第八十五夜 癒えぬ傷
ハクヤとユークリウスの戦いが終わった後の聖樹周辺の森は静かな空気が流れ、周囲からパチパチと木が燃える音が響いてくる。
大惨事となっている燃える森は未だ止まるところを知らずに焦げ臭いニオイと煙を充満させていく。
そんな中でも、ハクヤはただ虚しく怪物となり果てたユークリウスの姿を眺めていた。
僅かに呼吸があるのが奇跡なほどに胴体には深い切込みが入っていて、そこから溢れんばかりに血が流れ出ている。
ティアはユークリウスに近づいていくと血だまりを気にすることもなく頭のそばに座り、ユークリウスの頭をそっと膝に乗せる。
そして、流すは涙の滴。ポツリポツリと死にかけにユークリウスの頬に温い滴が落ちていく。
「ごめんね.......ごめんね」
「.......」
ティアはユークリウスの顔を見て言葉を漏らす。その言葉は謝罪であった。それがなんの謝罪であるかなど考えなくてもすぐわかる。
ユークリウスを救えなかったことに対する謝罪だ。ずっと、ずっと昔からの胸に秘めていた後悔の念がユークリウスを見たことで崩壊したのだ。
仲良かった幼少期。毎日続いていく生活を当たり前の日常だと思い込んで過ごしてきたあの日々の自分に言うことがあるとすれば、それはきっと「気づいて」であろう。
ユークリウスとその兄にはこうなってしまう兆候があった。そして、それを幼少故の無知さから見逃してしまった。
それが全ての悪夢の始まりであった。
双子のエルフは特別であった。滅多に発現しない魔眼という存在があったために。
人はそれぞれ別であり、他人であり、たった唯一の存在である。そして、考えてることなど全く違い、生まれながらに異質であることもある。
特別......それは言い換えれば異質である。異質な存在は周囲と考えてることや見えてる世界が“異なる”。だから、「異質」。
しかし、たとえ思想や見方が異質であれどそれが制御できる範囲に置かれていたり、本人の気持ち次第ではなんら異質ではなくなる。
ただその異質として受け止められるか否かの分かれ目は得てして突然にやってくるものだ。
それがユークリウスやその兄に場合はティアの目の前で木の根っこにつけた闇の印がその分かれ目であったのだ。
ティアに非はない。その印がなんであったかなどその当時は知りもしないのだから。
だが、ティアは今も後悔している。それはもしあの時「その印って何?」と何気ない質問でもしていたら今こうして死に際を見ることもなかったんじゃないかと。
当然考えたところで実現の可能性すらない仮定の世界の話だ。しかし、後悔というのはそういうことを指すのだろう。
覆らない現実を目の前にして、あの時抗っていれば結果は変わっていたかもしれない。
たとえ別の世界線で覆らないとしても、それを知らないのであれば覆る可能性はあったと見いだせてしまうから。
だから、ティアは涙するのだ。積年の後悔を放出させるように。
長年どんなに考えないようにしていても、胸に宿る楔はチクチクと癒えない痛みを与え続け、その過去を忘れさせてくれない。
ティアは救えなかった。その想いがただ胸を満たしていく。例え相手が夫を殺した存在であったとしても。
夫が生きていれば、まだこんな辛い気持ちにはならなかったのだろうか。
いや、夫が生きている世界はユークリウスがこうなってない世界であり、何の痛みも知らずに頭の中で思い描いていた風景が出来ていたかもしれない。
そして、それはありもしない現実の話。いないものはいない。全てが自分の周りから消えていく。だからこそ、あったかもしれない幸せを考える。堂々巡りは終わらない。
周囲から漂ってくる焦げ臭いニオイはまるで遥か過去に灯った炎が理想であった現実を焼き尽くすことを連想させていく。
涙するティアにユークリウスの霞んだ瞳がわずかに動く。そして、残った右腕を最後の力を振り絞るように動いていく。
その行動に対して誰もが注意を向けたが、警戒はしなかった。なぜなら、その手には全く殺気が宿っていなければ、ただ仲の良かった友に向ける手であったからだ。
ユークリウスはティアの頭に手を近づける。その手の大きさはティアの頭なんて簡単に握りつぶせそうなほどだ。
だからなのか、ユークリウスはティアの頭には触れようとしない。触れてしまうと壊れてしまうかもしれないから。
そして、ティアに向かって言葉を放つ。
「よせ。この道は俺達が決めたことだ。お前が謝ることじゃない」
「でも......!」
「俺は......俺達は自分の特別にうぬぼれたガキだったんだ。きっと今こうして死ぬ瞬間も。
そんなガキに謝るな。お前の価値が落ちちまう。お前はもう俺達のことなんて気にしなくていい」
「できない......できないよ! 私はあの時からの後悔を忘れていない! 気づいてさえいれば変っていた未来を! 私はそのチャンスに触れながらも掴もうとしなかったんだから!」
「......」
ティアは大切な人をたくさん失った。ユークリウスやその兄もそうであり、夫もそうであり。
その不幸な現実があの瞬間、ティアが見逃したあの瞬間から始まってるとティア自身は思っているのだ。
だからこそ、見逃した自分が憎いのだ。理屈ではない。もはや自分で自分を責めることでしか今の自分の心を保てないのだ。
そんなティアの気持ちがハクヤに伝わってくる。ハクヤも似たようなものであるから。
エレンの母親を救えていれば、エレンはもっと戦いから縁遠い世界で暮らして行けたかもしれないから。
しかし、ティアとハクヤに違いがあるとすれば、過去の過ちを認めた上で前に進めているか。
ハクヤとて時折過去のことを思い返しては罪意識に駆られる。エレンを見れば咎が増幅されていくような感覚に陥る。
しかし、それでもその過去を背負いながらこうしてエレンと少しでも向き合っている。
だが、ティアは違う。ハクヤとは反対で過去の後悔に縛られ、その場で立ち止まってしまっている。
だから、きっとティアの止まった時間を動かすのはハクヤが説得するのが一番なのだろう。それはハクヤ自身も理解していた。
でもこの瞬間だけは、ティアに届く言葉を送れるのはユークリウスだけだった。
ユークリウスはティアの首に下げている存在に気付く。
「それは?」
「......私の夫がくれたもの。大切なもの」
「......そうか」
ティアが胸元から取り出したのは聖樹の一部でできたペンダント。そのペンダントの意味を当然同じエルフであるユークリウスが知らないわけがない。
そして、ユークリウスはこの戦いが始まる前に同じようなペンダントを持っている男に出会っていたことを思い出していた。
死に際まで勇ましく生きたその男のことは今でも印象深く記憶に残っている。だからこそ、そのペンダントを持っている男のことを今でも思い出し、ティアのペンダントを見て納得した。
ユークリウスは右手を大きくあげると爪を立てる。
「死神、もしだ......もし違う何かがあったとすればお前のようになれていたか?」
「なれないだろうな。少なくとも
「確かにそうだ」
ユークリウスはハクヤの言葉に軽く笑みを浮かべる。そして、右手を月を掴むように掲げた。
「お前にはどうせ会えないだろうし、俺から兄貴には伝えておく。そのペンダント、センスいいぜ」
その瞬間、右手の爪を自身の胸へと突き刺した。五指全てが胸に深々と刺さっていき、ユークリウスの瞳は段々と虚ろを見つめるように変わっていき途絶えた。
ハクヤはユークリウスの顔に近づくと「お前でも後悔することあったんだな」と呟き、そっと目に手を触れさせて閉じさせる。
これで本当の意味でユークリウスとの戦いは終わった。
ハクヤ達は消耗した体を癒すために村に向かうと村はかなりの損害を出していたが、エルフの戦士達からは重傷者はいるものの死亡者はゼロであった。
それから数日間、村は復興作業に明け暮れた。その間、ハクヤ達やエルフの戦士達は治療に専念してほぼ万全になった者達から復興作業を手伝いに行った。
聖樹周辺の森は復興作業が始まったと同時にダークエルフと総出で消火活動に当たったらしく、ハクヤが特に出張ることもなかった。
そんなある日、まだ体に生々しい傷を連想させるような包帯が巻かれているにもかかわらず、ハクヤは一人縁側に座って復興作業をぼんやり眺めていた。
すると、その隣にティアが座ってくる。そして、しばらくの沈黙の後、口火を切った。
「ハクヤさん、私のもう一人の大切な友達のマルギッドのこともお願いします」
「......俺にお願いするということは、恐らく殺すことになるかもしれないぞ? そもそも俺が殺すとも限らないしな」
「わかってます......わかってます。私が最低なお願いをしていることなんて。それでも、思うんです。ユークリウスにもし魔眼なんてなかったら普通の暮らしができたんじゃないかって」
「普通っていうのはティアが思い描く理想のことか?」
「そう......ですね。今となればもう叶うはずもない理想ですけど。でも、ユークリウスは根っこから闇に染まっていなかった。それがあの別れの会話で確認できたんです。だから――――」
「だから、双子の兄のマルギッドも同じであると?」
「はい......」
「あいつはどうかな。弟のユークリウスよりも表面的な邪心は見えないが、あいつの闇はユークリウスより底知れない。
もっと言えば、ユークリウスと違って血も涙もない可能性が高い。まあ、あいつもさして変わりはしなかったが」
「......私達は聖樹の守り人として、死んだときその魂は聖樹へと還元されるとされているんです。そして、聖樹は不浄の象徴。どんな穢れも拭い消し、新たな生を生み出す存在。
だから、私の願いがきっと友達として決して良くないことだとわかっていても、お願いしたいんです。私の大切な友達をもう闇から解放させてあげて、と」
ハクヤは縁側に立つと自室に戻ろうと歩み始める。その行動にティアは自分の発言にハクヤは幻滅したのかと思ったが、ハクヤはすぐに止まると告げた。
「安心しろ。俺は“死神”だ。俺に敵意を向ける奴はどうせ死んでいく」
そして、ハクヤは自分の発言に後ろめたさを感じながらティアから姿を消した。
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