5:告解コッカイ

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 彼女の心臓を骨子が貫いたのは死んだ後のことだったらしい。


 それを俺が知ったのは警察官になってからの話で、それまで彼女のことを俺が憶えていたかといえば、忘れていた。


 正確には、忘れようとしていた。

 苦い思い出として、アルバムに綴じようとしていた。


 そんなこと、してはいけない――と、少年の俺が深層心理から声をあげなければ、俺は、こうして彼女の家に乗り込むこともなかっただろう。


 トイレに行くふりなどして、何とも滑稽。上司にばれでもしたら、即解雇、即豚箱だ。そんなことは百も承知である。


 国吉家にお邪魔して、宮良に時間を稼いでもらいながら、俺は彼女の部屋を探した。


 二階に上がり、突きあたりの扉を、引く。


 鍵はかかっていなかった。


 部屋の場所は、生前の彼女との話題に上がった『部屋の片づけが上手くいかないのは単に集中力が散漫しているから』という耳に痛い議論をしたときに聞いていた。


 ここで鍵をかけられていたなら、もう打つ手は鍵開けしかなかったのだが、どうやらそれは避けられたらしい。


 部屋の中は、何もかもそのまま、だった。


 何かを片づけた痕跡も、荒らされた痕跡も、探られた様子もない。

 ただただ平凡な、壁と床にピンク色が多い、自己主張の激しくなる思春期真っ最中の女子中学生が過ごしていそうな。いかにもな部屋だった。


 閉め切られていたからか、多少埃っぽい。


 持参した例の洋封筒を取り出し、鍵を手にする。


 型番を調べたところ、子ども用机の横にあるキャスターつきの道具入れの鍵だった。部屋の扉を閉め、内から鍵をかける。


 子ども用机は、部屋を入って右手。すぐに見つかった。


 鍵を入れて、回す。

 開いた。


 無言のまま、開錠された引き出しに指を掛ける。


 今はもういない、真意が問えない同級生。

 彼女はいったい、何を残したのだろうか。震える指が、この先を知りたくないと喚く。


 ……それでも。


「こんなことができるのは――多分俺だけだ」


 一思いに引き出した。


 何年も放置され、さびついたレールが鈍い悲鳴をあげた。

 それでも機能するに足りる摩擦率は保持されていたようで、俺は難なくその中身を確認することができた。


 中には、二通の洋封筒が入っていた。


 一つは十八年前に用具入れに入っていたものと同じ、青い洋封筒。もう一つは、彼女が残したメッセージカードにあった、パセリと同じ緑色。


 緑色の封筒には付箋が貼られていて、「家に帰ってから開けるように」と綴られていた。俺は、青い封筒から開封する。



『この引き出しの奥に、鍵があるわ。同じ部屋のクローゼットの服の奥、合板を裏返して天井の近く。必要になる鍵は一つ。

 開けて頂戴。貴方なら暴いてくれるって、信じてる』



 花の絵がついた便箋の内容は、そういうものだった。


「……とんだ信頼だ」


 ここまできたなら、当時の女子中学生が思い描いた通りに、行動してやるまで。毒を食らわば皿まで、である。


「まずは予定通り、宮良に定期連絡するか」


 三分置きに電話をすること。

 これが、俺に協力するにあたって宮良――俺にしては珍しく、親友と呼べる相手――が出した条件だった。


 二度のコールの後、宮良が通話を繋ぐ。


『はい、宮良です』

「目的の物までもう少し。因みに、後どれだけ保つ?」

『ああ、すみません。現在関係者の方から事情を伺っている最中でして……』


 事情を伺っている最中。まだ、決定的な発言を引き出せてはいないということか。


「こっちはもうしばらくかかる。そっちも頼むよ」


 通話を切る。


「さて」


 無駄にする時間はない。


 便箋の指示に従って、引き出しの奥に腕を突っ込む。


 成人男性の腕を入れるには少々狭い。下の大きい引き出しを引っこ抜いて顔を突っ込んで見上げた方が、効率は良かった。


 引き出しの奥、鍵のかかる上部の引き出しと、鍵のない下の大きな引き出しのどちらを使っても、丁度死角となる位置に。


 今度の鍵はメモ帳の切れ端だ。番号が五桁並んでいる。

 

 俺はそれを確認して振り返った。


 学習机と対面するクローゼット。

 女子中学生の侵されざる領域に踏み込むのには、それなりの勇気が必要とされたが、そんなことを考えている時間も惜しい。


 観音開きを開け放つと、そこには制服が下がっていた。

 夏服、冬服。セーラー、スカート。ジャージ。下着。スポーツブラ。白のタンクトップ。靴下。学生鞄。平積みの教科書。


 私服はない。


「っう」


 感想を抱くのは後だ。


 制服をかき分け、いや、この際外してしまおう。

 服が掛けられているつっかえ棒を取り外し、服類をベッドの上に移動する。


 現れたのは、クローゼットの飴色とは不釣り合いな、肌目の荒い、安そうなベニヤ板だった。

 爪を引っ掛けて取り外す。爪の間に棘が刺さったが、これぐらいの怪我、なんてことはない。


 板を退けると指示通りの鍵――ダイヤル式の鍵が。

 鍵穴というよりは、金庫だった。その鉄の扉が右上の角に現れた。


 壁の中にどのようにして埋めたのか分からないが、どうにかして埋めたのだろう。しかし、女子中学生がこの位置に、金庫を埋められるとは考えにくい。


 ……じゃあ、誰が?


 疑問はあるが、今は中身を確かめるのが先決か。


 メモにある数字に合わせて回すと、抵抗なく開錠された。




 百均で購入しただろう、タグのついた小さな赤いスコップと。

 黄色く変色した指輪をつけた、腐った指が一本。




 それを発見した時点で当初の予定は完遂したも同然だったし、いっそのこと一般人らしく絶叫なり失神なりできればよかったのだが――残念なことに俺は、傘の少女が言わんとしたことが、その意図が。嫌というほどに理解できてしまった。


 急いでスマホの通話画面を開く。定期連絡だ。


「もしもし」

『お待たせしました、こちら宮良』

「……俺、今から裏庭に降りるよ。ちょっと地面掘ってくる」

『はい?』

「そこの母親には『行方不明の子が見つかった』って言って、適当に切り上げてもらって構わない。俺は腹痛が増して車にいるってことにしてくれ」

『そうか、分かった。……無理は、するなよ』


 今度はあちらから通話が切られた。話を引き出す途中だったのだろうか。悪いことをした。


 緑の洋封筒は未開封のまま、内ポケットにしまう。


 さっきの便箋には花の絵があった。桜の花だ。

 ……この家の庭にも、桜の木がある。


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 彼女の部屋の窓から外に降りると、それはすぐそこにあった。

 根元には風化した割り箸が一膳。悠然と突き刺さっている。


「ここ掘れ、ってか」


 俺は犬じゃねえ。と、故人にぼやいても仕方がない。俺は赤いスコップを土に突き立て、無心に土を掘り返した。


 掘った。


 掘った。


 掘って掘って。


 掘って掘って掘って。


 案外浅いところで、白い頭蓋の殻を、発掘した。


 家の中から、物が割れる音がした。


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『やあ。元気してる、仲原さん。この便箋は緑の封筒の中身。これを貴方が読んでいるということは、私はやっぱり死んだのかしら。そういうことかな。もしかしたら、何年も経ってるのかもね。私の予想だと、あれから二十年弱ぐらいかな。すぐに捕まえられるとは思わないもの。だって私も貴方もまだ子どもだし。このご時世、子どもにできることには限度があるものね。


 さて、全てが終わったご褒美に、私から本音をプレゼントしましょう。ほら、私の話、聞きたがっていたでしょう。カラオケでの話。私、憶えてるわ。いらないことばっかり憶えてる。だから、ここでだけ話をさせて。私の話よ。よく読んでね。


 私はね、多分母に殺されるわ。貴方と仲良くしちゃったから、もう駄目なの。父が私を愛したときもそうだったの。父はね、家の裏に埋まってるわ。でも、父は殺される前、私の部屋に金庫を埋めて、そこに自分の薬指を置いていったの。結婚指輪と一緒に。自分だって分かるように。いつか母を、「国吉恵美」という個人を断罪する為に。


 父は私を愛してくれたの。私のことを第一に想ってくれてたの。あのとき、父が私を『私』という立ち位置にしてくれなかったら、そのとき一緒に死んでたかもしれないわ。そうしたら、仲原さん、貴方にも会えないままだった。それだけは奇跡ね。後悔は微塵もしてないのよ。余命いくばくもない無力な女子中学生が味わうにはまだ早い、甘酸っぱい時間をありがとう。


 でもね。多分、これを読んでいるということは、貴方は私の母を検挙したのだと思うのだけど。私自身は、母のことも、父のことも、そこまで嫌いじゃなかったのよ。確かに殴ってきたり、襲ってきたりはしたけれど、どうしたって自分を産み落とした根源だから、憎もうにも憎めたもんじゃないわ。本当は、殺してやりたいぐらいだったはずなのに、分かっちゃうのよ。母の気持ちが。私だって、好きになった相手が私を見てくれていた方が嬉しいし、幸せだと思うわ。だからね、貴方は責めるかもしれないけれど、私は殺されることに関して、これっぽっちも不安じゃないし、不満じゃあない。でも、貴方が夏雨の日にでも、私に会いにきてくれるというなら。あの青いビニール傘を持ってきて頂戴、そうね。同じものじゃなくても良いから。そうして貴方が私に傘をさすの。私の為に。私の墓標に。


 本当はね、私がどうしようもなくあの人に似て育ったものだから、貴方のことを突き放そうと思ったのよ。だけど、できなかったの。ごめんなさい、勝手に墓穴を掘って、勝手に死ぬのよ、私。怒らないでね。私、それほどまでに盲目になってしまったのよ。ずっと酷い熱に浮かされてるの。貴方がいない世界はいらないって思うぐらいに。まるで、水の中で無心にクローンを作り出すプランクトンの気持ち。これが恋心なんて、私まで狂ってしまいそう。だから、ごめんなさい、謝っておくわ。許さないでね。私のこと。忘れちゃ駄目よ、私を憎んで、恨んで、許さずに、生きる権利が、貴方にはある。こんな厄介な小娘に恋心なんて気持ち悪いものを抱かれて、本当にごめんなさい。でも、貴方に死んでほしくないと思ったの。貴方が殺されていいとはどうしても思えなかったの。私が死んでしまったとしても、貴方には幸せに生きてほしいって、思ったの。


 だから、最後に呪いを吐くわ。貴方の為に嘘を吐く。


 私は、興味がないの。自分のことも、貴方のことも、学校のことも、親のことも。強いて知りたいことといえば、私が産まれて正解だったのか、くらい。私は父には興味がなかったし、母にも未練もないし、だけど、私にも欲しいものができたの。こんな救われない私にも一つだけ……もし、貴方が赦すなら。


 仲原樺依。私ね、貴方の心が欲しい』





 あのとき。傘の少女の遺体が見つかったとき。真っ先に疑われたのは俺である。


 第一発見者であり、夏休み以前に「咲」と交流があった人間が、彼女の親族であった「恵美」さん以外に俺ぐらいしかいなかったから、というのが警察側の見解だった。


 疑いが晴れるまで、それなりに時間を要したが。

 俺は高校を卒業して後、どういうわけか警察学校に入校した。


 大学の卒業資格は通信教育で手に入れた。訓練を受けて、実践を重ねて、経験を積み。やっとの思いで所轄配属になった。


 同級生の宮良がキャリア路線で転勤してきて新しい上司になるとは思いもしなかったが――あの日を言い訳に忘れようとしていた彼女のことは、例え俺が警察官にならなかったとしても、いつかは突きつけられる現実だったのだろう。


 平和の象徴、青い傘。


 誰よりも助けを必要としながら、他人の平和を願った少女。


 自分の為に傘をささなかった彼女が、最期の最期に。根源である父親を、恨むべき母親を、見捨てるべき俺までも庇って。一人犠牲になる覚悟であの傘をさしたのだとしたら。


 自らの命を、差し出したのだとしたら。


「……赦すも何も、呪いなんか必要なかったっていうのに」


 好きだった。嫌いじゃなかった。

 初恋は、叶わない。


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 仲原樺依は、それなりに良い人生を送った。


 良い嫁さんに恵まれて、子どもに恵まれて、精一杯愛して、自立させて、孫の顔を見て、時代に翻弄されつつも、良いことばかりじゃなかったけれども、実に悪くない生き方をして。


 国吉咲に望まれた人生を、その心を供物として捧げたまま。


 最期は家族に看取られながら、まあまあ幸せに死んだ。




 ……何が正解だったのか、今となっては分からない。


 きっと余すことなく間違いで、全て正しかったのだろう。


 灰になっても、わらえる話だ。

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彼女は傘をささない。 Planet_Rana @Planet_Rana

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