4:厳酷ゲンコク

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「こんにちは。こちら国吉さんのお宅でよろしいでしょうか?」

「ええ、そうですが」

「そうですか。私は宮良、隣の彼は仲原と申します。実はこの近辺で女子中学生が一人行方不明になっていまして。その件について聞き込みをしているのですが、今、少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか」


 はい。と答えて招き入れたのは、白シャツ姿の若い警察官。


 二人の若い男性を客間にあげ、私は首をひねった。

 片方は栗色の髪。もう片方は黒い髪をしている。

 とても、素直そうだ。


「では、一つずつ質問をさせてもらいますね」


 栗髪の男性、宮良とか言ったか。はいう。


「国吉恵美さん。貴女は既婚者でしょうか」

「ええ」

「旦那様は」

「海外へ出張に出かけています」

「そうですか。確か娘さんもいらっしゃるはずですが?」

「娘、娘はいません。私たちは子どもを授かれなかったんです」

「そうですか。では、そこの写真立てに写っているのは」

「ああ、確か姪だと思いますが」

「貴女には姉弟がいらっしゃいませんよね?」

「いいえ、父が再婚したときに一人従妹ができましたよ」

「そうですか」


 宮良は顎の方に指を添えた後、何やらメモを取る。


「重要な情報でもありましたか?」

「ええ。とても重要な情報がありましたので。ああ、秘密は絶対にお守りしますので、ご安心ください」

「そうですか。……あの、警官さん。その、後ろの彼。あまり綺麗にしていないので、物色して欲しくないんですけれど」

「それは失礼。おい、仲原」

「ああいえ、怒るほどのことじゃあないんです。……ああ、お手洗いを借りたいのですね。それなら玄関側の廊下に。どうぞ」

「すみません、うちの相方が」

「いえいえ。それで、何のお話だったかしら」

「では、こちらをご覧ください」


 宮良は、革の鞄から資料を取り出して並べた。


「これは?」

「貴女の母子手帳です」

「母子手帳」

「お子さんを妊娠されたときに産婦人科で貰うあれです。ここに、『えみちゃん』という名前が記入されています。ご存じありませんか」

「いいえ、確かにこれは私の筆跡によく似ていますが、身に覚えがありませんね」

「そうですか。ではこちらはどうでしょうか」


 宮良は、資料の一つを上に重ねた。


「これは?」

「貴女の親族についてまとめさせていただいたものです。こちら、貴女のお父様は早くに亡くなられていて、お母様も再婚はされていませんね。お二方共に、兄弟はいらっしゃらないようです」

「そうですか。知りませんでした、では、あの姪は誰だったのでしょうか。友だちのお子さんだったのかもしれませんね」

「そうですね」


 宮良は言って、振動したスマートフォンを手に取った。


「失礼」

「お気になさらず」


 どうやら着信だったようだ。


 それにしても、行方不明事件とは。

 巷で起きた事件なら、私の耳にも入っているはずだが、それすらも忘れてしまっていたらしい。

 記憶力がないのは昔からだが、少しは憶えるようにしないといけない、な。


「国吉さん」

「ああ、お電話済みましたか」

「ええ――国吉さんって、結婚されてからずっと、ここに住まわれているんですか」

「はい、そうですよ。住み始めてから二十年は経つんじゃないかしら。夫がローンを組んでくれたんですよ」

「そうですか。では、今も旦那様がお支払いを?」

「いいえ。私が稼いだお金で賄っています」

「旦那様は」

「あの人、もうずっと前から出張で。ここ二十年は私が代わりに振り込んでいるんです」

「旦那様の銀行口座から、ですか?」

「?」

「旦那様の、口座から」

「……確かに毎月、私の通帳にいくらか振り込んでは貰っていますけれど。それにしたって生活費ですよ、それがどうかしましたか? ……ああ、そうだ。お茶のおかわりは、いりますか」

「頂いてもよろしいでしょうか」

「蕎麦にアレルギーなどは」

「ありません。蕎麦茶ですか」

「ええ、そうなんです。最近はまってしまって」


 蕎麦の香りと共に、湯飲みが湯気に包まれる。


「お手洗いに行った彼の分も、淹れてしまいましょうか。緑茶はもう冷えてしまっていますし」

「お気になさらず。しっかし彼、お腹でも壊しているんでしょうか。私も少し心配になってきました」

「いえいえ。お客様に冷たいものを飲ませるわけにはいきませんから。……ふふ、彼とのつき合いは長いんですか」

「幼稚園からの腐れ縁です。大学は違うんですが」

「そうですか」

「はい」


 宮良は茶碗に口をつける。

 スマートフォンが机を震わせた。


「すみません、何度も」

「お仕事ですもの、仕方ありませんよ。どうぞ」

「では、お言葉に甘えさせてもらいます」


 液晶画面を耳にあて、宮良はぽつぽつと話す。

 何度か向こう側に向けて相槌をして、きゅ、と。眉を寄せた。


「そうか、分かった――」


 そう言って通話を切り、もう一度すまなそうにする警官。


「何か問題が起きたんですか」

「いえ、別の案件で動いている同僚から変な電話がありまして」

「変な電話、ですか」

「はい。……実は。ここだけの、話なんですが。その行方知れずの中学生が、今見つかったみたいでして」

「ええ! それはよかった!」

「いや、それが……その、亡くなられていました」

「あら、ごめんなさい。私、不謹慎なことを……」

「いいえ、我々警察がもっと早くに見つけられていれば、こんなことには。申し訳ありません、国吉さんにもご迷惑をおかけしてしまって」

「残念ですね……寒かったでしょうに、暑かったでしょうに」

「そうですね、きっと、寒かったし、暑かったと思います」

「ええ、ええ、とても、残念……」


 見つかった中学生は、とても心細かったことだろう。その死因が例え、低体温症と餓死だったとしても――。


「……ええ、ここで発されるべきは『では、どうして』です」


 宮良はそういったが、私には聞こえなかった。


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「では、どうして。貴女はその中学生が、寒かったし、暑かったことを知っているのでしょうか――今は真冬です、外の気温は一桁になることもある。寒かったはともかく、暑かった、というのはありえないのでは」

「今日は七月二十六日、まだ暑いでしょう」

「今日は二月四日です。いつの話をしてらっしゃるのですか」

「そうかしら、でも、暑いわ」


 かち、と。冷房の設定を下げる。

 灰色の画面が知らせるのは十二度。冷たい風が額を撫で、滲んだ汗を蒸発させてゆく。


 ああ、そうだ。まだ暑い。


「暑いから、まだ七月よ。私が七月と言ったら七月なの。それに、七月は暑いのに、寒かったっていうのは合わないでしょう。私は、寒かったでしょうに、と、言いましたよ」

「……そうです。そこです。問題はそれです。どうして貴女は、今から十八年前の七月の話をしているはずなのに、『寒い』なんて単語を使ったんですか」

「ええ? だってそれはもう。冷蔵庫なんかに入ったら、寒いに決まっているでしょう。しっかり冷やしたはずですし」

「……冷蔵、庫、ですか。まさか貴女は――貴女はあの子を、冷蔵庫に、入れたんですか。実の、娘を」

「……?」


 首を傾げる。私はあたり前の話をしているはずだ。だって、冷蔵庫に人が入ったら寒い。冷たい。あたり前じゃあないか。


 かちかちかち、と、手元のリモコンが狂ったように音を立てる。爪があたる音だ。設定温度は最低、これ以上は下がらない。


 冷えない。


 喉の裏が酷く乾いてしまって、私は机のお茶を一息に飲み干す。口がつけられていない、もう一人の彼の分も飲み干した。


 乾く。


 全然足りない。


 私が蒸発していく。


「その子が、どう死んだなんて知りませんが――私は旦那の為に夕飯の支度をしなければ、いけないんです。冷蔵庫に人が入ったら寒いのはあたり前です。使えない食材は、捨てなきゃ。大きいお肉なんて、とても食べきれないですよ。大きな串焼きにしようとでも思いましたが、刺したところで無理でした。そもそも夫を愛さない『私』は私じゃあないんですから、私が、夫を愛さなかった『私』を食べても身になりはしません。私は夫に愛されている。私は夫に愛されています。夫は、私だけを、私だけを見ているんです。今は遠くからですが、きっと、ずっと見ていてくれてるに決まっているんです」


 舌が乾かないように、喋る。冷えきった皮膚の裏が、沸騰するように暑い。ぐらぐらと煮えた鍋の底のように茹る。


「でもそうだ、そうよ、ずっと間違っていたの、間違っていたのは私だったのよ、だって、夫が、彼が、和彦が! 私以外を愛するなんてありえないじゃない! 『私』は私だった! ああそうだ、そうだわ、だって、だってね、貴方もそう思うでしょう、ぜったいそうだわ、そうに決まってるじゃない、ああ、そうだ、だとしたら勿体なかったわね、私が『私』の若い身体をもっと大事に取り込んであげてたら、もっと私も『私』に近づけたに違いないもの。『私』は若気の至り、夢を見ていただけなのね。捨てるんじゃなかった。もう、最近は暑いからお肉の保存だって難しくって。暑くても外に置いておくか、捨ててくるしかないんですもの。でも、あんなに大きな肉を、ゴミ袋に出すのはご近所迷惑ですし。そうね、だから私は『私』を川に流したんだわ。だって、お魚は肉が腐っていようが気にせず食べてくれるでしょう? そしたら綺麗に骨が残るでしょう? ふふ、肉がなくなった後だって、あの人はずっと私の隣にいるじゃない! だったら綺麗な方が良いものね。あの人に見られるなら、私、肉がなくても構わない。なんで分かんないのよう、気づかない私もばっかねえ、勿論貴方も! 『私』も!」


 茶碗を壁に投げつけ、砕く。

 リモコンを床に叩きつけ、蹴り飛ばす。


「はは……」


 深呼吸。お見苦しいところを見せてしまったようだ。


「そういうわけですので。お帰り下さい、警官さん」

「国吉さん」


 こちらの言葉を無視する形で、宮良は口を開く。

 手には光る画面。まったく最近の若者は礼儀がなっていない。


 そんな失礼な態度にムッとしたが、私は心が広い人間だ。許容しよう。だって、今は特別気分が良い――。


「貴女の家の裏庭から、貴女の旦那様の骨が出ました」

「え?」

「なので国吉恵美さん。国吉和彦さん、国吉咲さん殺害事件の重要参考人として、署までご同行願います」

「え?」

「ご存じありませんか? 殺人について時効が廃止されたこと」

「え?」

「さあ行きましょう。ご安心ください、物証は揃っていますよ」

「え?」


 私は促されるまま家を出て、それから二度と戻らなかった。




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