第81話 19■■年■月■日

『私は世界を守る、魔法少女!』


 ピンク色の女の子のことを覚えている。


 友達の家ではじめて見たテレビ。画面に映る、魔法を使うピンク色の女の子が、わたしの人生を変えたのだ。

 母に殴られて腫れた頬の痛みも、切れた口内から流れる血の味もすっかり忘れて、夢中でテレビに齧りついた記憶は今でもハッキリと覚えている。


 わたしの夢は、そのときに生まれた。

 わたしもいつか、絶対に魔法少女になるのだと。

 そう誓った。





 わたしに花子という名前をつけたのは母だった。

 立派な人になれるよう、花のように可憐な子になれるよう……何度か由来を聞いたような覚えはあるけれど、どれ一つとして覚えていない。

 ただ、地味で平凡なその名前が、わたしは大嫌いだった。


 ■■村という辺鄙な田舎がわたしの故郷だった。

 都会からはずっと離れている。最寄りのバス停すら一時間以上は歩かねばならぬような、不便な土地だった。

 ぽつりぽつりと離れてたつ家々から、更に離れた林の中にたつ大きな屋敷。わたしはそこに母と二人で暮らしていた。

 母を村の人達は「センセイ」と慕っていた。裁縫や生け花を教える仕事をし、時には子供達を集めて勉強を教える塾のようなことをしていたり……。数多を人々に教える母は、確かに先生という言葉がしっくりくる、聡明な人であった。

 立派な母だった。

 だから母は、出来の悪い娘を嫌っていた。



「君、そんな所で何してるの」


 クッキリと濃い色の夕焼けが浮かぶ時間帯だった。

 屋敷の外から聞こえた声に顔を上げれば、庭に男の子が一人立っていた。

 同じ小学校のクラスメートだ。わたしは学校では普段寝てばかりいるかサボっているかで、話したことはなかったのだけれど。

 彼は首から大きなカメラをさげていた。後に聞けば、それは父親から借りたカメラなのだと言った。花や虫の写真を撮っているうち、わたしの家に迷い込んでしまったのだろう。

 彼は勝手に屋敷に入り込んだことを謝りながらも、もじもじとするばかりで一向に立ち去ろうとはしなかった。おそるおそるわたしを見つめ、不思議そうに聞く。


「はだかんぼで寒くないの?」


 返事の代わりにズズッと鼻を啜った。鮮やかな夕日が、鳥肌の立つ肌をオレンジ色に染めていた。

 わたしは服を着ていなかった。下着も何もかもを母に取られ、反省しろと外に放り出されたのだ。秋も深まった頃だ。冷たい風に、ずっと鳥肌が立っていた。

 今日は何で怒られたのだったか。ああ、そうだ。テストで〇点を取ったんだ。だって考えてしまったのだ。1+1の、1ってなんだろう? 1と2の境目はどこなんだろ? 0と1の違いは? それを決めた大人は一体どんな権利があってそれを決めたのだろう……。そんなことを考えて、気が付いたら授業が終わっていたのだから。


 聡明な母と対照に、わたしはとにかく出来の悪い子供だった。勉強もできず、運動もできず、才もない。

 出来損ないの子供という存在は、母のプライドを酷く痛めつけた。


「お母さんに怒られてるの。外に立ってなさいって」

「すっぽんぽんで?」

「昼からずっと外にいるのよ。お母さんが街から帰ってくるまで外にいないと、叱られちゃう」

「ひどいねぇ。可哀想」

「ふぅん」


 大人になった今でも、母がわたしにしていた仕打ちが虐待だと、何故だか思えなかった。

 ぶたれるのも、お風呂に顔を押し付けられるのも、明け方まで勉強を強制されるのも、母にとってはあくまで「躾」だった。私だってそう思っていた。

 それに、わたしは今でも母のことを、可哀想な人だと思っているのだ。

 輝かしい人生を歩んでいたのに、こんなに出来の悪い娘を持って、なんと哀れな人なのかと。

 可哀想に……。


「暇じゃない?」

「アリ潰して遊んでるから平気」

「お母さんはいつ帰ってくるの?」

「分かんない。遅くなるって言ってた」


 足の裏でぷちぷちとアリを潰しながら答えた。爪先はアリの体液で黒く汚れていた。

 彼はいつの間にかわたしの横に座って、ふぅんと適当な相槌を打ちながらカメラをいじっていた。わたしがくしゃみをすると、ちょっと迷った顔をしてから自分のシャツを脱いでかぶせてきた。

 

「ねえ花子ちゃん」

「うん?」

「お母さんが帰ってくるまで、僕の家に遊びにおいでよ」


 わたしは目をぱちくりとさせて彼を見た。


「なんで」

「うーんと……。一緒に遊びたいから? 僕の親も今日、街に行ってて夜まで帰ってこないんだ。一人でいるの寂しくて」


 今思えば、彼はわたしを憐れんでいたのだろう。酷い躾をされている同い年の女の子に同情を抱いたのだ。

 幼かったわたしは少年の思いなど読み取れなかった。どうしてこの子は話したこともないわたしを家に誘うのだろうか。友達の多い子だから、そっちを誘えばいいのになぁ。なんて、むしろこちらの方が気を使っていると言いたげに「仕方ないなぁ」と溜息を吐いたのだ。

 彼は、パッと花が綻ぶように笑ってわたしの手を取った。

 冷えていたわたしの手とは反対に、とてもあたたかい手だったことを覚えている。


「嬉しい」


 あったかい手に引かれて、私は彼の家に向かった。裸足がサクサクと草を踏みしめるのが少しくすぐったくて、心地よかった。

 目の前で茶色い髪がふわふわと揺れている。羨ましいなと思った。わたしのまっすぐな髪は重たい黒色で、あんまり可愛くなかったから。

 そういえば、彼の名前はなんだったっけ。



 伊瀬、と書かれた表札を見てわたしは彼の苗字を知った。

 伊瀬くんの家はオシャレな家だった。わたしの家が古めかしい日本家屋風なのに対し、伊瀬くんの家にはソファーもあれば、西洋人形が飾られていたり、都会のアイドルのポスターが貼られていたり……とにかくわたしには新鮮なインテリアばかりが並んでいたのだ。

 初めて食べたショートケーキは、ほっぺたが落ちてしまうかと思った。うちでは甘いものなんか滅多に出されない。生クリームのこっくりとした舌触り、スポンジの柔らかさ、真っ赤な苺の絶妙な甘さと酸味。それから一週間ずっと思い出して涎を垂らしてしまうほど、衝撃的な味だった。

 それからわたしと伊瀬くんはゲームをしたり、彼が撮ったという写真を見たりして遊んだ。どれもこれも初めて体験することばかりで、夢中になって遊んだ。


「やった、またわたしの勝ち!」

「えーっ。なんで? なんで? もっかいやろ!」

「やだぁ、疲れちゃった。休憩しましょ」

「えー……じゃあテレビでも見よっか。何見たい?」

「なにやってんのか分かんない」


 テレビはうちにもある。けれど母が見せてくれるのは教育学習番組程度のもので、それ以外の番組なんか見たこともなかった。村に流れる番組数は三つくらいしかなかったけど。


「だったら、ちょうどいいのやってるよ」

「どんなの?」

「女の子のアニメ」


 テレビが付いた。ぷつぷつとしばし白黒のノイズが流れた後、画面に女の子が映った。

 私の視界がパッと色付いた。モノクロのノイズから一転、華やかなピンク色へ。

 わたしはこの瞬間を、生涯忘れなかった。


『私は世界を守る、魔法少女!』


 ピンク色の女の子がそこにいた。

 彼女は空に浮かび、ピンク色のお洋服を風に泳がせていた。キラキラと光るその瞳も、可愛いハートの宝石が付いたステッキも、ふわふわ可愛い髪の毛も、全部が夢のようなピンク色でできた女の子だった。


「…………」


 空の下、街で恐ろしい怪物が暴れていた。怪物は口から火を噴いて街を燃やし、逃げ惑う人々に襲いかかる。

 魔法少女はステッキを振って、その怪物に立ち向かっているのだった……。


「魔法少女……」

「見たことない? 今、女の子にすっごく人気のアニメなんだって。クラスの子達も言ってたよ」


 横で伊瀬くんが何かを言っている。けれどわたしの耳に、彼の言葉は一つも入ってこなかった。

 わたしの眼球にテレビの光がピカピカと反射していた。真っ黒な目は、画面の女の子のピンク色に染まる。

 ドロドロと込み上げてくる感情が胸を満たし、喉が締め上げられたかのように苦しくなった。

 吐き出す息が熱い。皮膚を突き破りそうな勢いで、心臓が強く鼓動している。

 何故だか無性に目の奥が熱かった。


 怪物を倒すピンク色の少女。不思議な力で圧倒的な存在を倒し、皆から称賛される女の子。

 魔法少女……。


「…………」


 気が付けばアニメは終わっていた。次の番組であるニュースが流れる画面を、わたしは放心したようにぼんやりと眺めていた。

 夢はまだ覚めない。キラキラとピンク色に光る魔法のきらめきが、目の前の空中を泳いでいた。

 聞いたこともない美しい音楽が頭の中で鳴り響いていた。

 テレビを消そうとした伊瀬くんがふとわたしを見て、ギクリと体を強張らせる。


「どうしたの」


 言われて初めて、わたしは自分が泣いていることに気が付いた。



 それは、単なるアニメの一つでしかなかった。

 女の子達が学校でキャアキャア盛り上がるような、魔法ごっこをして遊ぶような、そんなよくあるアニメにしか過ぎなかった。

 けれど幼いわたしにとっては、『そんなもの』では済まなかったのだ。

 何が琴線に触れたのかは、いまだに分からない。娯楽を抑圧されていた反動かもしれない。自由な女の子が羨ましかったのかもしれない。わたしの好みにピッタリな面白い作品だったからかもしれない。全てかもしれないし、そのどれでもないのかもしれない……。


 ただわたしは覚えている。

 この瞬間の感動を覚えている。

 友達の家で見た、魔法少女のアニメ。この一瞬が人生を変えたのだ。これから先自分に関わる全ての人間の人生を変えたのだ。

 わたしの夢は、そのときに生まれた。

 わたしもいつか、絶対に魔法少女になるのだと。

 そう誓った。

 





「花子」


 ピシャンと鞭を打つような声は、これから長い説教がはじまることを暗示していた。

 気だるげに母に振り返る。鬼のような形相という言葉を、わたしは母から学んだ。


「何をしているんです」

「お絵描き。見て分からない?」


 ピンクのクレヨンを机に転がした。母が作った手作りのテスト用紙。空白の解答欄の上では、わたしが描いた可愛いピンク色の魔法少女がニコニコ笑っていた。

 大作よ、と自信作に胸を張る。けれど二時間かけて産んだ魔法少女のイラストは、母の手によって一瞬で引き裂かれた。「あ」と呆けた声をあげて、ビリビリと破れていく用紙を見つめる。


「私はあなたに勉強をしなさいと言ったはずですね」

「うん」

「何か、言うことは?」

「テレビ付けていい? そろそろ、魔法少女の時間なの」


 わたしは結局、その日魔法少女を見ることはできなかった。

 冷めた湯はぶたれてボロボロになった体にしみた。けれど外に放り出されたときの寒さよりはずっとマシだった。

 ちゃぷちゃぷと湯の中で揺れながら、ぼうっと天井を見上げる。


「わたしは魔法少女……」


 天井隅の黒カビがじっとりとわたしを見下ろしている。

 どこから迷い込んだのか、湯の表面に細長い虫が浮かんでいた。

 まだ新鮮な傷口から流れた血が、煙のように水中をたゆたっていた。


「魔法少女、ピンクちゃん……」


 わたしの頭の中は魔法少女でいっぱいだった。

 あの日から伊瀬くんの家に何度も押しかけていた。母が仕事に出る隙を狙って家を飛び出し、朝でも昼でも夜でも、伊瀬くんの部屋の窓を叩くのだ。

 伊瀬くんはたまに家族で街に出かけるらしい。街には魔法少女のグッズなんかも売っていて、おもちゃ付きのラムネ菓子なんかをたまに買って来てくれる。キラキラの魔法のティアラや魔法のネックレスを、わたしはほくほくと自室の押し入れに隠すのだ。


「…………」


 ふと、この間学校で先生に聞かれたことを思い出す。皆さんの将来の夢はなんですかという、そんな軽い質問だ。

 女の子達は皆、スチュワーデスとか、看護婦とか、素敵なお嫁さんだとか、ありきたりなことばかりを答えていた。

 わたしも同じ質問をされて、けれど結局何も答えずにニコニコ笑っていた。

 もし母にバラされたら困るから。

 魔法少女になりたいの、なんて言ったら母は絶対に怒るだろうから。


「……ふふ」


 冷たい湯の中でわたしはうっそりと笑う。

 いつかわたしが本当に魔法少女になれたら。母は、なんと言うだろうと思った。


「?」


 コツン、と窓から音がした。蛾が当たったのかと思ったものの、今度はコンコンと連続した音が鳴る。


「花子ちゃん」

「伊瀬くん?」


 ザバッと湯から立ち上がって窓を開ければ、伊瀬くんが窓の下からニコニコ手を振っていた。

 何事かと尋ねるより先に彼は声を潜め「流星群って知ってる?」と言った。


「流星群?」

「今日は数十年に一度のなんたら流星群の日なんだって。新聞で読んだんだ。一緒に行こうよ」

「流星群ってなに?」

「なんか、星がいっぱい降るんだって」


 伊瀬くんはカメラを持っていた。なるほど撮りに行きたいのかと納得する。

 一緒に遊んでいるとき、彼は綺麗なものを見つけると「ちょっと待ってて!」とわたしを置いて写真を撮りに行くような子だったから。待つときもあれば、置いて先に帰ることもあるけど。


「たくさん星が降るって言うから、願い事も叶うかも」

「願い事?」

「知ってる? 流れ星に願いごとをすると、そのお願いは本当に叶うんだって」

「本当?」


 初めて聞く話だった。わたしは目を丸くして、ドキドキと高鳴る胸を押さえた。

 願いが叶う。それって、魔法少女になりたいって夢も叶えてくれるのかしら。


「行くわ」


 母は早くに寝る。こっそり抜け出せば、きっとバレやしない。

 窓から吹く風が濡れた肌を冷ましていく。それなのにわたしの体はドキドキと興奮に震えていて、熱いくらいだった。


「わたし、お願い事をしに行きたい。流れ星が見えるところにつれてって」


 キラキラと輝くわたしの目を見て、伊瀬くんは笑って頷いた。

 わたしが伊瀬くんと会った最後の日のことだった。





「ここは村の中で、一番空に近い場所なんだ」


 伊瀬くんがつれてきてくれたのは高台だった。

 ここからは村の全てが見渡せた。辺りには視界を遮るものもなく、芝生に寝転がれば視界いっぱいに夜空が広がった。

 満天の星は綺麗だ。宝石のようにキラキラと散らばる星を見て、二人でほぅと感嘆の溜息をもらす。


「綺麗だね」

「ね」


 流れ星はまだ見えなかった。待っている間伊瀬くんは「流れ星は宇宙のチリなんだって」「星座には一つ一つに物語があるらしいよ」「都会でも、星がとても綺麗に見える明星市って市があるんだ」と語って退屈を紛らわせてくれていた。


「あ!」


 にわかに伊瀬くんが立ち上がる。わたしもほぼ同時に立って顔を輝かせていた。

 頭上を一つ星が横切ったのだ。一秒にも満たない一瞬のきらめきに、わたし達は歓喜の声をあげた。

 星は次から次へと流れていく。深い藍色の空を流れていく光の輝きに伊瀬くんは夢中でカメラを構えていた。わたしもその横で、ドキドキしながら手を握る。願いを言おうと深く深呼吸をして……。


「わ、凄い」


 一等強く光る星があった。鮮やかなブルーの星は、大きな輝きを伴って流れていく。

 その流れはゆっくりだった。一秒どころではない。二秒、三秒がたってもその流れ星は消えず、心なしかその輝きも大きくなっていく。

 それが心なしではなく、実際に大きくなっているのだと気が付いたとき。星はわたし達の目の前まで迫っていた。


「あ」


 バチンッ。

 雷が弾けたような音にわたしと伊瀬くんは悲鳴をあげた。思わずその場にしゃがみ、ぎゅうっと頭を押さえる。

 ……けれどそれからしばらくがたっても体には何の痛みもなく、わたしはそっと顔を上げた。隣の伊瀬くんと目を合わせ、それから前を見る。

 そこには、宇宙人がいた。


『やあ、はじめまして。ぼくは繝斐Φ繧ッ縺ョ縺ャ縺|?$繧九∩』


 目の前にいるのはピンク色の怪物だった。

 粘液にまみれた触手がうごめいている。八つある目玉はそれぞれが上下左右にギョロリと向けられ、まつ毛を瞬かせている。

 中に人間が入っているとは到底思えない。どう見ても怪物で、そしてそれが宇宙人であるとわたし達は瞬時に理解した。

 だって空には、巨大なUFOが浮かんでいたから。


「…………」

『うん? 上手く翻訳されていないかな……。Hello! 你好! こんにちは!』

「き……き……君は?」

『説明しただろう。ぼくは繝斐Φ繧ッ縺ョ縺ャ縺|?$繧九∩。他の星から君に会いにやってきたんだ!』


 繝斐Φ繧ッ縺ョ縺ャ縺|?$繧九∩はそう言って、何故か伊瀬くんではなくわたしを見た。

 宇宙人という存在を前に、わたし達はそれほど驚くことはなかった。最初は確かにびっくりしていたけれど、七歳という年齢は、宇宙人という存在に発狂するほど大人ではなく、はじめて出会う不思議な生き物に冒険心をくすぐられる年齢だったのだ。

 しばらく話すうちにわたし達は彼に対する警戒心をすっかりなくしていた。案外陽気な彼に打ち解け、色々な質問を投げかけて遊んでいた。


『ぼくは天体観測が趣味なんだ。その星の住人がどんな生き方をしているのか眺めるのが好きでね。適当な一人を選んで観察していたんだ。しばらく君を見ているうちに、会ってみたくなったんだ』

「たくさんある星の中でどうして地球を選んだの?」

『ダーツを投げて当たったんだ』

「こんな小さな村の、わたしなんかを、どうして?」

『ダーツを投げて当たったんだ』


 宇宙ダーツの旅だよ、と繝斐Φ繧ッ縺ョ縺ャ縺|?$繧九∩は言った。

 三人で芝生に座って宇宙の話や地球の話をした。伊瀬くんが持ってた溶けかけのチョコレートと、青いミルクと、緑のケーキをおやつにむしゃむしゃ食べた。頭がくらくらふわふわするような不思議な味だったけれど、とてもおいしかった。


「流れ星に願い事をしに来たんだよ」


 伊瀬くんが言うと、繝斐Φ繧ッ縺ョ縺ャ縺|?$繧九∩はパチクリと八つの目のうち四つを丸くした。

 ふぅん? と触手をうねらせた彼は、ふと思いついたように言う。


『願い事かぁ。それ、流れ星じゃなくて、ぼくが叶えてあげようか』

「なんだって?」

『ぼくが君達の願いを叶えてあげると言ったんだ』 


 わたしはドキンと胸を高鳴らせた。口に含んでいた緑のケーキを、噛まずにゴクリと飲み込む。

 繝斐Φ繧ッ縺ョ縺ャ縺|?$繧九∩は願いを何でも叶えてくれると言った。目を輝かせた伊瀬くんは「一緒に写真を撮りたい」と欲のない願いを口にしていた。

 三人で写真を撮って、喜ぶ伊瀬くんを横に、繝斐Φ繧ッ縺ョ縺ャ縺|?$繧九∩がくるりとわたしを見る。


『君の願いは?』


 わたしはパチパチとまつ毛を震わせた。ピンク色の唇をぎゅっとすぼめて、ドキドキバクバク破裂しそうな胸を押さえる。

 君の願い。わたしの願い。

 何を犠牲にしたって叶えたい夢。



「わたし、魔法少女になりたい」



 ピンク色の可愛い魔法少女。魔法のステッキで醜い怪物をやっつけて、皆に拍手と笑顔を向けられる女の子。

 わたしは世界から称賛される魔法少女になりたかった。


『いいとも!』


 繝斐Φ繧ッ縺ョ縺ャ縺|?$繧九∩が言った。

 次の瞬間、空がピカッと光ってわたし達はあっと悲鳴をあげた。

 ……気が付けば繝斐Φ繧ッ縺ョ縺ャ縺|?$繧九∩は宇宙船に乗っていた。わたし達の頭上で巨大な宇宙船はぐぉんと唸り声をあげ、遠い空へと向かっていく。


『君を「魔法少女」にしてあげる。だけど、準備をしなくちゃあ。少しだけ待っていてくれる?』

「……うん。うん。待つわ。いつまでだって。だから、お願い。お願いよ、繝斐Φ繧ッ縺ョ縺ャ縺|?$繧九∩」

『待っていて……。待っていて……。待っていて…………』


 ザァッと雨のように星が降り出した。まるでUFOを見送るみたいに、ピカピカキラキラと空が輝く。

 手をつなぐわたしと伊瀬くんの頭上を、星の雨が流れていく。

 それは夢のようにきれいな光景だった。


「あっ」


 流れ星が一つ、村に落ちた。直後ズシンと凄まじい音がして地面が揺れる。

 たくさんの流れ星が村に落ちていく。それはあっという間に炎の塊へと変わり、家や地面を燃やしていた。ギャア、と誰かの悲鳴が聞こえる。静かだった村があっという間に騒がしくなる。

 伊瀬くんの手が震えだした。彼は青ざめた顔で茫然と村を見下ろしている。

 その横でわたしはただ、キラキラと輝く目で夜空の流星群を見上げていた。


「待ってるわ」

「っ、花子ちゃん!」

「ずっと、ずっと待ってるわ!」


 遠ざかっていくUFO。わたしは伊瀬くんの手を振りほどいて駆け出した。

 流れ星は高台にも落ちてくる。降り注ぐ眩い光の雨の中を走り抜けて、わたしは夜空に声を張り上げた。


「約束よ。忘れないでね。わたしはあなたをずっと待ってる!」


 目から零れる涙がキラキラと光って星のようだった。

 忘れないで。忘れちゃだめよ。

 わたしはいつまでも、夢が叶う日を待っている。


「わたしをきっと魔法少女にしてね!」


 危ない、と叫んだ伊瀬くんがわたしを突き飛ばした。

 地面に転がってからハッと顔を上げれば、わたしの横で、伊瀬くんが頭から血を流して倒れていた。地面に小さな星の欠片が落ちている。わたしの爪の先もない、小さな小さなその石が、伊瀬くんの頭に直撃したらしい。

 じわじわと広がる彼の血がわたしの服を濡らす。母に唯一買ってもらったお気に入りのピンクの服だった。真っ赤に染まっていく服を見てからふと気が付けば、星空の中にもう宇宙船は見えなかった。

 わたしはぼんやりと立ち上がって燃える村を見る。激しく揺らぐ炎の赤色が、星の降る夜空を鮮やかに照らしていた。

 聞こえてくる悲鳴や泣き声にほぅ……と息を吐いて目を閉じる。

 体中が幸福に満たされていた。


「約束よ」


 わたしを、魔法少女にしてね。





 わたしは山田花子。とっても可愛い女の子。

 魔法少女になる予定の、女の子なのよ。

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