第五十八夜 心のキャンパス
「う~ん、今日もいっぱい狩れたね~。これで少しは皆の役に立ったかな」
「きっと役に立ってるわよ」
両手を頭上に掲げ大きく伸びをしながら告げるエレンにミュエルは返答する。
現在、二人は一日の狩りを終えて宿屋へ帰ろうとしている。ちなみに、ここにハクヤがいないのは狩った魔物の換金のために未だギルドにいるからだ。
時間帯も夕刻ということで、辺りから美味しそうな匂いが漂ってくる。特に串肉だったり、焼いた肉をパンで挟んだものであったりととにかく肉のにおいが充満する。
そもそもギルドから町民に支給されているのが冒険者が狩ってきた魔物の肉なので当然と言えば当然なのだが、ハクヤがこの場にいれば焼き肉屋の激戦区と思うかもしれない。
そんな美味しそうな匂いにつられた一人であるエレンは子供のようにはしゃぎながら、近くの露店へと駆け足で向かっていく。
「ねぇねぇ、これ一緒に食べようよ」
「そうね。ちょうどお腹もすいてることだし買って食べようか」
エレンはミュエルの承諾を得ると三人分の食料を買っていく。買ったのは肉を盛りだくさんに挟んだパンだ。
「野菜がないから栄養偏るな~」と思うエレンであったが、事情が事情なので仕方がないと思い直す。
そして、紙袋に入った食料を両手で抱えて戻ってくるエレンにミュエルは思わず告げた。
「別にエレンちゃんが払うことなかったのに」
「いいのいいの。私がこうしたいだけだから。それに、ミュエルちゃんは命の恩人だからお礼ぐらいさせてよ」
「......」
エレンはそういうと少しミュエルの前を歩いていく。足取りは軽そうに見えてやや重い。
それはあくまでミュエルが後ろからエレンを見た視点だ。
そもそもミュエルはエレンから感謝されるようなことは何もしていない。
エレンを救うのは当然であり、もとよりあんな危険な状況に追い込んだのは自分達であり、むしろ危険な状況に合わせて非難される方がしかるべき。
エレンの正体を組織側に認知されないためとはいえ、かなり危険な賭けした。今後二度と行うことはないだろう。
故に、感謝されることはなにもない。ただおかした罪に対して、しっかりと尻拭いをしただけだ。
そのため、エレンの好意を素直に受け取ることができない。もとより受け取る資格もない。
......なるほど。ハクヤの気持ちを少しだけ理解したような気がした。
「ミュエル?」
「なんでもないわよ」
ミュエルは思わず止まっていた足を動かす。そして、少しだけ速足でエレンのもとへ近づいていく。
しかし、先ほどの考えが止まったわけではない。
ハクヤがエレンから距離を取ろうとするのはエレンの母親に対する思いだけではなく、せっかく助けたにもかからわず自分の存在が足枷になっていることをわかっているから、エレンの気持ちをまともに取り合わないようにしているのだ。
ハクヤは自分自身で自分の罪を許そうとしない。それはたとえ対象者であるエレンが許したとしても。
そして、ハクヤは唯一エレンの気持ちから逃げている。エレンの思いがハクヤに届くのはもっと先の話になるだろう。それこそ、自分とて同じだろうし。
それに今はそれよりも気がかりなことがある。ハクヤだと不器用だし、ここは自分がアフターケアをしなければいけないな。
「エレンちゃん、食べ歩きはお行儀悪いから近くのベンチに座らない?」
「そうだね。もう宿屋に辿り着くまでお腹が持たないかも」
エレンはミュエルの提案を受け入れると少し歩いた先に見える噴水エリアへと近づいていく。
そして、置いてあるベンチに二人で腰かけるとエレンが思わず告げた。
「ここからの眺め奇麗だね」
「そうね」
T字路の交点の中心にある噴水はこの町の正門の通りからよく見える位置にあり、噴水に立つ女神像が正門の上からひょっこり顔をのぞかせる太陽によって夕焼け色に染まる。
光を反射させる水はキラキラと輝きながら下にある溝に流れ落ちる。男女で見たならばきっとロマンチックであろうその場に二人は少しだけ心奪われる。
「ミュエルの分ね」
「ありがと」
少し経ってエレンは抱えている紙袋からはみ出した肉盛りパンをミュエルに渡すと自分の分も手に持ち、息を合わせたかのように二人でかじりつく。
「「う~ん、美味しいぃ~」」
二人とも幸せそうな顔をしながら言葉を漏らす。まさに至福のひと時。美味しい料理は心を癒していく。
そして、エレンの気持ちが食事によって緩んだのを確認するとミュエルは聞きたかった本題を尋ねた。
「エレンちゃん、あのダンジョンの出来事はどう思った?」
その質問にかじりつこうとしていたエレンの手は止まる。そして、その時のことを思い出しているのか表情を暗くさせる。
「あの時の光景は頭の中に刻み付けたようですぐに思い出せちゃう。夢にまで出てきて最近は寝つきが悪い。
たった一人を相手に仲間が次々とやられていく光景は見ていられなかった。でも、目を逸らすことを許さないように視線が動かせなかった」
「......そう。ごめんね、怖い目にあわせて。今朝にハクヤが言ったように全ては私達の落ち度なの。最悪エレンちゃんさえ助かればっていう浅はかな気持ちによるもの」
「気にしなくて大丈夫だよ。ハクヤとミュエルが苦渋の決断で行ったことだってわかったし、結果的に言えば皆助かったんだから」
「やっぱりエレンちゃんは優しいのね。こんな私達のことを許してくれるなんて」
「完全に許したわけじゃないよ。でも、そうしなければいけないって状況に追い込まれてたのがわかったから納得しただけ。それにハクヤは私のためならば平然と非情になれるから......そこが心配に思っているだけ」
「......」
「ハクヤもミュエルもまだ私に話せないことがあるのは知ってる。そして、その話せないことが今回怒ったってことも」
「別に話せないというわけじゃないの。ただ深入りして欲しくないってだけ。知って得することは何もないし、より危険になるだけ......ってもうすでに私達とかかわってる時点で説得力もあったもんじゃないけど」
ミュエルは悲しそうな声でそう告げる。自己嫌悪してるのだ。その当時は生きるために何でもしてきたとはいえ、その時の経験がこうも今を苦しめると思っていなかったから。
その時の経験は確かに生きている。でも、その経験則では補えないほどの危険性を何も知らないエレンを巻き込んでしまった。
いずれエレン自身が自分が狙われている理由を知ることになろうとも、知っても幸せにならない事実をミュエルは自分の口から言うことができなかった。
それを知って最悪自己犠牲の行動でも取られたら自分の心はどうなるか。それ以上にハクヤの心はどうなるのか。
後を考えるとキリがない恐怖に襲われる。相手にしている組織は暗殺組織とは名ばかりのただの殺戮集団だ。
殺すことに躊躇いがなく、ただ自分の欲求を満たすためだけに殺している。自分の見返りしか考えていないそんな連中。
きっといつかは言える日が来るのだろう。それでも今は迷っている今は言うことができないし、ハクヤも自分から伝えることはまだしないだろう。
そして、何より知ってほしくないのはとある感情。一瞬だけ、エレンが仲間をやられた時に怒りとともに発動させた慣れないものには制御できない感情――――殺意だ。
「......エレンちゃんは皆がやられた時、酷く不安定な感情だった。ただ怒りのままに、相手が自分の視界から消える為だけを考え行動する。その気持ちを私たちは“殺意”と呼んでるの。そして、あの時のエレンちゃんはまさしくそれだった」
「殺意......そうかもしれない。あの時、私はただ目の前が暗くなるような、心が冷えていくような悍ましい感情に襲われた。
その時はただその感情が自分に力を与えてくれるようでどこか気持ちよく感じたけど、冷静になった後はとても吐きそうだった。まるでその感情に酔ってたみたいに」
「ハクヤがずっとエレンちゃんに冒険をさせたがらなかったのは、幼いエレンちゃんがその感情に耐えれないと判断したからだと思う」
ミュエルは静まって段々と夜に移っていく空を眺める。もう半分は夜へと変わり、もう半分はまだ茜色の空だ。
「エレンちゃんはさっき『ハクヤは平然と非情になる』って言ったけど、それは少し違う。
私達はもう感覚がマヒしているのよ。ありとあらゆる場面にて相手の悪意、殺意、そして死を見て知って感じてきたから。
慣れちゃいけないその感情を私達は生きるための仕事と割り切って受け入れた」
「......」
「人はエレンちゃんのように優しくもなれるし、あの倒した相手のようにどこまでも悍ましくなれる。けど、覚えていて。人は汚れ始めたその心をもう拭うことはできない。白いキャンパスに塗った絵具がもう二度と白に戻らないように」
ミュエルはベンチから立ち上がると少し前を歩く。そして、噴水の水瓶を持った女神像を眺める。
「生きるためには多少の汚れは必要。それでも、
でも、必ずそうは言ってられない時が来ることはもうわかりきっている。結局、私達の存在がある限りね」
ミュエルは手を後ろで組みながらくるっと回転。そして、ミュエルに優しい声で質問する。
「エレンちゃんは真っ黒で本当の姿も見えやしない私達を、その殺意という感情を受け入れられる?」
その質問をエレンはすぐに返答することはできなかった。しかし、その考えがあんまりにも悲しいことだけはわかった。
だから、エレンは自分の思いを率直に告げる。
「まだわからない。でも、その感情が時には自分自身の判断でしなきゃいけない時は来るのはわかってる。魔物が相手じゃなくて人が相手になる時が。でもね、思うんだ――――」
エレンはベンチから立ち上がるとミュエルに近づいていく。そして、左手で紙袋を抱え、右手でミュエルの手を取る。
「ミュエルもハクヤもきっとやり直せる。心は白いキャンパスと似てるようで違う。塗られた
私がハクヤに好意を抱かせようとしているのはいわゆるそういうことでもあるしね。だから、きっと願い続ける限る上手くいく」
「......そうね。可能性はゼロじゃないしね」
ミュエルは少しだけ握られている左手を強く握る。そして、「帰ろっか」と告げるとそのまま手をつないで歩き始めた。
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