第八十六夜 乙女の気持ち

 エルフの森で一週間ほどの時が過ぎた。その時間は傷ついた人を癒すのや壊れた村を修復するには大きな時間であり、大半の人が治療を完治させて復興作業も半分以上進んでいる。


 それもこれも魔法によって回復が促されたおかげであり、その治療班筆頭のエレンは毎日毎日くたくたになるまで魔力を消費していた。


 そのおかげか魔法の循環効率を体で覚えていき、魔法の発動や効果が以前よりも少しパワーアップしていった。


 そんなエレンはまた違った激動の一週間を終えて今は村長宅の縁側の近くでお昼寝タイムである。そんなエレンの姿をハクヤは横目に見つつ、椅子に座って読書していた。


 すると、そんなハクヤにルーナが話しかけてくる。


「ハクヤさん、ハクヤさん。ちょっと時間いただいてもいい?」


「ああ、別に構わないよ」


 そして、ルーナに連れられたハクヤは少し人気のない場所までやってくると突然ルーナに頭を下げられた。


「この度は本当にご迷惑かけました。それとありがとうございました」


「どうした? 藪から棒に」


 ハクヤはそのルーナの言葉にあまりピンと来ていない。そもそもあまり謝られるような覚えがないのだ。

 だから正直、ハクヤは何に対して謝られて、そして感謝されているのかわからずに首を傾げる。


「それはいろいろですよ。まず鬼神薬のこととか、そしてあたしを信用してくれたこととか?」


「鬼神薬はそもそも奪われた物でそれを取り返すってことはできなかったし、ルーナを信用したのは会話してわかった人の良さだからだ。そもそも信用されたことに感謝するってどういうことだ?」


「だって、あたしってその......この森に厄を持ってきたようなものじゃないですか。

 あたしがそもそも魔族とかかわらなければこんなことならなかったし、こうなったのって私が連れて来たようなものかもだし.....」


「はあ......」


 その言葉にハクヤは思わずため息を吐いた。ここ最近、どこかで聞いたようなセリフだ。

 もう戻らない過去に対して嘆いている。もはや時間の無駄としか思えない。


  そんなハクヤの態度にルーナは思わずムッとする。


「なんすかその態度! こっちは誠意を込めて謝ってるのに!」


「謝ってるとしたらその態度はおかしいと思うが?」


「うっ、それは......」


「それにな、その事実はもうとっくに過去のことだ。過去を振り返ることは悪くない。ただ、今更嘆いたって仕方ない過去を今も過ぎ去っていく現実の前で後悔しようとするな」


「そんなこと言われても......」


「お前には反省する意思があるのだろ? なら、その過ちをどう繰り返さないかを考えて前に進むための行動が謝るって行為だ。

 それはいわば過去への清算の一つ。お前がただ嘆いて謝ったってな、それはただお前が過去に悪いことをしたという肯定文を言っているだけだ。それじゃあ、お前に何の変化も起こらない」


「......」


「お前は俺に叱って欲しいのか? だったら、俺が思う存分してやるさ。だが、それってのはこっちにも苦痛なんだ。

 俺はいじめて楽しむ趣味はない。だから、お前にマウント取って過ちじゃくてんを責めたってお前の心を傷つけるだけだ」


 ハクヤはなんだかんだで叱ってる風になってることに気付き、「すまん、言いすぎた」と思わず頬を掻いた。


 とはいえ、ハクヤの言いたいことは伝わったのかルーナはそれ以上自分の過去をほじくるような発言はしなくなった。


 そんなルーナにハクヤは年長者としてそっと頭に手を置いて優しく撫でる。過去にもエレンに似たようなことがあったのを思い出しながら。


「ルーナ、お前がこれからしたいことはなんだ? どんな小さいことでも言い。言ってみてくれ」


「あたしはとりあえずこの村のために復興作業を手伝いたい。そして、あたしのしでかしたことを最後まで一緒に面倒見てくれたハクヤさん達に恩返しがしたい」


「そっか。なら、今はそのやりたいことに集中しろ。過去を振り返ることはいつでもできる。だが、今したいことはその過ぎ去り続ける現実でしか実行できないことだ。

 振り返るのは心に余裕ができた時で構わない。できることをしなさい」


「......はい」


 ルーナは思わず目に浮かんでいた涙を拭う。そして、少しだけ嬉しそうに頬を緩めながらそのままじっとしていた。


 そんなルーナの変化に同じくホッとするハクヤであったが、心のどこかでは「自分のことを棚に上げた虚言だな」と冷たくあしらう自分がいる。


 気づけばそこにいる存在で自分でも消し去ることはできない。殺意の一旦。だが、こんな自分でもいなければ今もこうして地上に立っていられないだろう。


 ハクヤはルーナが落ち着いたのを確認するとそっと手を離した。すると、ルーナは少し寂しそうな顔で上目遣いをしてくる。しかも、その頬はやや赤い。


「どうした?」


「もう少しだけ......って言ったらしてくれます?」


「構わないが」


「それじゃあ、お願いします」


 そして、再びハクヤはルーナの頭を撫で続ける。すると、ルーナは嬉しそうに口角を緩め、恥ずかしそうな表情なのにどこか楽しげであった。


 しかし、ある程度時間が経って冷静さが「やぁ、待たせたね!」とでも言うかのように戻ってきた瞬間、ルーナの顔は一気に真っ赤になり咄嗟にハクヤの手を離す。


「こ......」


「こ?」


「これ以上はドキドキするから~~~~~!」


 そんな恥ずかしいセリフを恥ずかしげもなく大声で叫びながらルーナはどこかへと走り去ってしまう。


 ハクヤはそんなルーナの後ろ姿をぼんやり見つめつつ、「急にテンションがおかしくなる奴だな」と若干呆れたように呟いた。


 そして、何気なく周囲を見つめるとふと周囲の森一体から突き抜けて存在感を表す聖樹が目に入ってきた。それから、ハクヤの足は聖樹に導かれるように歩いていく。


 聖樹のもとまで一人でやってくると聖樹のふもとにいたのはハクヤだけではなかった。

 水色の短い髪を一つに束ねた猫耳をピクピクと、猫シッポをユラユラと揺らすミュエルの姿もそこにはあった。


「お前がここにいるなんてな」


「鬼人族の女の子を人気のないところに連れ込み、あまつさえ恥ずかしいセリフを吐かせながら逃亡させたというあの声は......まさか!?」


「連れ込んでねぇ。それと言わせた覚えはねぇ。つーか、なんだその前フリは? 見てたのか?」


「最初だけ見てた。そして、こっち来る最中に聞こえた。つまり、全部事実じゃん」


「俺が実行犯のような虚言が含まれているのですが」


「全部事実じゃん」


「事実じゃねぇわ」


 ハクヤをボロカスにいじっていくミュエルはハクヤの反応に嬉しそうにニヤニヤしながらも、その瞳は相変わらずのジト目である。


 ハクヤは「随分とご機嫌が良いこって」と疲れたようなため息を吐くとミュエルの横に並んだ。


「それで? ミュエルはどうしてこんなところにいるんだ?」


「ここの様子を見たくてね。ユークリウスの遺体は村に持ち帰ったことは知ってるけど、ドラゴンの死体は剥ぎ取るにも限界あるし」


「だが、ドラゴンの姿は特に見当たらねぇけどな」


「うん、それが少し気がかりで......まあ、問題ないならそれで構わないけど」


 ハクヤは横目からミュエルの顔を覗き見る。その顔は「やっぱり気になる」とでも言いたげな雰囲気で、もとよりここに一人で来たことが何よりの証明である。


 しかし、ハクヤは何も言わなかった。ミュエルとて同じ組織の一人で諜報部隊のエースであった。


 そんなミュエルがハクヤが来るまでの短時間で何も見つけていないというのは何もなかったか―――――あるいはミュエルでも気づけないほどに抹消されたか。


 後者の否定が全くできないのが嫌なところであるが、消せる組織の人間がどこにいるかわからない以上、むやみな行動は後手に回るので行動はしない。


 すると、ミュエルは珍しいほどに少しだけ頬を赤らめながらハクヤに尋ねる。


「ハクヤはさ、今の私達ってどう思ってるの?」


「お前も急に変なことを聞いてくるな」


「なんだろうね、少し聞いてみたくなったの」


 それは前にルーナに妙な激励プッシュを受けたせいか、それともティアの言葉を聞いたからなのか。


 ハッキリした理由はわからない。しかし、ここ最近ルーナに無理やり意識させられてるせいかハクヤの隣でわずかに胸の鼓動が早く感じるのは確かだ。


 隣から漂ってくるニオイは昔から嗅ぎなれていてとても安心するし、ハクヤの少し低く透き通るような声は聴いていて心地が良い。


 ......いや、認めよう。意識してしまっているのだ。ずっと前からハクヤのことは。

 一度は胸の内に封印したこの恋が何がキッカケかわからないが、少し切なくなるほどに溢れ出してしまっている。


 しかし、認めたところで完全に気持ちが解放に向かうわけでもなく、より無謀な行動をしようとしているのを感じ取って苦しくなる。


 ハクヤはミュエルの言葉を聞いてそれが真面目に聞いてるものだとわかると率直に答える。


「もちろん、大切な存在だ。それこそ俺の命よりもかけがえのない。今やルーナもそうかもな」


「それはどういう意味の大切? 家族愛? それとも親愛?」


 ミュエルは自分でも無謀な質問をしたとわかっている。どんなに言葉を重ねようとハクヤの中で絶対的な一位は決まってしまっている。


 それはハクヤの決意の表れであり、ハクヤがこうして生きている意味をいわば忠実に表しているようなものだ。


 だけど、胸から溢れ出さしていくこの気持ちを一旦でも静めるにはもはや自分の言葉では届きそうもない。


 どこか淡い期待もある。しかし、そんなのはほんの1割に満たなくて、ただ募るほどに切なくなる気持ちをどうにかしたかったという方が大きい。


 それに対し、ハクヤは聖樹を見上げながら告げる。


「どうだろうな。今となってはわからない」


「......え?」


「きっと家族愛だと思うけど、それだけじゃ落ち着かないんだ。それが全ての理由じゃない気がする」


「そう......なんだ。なら、エレンちゃんと私は同列?」


 ミュエルは言った後にとんでもないことを口走ったことに気が付いた。そして、すぐさま訂正しようと声をかける。


「待った今のなし―――」


「悪いな。それはきっと同列じゃない。もしどちらかしか選べないのだとしたら、きっと俺はエレンを選ぶ」


「......」


 わかっていた。わかっていたはずだ。しかし、溢れ出る思いが聞く必要もない事実を聞いてしまった。

 おかげで胸の気持ちも落ち着いたが、今度は別の感情でざわつく。


「だが――――」


 しかしその時、ハクヤの言葉はまだ続いていた。その言葉にミュエルは耳だけをピクッと反応させ傾ける。


「俺はそんな選択肢を選ばないような行動をしていくつもりだ。こらからもミュエルには色んなことを頼むかもしれないが、お前は大切な妹だ。絶対に守る」


「......っ!」


 その言葉はミュエルの気持ちを解き放つのに十分な言葉であった。たとえまだ「妹」と思われていようとただ無性に嬉しさだけが込み上げてくる。


「恥ずかしいこと言ってんじゃないわよ、バカ」


 その気持ちを隠すようにミュエルは拳をハクヤの腕にこつんとぶつける。その真っ赤な顔は下に向けていて当然見せれる表情じゃない。


 ただ今はもう少しだけこの時間が続けばいいとほんの少しだけ思ってしまうのだ。

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