第三十九夜 年を取ってわかること

「うぅ......頭が......」


「大丈夫?」


「ただの飲み過ぎよ。調子に乗って飲み過ぎたのが原因」


 翌日宿屋にてベッドで苦しそうに横になっているハクヤとその姿を心配そうに見つめるエレン、そしてため息を吐いているミュエルの姿があった。


 昨夜、何があったかと言えば、そうお酒だ。

 ミュエルがエレンに初めてのお酒を飲ませたところ態度が急変して、とんでもないことになったのだ。

 若干痴話げんかにも見えなくないあの時の光景をミュエルは思い出してはハクヤをバカにしたように笑う。


 その一方で、エレンは全くそのことに気付いていない様子だ。いわゆる記憶が無くなるタイプ。

 単に思い出せないだけなのだが、特に思い出してもいいことはないのでそれでいいだろう。


「飲み過ぎって、私も昨日飲んだんだよね? 昨日の夜のこと途中から思い出せないんだけど、確か飲み過ぎると記憶が無くなるとか聞いたけど」


「まあ確かに、飲んでいたわね。少なくとも、私達よりも。

 正直なところお酒に対してかなり強いかもしれない。

 私はそれほど強くない方だからセーブしていても、若干頭痛がするし......エレンちゃんがそんなにケロッとしていることに驚きが隠せない」


「そう、なの? よくわからないけど、そんなにお酒強いんだ私.....」


「まあ、一般的な酔いにくいという意味じゃなくて、二日酔いにならないほど肝臓が強いという意味合いだけどね。

 ともかく、ハクヤがこんな調子じゃ今日のダンジョン攻略はやめた方が良い」


「そっか。まあ、仕方ないね」


「キューイ!」


「『お出かけしよう』って言われても、ハクヤがこんな状態だしダメだよ。看病しないと」


「いいわよ、別に」


 エレンとグレンの会話を聞いたミュエルはあっけらかんとしてそう答える。

 そのことにエレンが思わず顔を向けるとミュエルは続けて答えた。


「看病ぐらいは私がやるわ。その間、エレンちゃんはに行ってもいいわよ。

 まあ、女の子の一人は危険だからやめた方が良いけど。どうするの?」


「......あ、そういうこと。うん、なら任せるね」


「了解」


 エレンはグレンを頭に乗せたままササッと荷物をまとめるとそれをショルダーバッグに詰めて部屋の入口に向かった。


 そして、ドアノブの手をかけて出ていく途中で、ハクヤに「安静にしててよ」とだけ告げて部屋を出ていった。


 その光景を見てミュエルはニヤニヤとした顔でハクヤに告げる。


「まるで誰かさんの行動そっくりね」


「そうさせたのはお前だろうが......痛たぁ、頭がズキズキする」


「昨日、普段は控えるあんたがいつもとは違ってあんなに飲むなんてね。そんなに嬉しかった?」


 ミュエルはベッドの空いている部分に腰かけると尻尾をゆらゆらさせながら、そう聞いた。

 それに対して、ハクヤは手の甲を目元に押し当てながら返答する。


「まあな。正直、いつ果てるかわからない身でありながら、無事にエレンの成人式を迎えて一緒にお酒を飲める日が来るなんて思わなかった。

 今も危なっかしい言動は目立つけど、お酒を飲んでるエレンを見て『気づけばここまで成長したんだな』って実感して無性に嬉しかったんだ。

 そのせいかいつもより酔いが早かった気がする。

 とはいえ、エレンがあんなにも変わるとは思わなかったが」


「普段大人しい子の方が案外ああいう場面でギャップを披露する者よ。

 清純に見えるエレンちゃんだって、それはあくまで外から見た人の勝手な評価に過ぎないんだから。

 ああいう子ほど、周りの期待に応えようとして内側にいろいろと複雑な感情をため込むものなの。

 ま、過程はどうあれ多少はスッキリしたんじゃないかしら」


「それは経験談だったりするのか?」


「さあ、どうだろうね。まあ、強いて言いうならあえて言わないでいる気持ちは確かにあるってことかな。

 言える勇気も自信もないし......どうせ墓にも持っていけず勝手に消える気持ち」


 そう言いつつも、ミュエルは両手を重ねて胸につける。まるで大切そうな表情で。

 言動がちぐはぐなのだ。

 その気持ちがなんなのかハクヤにはわからないが、ミュエル自身でも割り切れないだろうということはわかった。


 しかし、どこか自分と似たような気持ちを持っている気がした。

 自分もエレンが安全に暮らせる世界になった後、どこかへ消えるつもりでいるが、これからも一緒にいたい気持ちも確かに存在するのだ。


 何度殺そうとしても突き立てた刃は寸前で止まり、仕留めることが出来ない。

 その癖に少しずつ、エレンが成長していく度に気持ちが膨れ上がっていくばかり。

 図々しいにも程がある。生まれも生き方も全く正反対で、まるで白と黒であるように。


 すると、ハクヤは未だ頭が正常に動いていないのか自分の想いが口から零れ落ちる。


「その気持ち......なんとなくわかる。

 俺もこの歳になってまで悩むことじゃないんだろうけどさ、どうしても大人になっても割り切れない気持ちがある。

 いや、むしろ大人になった方がそういう気持ちにケジメがつけられなくなったかな。

 もう取り戻せない過去があって、にもかかわらず必死にもがいてかき集めて......無意味だってわかってるのにな。

 今は恩返しとばかりにこんなことをやってる始末だ」


「ハクヤはまだその女性が好きなの?」


「好き......とはまた違うな。確かに小さい頃は母親に対しての愛着みたいなのはあったけど、年齢を重ねるごとにそうはならなくなった。

 ただ、憧れてたんだ。あの人も真っ白に清いわけじゃなかった。

 だったら、そもそもスラムのガキを城から家出してまで育てようと思わないだろうしな」


 ハクヤは懐かしい思い出を思い出しながら告げる。


「ただ真っ直ぐだった。考えも行動も確かな自信を持って行動してたんだ。

 しっかりと自分が定めた道を歩いてたんだ。

 たとえそれが城に連れ戻されるという結果になっても」


「要するに......強い人?」


「まあ、そうだな。簡単にそうだ。あの人は強かった。

 心に真っ直ぐな芯があった。そして、どこまでも明るかった。

 地上を照らす太陽とは違う、もう一つの太陽。

 まあ、のちのちに本当に太陽的存在だったことには驚いたがな。

 ともかく、その芯があるような生き方に惚れたんだ......俺は。そうなりたいと思った」


 ミュエルはその言葉に少しだけ悲しそうな顔をする。それはあくまで自分自身に対して。

 相変わらず死ぬ前には伝えたい気持ちがあったとしても、結局はその女性が邪魔をする。

 直接対面したことはないが、存在は有名なので知っている。

 別にその女性が悪いわけじゃない。ただの私怨。身勝手な逆恨みに等しい。


 そんな自分が恨めしい。

 そう思いながらも、心のどこかではこういう結果になって喜んでしまっている自分がいる。


 それでハクヤは今も心にゆとりがないというのにもかかわらず、自分の想いを強く願うほどハクヤは苦しんでいく一方になる。


 結果的にそうなっているだけかもしれない。ただ不遇の巡り合わせでそのような状況になっているかもしれない。


 しかし、それがもし自分が原因だとしら恨めしい。だが、漏らす言葉は肯定を望んでいる。


「でも、本当にそうなっていたら、私と出会う可能性はなかったかもね。

 私がハクヤに助けられる出会いもなかったかも」


 その答えにハクヤは窓から差し込んでくる太陽の光を手で遮りながら答えた。


「それはどうだろうな。俺がもしそのままあの人と一緒に暮らせる未来があったとしても、もしかしたら同じような運命を辿っていたかもな」


「どうしてそう思うの?」


「 眩し過ぎるんだ。あの人が太陽だとすれば、俺は蝋で作った羽を生やして太陽に近づこうとした人間。

 近づきすぎて熱で蝋が溶けて落っこちてしまう。それが俺。

 自分で頑張ろうとしないで、ただあの人が一身に向ける愛情を貪り食って生きるだけのダメ人間になってただろうな」


 ハクヤの目はどこか遠い。太陽を直視できない今のように。


「そんな羨望ばかりを抱いていた俺はあの人を目指すためにも一度遠くで見る必要があった。

 それにスラムで暮らしていた以上、日々ひもじい生活をあの人にさせるのは嫌だったからな。

 これが正しかった道なのかもしれない」


「なにカッコつけてんの。なるようになってしまった世界がこうだった。それだけでしょ?」


「案外ドライな回答を出してくるな。とはいえ、まあまさにその通りの答えだな」


 そう言って、ハクヤは遮る手の隙間から太陽を覗き見る。

 相変わらずおかしいほどの光の量だ。いつも見下ろす癖に見上げることすら許してくれないなんて。

 それだけ距離が遠いのだろうか。はたまた近づくことが許されていないのか。


 ハクヤは一つ息を吐くと話題を変えた。それは先ほどのエレンのことについてだ。


「俺がこんな状態で言うのも何なんだが.....エレンを一人にさせて大丈夫なのか? いくら、エレンが生きてるかどうか確かめる方法があっても、助けられなくちゃ意味がないぞ?」


「大丈夫、そこら辺は昨日ダンジョンから帰った後に信用できる人間に頼んだから。まあ、その分依頼料は痛いけど、それぐらいは払ってくれるよね?」


「まあ、大丈夫だな。あくどいことばっかりやって来たから金は腐るほどある」


「一回の依頼金額凄いしね。まあ、そういうことだから、全く安全というわけじゃないけど、それでも何もしてないわけじゃない。

 それにエレンちゃんにも独立を促す必要があると思うしね。

 いつまでも親のすねをかじり続けるのはダメだって」


「どちらかというと、俺がかじらせ続けさせているって言った方が近いけどな」


「なら、少しは自重しなさいよ」


「はい」


 ミュエルは腰を上げると「今日一日はゆっくり寝てなさいよ」と手をひらひらさせながら、部屋を出ていった。


 そして、後ろ手で扉を閉めるとそのまま寄り掛かり、脱力するようにうずくまる。


「何よ、あの恥ずかしい質問は! 嫉妬心剥き出しの質問じゃないの!?

 なにやってんの私は......はあ、私もまだ酔いが醒めてなかったりするのかな。

 正直、私の気持ちに気付かなかったのは救いだったけど、なんだろうこのムカムカする気持ち」


 ミュエルはため息混じりに立ち上がると自分の頬をパシンと叩く。

 そして、無理やり気を取り直すとそのまま昼間の町へ出かけた。

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