二人の想いの距離 中編
まるで私が頬を引き締めるタイミングを見計らったように、ディスプレイの表示が急に忙しくなり、短い音を立ててエレベーターが止まります。
シャッと開いた扉から、ゆっくりと、でも、しっかりした足取りで降りてこられたのは、八十歳ぐらいの御爺さんでした。いかにも職人風、とでもいうのでしょうね。ちょっと気難しそうなお顔をされております。お召しになられているスーツも似合っておいでですが、つなぎに捻り鉢巻きの姿もしっくりきそうな雰囲気がありました。
「こんにちは」
ニッコリと笑って私が挨拶しますと、御爺さんは全く変わらない表情のままでお辞儀をされました。
「……どうも」
もう一度私はニッコリと微笑み――。
「西村 斉さまですね……お待ちの方は……あっ!」
ディスプレイに出てきた文字を目で追い――、意味が頭に入ってきた瞬間に、思わず、息を呑んでしまいました。
面会者の項目には、西村 優さまと、お名前が出ております。関係も、夫婦と表示されていらっしゃいますが、それだけでしたらいつものことです。驚いてしまったのは、西村 優さまの名前の横にも、特徴的なマークが示されてたからです。
運命を表す鎖のように重なった二つの輪の意匠。
この世界に一度さよならをした証が、そこにはありました。西村 斉さまと、同じように。
一瞬、素の表情を出してしまった私に、さっきの気難しい顔から一転してからかうような笑顔を向け、西村 斉さんがお尋ねになられました。
「家内はまだかい?」
斉さんの言葉に弾かれるように、大急ぎで追加検索をします。西村 優さんは、現在移動中のようで、エレベーターのひとつへと入られた所でした。
エレベーターの進路を、この部屋になるように再設定してから、私は西村 斉さんに向き直ります。
「今現在、こちらに向かっている最中です」
一礼して告げる私に、そうかい、と、斉さんは短く頷かれました。そして、柱に背を預け、煙草を一服するような体勢で微かに顎を引いて天井を見上げております。
燻し銀のようなその立ち振る舞いに、流石、伊達に人生を経験していないな、と思ったのですが、数瞬後、エレベーターが止まった途端、漫ろになった手や、エレベーターのドアを見る視線や、一歩進んでは止まる足から、実は結構そわそわしてたんだなって気付いてしまいました。
意外ではありましたが、やっぱり、人ってそういうものだよね、とも、思ってしまいまして、私は、つい笑みを零してしまいました。
誰だって、そんな簡単に大人には成れませんよね。
いえ、無感動なのが大人なのだとしたら、成りたくありませんものね。
でも、泰然と構えられている方が、ちらっとみせた子供っぽい仕草は、なんだか、とても、ほっこりして癒されます。
ご本人は――特に男性の方は、そういう場面を見られると、その後すぐに照れて不機嫌になってしまわれますが、そんなに気にしないでもいいと思います。
ちなみに、エレベーターから降りて来たのは、斉さんとは違い、いかにも優しそうな容姿の猫背の御婆さんでした。
「遅いな」
だけど、斉さんが照れ隠しに不機嫌そうな顔と声で言えば、優さんも負けじと言い返していらっしゃいます。
「なにを言うのかね。待たせたのは、アンタの方だったじゃない」
……案外、似たもの夫婦、なのかもしれません。
二人のやり取りに、ちら、と、改めてプロフィールに視線を向けます。確かに、優さんが亡くなられた一年半後に斉さんは亡くなられているようでした。それから、遺言や遺産の整理・手続きで更に半年が過ぎ――。今日、この日に二人は再会されたようです。
ふと、二人が再開するまでの間にあった時間が、どのくらいだったのか、という疑問が浮かぶます。一年半が正解なのでしょうか? 二年ぶり? もしかしたら、この世界じゃない世界では昨日まで一緒にいたのかもしれませんよね?
私には分かりませんが、覚えていないだけで――、いえ、こちらに戻ってきた時に忘れてしまっているだけで、本当はここじゃない世界もあるのかもしれませんし。
と、そんな事を考えていると、不意に優さんと目が合ってしまいました。
ボーっとしながらもまじまじとお二人を見てしまっていたことを咎められてしまったのかと思い、身を正しますけど、どうやらそれは早とちりだったようです。むしろ、夫婦喧嘩……というか、夫婦漫才? を、見せてしまったことに対して照れているようなお顔をされた優さんに、深々とお辞儀をされてしまいました。
そこで初めて、私が優さんには挨拶していないことに気付き――。
「こんにちは」
と、今更と思われてしまうかもしれませんが、私は挨拶をしました。
ええ、何事に起きましても挨拶は基本ですから。
「はい、こんにちは」
優さんは優しい顔で挨拶を返してくれました。
そして――。
「二人で決めていたんです」
優さんが、皺皺のお顔で照れ臭そうに笑って、斉さんの腕を取ろうとされました。
でも、再生技術の限界のため、その腕は斉さんをすり抜けてしまいます。
お二人は、最初、訝しげな表情でお互いに見詰め合い、それから、恐る恐る手を重ねようとして――今度も、重ならずにすり抜けてしまい、それで、納得されたようでした。
私には、なにも言えませんでした。
ただ、お二人の視線を受け、頭を下げただけです。
ほんの少しだけ間が開き、優さんの声が聞こえてきました。
「一番最後の時間は、子供や孫じゃなく、二人きりでって」
顔を上げれば、少しだけ悲しそうな顔の優さんは、それでも、まるで初めて恋をする少女のような、照れた笑みを浮かべ、斉さんの隣に並ばれました。
斉さんも、なにも言わずに、少し照れた顔で優さんに寄り添われておりました。
この世界での五時間の後――。
この世界じゃない世界でも、ふたりが一緒で、幸せであればいいな、と、私は、心から願いました。
「それでは、いってらっしゃいませ」
手元のパネルで入り口のドアを手動に切り替えて開け放ち、二人を改めてこの世界へとお見送りさせて頂きます。
「「ありがとう」」
重なったお二人の声が聞こえました。
私が再び顔を上げた時には、ゆっくりと遠ざかっていく二人の並んだ背中が見えました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます