第4章 近くて遠くて気持ちの距離

第六十一夜 届かぬ恋心

「いや~、馬車が生きてて助かったな。危うくもう一度買い直さないといけないところだった」


「といっても、修理代は割りに高くついたけどね。あと、食糧費」


「はぁ~、これからしばらく魔物のお肉か~。タンパク質は取れるけど、それ以外がね~」


 馬車は朗らかな日差しが辺りを覆う街道をゆっくりと走らせていく。

 その間に話される会話はどれも他愛もないものばかりだ。されど、その他愛もなさが心地よい。


 荷台の隙間から差し込んでくる日差しに当たってポカポカになったミュエルはまるで猫のようにだらけたような体勢で、加えて蕩けたような表情で動かない。


 いや、ミュエルは猫の獣人なので猫の特性を半分持っていると考えれば案外納得いくようなことかもしれない。


 そして、エレンはそんなミュエルをニコニコとした表情で見つめながら、手元のスケッチブックにノーッルク気味でシャシャシャとその姿を写生していく。


 時折、運転席にいるハクヤと目があっては互いにサムズアップして、普段見せないミュエルのだらけた姿を互いの秘密として守ることを誓い合った。


「そうえいば、これから向かう場所ってどこなの?」


「向かう場所はエルフの森<シュリエラ>。森の中にあって自然が溢れた空間が心地よいと噂なんだ。

 なんというか......やっとこさやってきた町であんなことが起こってさ。エレンもしっかり休みたいだろうと思って」


「えへへ、そっか。私のため、か」


 エレンはその意味合いがわかっていても、思わずニヘラと顔が緩んでしまう。

 自分のことに対して気遣ってくれていることが嬉しく、ちゃんと想って考えてくれてるんだなと思うと力が抜ける。


 エレンはミュエルを邪魔しないように立ち上がると運転席の方へ移動していく。

 ハクヤ達の馬車は人を運ぶ専用というより、荷物を運ぶ専用に荷馬車なので運転席から荷物が確認できるように繋がっているのだ。


 それを利用して荷台側から運転席に移るとちょこんとハクヤの隣に座る。その距離は最初から肩と肩が触れ合う距離。


 10年間一緒に過ごしてきたのだ。これぐらいの距離感は別にどうということはない。

 とはいえ、緊張しないといえば嘘になり、エレンの顔はほんのり赤く染まる。


 たとえ育ての親であったとしても、たとえ年齢がそこそこ離れていたとしてもやはり好きな人であることには変わりない。


 それは家族愛とは違う、ちゃんとした想いが詰まった愛。しかし、その想いは未だ届くことはない。

 家族特権でこんなにも近くには近づけるのに、それ以上は近づけない。


 近くて遠い。矛盾したようなその言葉。されど、今のエレンにはピッタリの言葉で、現状を一言で表してるような言葉だ。


 その想いがいつになったら届くようになるのか、いつになったら真っ直ぐ受け止めてくれるようになるのか。


 それがわかっていたら苦労しない。わからないからいつでもチャンスは逃さないように全力で挑むしかない。


 たとえ好きな人から向けられる“好き”が家族としての“好き”であっても。


 搦め手は通用しない。いつまでもなびかないからと他に好きな人を作ったフリをしたところで喜ばれるのがオチだ。


 そのことを理解しているエレンはもはや無駄だと思ってそんなことはしない。ボールがきやしないのにフルスイングしたところで、イメージでしかホームランはでないだろう。


 しかし簡単に忘れてしまえるほどその恋の熱は冷めやしない。10年間も灯り続けた火だ。消す方が難しい。


 慣れてしまうと変えるのも一苦労だ。好きな人を想っていられることが嬉しいし、好きな人がそばにいると安心する。


 ハクヤが気持ちに気付いてくれるならば、そのチャンスを逃すつもりはない。しかし、気づかないのであれば、下手にこじれるよりはこの距離感を保っていた方がいいと思ってしまう。


 「ハクヤを好きにさせる」とはよく言ったものだ。結局、強気に押して意識させるなんてこともせず、こうやって居心地の良さに寄りかかってばかりなのだから。


「エレン?」


「少しだけこうさせてよ」


 エレンはハクヤの肩によりかかる。年齢にも差があれば、身長でも差がある。長身のハクヤにはちっこいエレンの頭が肩に乗ることはない。


 どちらかというと腕に頭を預けてるというだけだ。しかし、いつかは正面から想いあって寄りかかりたい。そう思いながら、エレンはそっと目をつむる。


 一方、そんな二人を眺める視線が荷台の方から伸びている。

 日当たりの心地よさにうっとりしながらも、うっすらと見せるその瞳に「憧憬」の二文字を宿らせているのはミュエルであった。


 ミュエルとエレンの関係は良好だ。むしろ、仲のいい姉妹ともいえて、姉のように慕ってくれて友達のような距離感でいてくれるエレンは可愛くて仕方ない存在だ。


 しかし、そんなエレンにも言えない気持ちは当然抱えている。バレてるような節もあるが、まだハッキリと確定したような場面はない。


 そもそもこんな感情はそもそも抱く予定はなかった。抱く可能性もなかった。

 ハクヤとの出会いは奴隷として運ばれていた時に、その奴隷商を殺すように命令を受けてやってきたハクヤが間接的に助けただけだ。


 本来であれば、出会いはそれだけ。しかし、今現状の関係から見てみれば、その続きがあると思うのはもはや言うまでもない。


 ハクヤは他の狂った暗殺者とは違い逃がした奴隷を殺すようなことはしなかった。ただ仕事を終えれば冷めたような顔で淡々と帰るだけ。


 そんなハクヤの姿にわずかながらに瞳を奪われた。それが全ての失敗であったかもしれない。


 子供ながらでも理解していた。奴隷がどのような存在であるか。子供やお年寄りであれば重労働で働かせ、青年や大人の男は戦場や魔物討伐で捨て駒と使われ、少女や大人の女は娼婦として売られる。


 特に子供の女は大変であった。ある程度の適齢期になるまで重労働を強いられ身も心もボロボロにされる。


 そして、抵抗の余地を徹底的に潰した後に行われるのは性道具として売られるオークション。とりわけ、獣人は亜人という枠組みで普通の人よりも犯す抵抗が少ないのかよく売れる。


 それから、飽きるまで酷使し続けたその体に残っているのは醜い精だけだ。見た目も心もただの肉壺となった者の末路など考える必要もない。


 そのような運命を辿ると悲観していた自分にとって、たとえ暗殺者であってもハクヤが助けに来たというのは白馬に乗った王子様が助けに来たに等しかった。


 そして、ミュエルは刺された。心臓に未だ消えることのない見えない刃が。


 ハクヤが助けた後、ミュエルを除いてすべての奴隷が逃げ出した。運よく生き残れることができたのだ。生きるために必死になるのは当然だろう。


 しかし、ミュエルは違った。生きたい、その感情は確かに存在していた。生きるために何かしなければないと思っていた。


 生きるためにハクヤに縋りついた......そう、エレンには伝わってるはずだ。家族愛とぬくもりを求めていたとかという話も出たが、恐らくそういう感じになってるだろう。


 しかし、本当は全く違う。ただ、ただそばにいたいという気持ちでミュエルはハクヤについていった。

 どこまでもどこまでも。ハクヤはミュエルを置いていこうとしたが、それでも必死に縋りついた。

 

 そんなミュエルをハクヤはうざったらしくしていた時もあったが、一度たりともミュエルを殺すような脅しだけはしなかった。


 加えて、置いていこうとするものの結局は必ずミュエルが見える位置にはいてくれる。そして、その距離は段々と縮まっていき、やがて隣で行動するようになった。


 本当は心配してくれていた。暗殺者として余計な情を持たないようにしながらも、そのような行動をする不器用なハクヤにミュエルはただ温もりを求めるだけとは違う感情を抱いていた。


 それからは簡単だ。ただそばにいれるように同じ組織に入り、殺さすてられないように必死に任務をこなした。


 そして、ハクヤと交わした兄妹の杯。それも全てはそばにいたいがため。

 エレンの前ではハクヤと杯を結んだことを後悔しているようなフリを見せたが、実際は同じ苗字を背負って家族になれたような感じがして嬉しかっただけ。


 しかし、それ以上はもう踏み込めない。なぜなら、その場所に辿り着くまでに汚れすぎてしまったから。


 自分の幸せのために他人を蹴落とすことなんて多々ある。恋愛なんてそんなことがまんざらだろう。

 だが、ミュエルは違う。蹴落とすなんてそんな生優しいものではなく、実際にのだ。


 ハクヤと一緒にいたいがために人としてやってはいけない道に進んでいった。どうどうと太陽の下を歩けないような罪を背負っている。


 足元にはこれまで殺してきたたくさんの屍が転がっていて、その骨の山に自分は返り血で全身真っ赤になった状態で生きている。


 これが失敗であった。


 たとえハクヤと一緒にいたいとしても、やり方はいくらでもあったはずだ。

 例えば、暗殺者であるハクヤを依頼と称して呼び出すとか。少なからず、ここまで汚れてしまうことはなかった。


 ハクヤが組織を抜けてエレンを育てるといった時も別に大して驚きやしなかった。

 ハクヤが汚れたのはどこまでも人のため。しかし、ミュエルが汚れたのはどこまでも自分のため。


 どっちが醜いと問われたなら、それは間違いなく後者であろう。


 だから、この感情はどこまでもどこまでも胸の内にしまっておく。そして、願うのは一つ。好きな人には幸せになって欲しい。それだけだ。


 しかし、醜いミュエルはその憧れをいつまでも忘れることができず、時折無意識に眺めてしまうのだ。


「ん? どうしたミュエル、こっちばっか見て」


「......エレンちゃんが可愛らしいなと思っただけよ。私ももうひと眠りするから運転よろ」


「はいはい」


 そして、気づいてくれることに顔が火照り、心臓が跳ねる。言うつもりもない想いや感情は理性というドアを飽きずにノックし続ける。


 それから、ミュエルはいつまでも淡い恋心を抱きながら眠るのだ。

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