第三十二夜 積年の想いと言い得ぬ不安

 ついに二体の王の決着が着いた。

 勝ってその場に立ちつくすのは白き王。

 対して、緑の王は力なく後ろ向きに胸に剣を刺したまま倒れていく。


 わずかな静寂が流れると同時に、生き残ったキラーファングが勝利を報告するように一斉に遠吠えを始める。


 その時に白狼はようやく勝った実感が湧いたのか、もう既に限界に達していた膝を折り、その場に崩れ落ちる。


「レナント!」


 その場に一目散にライユが近づいていく。

 そして、自分の体ぐらいの大きさもある頭を抱え、そっと抱きしめる。


「レナント! やっぱりあなたが守ってくれていたのね。

 一体どこで何をしていたのよ。

 どうして会いに来てくれなかったのよ。

 突然いなくなってそれで私......こんなにボロボロになってまで私達を助けてくれてありがとう」


「礼はいらない。ただ我がしたくてしたことだ。

 そこに見返りなど何もない。むしろ、我が主に受けた恩を返しにやって来たぐらいだ。

 その役目が無事に果たせて我は心の底からホッとしている。

 我の大好きな人を、大好きな人が住む村を守ることが出来たのだからな。

 ちっぽけな子犬時代からよくやったものだ」


「本当に......バカな子」


 ライユは抱きしめる力をより一層強め、ただ喜ばん笑みとともに涙を溢れさせた。

 ライユと白狼――――レナントの再開は何十年ぶりなのだ。さらに出会った時期も含めるともっと長い。

 それだけ積み重なった想いが、大切にして膨らんでいった感情が今をもって爆発したのだ。


 もはやその気持ちをライユ本人ですら止めることは出来ない。

 そして、その積年の想いを止める者も当然いない。

 ライユの息子であるコークは心から嬉しそうに笑い泣く母を見て、若干涙ぐんでいるぐらいだ。

 それから、レナントのそばに寄り添って治療しているエレンも同じくして目に涙が浮かんでいる。


「遅くなってすまなかった。そんなにも主を傷つけていたとは......我もまだまだ考えが浅はかだったな」


「違うよ。これは嬉し涙。

 もう二度と会えないと思っていた大切な家族に会えたのだから、私が喜ばないはずないでしょ。

 それにしても、あなたは一体どこで何をしていたの?」


 ライユはふとずっと気になったことを聞いた。

 ライユがレナントと出会ったのも唐突であったが、レナントがライユのもとから去ったのも唐突だったのだ。


 故に、どうしてそばからいなくなってしまったのか。その理由が知りたかった。

 それに対して、レナントはそっと目を閉じて答えた。まるで過去を思い出すように。


「......我は病弱で生まれた。他の兄弟はたくましく成長していくのに、我はその兄弟たちの半分のスピードでしか成長していかなかった。

 病弱であること、それは自然界の中では当然かなりのハンデを背負っている。

 我らキラーファングは種族として仲間意識が強く、同時に仲間で狩りをする。

 その中で我みたいな足を引っ張る存在がいればどうなると思う?」


「見捨てられるわね......それじゃあ、小さい頃の傷って!?」


「ああ、そうだ。病弱だった我は我を救わんがために犠牲になるのを減らそうと我に傷を負わせて放置したのだ。

 足手まといは見捨てる。それがその種にとって多くが生き残るための手段であった。

 当然ショックだった。だが、同時に納得もしていた。

 それは恐らく我も同じキラーファングという証明なのだろう。

 だから、元より生きるつもりなどなかった」


「......そう、だったのね」


「だが、運命は我が死ぬことを許さなかったらしい。

 それは主......いいや、大好きな人よ。そなたの存在でな。

 そなたはただ死にゆく運命だった我を助けた。

 まだ幼子であり、そなたがテイマーであるからして救うのは当然と思ったのだろう。

 だが、そのおかげで我の寿命は延びたのだ。

 こうしている今も全てそなたのおかげでな」


 白狼は僅かに口を動かしながら思い出に浸っていく。

 それはライユとて同じであって、レナントの記憶に沿って思い出を蘇らせている。

 たった一つの不思議な縁。

 ただ傷ついた子犬を助けただけのライユがこうなるなんて思いもしなかっただろう。


 戦闘をしていた時とは違う優しい風が吹く。

 その風によって森がゆらゆらとざわめいていく。

 青空には風に流れどこかへと進んでいく雲が、真下にいるハクヤ達に僅かな影を落としながら通り過ぎていく。


 ライユはレナントの優しくて暖かい毛並みを撫でながら、ただレナントに気持ちを寄り添わせる。


「我は幸せだった。種族の縛りもなく、自由に暮らせることが。

 自分が弱くても襲われないと安全が約束された環境の中は実に居心地が良かった。

 病弱だった我の体も時間をかけてたくましくなっていき、もはや我はこの環境で一生を終えるんだとそう思っていた。しかし、我の心に決意させるある出来事が起こった」


「私が......襲われたときね」


「ああ、そうだ。いつもの散歩道、時間も何も変わらずただ平穏に歩むはずだった道に魔物が現れた。

 それはこの森のどこかをナワバリにしていたゴブリンだった。

 数は二体。知能もそれほど高くなかったから、普通のキラーファングでも容易く仕留めることが出来る数だった。

 しかし、我はもともと死にゆく運命。それが運よく助けられたために攻撃かりの仕方などわかるはずもなかった。

 そして、我が弱いばかりに大好きな人が傷ついてしまった」


「......」


「外傷はかすり傷程度。しかし、我にとっては大きなことだった。

 我は野生出身であるために守護も任されていたのだ。

 ありていに言えば番犬。それは大好きな人や大好きな人の家族や友達を守ることであった。

 だが、大好きな人は傷ついてしまった」


「生きてるんだからいいんじゃないのよ」


「そうだな。だが、あの時の我にはもはや痛烈な衝撃であったのだ。

 それは我が弱いからそうなった。

 人間かも自然界もどこもそこも弱肉強食という自然に摂理には抗えない。

 そして、そのことで我は弱者とわかったのだ。

 だから、我は強くなるためにそなたのそばを離れた。

 守護を放棄することにも等しかったが、合わせる顔がなかったのだ。許してくれ」


「いいのよ。あなたがこうして戻って来てくれて。

 それだけでも私は十分に嬉しいの。こうやって触れ合えているだけで幸せなの。

 じゃあ、その人語を話せることといい、その大きさになったのも全て私のためだってことね」


「ああ、そうだ。そなたと言葉を交わしたかったから魔法を覚えた。

 そなたを守れるように強く、そして寒い時には温められるようにこの大きさになった。

 もっとも、結局はこんな様だけどな」


「いいの。私はあなたがなんであれ、あなたのこと知っている。

 あなたの名前も、過ごした思い出も、何もかもを覚えている。

 どんな姿になろうとも私は迎え入れるわ。

 だから、守ってくれてありがとう。

 だけど、もうこんな無茶しちゃダメよ。

 それから、もう別れの言葉なしにどこかへ行ってしまうのもダメ。いい?」


「そこまで言われては我は従うしかあるまい。なんせ我はそなたの番犬なのだからな」


 涙を拭って告げたライユはレナントに見えるように笑ってみせる。

 その笑みを見たレナントは静かに目を閉じるとそっと笑みをる。


「見事、一件落着って感じね」


「ああ、そうだな。俺達は先に戻ろう。あの空間を邪魔するのは無粋だ。エレンもそれでいいか?」


「ぐすん......うん、それでいいよ」


 治療を終えてライユとレナントの二人の空間を邪魔しないようにハクヤのもとへと戻っていたエレンはそっと涙を拭った。


 そして、ハクヤは背を向けて歩き出すとミュエルとエレンはその両端に並んで歩いていく。

 すると、少し離れたところでハクヤがこんなことを言い始めた。


「あの白狼がどうして人語をしゃべれるかはわからないが、あの大きさになったのは一つだけ心当たりがあるな」


「心当たり?」


「まあ、それが正解かどうかはわからないが、魔物があの大きさに至るには方法の一つとして真名を与えるなんてある。いわゆる言霊の一種だな」


「真名.....名前で言うとあのレナントってのが白狼に影響を与えたってこと?」


「鋭いな、ミュエル。そう、昔の勇者の話なんかであるんだが、自分の従者となる魔物に名前を与える時、その名前に意味と魔力を与えるとそれが真名......名が体を表すって言葉があるようにそういう成長の仕方をする場合がるんだ」


「えーっと、確かレナントの名前の意味は......“強くあれ”だった気がする。

 そう考えると確かに白狼様は体も知識も強くなってる気がする」


「まあ、一種の説だ。とはいえ、ただのおとぎ話の産物と思っていたが、存外無視できない話になってくるな」


「いいね、そういうのも全然いいと思う」


 ハクヤの言葉にエレンは嬉しそうな顔をする。

 そして、そのにこやかとした顔をハクヤに見せる。

 そんなエレンに僅かに口角を上げるとそっと頭を撫でた。

 そのことにエレンは「子ども扱いはダメって言ってるでしょ!」と抗議するがまんざらでもなさそうな顔をしている。


 しかし、ハクヤが笑っている顔の裏では言い得ぬ不安を抱いていた。

 それは突然現れたゴブリンロードの存在とゴブリンの巣で見つけた魔族が崇める邪神教の絵が描かれた旗。


 それが意味することは一つしかない。魔族が動き出したということ。


 まるで10年間の沈黙を破るように現れたそれにハクヤが警戒しないはずがない。

 現にもうとっくに今頃自分とエレンが住んでいた思い出の家は一片の塵も残さず消えているだろうから。


 そう考えるとハクヤは思わず頭を抱えたい気持ちになる。

 10年間欺き続けて今になって突然自分達を潰しにかかる影楼どうほうと最初の村で現れた魔族の手らしく存在。


 当然ながら、偶然とは思いにくいタイミングの良さだ。

 そして、もう一つタイミングとは思えない理由をハクヤは知っている。


 ハクヤは思わずため息を漏らしたい気分になった。

 エレンがいる手前余計な不安を与えないためにできないが。


 もし、その二つが同時に動き出したとすれば、もはやこの旅はただの旅ではなくなる。

 実質逃避行の旅だ。追ってから逃げるための。

 その時、ハクヤは自分がどこまでエレンを守れるのか心配になった。本当にこのままで大丈夫なのかと。

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