第八十七夜 特別な存在

「皆さん、もう出立されるんですね」


 村長宅で息子のタナックを抱えたティアは少し寂しそうな表情をしながらも、その寂しさを隠すように笑顔で尋ねた。


 時刻は夕食時。ハクヤ達とハウズは食卓を囲うようにして食べ進めながら、ハクヤがその質問に答える。


「まあな。もとより観光目的が強かったから長いする必要はなかったんだけどな」


「うっ、あたしのせいで.......」


「悪いんだ~ハクヤ。ルーナちゃんを悲しませた」


「ルーナが少し悲しんでるくらいがおとなしくて管理しやすい」


「ちょ、どういうことですか! ミュエルさん!」


 ルーナはその言葉に思わず抗議する。もう少し言葉というものがあって欲しいものだ。

 しかし、そんなルーナに睨みつけるように見られながらもミュエルはどこ吹く風で食事を楽しんでいる。


 その二人のやり取りに「あれ? 思っていた返しと違う」とハクヤを少しからかってやるつもりだったエレンはどちらかというと二人をなだめることになってしまったことに困惑気味だ。


 三人寄って姦しくしている一方で、ハクヤはハウズに話しかける。


「あ、そうだ。ハウズさん、明日出立する予定なんですが、迷いの森を案内してもらうよりも先に聖樹のところへ向かってもいいですか?」


「それは構わないよ。にしても、どうして?」


「単純に俺が別れる前に聖樹に挨拶しておきたいだけですよ。聖樹と話してそのままじゃ味気ないですし」


「「聖樹と話す......?」


 ハクヤの何気ない一言にティアとハウズは固まる。その二人を間に挟まれているタナックがスポーンをしゃぶりながら不思議そうな顔をしている。


 「その反応に何かまずいことを言ったかな?」と思ったハクヤが言葉を告げようとするとその真にハウズが驚いた様子で尋ねる。


「ハクヤ君、君は聖樹と話したのか!?」


「え、ええ......話しましたけど。何をそんなに驚いてるのですか?」


「それはだな......」


 ハウズはごほんと一つ咳払いすると話し始める。そのハウズの態度に姦しかった乙女三人組も思わず注目した。


「聖樹とはこの世界の管理者的立場であるのは知ってるかな?」


「ええ、そこら辺は」


「世界......つまり、この世界をさらに見守る神という存在の使いであるのが聖樹なのだ」


「しかし、神の存在は人族特有の思想と思われますが」


「別に私達は神に対して畏敬の念を抱かないわけではない。ただ存在しない神よりも身近にいてくれる聖樹様を崇拝することで結果として神に祈りを捧げてるようなものなのだ」


「なるほど。それで何が問題なんでしょうか?」


「問題なのは聖樹様の声が聞こえるということ。聖樹様の声はほとんどのものには聞こえない。無論、何百年と崇拝している私達であってもな」


「なら、聞こえた俺は......」


「聞こえて、さらに会話したとなれば、それは同じ神の使いであるというほかあるまい」


 その言葉にハクヤは思わず目を見開いた。その言葉が意味することはもはや一つしかなかったからだ。


「俺が“勇者”とでもいいたいんですか!?」


 勇者――――神に使われし世界に生きる人類の希望の象徴であり、魔族に対しての絶対的な切り札。

 しかし、そこには大きな疑問があった。その疑問を提示したのはミュエルであった。


「待って、それはおかしい。この世界には現に勇者と呼ばれる存在がいることは確認している。にもかかわらず、ハクヤが勇者? 勇者が二人いることなんてあり得ない」


「私とて信じがたいが現にそうとしか思えない。もしかすると、勇者が二人必要なほどなのかもしれない」


「勇者が二人? それこそちんたらする以前にこの世界は終わっているだろ。

 魔王がどんな存在かは知らねぇが、少なくとも人類の希望に戦わせる相手だ生半可な強さじゃないってことは確かなんだろう」


「だったら、ハクヤが特別で聞こえる存在だったんじゃない? え、何それすごい!」


「はーい、ラブモードはそこまでにしましょうね~」


 ハクヤの存在が少なくとも特別であることを知ったエレンはそのことに思わず歓喜する。そんなエレンの喜びで場の空気が壊れないようにルーナが抑えつつ、ハクヤに質問する。


「そう言えば、勇者にはどこかに印があるって話でしたけど、ハクヤさんはどこかで印とか見ませんでした?」


「見てないな。少なからず目に入る範囲にはだけど」


「なら、ハクヤの目の届かないところにあるかもしれないね! 私が見てあげるよ!」


「はーい、むっつりさんは黙ってましょうね」


 ルーナがまたもや暴走しかけてるエレンをなだめているとふと隣であまり気分が良くないようなミュエルの表情があった。


 ミュエルは机に肘をつけながら、口元を手で覆って俯きがちの顔で何かを考えている。その顔を覗き込むようにルーナは尋ねる。


「どうかしました?」


「え、あ、いや......やはりハクヤが勇者である可能性は少ないと思うの。

 勇者という存在は異界の地から召喚されるか現存している世界に勇者がいるかのどちらかしかない。

 だけどここ十数年、少なくとも私が確認とれる範囲では勇者召喚は行われていない」


「だったら、単に見つかってないのではないでしょうか」


「考えにくいわね。そうでないならば、必ずどこかから声が上がるはずだから」


「どういうこと?」


 その言葉にエレンが疑問を持った様子で尋ねてくる。その反応にミュエルは思わずハクヤを見るとハクヤは全力で視線を逸らした。


 つまりは勇者の情報に対してあまり説明していない、それも“意図的”に説明していないという何よりの証であろう。


 その行動は何となく想像がつく。つまりは勇者に関連する「聖女」の情報へアクセスを避けるためであろう。


 それであっても誰しもが知っている勇者の話をエレンがあまり興味を持たなかったのも意外だし、それ以上にハクヤが神経質になってエレンに秘匿している情報があると分かった。


 とはいえ、それはそれでこれはこれ。今回こういう話になってしまったのはハクヤの質問が原因であるため、そこはキッチリと説明してもらわなければならない。


 ハクヤがチラッとミュエルの様子を見たタイミングでミュエルは全力で「自分で説明しろ!」という念を送っていく。


 その強い視線に根負けしたハクヤはミュエルの言葉に後付けするように説明していく。


「どこからか声が上がるっていうのは、そのままの意味だ。

 街で見つかれば街の皆が、村で見つかれば村の皆が勇者の存在を国、正確には聖王国に報告するんだ。

 俺達はまだあったことないが、魔族は必ずどこかに存在しどこかの村や街を襲っている。

 そんな与えられるだけ恐怖から脱却する手掛かりが見つかったんだ。守ってもらように勇者がいることを知らせることをする」


「鬼人族はあまり人族とかかわりないからあれだけど、それって身売りと変わらないんじゃない?」


「中身だけを取り除いてみればな。だけど、実際は勇者を生んだ親も喜び、勇者を知らせた村長も街長も勇者という免罪符にして逃れるんだ。

 ま、そもそもの話、国から報告を義務付けているのに罰せられるはずがないがな」


 ハクヤは紅茶を一口飲むと話を続ける。


「少しずれたな。まあ、言いたいことは魔族に対抗できる人類の希望を聖王国は血眼になって探すってことだ。仮に俺が勇者であっとしたらそれはそれで疑問が残る」


「どうして勇者の存在を隠したってこと?」


「ああ」


 エレンの言葉にハクヤは遠い過去の記憶をふと思い出しながら返事をする。自分を助けてくれたあの人は一体どんな気持ちで自分と過ごしていたのか。


 それを知る手がかりなどない。その人がいた故郷は滅び、その人は自分とエレンを逃がすために死んでしまったのだから。


「そういうわけで、俺がなんかしらで特別な存在ってのが一番理由としてはもっともらしいってことだ」


「しかし、理由はともあれ聖樹の声が聞こえるというのは大変なことだ」


「俺をここに住まわせるのか?」


「せんよ。それに無理だと分かっている。だが、せめて帰る前に聖樹と話してみるがいい。もしかしたら、何かを知っているかもしれぬからな」


 そして、食事を終えたハクヤ達は一旦解散して各々が自由な時間を過ごしていく。


 ハクヤは縁側に座りぼんやりと食事の時の会話を思い出しながら、そびえたつ聖樹を見つめていた。


「そういえば、あいつ......聖樹を殺すとか言っていたのに微塵も傷つけていなかったな」


 ハクヤはふとユークリウスのことを思い出した。それは戦いの最中、ユークリウスがドラゴンを使ってブレスを吐かしていたにもかかわらず、聖樹に飛び火していなかったことだ。


 聖樹を殺すのはハクヤを呼び出すためのエサだったのか。それとも、ハクヤ達を始末した後に聖樹を殺すつもりであったのか。


 その真相はわからない。されど、どのみち聖樹自身が言っていた寿命によって聖樹は間もなく息絶える。


 今回色々な思いを知った。その中でやはり一番大きかったのはティアの想いであろう。


――――あの時、気づいていれば


 ふと過る言葉。しかし、気が付いても助けられない命はあった。それが今のハクヤを形作っているまた一つの土台である。


 後悔はいつだってしてきた。忘れるはずがない。もう少し判断が早ければ、1分1秒でも行動が早ければ変わっていたかもしれない。


 そんなことはもううんざりするほど考えた。しかし、時を戻せる万能な魔法なんてそれこそ神の領域と言っても過言ではないだろう。


 なぜなら、もう結果として自分がここまで生きてしまっていて幼かった女の子はもう既に成人の儀を終えるほどに立派な少女になってしまったのだから。


 この苦しみから逃げたいと思ったことも、辛さを消してしまいたいと思ったこともある。それが出来る方法も知っている。


 しかし、それでもなお生きているということは自分で今を終わらせる気はなく、やるべきことがまだ残っていると分かっているからなのだろう。


「ほんと、俺はただの死神だってのに勇者だなんて......」


 仮に勇者として、一体何の責任を背負えばいいというのか。もう汚れ過ぎたこの体にはこびりついた血と罪しか残っていないというのに。


 ハクヤは遠くを見るような目で物思いに更けながら、からわらに置いてあったコップに入った酒を一口煽る。

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