第2話 新歓
「いやー、大橋くんだっけ?あ、えっとまずは、光海大学入学おめでとうございます。」
水上はそう言って、夏樹にお辞儀をした。夏樹もあわてて、ありがとうございます、と言いながらお辞儀を返す。
「学部は?」
「法学部です。政治学科のほう。」
「おう、法政か。俺は経済学部四年生の水上といいます。」
四年生というと、最高学年じゃないか。少なくとも三つは年上。夏樹は急にたたずまいを正し、背筋をのばした。
「あはは、そんな緊張しないでいいよ。大橋くんは、うちの部のこと知ってた感じ?」
「いえ。さっき中庭でたまたまステージを見て、それから、えっと、さっきの二人に声をかけられて。」
夏樹がそう言うと、水上はふむ、と言った。
「ま、だいたいそんな感じだよね、うちの部に入ってくる子って。サックス経験者ってことは、吹奏楽部出身?」
「はい。中学校で吹奏楽部でした。」
「なら、吹奏楽がどういうことやってるかはだいたい知ってるか。うん、まあ、うちの大学には音楽サークルもいっぱいあるんだけど、そのなかでも吹奏楽をメインにした団体はうちと、日吉にもう一つ、それから藤沢のキャンパスにもう一つ。でも、うちの部にしかない特徴がいくつかあるからそこから紹介していこうか。」
水上はそう言って、さっき夏樹がもらったのと同じ勧誘ビラを取り出した。
「まず、光海ではうちだけが、応援、座奏、マーチング―部員は基本的にドリルって呼んでるけど―の三つをやってる。大橋くんはマーチング経験者?」
「いえ、マーチングはやったことないです。」
「そっか。まあ、うちの部にはドリル経験者で入ってくる人なんかほとんどいないから大丈夫。中庭ステージを見てくれたんだったら、まあ、あれがドリルね。立って動きながら演奏するやつ。」
水上はそう言って、チラシの右下にある写真を指さした。さっき見たのと同じ衣装を身にまとったトランペットの部員の写真が写っている。
「で、座って演奏するのが座奏。クラシックとかポップスとか、わりとなんでも演奏しちゃうのもうちの特徴かな。」
水上は今度は左下の写真を指さす。どこかのホールでの演奏風景を撮影したものだろう。黒のスーツや白いブラウスに身を包んだ部員たちが指揮者の指揮のもと演奏してる様子が写っている。
「そして、うちの最大の特徴が応援。野球部とか、アメフト部とか、うちの大学にあるたくさんの体育会の部活の応援をするわけ。」
水上が指さした一番上の写真には、詰襟の学生服、いわゆる学ランを着た男子部員と、リクルートスーツのような黒いスーツを着た女子部員がどこかの野球場のスタンドで演奏する様子が写っていた。
「まあ、それぞれおもしろいけど、俺はこの応援活動がいちばん好きかな。」
水上はそう言って、手元の紙コップからお茶を口に含んだ。
「あの、野球応援がメインだって聞いたんですけど。」
「うん。まあ、一番数が多いのが首都六大学野球のリーグ戦応援だね。」
「首都六大学…?」
夏樹は初めて聞く言葉にぽかんとした。
「あれ、大橋くん、六大学知らない?もしかしてこの辺の出身じゃないんだっけ?」
「はい。福岡から来ました。」
おお、と言って水上は目を輝かせた。
「九州男児か、いいねえ!俺も静岡の出身でさ、一人暮らしなんだよー。いやー、嬉しいねえ、地方出身者が来てくれるっていうのは。」
「で、首都六大学っていうのは。」
「ああ、明智大学、法曹大学、倫教大学、増世田大学、帝都大学、そして光海大学の六校が、毎年春と秋に神宮球場でリーグ戦をやってるんだ。そこの試合で応援をするのが応援指導部の大事な役割っていうこと。」
光海大学が六大学の一校だということも、リーグ戦のことも、夏樹にとっては初めて聞くことばかりだった。
上京して初めて目の当たりにした渋谷のスクランブル交差点も、銀座の街並みも、どこか非現実的な風景に感じたけれど、野球という言葉に、なぜだか急に、東京という都市が実体を持って感じられた。
「あの、練習とかってどれくらいあるんですか?」
「ん?えっと、毎週火曜日と木曜日に練習があって、あとは土日にたまーに応援があるくらいかな。合宿が夏と秋にあるけど、まあ、それも自由参加だし。」
水上はのほほんと答えて、ニヤリと笑った。―六大学のリーグ戦期間中はほぼ毎週試合があることなど、福岡から東京に出てきたばかりの夏樹は知らなかった。
この三年間、やりたいことも、甘酸っぱい恋愛も、高校生活でしか味わえないような青春の輝きも、夏樹にはなにも無かった。
全てを受験勉強とESSの活動のために犠牲にしてきた夏樹にとって、応援指導部という団体はとても魅力的に思えた。
―吹奏楽、もう一度やりたいな。
泥水のような高校生活を振り返って、夏樹は呟いた。
「まあ、せっかくの大学生活だからさ、充実してる方がいいと思うよ。」
水上は夏樹に笑いかけながら言った。
「充実っていう面では、うちの部はぜったいに後悔させない。」
水上が自信たっぷりに放った言葉は、夏樹の心を踊らせた。
だから、夏樹は気づかなかった。説明をしてくれる水上はニコニコと笑ってはいるが、一度も夏樹と目を合わせていないことに。
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