第十六夜 始まったつれづれ旅

 翌日、エレンはソフィと一緒に噴水近くのベンチに座っていた。


 エレンは昨晩の出来事についてソフィに様子を尋ねるつもりで古書店に向かっている最中にばったり出くわしたのだ。


 そして、ソフィの提案でこの場所にいる。


 ソフィを見た感じでは目立った外傷はない。

 自分達が先に戻って二人きりにした後も特に何か起こったわけではなさそうだ。


 しかし、それはあくまで暴力的一面であって、精神的一面はまた違うようで......


「じゃじゃ~ん、見て見てこれ。可愛くない?」


「うん、可愛いね。でも、その人形ってマリスさんの......」


「そう、一番出来が良いのくれたんだ。昨晩のお詫びにってことで」


 ソフィが見せてきたのは白い帽子に白いワンピースを着た茶髪の少女。

 その少女はどことなくソフィに似ている気がする。


 それをソフィが気づいているのかどうかはわからないが、嬉しそうにしている時点でいいことなのだろう。


「ありがとね、昨日」


「え?」


 嬉しそうに人形を見つめるソフィは不意にそんな言葉を呟いた。

 そして、言葉を続けていく。


「マリスさんから聞いたんだ。昨晩のこと。マリスさん自身が抱えている闇の全ても。昨日はいろいろと不思議な時間だったかもしれない。突然背後から何者かに襲われて。それがマリスさんで、そしてマリスさんはそれに苦しんでいて」


「全てってことはマリスさんの気持ちも聞いたんだよね? ソフィはどう答えたか聞いていい?」


「良いわよ。晴れてお付き合いすることになったわ。

 でも、きっとエレンがいなかったらこうもならなかったと思うの。

 だから、エレンには感謝してる。なんなら、エレンを引き合わせてくれた弟にもかな。

 ともかく、私だけではきっと彼の心に光を刺すことも出来なかった。

 本当にありがとう」


「どういたしまして。

 でも、私はあくまでマリスさんの背中をそっと押しただけに過ぎないから。

 その一歩を踏み出したのは確実にマリスさんだよ。

 おめでとう、幸せになってね」


「ええ、エレンがここまでお膳立てしてくれたんだもの。

 やってやらなきゃダメよね。ってことで、はい。これはお礼」


 ソフィは一冊の厚い本を渡した。

 それは「光魔法に対する応用」と書かれていて、中は小難しそうな文字列がたくさんあった。


 エレンはそれを受け取りつつも思わず困惑する。


「前にも一冊ただでもらっちゃったけどいいの?」


「いいのいいの。それはエレンのためにもっといいのないかって倉庫から引っ張り出したものだから。むしろ、貰ってくれなきゃ悲しむわよ」


「そっか......ふふ、ソフィを悲しませるわけにはいかないからありがたく貰うよ。ありがとう」


「いえいえ、それはこちらこそ」


 そう言って二人は笑い合う。

 すると、ソフィはふとエレンと話したことを思い出したので尋ねてみた。


「そういえば、結局そのハクヤさんって人とは仲直りしたの?」


「あ~~~~ぁ~~~~~、はあ~~~~~~~~」


「ど、どうしたの?」


 ソフィの何気ない質問に対してエレンはハクヤとの会話を思い出し、深くそれはもう深くため息を吐いた。


 それはソフィが初めて見るようなエレンの疲れた顔であったために思わず困惑が隠せない様子だ。

 それから少しして、エレンは言葉を紡ぐ。


「まあ、何と言いうかな。仲直りはしたんだよ、一応」


「一応......」


「でもさ、ハクヤの根本的な問題を見つけてしまってね。

 私の好意を伝えようにもそれが邪魔をしているらしいんだよ。

 それに私自身もただ弱さに甘えてたってことがわかって、かなりショックだった」


「それで? どうしたの?」


「宣戦布告した」


「宣戦布告!?」


「『恋は戦争だ』なんて言い回しがあるけど、それってあくまで好きな人を取り合う同性同士の話かと思っていたけど、まさか異性にあるなんてね。

 ハクヤは私の好意に気付きながら、鈍感な振りをしていたんだよ!

 それにまともに受け止めようともせずにひらりと躱す時もあるし!

 ああ、もうまたちょっと怒りがぶり返してきた!」


「で、でも、ハクヤさんのことは好きなんだよね?」


「うん、大好き!」


「お、おう......」


 キレ気味であるにもかかわらず、好意を隠しもしない言葉にソフィは思わずリアクションが取れない。


 しかし、エレンのオーラから恋する乙女の燃える炎が見えるので、その色々とおかしい態度に思わず笑いがこぼれる。


 どこか自分とは違う聖人君子の人間かと思えば、恋に夢中であったり、官能小説を読んだりと案外俗世な部分もあって親しみを感じる。


 だからこそ、エレンという人物は面白い。凄く接しやすい聖女様のようだ。


「へぇ~、それじゃあ具体的にどうするつもりなの?」


「それはね......あ」


「どうしたの?」


「一つ言わないといけないことがあるんだ」


 何気なく聞いた質問にエレンは何かを思い出し、先ほどの態度とは反対の少し暗く寂しそうな表情をした。


 その大きな雰囲気の変わりようにソフィは怪訝に思いながらも、すぐに聞き返す。


「どんなこと?」


「これ見て」


「これって確か冒険者カードだよね。へぇ~、実物は初めて見るかも。それがどうしたの?」


「私ね、前からハクヤと約束していたことがあるんだ。一つランクが上がれば旅に出ようって。

 それでついさっき、クエスト行ったらランクが上がって嬉しかったんだけど、そうなるとここでソフィとはお別れしなくちゃならなくて」


 エレンは悲しそうに告げる。

 それはソフィと仲良くなってこの町にも愛着が湧いてきた証拠なのだろう。


 そんなエレンの様子を見たソフィは「ふふっ」と笑うとそっと背中を押した。


「エレン、あなたのやりたいことはきっとここだけじゃ小さすぎるのよ。

 あなたが前に進みたいのなら振り返らずに進みなさい。

 そこにはきっと希望と神秘が待ち受けているはずだから」


「!......それって『マーラの精霊記』で助けた精霊に主人公のマーラが言われた言葉」


「そう。良く知ってるわね。

 そして、この言葉は今のあなたのためにあるような言葉。

 私はね、エレンの足枷になりたくないの。

 私のせいでエレンが前に進めないのなら友達をやめる。

 それぐらいの覚悟のつもり。でも、友達って離れていても友達でしょ?」


「......! そう、だね。うん、その通りだと思うよ。

 私もソフィとはずっと友達でいたい。だから、私は前に進むよ」


「うん、それでいいと思うわよ」


 ソフィが優しく笑うとエレンも呼応するように笑った。

 そして、ソフィは勢いよくベンチを立ち上がると天高く拳を突き上げる。


「それじゃあ、エレンがいなくなっちゃう前に今日は遊ぶぞー!」


「おー!」


 そう言って、二人は昼間の商店通りへと足を運んでいった。


 *****


「エレン、挨拶は済ませたか?」


「うん、思ったより時間がかかったけど、とりあえず冒険者ギルドの皆さんや武器屋、串肉店の人にも挨拶してきたよ」


「でも、まさか見送りがあるなんてな」


「だね......」


 翌日、門の前にいるハクヤとエレンは目の前にいる大勢の人だかりに視線を向けていた。


 それは冒険者ギルドや武器屋の女性、串肉店のおっちゃん、それからソフィとマリスといい大勢の人が駆け付けていた。


 その大半がエレンのファンである。


 エレンは「見送りはいらない」と言っていたのだが、どうやらあちら側はしたくて仕方がないようだ。


 そのことに苦笑いをしつつも、嬉しさは隠しきれるものでもない。


「エレン、最後の挨拶だな」


「うん、そうだね」


 ハクヤはそっとエレンの背中を押すとエレンは数歩前に出た。


 そして、「ありがとうございました。またいつか戻ってきます」と告げて深々とお辞儀をした。


 その瞬間、「頑張れよー」「寂しいよ~」「エレンちゃん、応援してるよー」と励ましの言葉もあったり、「ハクヤ殺す」「エレンちゃんを泣かせたら殺す」「というか、羨ま死ね」とヤジも混ざっている。


 そのヤジに気付いたハクヤは苦笑いを浮かべ、エレンはそんなハクヤにいたずらっぽい笑みを浮かべる。


 そして、エレンがハクヤのもとへと戻ろうと振り返ろうとした時、ソフィとマリスが駆け寄ってきた。


「エレン、元気でね。幸せになって戻って来てね」


「エレンさん、この度は本当にお世話になりました。

 エレンさんがいなかったら、僕はもう二度と陽の光を浴びて生きることは出来なかったかもしれません。

 毎日教会で町の皆の平穏を願って祈りを捧げています。

 もちろん、それだけではありませんが......自分はしっかりと罪の重さを知らなければいけないそう決意しました」


「そうですか」


「はい、もう二度と同じことは繰り返させません。

 ソフィさんを幸せにするというエレンさんとの約束のためにも頑張るつもりですから。

 この罪悪感と戦っていきます。

 本当にありがとうございました」


「ふふっ、二人ともお幸せに」


 エレンは二人にそっと両手を差し出す。

 その手にソフィとマリスはそれぞれ握手を交わした。


 そして、エレンはハクヤのもとに戻っていくとそれから、ハクヤとともに歩き出した。


 ハクヤは周囲に聞こえないようにエレンにそっと告げる。


「別れが悲しいときは泣いたっていいんだぞ?」


「泣かないよ。だって、皆は暖かく背中を押してくれたんだから。

 だったら、泣いて冷めちゃわないように、その暖かさをもって前に進みたい」


「そっか」


 ハクヤは嬉しそうにそっとエレンの頭に手を置いて優しく撫でた。

 そして、あえてエレンの顔を見ないようにしていた。


 それはエレンの目にうっすら涙が浮かんでいたからだ。

 でも、決して流さないように我慢してる。


 そんな心の温かさを持っているエレンがハクヤは嬉しくてたまらないのだ。


 自分が望むようにエレンは幸せの道を着実に歩いていってくれているから。


 そして、二人が門の外に出るとハクヤは門の壁に寄り掛かっているフードの人物に声をかけた。


「もしかしなくても、ついてきたいんだろ? ツンデレキャットさん」


「次にそう言ったら殺すよ」


 そう言ってフードを取るとその人物はボブを後頭部で一まとめにした銀髪に猫耳、猫尻尾という猫の獣人であるミュエルであった。


 そんなミュエルは日中にもかかわらずハクヤと似たような黒のおんぼろコートを纏っている。


 しかし、ハクヤは特に気にすることもせず用意していた馬車に乗り込んでいく。


「お前とはまた長い付き合いになりそうだな」


「そうね。それにもうここには“私もあなたもいられない”から」


「それもそうだな。よろしくな」


 ミュエルは尻尾をゆらゆらと揺らしながら、ハクヤとエレンに続いて馬車に乗り込んだ。


 そして、ハクヤは馬車を走らせながらだんだんと最初の町から遠ざかっていった。


 *****


「あらら、もしかしてアレが噂の死神って奴? ただの腑抜けたザコじゃんか。

 こんな相手にビビってるなんてやっぱ古参だね」


 門が良く見える時計塔の上で一人のやや若い声をした少年は固めに望遠鏡を押し当てながらそう告げる。


「まあ、せっかく渡した黒魔導書が奪われたのはもったいなかったけど、他に収穫あったからいっか」


 そして、少し期待して損をしたような顔で時計塔から飛び降りた。

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