第三夜 ハクヤの使命
考えてみれば前世の世界も今の世界も大して変わらなかった。
生まれた時から死ぬまでの運命が定まっていて、魂に染みついた汚れは何で拭っても落ちることはない。
前世の自分の生い立ちは昔のスラム街に住んでいた頃とあまり変わらなかった。
飲んだくれで暴力を振るう父親に、DVを愛と勘違いしている気持ち悪い母親。そんな夫婦の一人息子として生まれた、生まれてしまった。
きっとその前の人生でもロクな生き方をしていなかったのだろう。だから、毎日暴力と暴言の悪夢に苛まれる日々を送っていた。
当然、そんな自分の人間性は歪んだ。死ぬ勇気もなく、ただ周りに空気のように存在して、露を食って生きる仙人のように途方もない時間をただ過ごした。
その中で唯一褒めるべきがあるとすれば、反面教師の親を見て決して暴力で暴れまわることはしなかったことだろうか。
もっとも、下手な正義感を振りかざして、強盗を捕まえようと突っ込み胸を刺されて呆気なく死んだが。
その後で思い出すのはスラムでの思い出だ......いや、本当は死んだ後に、そしてスラムでこの記憶を思い出す前に何か大切な記憶があった気がするのだが、結局思い出せなければ意味がない。
しみったれて汚れた魂を持ったものは生まれもさぞかししみったれて汚れていた。
今にも死相が見えている母に、そんな母を気にすることもせずただひたすらに酒を飲みやっとうまく言語がしゃべれるようになった自分に酒を買ってくるよう命じる父。
前世の記憶を持っていたから余計に死にたくなった。でも、死ぬ勇気もなくまたこの苦しみを味わい続けなければいけないことに気が狂いそうだった。
だから、母が病死したことをきっかけに家を出た。あてもなくさまよい、子供の力でも生き延びれる術を探した。
その時は前世の記憶が大いに役に立った。現代的なテクノロジーは無かったが、その代わり魔法というものがあってそれを過去の知識と組み合わせながらやっとこさで明日を生きた。
そんなある日のことだ――――――俺が唯一母と呼べる人物に出会えたのは。
*****
(......久々にこの夢を見たな)
ハクヤは真夜中に目を覚ますとふと呟いた。
恐らく昼間にエレンと冒険者活動をしたことが原因なのだろう。そう考えるの一番もっともらしい。
上体を起こすとやはり忍び込んで隣で幸せそうに寝ているエレンを見る。アホ毛が睡眠地味立派に立っている。
そんなエレンを頭を撫でながら「これは母にもなかったな」と告げつつ、ゆっくりと自身の腕に絡みついているエレンの腕を放す。
「あなたの娘は必ず俺が守りますから」
そして、サッと黒づくめの装備に身を包むとチラッとエレンを見て、足音を消しながら家を出た。
****
「はあはあはあ......」
一人の美しい女性が時折背後を振り返りながら必死に形相で走っていく。その顔は恐怖で歪んでいる感じで、癒えないしわが刻み込まれている。
「逃がさない。どこにも逃がさない」
その女性の後ろをゆっくりと歩きながら片手にナイフを持った男が一人。その男の顔には包帯が巻かれていて、唯一両目が見えるだけといった感じだ。
服装は長い茶色のコートを着て、肌が見えないように青色の長ズボンを履いている。
その男の目は恨みがましい。悪意を宿した視線をずっと目の前を走る女性にぶつけ続けている。
「お前らは人を見た目でしか判断しない。俺が何をしたってんだ!」
半狂乱気味にそう叫ぶと男は走り出す。それは圧倒的な速さでみるみるうちに目の前を走る女性との距離を詰めていく。
そして、右手に持っていたナイフを背後から右肩に一突き。
「ああぁぁ!」
その突然走る激痛に女性は思わず体勢を崩し、その場に転がる。そして、左手で右肩部分を抑えながら痛みに悶える。
すると、男はしゃがみこんでナイフを引き抜くと依然として悪意を持った目で告げた。
「それが俺の苦しみだ。痛みだ。何年も何年も味わってきた。それだけじゃ足りない。もっともっとお前らのような顔だけで食っているような人間は気に食わない」
「嫌、放して! 痛い! 嫌ぁ!」
男は女性の長い髪を鷲掴みにするとそのまま近くの路地へと引っ張っていく。
女性はブチブチと髪が千切れていく感覚、音を感じながらそれでも何とかこの恐怖から逃れようと暴れ続ける。
そして、大声で助けを呼ぼうと叫んだ時、男に口元に何かを詰め込まれた。
布で作ったような猿ぐつわだ。それを取りつけられ、言葉を出すことが不可能になった。
女性の目や鼻から大量に液体が溢れてくる。恐怖で歪んだ顔には美しさなど微塵もなかった。
いくら暴れようともまるで自然物を相手にしているようでまるで逃げ出すことが出来ない。
時は真夜中の深夜。その時間にちょっとした出来心で外に出ようと思ったのがいけなかったのか。
最近、凶悪殺人犯が出没するから夜には出ない方がいいという注意を聞いていたにもかかわらず、ただの噂程度で聞く耳を持たなかったのがいけなかったのか。
そんなことを後悔してももう遅い。すでに捕まってしまったのだから。
そして、男が女性を投げ捨てるように髪から手を離すとすぐに馬乗りになった。同時に、両膝で女性の両腕を押さえつけて動けないようにする。
男はナイフをチラつかせながら告げた。
「お前らのような容姿だけで得をしているような者には俺がそれで損をしている者に代わって罰を与える。お前らのような存在がいるから、俺のような苦しむ相手がいるんだ。その苦しみを味わって生きろ。まあ、その痛みに耐えて生きていた者はいなかったがな」
「......!」
男は女性の頬に鋭く磨がれたナイフを当てる。すると、女性の頬からは鮮血がスーッと流れ落ちていく。
「―――――そうやって生きていた者から皮を剥いでいたのか? 悪趣味な奴だな」
「誰だ!」
女性が自らの死を覚悟した時、コツコツと少し甲高い足音が近くから迫ってきた。
その声に男は思わず周りを見ながら叫ぶ。すると、男の背後から闇に紛れて全身を黒い装備で身に包んだ白髪の男―――――ハクヤが現れた。
そして、ハクヤは路地に端に置かれていた汚い箱に腰を掛けると聞いた。
「お前が
「どうして俺の名前を知っている?」
「そりゃあ、この町を恐怖の色で染めている人物だからな。ほら、よく噂されてるじゃん?」
質問の答えになっていないことにグレゴリは思わずハクヤを睨む。
グレゴリは確かに殺人犯として有名になっている。しかし、その殺人犯がグレゴリであるとは誰も知らない。
「(もうこいつを逃しちゃいけない)」
グレゴリの腹は決まった。
そんなグレゴリの心中を知ってか知らずかハクヤは箱から立ち上がると尋ねた。
「お前はどうしてそんなことをするんだ? その顔に答えがあるのか?」
「......まあいいか、お前はどこかシンパシーを感じるから特別に話してやろう」
そう言ってグレゴリは女性から立ち上がると警戒を向けたまま話し始めた。
グレゴリはある日まで普通の青年だった。特別容姿が悪いというわけじゃなかったが、良いとも言えないいわゆる普通だ。
そして、周りにも良き友達がいて、それでも慎ましく楽しく暮らしていた。
そのんなある日、彼の家は火事で燃えた。原因は何だったかわからない。
彼はたまたま畑仕事で外にいた。しかし、言えには体の悪い母がまだ残されていた。
彼は周りの制止を振り切り、母を助けに飛び込んだ。だが、その数分後に家は倒壊。彼は死んだかと思われた。
しかし、彼はまだ生きていた全身を重度の火傷を負いながら、もう息をしない母を抱えて。
そのことに村の皆は歓喜した――――――その顔を見るまでは。
彼の顔は火傷によって酷く爛れていた。前の原型すらほとんどとどめず化け物となっていた。
そんな彼を村の皆は悪いように見てはいけないと思いつつも、どうしても人間とは思えないその顔を見て気持ち悪さを感じてしまう。
そして、一人、また一人と彼に話しかけるものはいなくなり、やがて誰一人として消えた。
それから、彼は恨みを持つようになった。決してなりたくてなったわけじゃない容姿に苦しめられて、生きるのは理不尽だと。
その理不尽を皆も味わうべきだと。
「なるほどね......そりゃあ、確かに可哀そうだ」
ハクヤはうんうんとうなづきながら、その話を聞いていた。
グレゴリも初めてまともに話せた相手がいたことに少しスッキリした顔をしていた。
すると、ハクヤは聞きながら閉じていた目をスッと開けると冷徹な瞳で告げた。
「それなら、俺の可愛い娘のために化け物退治しなくちゃね」
「......!」
グレゴリは「なんだと!」と言い返したかった。だがしかし、ハクヤの目を見た瞬間、まるで死神によってすぐに首筋にカマを突きつけられているような気分になった。
その瞬間、グレゴリはある噂を思い出す。
「きょ、凶悪殺人犯ばかりが殺されているという奇妙な噂を聞いたことがある。そ、そして、そいつは夜の闇を纏ったような姿に白髪をしていると聞いた。ということは、お前がまさか......死神白夜!?」
「惜しいな。『びゃくや』じゃなくて『ハクヤ』だ。もっともそうして名が知られているなら、こっちには好都合だ」
ハクヤはゆっくりと歩き出す。ハクヤが一歩進むたびに、グレゴリは一歩下がる。
「言っておくが俺が正義感でこんなことをしているわけじゃない。俺の守りたい世界のために外道相手には同じ外道として天誅を下してるだけだ。だから、俺は半端なことはしない。お前が人を殺したのなら、俺もお前を殺す。それだけだ」
「!」
ハクヤの姿がスッとその場から消える。そして、次に現れた時にはもうグレゴリの横にいた。
「お前は本当に可哀そうだ。お前次第の行動で本物の
ハクヤはサッと右手のナイフに振るうとグレゴリの首筋から一気に血が噴水のように溢れ出る。そして、グレゴリはそのまま前のめりに倒れた。
ハクヤはいつの間にか気絶している女性を抱えるチラッとグレゴリを見て同情にも似た視線を送った。
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