使って、ドリルの歩き方を一年生のみんなに身に着けてもらいたいと思います。」
そこで浜名は言葉を切って、腕を組んでふむ、とうなった。
「うん、まずは一回見てもらった方が早いかも。二年生、全員ついて。」
「はい!」
浜名が指示を出すと、二年生たちはきびきびとした動きであっという間に四角形の隊列を作った。
「じゃあ、右の四角一周ね。ホルト!」
浜名が声と同時にドラムスティックをカンと打ち鳴らすと、二年生たちは少し前重心に近いような姿勢を取り、トランペットを構えるように腕を前に持ち上げた。
「マークタイム、マーチ!」
浜名が号令をかけ、スティックでメトロノームのように一定の間隔でリズムを打ち鳴らす。
「しっと、いちと、にと、さんと、しっと、」
二年生たちはスティックの刻むリズムに合わせて足踏みをし、五歩目で全員が左足を前に出した。
それから、八歩前に進んだのち、右へ八歩歩くのだが、右へ歩く際も、二年生たちは正面を向いたまま進んだ。つまり、足が進む方向と顔の向いている方向が九十度異なる。
腰をねじるようにしてまっすぐ正面を向いたまま右へ進む二年生たちを見て、夏樹は思わず顔をしかめた。どう考えても維持するのが辛い姿勢だ。これで楽器を演奏するのか?
正方形の二辺を歩き、二年生たちは今度は後ろ向きに八歩進み、そのまま左に八歩進んで元の位置に戻ってきた。終始、上半身は正面を向いたままだった。
「マークタイム、ホルト!」
浜名の号令とともに、二年生はぴたりと足を止めて、最初の姿勢を維持している。
「解除。」
浜名がカン、とスティックを打ち鳴らし、ようやく二年生が姿勢を崩した。
「おおー。」
夏樹のそばで見ていたハルカが、ぱちぱちと拍手をし、それにつられてほかの一年生も拍手をした。
二年生たちはどことなく得意げに、一年生に笑顔を向けた。
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