第2章 獣は年老いても感謝忘れず
第十七夜 乙女の会話
ついに始まったハクヤとエレンの旅。
ハクヤが運転する馬車は焦ることもなく、緩やかで心地よい風の中を颯爽と走っていく。
そんな馬車の中で、二人の少女が向かい合う状態で座っていた。一人はエレンで、そしてもう一人はミュエルであった。
馬車が動き始めてから二人の会話はない。ただ互いのことをジッと見つめ合っているような状態だ。
しかし、二人の間に居心地の悪い雰囲気は漂っておらず、エレンに至っては初めて見た獣人に対して興味があるような感じだった。
すると、ようやくミュエルが尋ねた。
「私が気になる?」
「え? あ、はい、そうですね。ハクヤからお仲間がいるとは聞いていましたが、まさかその相手が女性でそれも獣人だとは知りませんでした」
「タメでいいよ。敬語は苦手。それとその様子だと獣人の存在は初めて知ったみたいだね。もしかして、私の尻尾や耳触りたい?」
「はい。ものすっごく」
「正直ね。どこかの誰かさんとは大違い」
ミュエルは笑みを浮かべながらハクヤの姿を見る。当然、後ろにいるので顔は見えないが、なんとなく苦笑いしてる姿が思い浮かぶ。
そして、エレンの方に顔を向けると尻尾をゆらゆらと揺らしながら、エレンの前に差し出した。
エレンは手をワキワキさせながら、その尻尾とミュエルの顔を交互に見る。まるで「もう早く触りたい。触っていい?」といった感じで実に微笑ましい。
ということで、ミュエルの方から尻尾をエレンの手に触れさせる。
「はぁ~~~~~~!」
「んっ」
エレンは感動したように瞳を輝かせるとまるで割れ物を扱うように優しく撫で始めた。
その手つきが妙にくすぐったくて思わずミュエルは声を漏らす。そして、そのことに気付くとサッとハクヤを見た。目が合った。後で殺す。
しばらくして、エレンが恍惚の表情で「ありがとうございました」と丁寧に合掌した。
その間ずっと妙なくすぐったさに耐えていたミュエルはごほんと一回咳払いすると改めて自己紹介。
「本当は昔に一度会っていたりするんだけど、改めてね。私は【ミュエル=グレイシア】。組織でハクヤと出会ってそれから今までの付き合い。私の専門は主に諜報だから、当然エレンちゃんのことも知ってるよ。まあ、大体はハクヤの親バカで自慢されたんだけど」
「そうなんだ。もうハクヤったら、昔っから私のことが大切......ん? グレイシア?」
エレンはいつも通りの妄想陶酔しようとした時、ふとミュエルの名前に対して気になることがあった。
それはミュエルのセカンドネーム。その名前はハクヤの下の名前と同じである。
ということは、何か。まさか!?
「すでにハクヤって婚約してるの!? だとしたら、とんでもない勘違い宣言してることになるんだけど!?」
「違うわよ!」
エレンのぶっとんだ発言にいつもどこかクールに落ち着いたミュエルの表情が一気に崩れた。デフォルトのジト目も僅かに見開き、顔を上気させた。
そして、その発言はハクヤにも影響を与え、馬車が一回ガコンッと大きく揺れる。
「ハクヤが動揺してる!?」
「だから、違うって! ハクヤも勘違いを生むようなことするんじゃない!」
「すまんすまん。エレンがあんまりにも凄いことを言うもんでビックリして」
「え、じゃあどういうこと?」
何か色々と妄想を膨らませてそうなエレンに「一旦落ち着いて」とミュエルが告げるとその本人も深呼吸。
それから、ゆっくりと説明した。
「これはいわば若気の至りってやつよ。私はもともと奴隷として売られるために輸送されてた。その時、丁度その奴隷商を暗殺する依頼を受けていたハクヤに助けてもらったの。それから、行く当てもなかった私はハクヤの後ろを追いかけて組織に入り、兄妹の盃を交わして名字をもらったのよ。今考えればどうしてあんなに貰おうとしていたのか」
「それは単純に心のよりどころを欲していたからではないですか?」
「え?」
思いもせぬエレンの返答にミュエルは思わず呆けた声を出した。そんなミュエルを見ながら、エレンは続ける。
「ハクヤは10歳からその手の仕事をしていたらしいので。私がハクヤと会う前に会っているとしたら、ミュエルさんはまだ年齢は一桁ということになりますし。行く当てがないということからも、そういう気持ちがあったのではないかと」
「......なるほどね。確かに、とても合理的な考えだと思う。だとしても、別にハクヤに執着する意味はなかったと思う」
「それはハクヤさんが好きだったからでは?」
「は? いや、そういうのじゃない。その時の私にまだ恋愛感情とかなかっただろうし。生きることに必死だったろうし」
「? 別に恋愛感情とかじゃなく、単純に親代わりの愛とか友情とかのそういう意味合いでの方だと思ったんだけど......」
「!?」
エレンの言葉にミュエルはビクッとして尻尾をピンと立たせた。その顔は真っ赤で目は泳いでいる。
その瞬間、エレンの恋愛センサーが反応するようにアホ毛がピンと逆立ち、エレンの目がスッと細くなる。
「いや、そうね! ちょっと言葉が出てこなかっただけだから。私の場合は純然たるライクだから」
「目の汚れ切った大人なら騙せるミュエルでもエレンは騙せなかったか~」
「何しっかりと聞いてんのよ!」
「痛っ!」
ミュエルはササッと立ち上がると馬を操作してるハクヤの頭をぶったたく。羞恥の怒りがこもった強打であった。
そんな二人を見ていたミュエルは目をさらに鋭く細くさせて「ほぅ」と短く声を漏らす。それはミュエルの尻尾が起こっている割にゆらゆら揺れているから。
オオカミのように尻尾を振っている時が好意を示している時とはわからないが、先ほどからハクヤ関連になると妙に揺れが大きかったような......。
ハクヤに散々猫パンチしてきたミュエルはまだ怒りと恥ずかしさを抑えきれない様子で戻ってくるとエレンの前に座った。
「ふぅー、全くあの男は......そういえば、エレンちゃんはハクヤのことをいつからそうなの?」
「いつからって何がですか?」
「そんな相手すら焼き焦がしそうな燃える炎を上げるようになったこと」
「う~ん、そう言われると正確な時期がわからない。そもそもいつからそう思うようになったかもハッキリしない。でも、キッカケなら知ってる。昔に一度盗賊が村に襲いかかってきて。私は売るために捕まったの。そしたら、村に帰ってきたハクヤがすぐに迎えに来てくれて」
「知ってる、それ。珍しくハクヤが落ち込んでいた日だ。警備が甘すぎたとか、もっとそばにいるべきだったとかいって一日中自己嫌悪の愚痴を聞かされてたやつ」
「そんなことが......」
「みゅ、ミュエル!? それは言わない約束だろ!?」
「さっきの仕返し。女の恥を知ると痛い目に合うから気をつけてね」
ハクヤの顔は見えない。しかし、その後ろ姿からなんとなく恥ずかしそうにソワソワしてる感じだ。
そんな様子を見ながらミュエルはしたり顔。その一方で、エレンは感慨深そうな表情をしていた。
そして、すぐに何かを考えこむように顔を俯かせる。
ミュエルは何かを思ってサッと防音の魔道具を取り出して、その効果範囲を調節して足元に置いた。大きさはエレンと自分のみだ。
その判断が功を奏したようにエレンはバッとミュエルに告げた。
「あの、ミュエルさん。昔のハクヤはどうだったの?」
「エレンちゃん、それはそんなに大きな声で言ってもいい内容じゃないし、何より聞く相手が違う」
「あ、ごめんなさい軽率でした。どうしようハクヤに聞こえちゃった......」
「安心して。私が防音の魔道具を置いたからハクヤに届くことはない。けど、確かに今の質問は軽率だね。エレンちゃんが思っている通り私はハクヤのことを知ってるけど、それは私が言うべきことじゃない。それにそれはもともとハクヤから吐かせるつもりだったんでしょ?」
「え、どうしてそれを......」
「エレンちゃんが出かけてる間にハクヤが嬉しそうに話してたよ」
「そうなんだ」
その一言にエレンは少しだけ気力が回復した。とはいえ、少しは自分の勢い余った行動は自重しなければ。
「とはいえ、相手は非常に厄介としか言いようがないよ。なんせハクヤは頑固だから。ハクヤが一度信念に決めたことを揺るがすには並大抵の言葉や出来事じゃ無理よ。彼は汚れた沼でもがいて生きてきたような人間だから」
「......」
そんなことを言うミュエルの表情は少しだけ寂しそうだった。「本当にそれでいいの?」と訴えているような目でもあった。
その顔にエレンはシンパシーを感じた。もしかしたら、自分が今のように思って行動してるずっと前からミュエルはそのように動いているかもしれないと思ったからだ。
そう思ったエレンはそっとミュエルの手を取った。そして、告げる。
「一緒に頑張りましょう。
「それでいいの? エレンちゃんにとっては」
「私の一番の願いはハクヤが私を気にせず幸せになって欲しいという願いだけど、それは私の存在がある以上無理な感じだからね。となれば、ハクヤ自身の考え方を変えるしかない。でしょ?」
「......そうね。それが一番手っ取り早いし、方法もそれしかない。とはいえ、変な勘違いはしないよう
に」
ミュエルはつんつんとエレンの頬を突く。それに対して、エレンが向けた目は疑念だ。
「......」
「どうして目を細くするの? 違うから。いや、違うからねほんと。信じて」
「......そこはどうも怪しいんだよね~」
「いや、違うから。私は、私達はあくまで兄妹だから。ね? 兄妹で意識するなんてそんなのおかしいでしょ?」
「いやでも、血は繋がってないわけで......」
「お願い信じてー!」
この日初めて、ミュエルの平和だった日常にエレンという強敵が現れた瞬間であった。
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