第十三夜 狂気
「うぅ......」
エレンはそっと目を開ける。すると、そこはどこともわからない廃れた場所の中であった。
内装はボロボロでかなり年季が入ってる。しかし、デザイン的に一般家庭よりは金持ちが住んでそうな感じだ。
ということは、ここはどこかの廃屋敷ということなのだろうか。
自分の状態を見てみる。手足が頭よりも高い位置で拘束されている。しかも、自分一人だけではなく、隣にはソフィの姿があった。
「ソフィ! ソフィ!」
声をかけても返事がない。しかし、胸が上下してることから、生きていることは確かなようだ。
とはいえ、どうしてこんなことになってしまったのか。ハクヤは心配......しているに決まっているだろうな。
だけど、不思議とエレンは落ち着いた気分であった。
こういうのに慣れているとか、それを楽しめる特殊嗜好があるとかじゃなく、自分の目の前に自分よりも身綺麗なのに苦しそうな人物がいるからだ。
正面の窓から刺す月光は縦に長く伸びる。その光に影を作る人物は窓下の壁に寄り掛かって縮こまり、頭を抱えていた。
そんな人物にエレンは優しく声をかける。
「大丈夫ですか――――――マリスさん?」
「......」
マリスは答えない。ただ何かに怯えるように縮こまって震えるだけ。
しかし、しばらくするとマリスはそっと顔を上げた。
「ごめん、なさい.......」
「何があったか、お話しできますか?」
「僕はエレンさんを傷つけて......おかしくなったままここでまた同じことを繰り返そうになって......ぐっ、うあああああ!」
「マリスさん!?」
マリスは頭を抱えながら悶え苦しむ。必死に何かを振り払うように頭を左右に振るが苦しみのうめき声が増していくばかり。
そして、急に頭から手を放し、脱力したようにダランとさせるとその状態で立ち上がる。
足取りはふらふらとしていながらも、着実にエレンへと近づいていく。
「くっ!」
マリスはエレンの前髪を掴むと強制的に自分の顔へと見させた。その目は狂気に飲まれていた。
「お前はこれから僕の人形となるんだよ。未来永劫、その姿形を変えることなく、ありのままの美しさを保ち続けるためにな」
「......それがあなたのやろうとしていることなんですか?」
「っ!?」
マリスは思わず一歩後ずさった。
それはエレンの目を見た時、これまで見てきた被害者とは全く違い、恐れることもなくもはや悲しみにも近い感じであったからだ。
覚悟と同情が合わさったような目。今現在に自分が酷いことされるかもしれないというのにそんな目をする者はいなかった。
だから、マリスは動揺する。
「どうして怯えてないんだ?」
「なんというんでしょうね.......もちろん、恐怖もあります。ですが、頑張らなくちゃとも思うんです。だって、私以上に怯えている人が目の前にいるんですから」
「!」
「聞かせてください。あなたはどちらが本物.....いえ、この表現は正確じゃないですね。今も人形店を営んでいた時の人もれっきとした同じ人でした。質問を変えます。あなたの目的は何ですか?」
「......僕の目的は人を人形にすることだ」
マリスはエレンの質問にポツリポツリと答え始めた。どうして話したのかはマリス自身でもわかっていない。
ただエレンの前では、エレンが見つめる目の前ではどうにも嘘をつく気にはなれないのだ。
そして、まるでこれまでの行いを懺悔するように弱弱しく言葉が漏れていく。
「前にも言ったと思うけど、僕には自慢な母がいた。だけど、病気で衰弱して亡くなってしまった。その時から僕の中でもう一人の自分が生まれたんだ。それがどうやったら美しさを保てるかということに」
「人間みたいな人形を作りたいということはそう言うことですか?」
「ああ、僕は苦しかった。悲しかった。美しかった母が死にゆく花のように萎れていく姿が見ていられなかった。その時、僕の中で決定的な何かが欠けてしまった。わかってるんだ......僕はもう一度、ただもう一度あの美しかった母を見たいだけなんだって。わかってるんだ......本当はそんなことできないって。でも、頭の中にある幻想が僕から抜け出ようとしない。それから、逃れるために僕は......」
「あなたの想い。とても伝わってきました。あなたは――――――」
―――――――パリィンッ
エレンが言葉を告げようとしたその時、マリスの背後にあった窓が勢いよく割れた。
そして、月光を遮るように窓枠に足をかけている漆黒の男ハクヤが現れた。
ハクヤは優し気な表情でエレンを見ると告げた。
「良かった。無事で本当に良かった。だが、少し目を瞑って待ってくれ。すぐにここを
「ハクヤ?」
優しげでありながらどこか冷たくも感じるハクヤの言葉にエレンは違和感を感じる。
しかし、ハクヤの言葉を信じてエレンは目を瞑った。
「誰だ――――――っ!?」
「俺の世界を守りに来た。ただの死神さ」
ハクヤはマリスに一瞬で距離を詰めると胴体に蹴り込んだ。その勢いでマリスは反対側の扉へと吹き飛ばされていく。
壁に勢いよく叩きつけられたマリスは咄嗟に指先を動かしていく。その瞬間、床に転がっていた小さな人形が動き出した。
「僕の邪魔をするなあああああ!」
「黒魔術<マリオネット>か。本来は死人を操るものだが、魔力が少ないお前にはそれぐらい限界か」
冷気すら感じる視線にマリスは悍ましい寒気を感じながら、雄叫びで払いのけ攻撃を仕掛ける。
そして、十数体の人形が空中を一斉に襲ってくる。その人形一体一体に刃物を持っている。
しかし、その攻撃は障害でもないように腰から引き抜いた剣でサッとバラバラに切断していく。
「やめろ......」
ハクヤは止まらずわざわざ見せつけるように人形を破壊していく。その都度、マリスの表情を歪んでいく。
「やめろ......もうやめてくれ! もう何もしないから――――ぐっ!」
「命乞いとかよしてくれよ。散々命をお前の都合で散らしてきた奴が言うセリフじゃねぇ」
ハクヤは最後の人形を切断し、踏み潰すとマリスに近づいて顔面を蹴り飛ばす。
いつものようにすぐには仕留めず、まるでなぶるようにひたすら蹴りまくる。
その度にマリスはうめき声と口から血を流し、抵抗して襲い掛かるが簡単に躱されて反撃される。
「ハクヤ!? 何してるの!?」
「.......」
「ハクヤ!? ねぇ、答えてよ! ハクヤ!」
エレンの言葉にハクヤは答えない。ただひたすらにマリスをなぶると思いっきり胴体を蹴って吹き飛ばした。
マリスは丁度割れた窓の下の壁に叩きつけられ、ぐったりと壁にもたれかかる。
そのマリスに依然として感情のない瞳を向けながら、マリスの前に立った。
「もうやめて!」
「......エレン」
ようやく声が届いたのかハクヤはエレンの方に顔だけを向けた。ハクヤの右手に持つ剣の先はマリスの首元にある。
ハクヤがエレンを見るとエレンは遅れてやって来たミュエルに拘束を解いてもらっていたようだ。もう一人のソフィも現在ミュエルが救出中である。
そのことがわかるとハクヤはニコッと笑う。
「大丈夫だ、エレン。これでエレンを脅かす存在はいなくなる」
「ハクヤ......?」
「あああああ!――――――うぐっ」
「動くな、殺すぞ。しゃべっても殺す。今はお前に割く時間じゃねぇ」
ハクヤは後ろを向いたことを好機だと動き出したマリスだったが、ノールックのハクヤに胸を蹴られてそのまま押さえつけられる。
その押す力は強く、あばら骨がミシミシと音を立てるのをマリスは戦慄しながら聞いていた。
「すまんな、邪魔が入った」
「......ハクヤには言いたいことがあったけど、それ以上にいろいろ聞かなければいけないことが出来た。だけど、今はその人を放してあげて」
「ダメだ。こいつはエレンを恐怖に陥れようとした。それにこいつは何人も既に殺している凶悪な奴だ。この世に生かしておけない」
「それはハクヤの都合なだけだよ。本当にマリスさんが悪だとしても、私は悪だとは思えない」
「エレンは知らない。この世界の邪悪さを。まあ、俺が意図的に教えなかったのもあるがな。だが、それはエレンが生きていくためには不要ないものだからだ」
「ハクヤ、それは私の気持ちの考えてのことだと思うけど、肝心な私の気持ちは聞いたことある?」
「それは......」
ハクヤは言いよどむ。それはエレンの言葉が正論であったからだ。
ハクヤはずっとエレンのためと思って行動してきた。その中で正しかった選択もあっただろう。しかし、間違っていた選択もあったかもしれない。
それはハクヤがエレンを思っての行動で、当たり前の話ハクヤはエレンではないからだ。
ハクヤはエレンの気持ちを無視していたわけではない。しかし、聞こうとしなかったのは事実だ。勝手にそうだと思いつけて。
エレンは大きくため息を吐くとそっとハクヤに近づいていく。
「エレン、こっちに来ちゃダメ――――――」
「ハクヤは黙ってて。私だって、全てを許容できるわけじゃないんですだから。後でしっかりと腹を割って話し合いましょう。いいですね?」
「は、はい......」
ハクヤは思わず臆した。それはエレンがガチギレしている時に出る丁寧口調に対してだ。
昔にも不摂生な食生活に対してガチギレされたこともあったが、今回はその日ではない。
エレンはハクヤをキッと睨んで後ずさりさせるとぐったりとしているマリスに視線を合わせる。
「ごめんなさい。痛かったでしょう? でも、もう大丈夫ですよ」
そっとマリスの顔に手を触れさせる。そして、慈愛のような笑みを向けて告げた。
その表情にマリスは困惑した。わからなかった。恐怖に陥れるようなことをしておいて、優しくされる理由がなかった。
「どう......して......」
「優しくすることを不思議に思ってますか? 単純ですよ。私は苦しんでいる人を見過ごせないだけです。だから、どうか安心してください」
「!」
エレンはそっとマリスの頭を包み込むと心音を聞かせるようにそっと抱いた。
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