第三十三夜 正反対の二人
ある日の午後、太陽が雲一つない青空で眩い暖かい光を届け、森はその光を受けて気持ちよさそうに光合成をしている。
湖はまるで宝石のように太陽の光を反射してキラキラと輝き、その湖の近くには一体の大きな白き獣と少女がいた。
レナントとエレンだ。
エレンは横たわるレナントに寄り掛かるようにして足を伸ばしながら座っている。
そんなエレンをレナントは嫌そうな顔一つも浮かべずにエレンにしゃべりかけた。
「まさか、我に近づいてきた理由が『その毛並みを全身で感じさせて』とはな。
過去に我を利用して近づいてきた輩はおったが、まさか純粋にその気持ちで来るとは初めてだ」
「だって、実は治療している時にもすっごく触りたかったんですよ?
まあ、そんな状況じゃなかったし、仕方なかったとは思いますけど」
「もう色々解決したし、我慢も限界に近かったから今こうしてると?」
「そういうことです」
「はあ、何か裏が少しは合ってもいい気がするんだがな......まあ、悪い気分はしないからいいけど」
レナントは仕方なさそうにため息を吐きながらも、結局エレンに体を預けさせている時点でそうなのだろう。
しかし、レナントはエレンが本当にただ単純にそれだけで来たとは思っていなかった。
裏があるとは違うが、エレンが何かを伝えるためにやって来たのはなんとなく察していた。
故に、レナントは聞いた。
「それで、小娘は何を伝えに来たのだ? いや、聞きたいことという方が正しいか。
我はお主達の力添えがあって今もこうして生きながらえている。
無茶な質問でもできる限りは答えてやろう」
「聞きたいこと......」
エレンはそう小さな声で呟くとふと脳裏にある光景を思い出した。
それはゴブリンの巣に突入した時のことだ。
ゴブリンは自分達の子孫繁栄のために人間の女性を襲って苗床にしていた。
その凄惨な現場をエレンは目撃した。
ゴブリンロードを倒した後にエレン達が向かった場所は苗床となっていた女性達がいるゴブリンの巣。
一見気持ちよく終わったようにも見えるが、その被害は想像以上に甚大であったのだ。
もう世界から消えた村がいくつもあり、目から生気が抜け心が壊れた表所をしている女性達。
その被害を知ってからもっと救えた命があったと思うようになったのだ。
そして、その思いの中で疑問が浮かぶ。
「どうしてゴブリンは人間を襲うのですか?
普通は同じ種どうしじゃなきゃ増えることはできないと思うんですけど」
それに対して、レナントは知っている限りを話した。
「奴らは特殊なのだ。唯一他の種族と交わってもゴブリンを生ませることが出来る種族。
もとよりメスが生まれる確率が少ないのだ。それ故に他種族を襲う。
そして、人間を襲うのはこの世界の生物で一番繁殖力が高いからだ。
放っておいても数が増えていく。だから、奴らは人間を襲う。
もっとも合理的な手段と言えよう。
しかし、どうしてそんなことを?」
「......私はゴブリンの巣で同じ女性が苗床にされた状態を目撃しました。
その時、初めて魔物に対して怒りを感じたような気がしました。
今までは魔物とも分かり合えると思って......この村のテイマーさんのようにこちらが敵意を見せなければ心を開いてくれると思っていました。しかし、それが正解じゃないと思いました」
「そもそもの話、この世界に正解という生き方はないのだ。
飢餓者が生きるために盗みを働く。
盗みを働いた本人はその行動に正解を持ち、盗まれたもしくは盗むまでに至らない倫理観を持った人はその行動を不正解とみなす。
しかし、生きるためにした行動を一概に否定できない。
ただそこまでに至る動機を身をもって知らないから否定できるだけであってな。
それにあの村のテイマーだって全ての魔物がテイムできないことは知っている。
そう願うのはやまやまだ。しかし、願いと現実は無慈悲にも違うことが多い。
だから、テイマーはあくまで心を通わせることが出来る相手を選んでいるのだ」
「それじゃあ、あのゴブリンと心を通わせることは不可能だったんだね」
「不可能とまでは言わない。
それはあくまで何も知らないゴブリンの幼子を育てて、そしてようやくそのゴブリンとだけ心を通わせることが出来るだろう。
しかし、そのゴブリンを通じて野生のゴブリンとそうするのは自殺行為と言えるな。
自分から苗床に成りに行ってるものだ」
「別にそこまでする気はないですよ。
ただままならないなと思っただけで......どうやら私にはまだ瞬時に割り切って行動するにはもっと経験が必要みたいです。
でも、良いこともありました」
「ほう? それは一体なんだ?」
少し落ち込んでしまっていたエレンであったが、すぐに調子を取り戻すと明るい口調でそう告げた。
その反応にレナントは少し興味を示した。
周囲には穏やかな天候の下に心地よい風がゆらゆらと辺りの花を揺らしていく。
湖は少し波立ち、風に飛んできた葉っぱがその湖に着水して小さな波紋を浮かべている。
「ハクヤが殺すだけが正解じゃないと知ってくれたことかな。
白狼様と会う前にキラーファングの子達と戦うことになったんだけど、その時に私が戦わずに和解を持ち込んだんだ。
ハクヤは“そういう魔物はすぐに殺せ”って言うんだけど、その時の私には正解だと思って」
「かなりの無茶をしたな。我だって人間であればその者と同じ思考に至るぞ」
「うん、とっても危険なことをしたと今はだいぶ反省してる。
でも、本当に殺すべきなのかとは思って。
あそこで殺していたら、私達は白狼様に出会えなかったと思うし」
「なるほど、ある小僧が『会わせたい人達がいる』と言っていたのはそういうことか。
ふっ、実におかしな話だ、無茶したからこそ我々との縁があるというのだからな。
まさしく奇縁と言えよう」
「でも、大切な縁。もうこんな無茶は控えようとは思うし、私の心に訴えかける何かがない限りそうしないと思う。
だけど、その行動がハクヤに“殺す以外にも道がある”ってことを伝えられたと思うんだ。
ハクヤがまだ私に教えてくれないことはきっととても暗い過去だと思うから。
すぐにそういう思考に至ってしまう何かがあったからだと思うから」
「全く.....どうしてそうまで思ってあの男が好きなんだ?
これはお主のために行っておくがあの男は非常に危険だ。
ゴブリンロードとの戦闘を見て戦い慣れているとは思っていたが、それ以上に微塵も本気を出していない。
我が苦戦した相手を援護があったとしても、あんなに楽々と圧倒してしまうとは。
味方では強力だが、それを逆に捉えればその力でもってこちらに牙を向く可能性もある―――――」
「させないよ。私が絶対にさせない」
レナントの言葉を遮るようにしてエレンは強く言い切った。そして、レナントに強い眼差しで告げる。
「ハクヤはずっと私のことを守ってくれた。なら、今度は私がハクヤを守る番。
今はまだ弱くて何も出来ないけど、もしハクヤが肉体であっても精神であってもボロボロになっているならすぐに手を差し伸べることが出来る人間でありたい」
「どうしてどこまで......」
「好きだからですよ。“それ以外に理由が要りますか”?」
「......!」
レナントはエレンの言葉に思わず目を見開いた。
それはまだ自分が弱かった頃の昔にとある女性と話した時の言葉と一緒であったからだ。
その女性はなぜかまだ人語も話せない自分の言葉を理解して、話をしていた不思議な女性だ。
......ああ、そういうことか。ずっと似ていると思っていた。
話していて既知―――その女性と話している気分になっていた。
まだまだ幼さや無知なところがあるが、もしそうだとすると......なるほど、この出会いはまさしく“奇縁”と言えよう。
まさかいく年の時を超えて教えられる立場から教える立場に至るとは......昔懐かしい気分になる。
全く、年は取りたくないものだ。
「お主はまるでの我の恩師のようであるな」
「恩師? ってことは、白狼様を強くした人? 魔物? のことですか?」
「人であるな。ただし、肉体面ではない。精神面でだ。
ただその人は言葉の一つ一つが心温まり、漂わせる雰囲気はまさに聖人。
どういうわけか話したことはどれも妙な説得力が生まれていた」
「それってもしかして聖女様のことですか?」
「さてな。名も知らぬ人であったよ。さて、もう話し疲れた。
年を取るとすぐに眠たくなるものだ。これだけ日当たりが良いのだ。少しは眠らせてもらうぞ」
「それじゃあ、私も失礼して」
「実はそれが目的であったわけではなかろうな」
「......えへへ」
「全く、好きにしろ」
「ありがとうございます」
そう言ってエレンはフワフワな体に身を預けると目を閉じた。
すると、数分も経たないうちに寝息を立て始める。
レナントはそっと掛布団をかける母親のように柔らかな尻尾をエレンの膝上に乗せた。
そして、自身も眠る前にずっと盗み聞きしていた不埒な男に声をかける。
「もう出てきていいぞ。余計なことは話していない。
特に
「まあ、獣のあんたにバレないようにって方が難しいか。
とはいえ、それに関しては感謝してる」
そう言って木の裏に隠れていたハクヤはレナントが見えるように現れると木に寄り掛かった。
そして、腕を組みながらこともなし気にそう告げる。
そのことにレナントはため息を吐いて返答した。
「どうせ言おうとしたらしたで気を逸らす行動を取ろうと思っていたくせに。
はあ、どうして隠すのかを深く尋ねるつもりは無いが、本当にお前らはあべこべ......いや、でこぼこと言った方が正しいな。
清く生きて欲しいが、殺すことも時には必要と諭すお主と殺しばかりではなく、生かすことも出来ると諭す小娘。
それでいて、お主の動きから生き方も身分も何もかも正反対の二人なのだろうな。
だからこそ、噛み合っているのかもしれないが」
「噛み合ってなんかいないさ。
嚙合わせるつもりもない。エレンの人生にとって俺という存在が一番の障害と思うからさ。
全てが終わった時にはエレンには申し訳ないがすぐに消えるさ」
「この小娘がそれで終わると思えないがな。どうせ探しに出るぞ?」
「いざとなれば、俺の記憶だけでも無くす方法を考えるさ」
「お主もだな。どうしてそこまでする?」
「それが俺の誓いだからだ。この人生を使ってそうすると決めた。
もう二度とあの悲しみを繰り返さないために」
「はあ、一筋縄ではいかないぞ?」
「ああ、わかってるさ」
そう言ってハクヤは静かに森の中へと消えていった。
その後ろ姿をレナントは見つめながら、「この組み合わせも天のいたずらか」と呟いた。
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