第十四夜 過ちを正す時

「......エレン?」


 ハクヤは突然のエレンの行動に思わず言葉を呟いた。

 それは自分を拉致した加害者であるマリスに対して、まるで母親が優しく我が子を抱きしめるようにそっと胸元に抱き寄せたのだ。

 その突然の行動に驚いているのはハクヤだけではなく、マリスもまた同じ。


 すると、エレンがその状態でマリスに言葉を紡ぐ。


「マリスさん、あなたは優しい人です。それは十分に伝わってきて、間違いないことだと思います。ただ、少し自己欲が強くなってしまいましたね」


「え......?」


「私はマリスさんと関わった機会は少ないですが、それでもマリスさんという人となりは理解しただけです。そして、あなたがこうなってしまったのは母の愛に飢えていたのですね」


 エレンは優しく言葉を伝える。その声量は囁く感じのように近い。

 しかし、静寂なこの場ではそれだけでも十分に聞こえ、割れた窓から刺す月光がエレンを幻想的に照らし出す。

 それを見たハクヤはまるで聖女のようだと思った。


「マリスさんは一人で頑張ってきたのでしょう。早くに父と母を無くしてしまって、辛いときに辛いと気軽に言える相手がいなくなってしまって、全てのことを一人でやっていかなければならなかった。まだその経験も技量も足りなかったというのに」


「......」


「あなたは無意識に甘えたいと思っていた。その気持ち自体は悪いことではありません。人は一人で生きて来てるほど器用じゃないです。私だってハクヤにたくさんお世話をかけました。だけど、私には甘えられる相手がいた。でも、マリスさんにはいなかった。その気持ちがあなたの『母に会いたい』という気持ちを増長させてしまったのでしょう」


「......っ」


「確かに、あなたは悪いことをしてしまった。私が知らないだけで、もっと悪いことをしているかもしれない。そして、その罪悪感で苦しみ、苦しみから解き放たれたいと思っている。それも一人で解決しようとしている。でも、あなたは本当に一人ですか?」


「.......!」


 その言葉を聞いた瞬間、マリスはすぐにソフィの顔が浮かび上がった。

 そして、そっと視線を動かしてミュエルに肩を借りているソフィを見る。

 すると、マリスは増々罪悪感で押しつぶされそうな感じで顔を歪めた。


「もう一度言いますが、あなたは優しい人です。しっかりと感謝の言葉が言えて、ソフィを思いやれる人です。きっと私があなたの心に気付くのがもう少し早ければこうなることはなかったでしょう。それに対してはごめんなさい」


「エレンさんが謝ることではないです。全て僕の割り切れない気持ちのせいなんです」


「そんなことないですよ。それはあなたがその気持ちに対して今も深く想っているということです。しかし、あなたの場合はそれに対して決着をつける勇気がなかったのです。ずっと一人で何もかもやってきたから、その余裕がなかったと言えるかもしれません。でも、あなたの心には母に代わる大切な人がいるはずです」


「......」


「前にあなたは『相応しくない』と言いました。でも、それは本当にそうなのでしょうか。あなたはただ拒絶しているだけではないですか? 自分の狂気に怯えて、その狂気で彼女を襲ってしまうと。そして、その恐怖に立ち向かえずに、私と同じような目に彼女を合わせてしまった。それはあなたの心の弱さが招いた結果です。でも、まだチャンスはあります。今の現状を変えるか否かで。あなたはどっちを選択しますか?」


「......僕は」


 マリスの声は震えていた。そして、すぐに続く言葉が出てこない。まだ自分の狂気に怯えているのだろう。

 それを感じ取ったエレンは強い口調で、あえて畳みかけた。


「マリスさん、あなたがソフィのことを想っているのは知っています。また、あなたもソフィから想われていることを理解してるから、拒絶したのでしょう。でも、本当にそうするだったら、その言葉は私ではなく、ソフィに直接言うべきです。そうじゃなかったということは、あなたはソフィと一緒にいたいという気持ちがあるから」


「......」


「もしあなたが本当にソフィのことを想っているなら、自分の狂気に立ち向かい、罪を背負って苦しくも生きていくのです。そして、ソフィを幸せにしなさい。それでも、立ち向かえないというなら、あなたは本当の意味で彼女には相応しくないと思います。かかわってまだわずかで何がわかるのかと思うかもしれませんが、私はソフィが大好きですから幸せになって欲しいのです。さあ、マリスさん、答えをお聞かせください」


「......僕は――――――」


 マリスの声はさっきよりも震えた。そして、目から大量の涙を流し始め、抑えきれない感情をぶつけるようにエレンを強く抱きしめる。

 その反応でエレンはマリスの答えを聞くよりも早く笑みを浮かべた。


「僕は......僕はソフィさんが好きだ。だから、こんな一面がある僕を好きになって欲しくなかった。でも、彼女は幸せになって欲しいと思った。けど、勇気がなかったから僕は......逃げた。でも、もう逃げたくない」


「時には逃げることも必要かもしれません。でも、立ち向かわなければいけない時もあります。それがマリスさんの場合、今であったというわけです。だから、その答えはとても素晴らしいものだと思います。安心してください。私はあなたを犯罪者として突き出すつもりはありません。ですが、あなたは抱えた罪を償って生きていくのです。そして、ソフィを幸せにするのです。それがあなたの使命です」


「はい......はい......」


 エレンは優しくマリスの頭を撫でる。すると、マリスはさらにたかが外れたように大声で泣き始めた。

 静寂な空間にマリスの鳴き声だけが静かに響いていく。しかし、不思議とこの場は暖かい空気に包まれていた。


 そんな二人の様子を見てハクヤは懐かしいような表情をする。まるでいつかに見た母のような姿だ。

 すると、ハクヤにそっとミュエルが近づいて来る。


「あの子の様子は?」


「別に何も。純粋に気絶させられていただけみたい。それよりも、完全にやらかしたね」


「はあ~......ああ、そうだな。恐らくただの説教じゃ済まないんじゃないかと思う。これまでの......というか、俺の経歴を洗いざらい吐かされると思う。はあ~~~~~~」


「自業自得。頭に血が上り過ぎたね。相変わらずエレンちゃんのことになると怒りの沸点が低いんだから。とはいえ、血で汚すことなくて良かったんじゃない?」


「ああ、汚れ過ぎた俺達には場違いなほどきれいな空間だ」


****


「う、んっ......あれ? いつの間に眠ってた? いや、確か私は背後から襲われて......って、マリスさん.......マリスさん!?」


「ええ、僕ですよ」


 しばらく気絶していたソフィがふと目を開けると目の前にはマリスの顔があった。どうやら膝枕されているようだ。

 そのことにソフィは思わず驚愕と困惑が同時に襲ってきて、顔がすぐに真っ赤になりテンパっていることはすぐにわかった。

 そんなソフィを見てマリスは優しく笑みを浮かべるも、すぐに表情を暗くしてハッキリと言葉にした。


「ソフィさん、僕は君に謝らなければいけないことがあります」


「謝らないといけないこと?」


「はい」


 マリスは言葉に詰まった。そして、表情が歪んでいく。しかし、言えなくなる前に言葉に出した。


「ソフィさんを襲ったのは僕です。そして、僕は人殺しです」


「......え?」


 ソフィは衝撃を受けたような顔をする。当然だ、目を開ければ知らない場所で、そして自分の好きな人がそんな言葉を伝えてくればそうなるに決まっている。

 そんなソフィの表情を心苦しく思うもソフィのためにすべてを伝える。自分の過去、もう一人の自分の狂気、犯した罪、そして今を。

 マリスは洗いざらい全てを伝えた。そこに当然嘘はない。声が震えようと言葉に詰まろうとそれを無理やり出しきるようにして。


 その全ての告白をソフィは黙って聞いていた。多少驚くような表情はありつつも、それ以外は目立った変化はなかった。

 そう何もなかったのだ。怯える表情も、青ざめる表情も、拒絶するような表情も。

 マリスはその表情に内心で少し驚きつつも、強調するように伝えた。


「僕は人殺しです。それが僕です」


 マリスはソフィの拒絶を願った。

 エレンからは「ソフィを幸せにするように」と言われている。確かにそうだ、そうすべきなのかもしれない。

 しかし、肝心のソフィの気持ちを聞いていない。そして、ソフィの気持ちが拒絶であるならば、それはもはやマリスの願ったりなのだ。


 こんな自分のそばに好きな人はいてはいけない。いさせてはいけない。彼女の幸せを一番に願うのなら、それが正しい選択なはずだから。

 逃げかもしれない。それでも、好きな人が人殺しのそばにいるよりはよっぽどマシだろう。


 そんなことを思っているとそっとソフィの手ががマリスの頬に触れた。そして、ソフィは優し気な表情で伝える。


「ありがとうございます。全てを伝えてくれて。ようやくマリスさんという人物がわかったような気がします。そして、私の答えですが......私はマリスさんが好きです。だから、そばにいさせてくださいませんか?」


「え?」


 あまりな発言にマリスは固まる。そんな表情をクスクスと笑いながらソフィは答える。


「ふふっ、まあ、そういう反応になりますよね。でも、これが私の気持ちなんです。あなたが何者であろうとも、どうやら私の気持ちに揺らぎはないようですから。となれば、引くよりは押し切ってやろうと思いましてね......こう考えると私も十分におかしいようですね」


「いや、おかしくないですよ。全然おかしくない、です」


 マリスの目に再び涙が溢れてくる。そして、その涙が頬を伝ってあごから落ち、ソフィの頬を濡らす。

 そんなマリスにソフィはふと笑みを浮かべる。


「僕もソフィさんが好きです。こんな僕ですが、酷く僕ですが......どうかソフィさんを幸せにさせてください。義務ではなく、僕の意思で必ず幸せにします!」


「はい、幸せにされます」


 そう言って泣き崩れるマリスにソフィはそっと抱擁した。

 その瞬間、マリスの心からかつての母は思い出となって消え、新たに大切な愛が生まれた。

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