第70話 星尾村へ行こう

 願いが叶う石なんて、見つけようとしなければよかったのかもしれない。




「星尾村、って名前だったっけ。今から行くの……」

「うん。うちの父さんの生まれ故郷なんだって」


 缶コーヒーを飲んでいた湊先輩が振り返り、後部座席の雫ちゃんに微笑んだ。


「小学生のころに引っ越したらしいけど。空気が澄んでて、自然豊かな所らしいよ。……あ、鷹さん次の信号を右です」


 おっけ、と鷹さんがハンドルを回せばカタコトと車が揺れた。

 千紗ちゃんが腰をあげ、助手席のヘッドレストにもたれかかって湊先輩に話しかける。


「なあなあ。村っていったらやっぱ、怪しい祭とかあったりすんの? よそ者を神に捧げる祭とか」

「ないよ」

「じゃあ、七十歳の高齢を迎えたら崖から飛び降りなければならない、みたいな異様な風習とか」

「ないよ」


 つまんね、という千紗ちゃんの声が時速四十キロに消えていく。

 窓外の景色はもうずいぶん長いこと田んぼや畑のそれから変わらない。それでも私とチョコは窓ガラスにべったりと額を張り付けて、過ぎていく景色にパチパチと目をきらめかせていた。皆と一緒にお出かけすることが楽しくて仕方なかったのだ。

 私と湊先輩と千紗ちゃんと雫ちゃん。保護者の鷹さんと、マスターに喫茶店の仕事を全部押し付けてやってきたチョコ。

 私達はこれから星尾村に一泊二日の旅行をしにいくのだ。


 星尾村。湊先輩のお父さんが子供のころに住んでいたという村だ。

 東京からさほど離れてはいないが、山と山の間にあり駅からも相当歩かなければならない。とある事情で住民の大半が引っ越し、現在では高齢者が数えるほどしか住んでいないという……つまりはまあ片田舎である。

 北海道や大阪といった有名どころも候補に挙がっていた。けれど最終的に多数決で決まったのはこの場所だったのだ。たまには田舎でのんびりするのもよし。何より私達の目的として、あまり人がいない場所の方が都合がよかった。


「でも星尾村にはちょっと変わった噂があるらしいよ。なんでも、お宝があるんだって」


 千紗ちゃん達の会話を聞いていた鷹さんが不意に言った。お宝? と私達の声が揃う。

 行く前に調べてみたんだと鷹さんは自分の携帯を湊先輩に渡す。皆で覗き込んでみれば、そこには一つのブログ記事が表示されていた。

 全国の村巡りを趣味とした人のブログだ。いくつかの記事の中に『星尾村の願い石』というタイトルがあった。


「星尾村のどこかには『願いが叶う石』っていうのがあるんだって」


 それは、手に入れた人を幸福にする石らしい。

 一つだけではなく村のあちこちに隠されているらしく、形はバラバラだが色は大体乳白色。

 その石はどんな願いでも叶える不思議な力を持っているというのだ。金や富といった現実的な願いは勿論、空を飛びたいだの不老不死になりたいだのという幻想的な願いまで。


「実際過去の村人のなかには、願いが叶った人もいるらしいよ」

「はぁ。そりゃまた、ひどく眉唾もんの話だな」

「でも面白そうでしょ?」


 鷹さんはニヤリと笑ってハンドルを回す。舗装されていない道に入り、車がガタゴトと揺れた。

 私達は彼女の言葉に揃って顔を見合わせ笑っていた。彼女の言う通りだった。だってやっぱり。宝探しという言葉には、幾つになっても変わらないロマンがあるものだから。

 皆とずっと一緒にいられますようにと願ったら、その石は私の願いを叶えてくれるのだろうか。




 星尾村に着いたのは昼を僅かにすぎた頃だった。


「ありゃお客さん? よくよくこんな辺鄙な所に、まあ……」


 畑仕事を抜けて私達を出迎えてくれたおじいさんは、この村の村長さんだと言った。

 最初こそこんな土地に旅行に来たという私達をいぶかしんでいる様子だったが、湊先輩のお父さんがこの村の出身であることを告げると、一転して朗らかな笑みで歓迎してくれた。

 村の集会所は簡易的な宿としても使えるらしい。お言葉に甘え、そこを宿として借りることにした。


「この村は昔っから災害が多くてね。土砂崩れや、豪雨や……。昔は村人もたくさんいたけれど、段々よそに行っちまった。ある年にこの村をダムの建設地にしたいという話が出てね。ちょうどその年に大規模な災害が起こって困っていた時期だったから、それを機会に一気にほとんどの住民が引っ越してしまったんだ。君のお父さんもきっとそうだろう」


 村長さんは集会所に案内するまでの道中そんな話をしてくれた。

 星尾村をダムにするという計画は結局途中でなくなったらしい。しかし住民はそれからも減り続け、今ではこれほど過疎化してしまったのだという。

 確かに歩いているだけで、あちこちに置き捨てられた家がぽつぽつとあるのが見えた。壁も天井もボロボロで、扉がぽっかりない家なんかもいくつかある。「人がいない家なら好きに遊んでくれて構わないよ」と村長さんは少しなまりのあるイントネーションでおどけるように言った。


「せっかく来たんだ、楽しんでいって。何かあったら近くの家の者に声をかけてくれ」

「色々とありがとうございます。助かります」


 集会所は広々とした畳の広がる贅沢な空間だった。予想以上の広さにわっと声をあげたチョコが興奮した様子で走り回る。

 どうやら過去には本当に宿として経営されていたらしく、温泉まで付いているというのだからびっくりだ。今でも村人達にとっては数少ない娯楽場の一つらしい。

 いそいそと下ろした荷物を放り投げれば走り回っていたチョコにぶち当たる。振り返った私は頬をほかほかに染めて声を弾ませた。


「それじゃあ早速いきましょう、宝探し!」

「体力あるなぁ……」


 疲れた様子の湊先輩と雫ちゃんが私を見上げて溜息を吐いた。千紗ちゃんもさっさと窓の傍に行って煙草をふかしている。

 宝探しもいいけれど、と湊先輩は畳の上にあぐらをかいた。


「この村に来た理由の一つとして、怪物のイメージアップ作品を作るためだってことも、忘れないでね」


 怪物のイメージアップ広告を作る。私達がこの村にやってきたのはただ思い出作りのためだけじゃなく、そういった意味もあった。

 つまり。私達は怪物作品の舞台を、この星尾村に決めたのだ。


「でもありすちゃんの言う通り。ほら立った立った。宝探しにイメージアップ広告作りに、やることはたくさんあるんだから!」

「た、鷹さん元気ですね……。ずっと運転してたのに」

「編集者は体力勝負だからね!」


 仕事用のカメラを手に目を輝かせる鷹さんにつれられ、皆もそれぞれの道具を持って集会所を出た。

 コートに鼻を埋め、霜のおりた土をシャグシャグと踏み歩く。十二月の風は肌寒かった。それでもビル風がない分、服の内側はあたたかい。

 人気がない場所を探し、適当に林の方を目指してだらだら歩いた。途中出会った土屋さんというおばあさんにこの先はもう誰も住んでいないよと言われたけれど、それでいいんですと返す。土屋さんは不思議そうにしながらも、よかったらおやつにどうぞとお手製のお饅頭をくれた。

 木々が生い茂る道を歩き続けて十数分。不意に、ぽかりと開けた空間に出た。

 空間の中央には建物がたっていた。廃屋と化した、ボロボロの大きな日本家屋だ。


「最高の舞台になりそう」


 鷹さんが興奮気味に言って、カメラを構えて写真を撮った。私達もその横でそわそわと落ち着きなく建物を眺める。

 映画撮影にしても写真にしても絵本にしても。どれをやるにしても主役は怪物。こんな広くて誰もいない場所は、私達の舞台としてピッタリだった。

 ここが。私達の舞台になるのだ。




「あー……最高。可愛いよ。世界一可愛い」

「湊先輩。まだ続けるの?」

「本当に可愛すぎてもうどうにかなっちゃいそうだ……」

「湊せんぱぁーい」

「可愛い、好き……愛してる……」

「湊先輩しりとりしましょ。えっとねー、ライオン!」

「さいっこう…………」

「……ンジャメナ!」


 カメラのシャッター音が止まらない。

 ぶつぶつ呟きながらカメラを構える湊先輩は、その顔をうっとり恍惚に染めていた。

 レンズの向こうに立つのは雫ちゃんである。彼女は湊先輩の言葉にぽっぽと体を僅かに赤らめていた。照れくささに彼女が吐息を吐き出せば、口らしき部分の粘液がゴボゴボと泡立つ。


 廃屋の居間で行われているのは怪物の撮影会だった。

 怪物姿の私達を湊先輩が撮りはじめてはやくも二時間が経過している。


「つまらぬ」


 天井を見上げて両頬を膨らませた。私もさっきまでは写真を撮っていたが、そろそろ少し休憩がしたかったのだ。

 コロコロ畳を転がって湊先輩達を見る。けれど二人とも写真撮影に夢中で、私のことなんか見てやいない。

 痺れを切らし、チョコを抱えて縁側へ向かう。そこでは千紗ちゃんが座って煙草を吸っていた。風にひゅうと吹かれた紫煙が私の顔にかかる。


「ここ、寒くない?」

「じゃあ中入っとけよ」

「だって退屈だもん」


 電気が通っていない廃屋は昼間でも薄暗かった。居間にいるのは飽きたが、かといって他の部屋を散策するのはちょっと怖い。鷹さんは「ホラー特集の背景にするの」と意気込んであちこち部屋の写真を撮りに行っているようだったが。


「ここ夜になったら雰囲気ありそうだよなぁ。後で肝試ししようぜ」

「怖いのはやよ! 朝とかならまだしも……」


 怖がりな奴、と千紗ちゃんは鼻で笑う。私は鞄からごそごそとお菓子を取り出し縁側に並べた。


「おやつ食べましょ。ほら、土屋さんからもらったお饅頭。土饅頭」

「土饅頭の意味知らねえだろお前」

「そうだわ。うちのママのお菓子もあるの。旅行先で食べなさいって包んでくれたの」

「お、やった。お前の母親の菓子うまいんだよな」

「疲れたときに食べると元気になれる、幸せのお菓子なのよ」

「コカインみたいなもんってことね」

「その例えやめて」


 私達は座ってクッキーとお饅頭を食べた。サクサクした香ばしさと、もったりとまろやかな餡子に舌鼓を打つ。

 縁側というのはなかなか気持ちいい場所だった。縁側が埃でざらついていなければ、横になって雲でも眺めていただろうと思う。

 廃屋化した建物であっても、畳の香りや木の柱の香りはぼんやりと残っていた。おばあちゃんの家に遊びに来ているみたいだなと思った。私が生まれる前にどちらのおばあちゃんも死んじゃって、会ったことはないけれど。

 だらだらと喋っていると、不意にチョコがあくびをしながらぼんやりと言った。


「それにしても怪物作品ねぇ。ありすちゃん出演の作品を撮ろうだなんて面白い話だな。いずれ記憶も記録も消えてしまうってのに! 意味なんてないだろ」

「っ」


 私と千紗ちゃんの表情が凍り付いた。急に冷や水をかけられたかのように、頭は白く冷えていく。


 魔法少女ピンクの副作用、認識障害。

 姫乃ありすという存在は、怪物という存在は、この世から徐々に消えていく。それは人間の脳味噌だけではなく映像や写真なんかの記録媒体にも影響する。

 文化祭のときに作ったフォトモザイクアート。それも今や、すっかり崩壊していた。元に描かれていた私の顔がどんなものだったのか、私自身とっくに思い出せない。

 あのとき私は写真部でたくさんの人に手伝ってもらったはずなのに。この瞬間を私はきっと一生忘れられないわと泣きながら思っていたはずなのに。あのとき誰に手伝ってもらったのかさえ、私は既に覚えていないのだ。


「どの記憶が、誰から消えていくか、完全にランダムってのがちょっと面白いよね。赤ん坊時代の写真が最後まで残るかもしれないし、さっきぼくが撮ったばかりのブレブレの写真が最後に残るかもしれないし。パパとママがありすちゃんを忘れたのに近所のコンビニのお兄さんがまだありすちゃんを覚えている、なんてこともありえるんだから。いやー運ゲーって感じ。おもしろ……アイターッ」


 千紗ちゃんがチョコを縁側から蹴り落した。

 そのまま彼を足置きにした千紗ちゃんは、珍しく気遣うような視線を私に寄越して頬をかく。彼女はポケットから取り出した薬瓶をこちらに差し出し、中の錠剤を揺らした。


「まあ、その、なんだ。…………コカイン吸って気分でも変えるか?」

「千紗ちゃんって人を慰めるの下手ね」

「は? 当たり前だろ。大抵は人を馬鹿にしてきた人生なんだぞ。悲しんでいる人がいたら慰めましょうだなんて、そんな常識的なことが今更あたしにできると思ってるのかちったぁ考えろカス」

「と、トドメを刺しにきた……」


 千紗ちゃんは冗談だよ、と肩を竦めて瓶から取り出した錠剤を飲んだ。「あっ」と私は思わず息をのむ。

 話の流れ的にそれは危ないお薬ってやつじゃないかしらと思ったのだ。ドキドキ見守っていた私の視線に、彼女はニヤリと笑う。


「ちゃんと病院で処方された薬だよ。精神安定剤だ」

「えっ! 千紗ちゃん、どこか具合悪いの?」

「魔法少女イエローの副作用を忘れたか?」

「……なんだっけ」


 暴力性の向上だね、と千紗ちゃんの足からよじよじ抜け出したチョコが言った。縁側をよじ登り、砂だらけの体で私の膝の上に座る。


「これでも前よりずっと怒りっぽくなったんだ。些細なことでイライラするし、夜の街で絡まれたらすぐ喧嘩になっちまう」

「瞬間湯沸かし器……ってコト?」

「そうだな殺すぞ」

「ほんとだ!」

「試すな。――で、そのイライラをどうにかしようってことで薬もらってきたんだ。副作用を知ったときから飲み続けてる。どうだ。効果を感じるか?」


 私はパチクリと目を瞬かせて考えた。暴力性を抑えるといったって、千紗ちゃんは今もすぐ怒るし、たまに殴ってくるし、正直言ってそんなに落ち着いた感じはない。

 ……いや、と私はけれどすぐ考え直す。副作用が食欲増進である雫ちゃんが、夜中に追加でお米を三合ぺろりと食べていた話を思い出したのだ。それにこの間だって特盛ラーメンをあっさり完食していたし。

 雫ちゃんの副作用のレベルに比べれば千紗ちゃんの暴力性はかわいいものだった。元々乱暴な性格の彼女だ。それがこの程度で抑えられているというのなら、薬の効果は随分高いといえる。


「あたしの副作用は薬でやわらげられる。雫だって胃の縮小手術でもすれば今よりは食欲を抑えることができるかもしれない。……つまりなんだ。副作用はどうにか対処できるものもあるかもしれねえって、そういうことだよ」

「あ……」

「怪物のイメージアップ作品を作ったっていつかは消えてしまうから意味がない? はっ。今この瞬間、怪物のイメージアップができりゃいいんだよ。何年後の話じゃなく明日明後日の話をしてるんだ」


 少々回りくどい千紗ちゃんの言葉の意味をようやく理解し、私はきゅっと下唇を噛んだ。

 彼女は私を慰めようとしてくれていたのだ。


「なあ、ありす」

「うん」

「初めてお前に会ったときのことは今もよく覚えてる。すげぇ変な奴だと思った。あたし達が薬吸ってるのに、なんにも気にせずへらへらして」

「あのときの私、めんどくさい子だったでしょ。ごめんね」

「まあ今も変な奴だとは思ってるけど」

「うぐ」


 千紗ちゃんは笑った。煙草の最後の一口を吸って、湿った青紫色の煙を吐き出しながら呟く。


「お前が死にたいって言ったとき、本気で怖かったよ」


 一瞬何のことだろうと思って、すぐにそれが、私が自分の正体を知ったときの話だと悟る。

 千紗ちゃんはその呟きに返事を必要としなかった。私の反応も見ず、次の言葉をゆるりと吐き出す。


「魔法少女が終わってもさ。また、友達みんなで旅行しようぜ」


 私は喉を詰まらせて、ぐっと息を殺すように、無音の頷きだけを返した。

 震える溜息が喉に落ちていく。

 千紗ちゃんと友達になれてよかったなぁと。このとき私は改めて、そう思ったのだ。


「…………うし。じゃ、映画撮るぞ!」


 一分もせずに千紗ちゃんはカラッと明るく笑った。余韻に浸る暇もなく、手を引かれて立ち上がる。カメラを構えながら彼女は、青空みたいに爽やかな声で話しかけてくる。


「怪物PR映像は撮ったからな。こっからは映画コンテスト応募用の短編でも撮るぞ。どんなのがいい?」

「魔法少女物がいい。『魔法少女ピンク』ちゃんみたいな可愛いやつ!」

「お前が一番お気に入りの魔法少女物だっけ?」

「うんっ。一番おすすめの魔法少女なの」

「何度も聞くから気になってバイト先のレンタルコーナー漁ったけど、そのシーズンだけ在庫なかったぞ」

「なぜ!」

「ハブられてんだろ」


 私は今度千紗ちゃんにビデオを貸すことに決めた。ビデオカセットだけど映画研究部の部室には確かそれ用の再生機があるから大丈夫だ。

 私の大好きな魔法少女ピンクちゃんを、皆で一緒に見られたら、きっととても楽しいと思うのだ。


「帰ってからも別のやつ撮るからな。次は街を舞台にした映画撮るからな。雫主演のかっこいいやつ」

「わ、面白そう。どんなの作るの?」

「そうだなぁ、やっぱサスペンスかな……。春の季節で撮りたいんだ。だからまあ、来年の四月くらい?」


 皆、私の存在が消えていくと知っている。この調子でいけば来年の夏を迎えられるかも危ういことを知っている。

 チョコに言われなくたって。作品を作っても、後に何も残らないことを、皆分かってる。

 それでも皆は私に、未来の話をしてくれるのだ。


「んじゃ撮るぞ」


 三秒前のカウントダウン。アクション、と弾ける千紗ちゃんの言葉を聞いて、私は澄んだ空気を深く吸い込む。


「私、姫乃ありす。十五歳の高校一年生」


 このビデオがいつまで残るか分からない。もしかしたら、数日もすれば消えてしまうのかもしれない。

 それでも今。私達は作品を作り続けるのだ。


「魔法少女になれる女の子なのよ」




 温泉には、ゴーグルと水泳帽をもっていくことができればいいと、私は常々思うのだ。

 けれど隣で髪を洗っていた雫ちゃんにそれを言えば、彼女は苦笑して「温泉は泳ぐ場所じゃないんだよ」と衝撃的な事実を伝えてくるのである。


 長い撮影会を終えたあと、私達は集会所に戻って温泉に来ていた。集会所の傍にある温泉は予想以上に立派なものだった。高い山々を眺望できる露天風呂。黒い夜空には大量の星がまたたいて、なんとも贅沢な温泉である。


「ね、雫ちゃん。ここにおサルさんがいたらもっと最高じゃない?」

「ふふ、そうだね」

「私的には熱燗が流れてきたら嬉しいな」

「あたしも酒がいいな」


 肌の上を水滴がすべっていく。お湯の温度はちょっと熱めだったけれど、外の空気が冷えている分ちょうどよかった。うっとりと満天の星空を見上げてぼーっとしていた私は、髪から垂れる水滴を追うようにして、隣の雫ちゃんを見つめる。

 長い髪を結いあげた雫ちゃんは綺麗だった。白いうなじにはらりと流れるおくれ毛がなんだか艶っぽい。眼鏡をはずせば、その瞳の青さがいっそう目立ってキラキラと光っていた。

 気持ちいいねぇ、と彼女はまどろむような優しい声で私に言う。うん、と私も柔らかく微笑んで頷いた。


「あーっ! チョコおいチョココラ走るな泳ぐな飛び込むな! 日本のお風呂の入り方くらいとっくに知ってるでしょうがこの宇宙人め……手が届かないから洗ってくれ? お前いくつだよどう見ても僕より年上でしょうが四十歳は越えてるでしょ! ぬいぐるみ姿で届かないならおっさんの姿に変身すればいいでしょもう!」


 男湯も楽しそうだ。湊先輩の大声が柵を飛び越えてこちらにまでつつ抜けてくる。バシャバシャとお湯がはねる音とチョコのキャーキャーはしゃぐ声が反響して聞こえてくる。

 そういえばよぉ、と頬を火照らせた千紗ちゃんが思い出したように私に言った。


「お前結局、石って見つかったのか? あの後、帰り道で色々探し回ってたみたいだけど」

「ううん。なぁんにも。やっぱりそう簡単に見つけられるものじゃないわね」


 願いを叶える白い石。撮影後に宝探しをしたけれど、結局見つけることはできなかった。白っぽいものを見つければ手あたりしだいに駆け寄っているけれど、大体はゴミばかりである。

 うーん、と頭を悩ませながら空を見上げて星空を眺める。石を見つけるよりも流れ星を見つけた方が早いんじゃないかという気もしてきた。

 と、空から降ってくる青い星明かりが、不意に近くの木々の木の葉をキラリと光らせた。

 あっ、と私は声を上げて立ち上がる。露天風呂の隅に生えている大きな松の木。その葉の隙間に、何やら白くて丸いものがあるのが見えたのだ。


「白い石だ!」

「いやあれどう見ても鳥の……」


 勢いよくお湯から上がった私はダッシュで松の木へと向かう。走ると危ないよ、という鷹さんの声も聞かずに急いで駆け寄った私は、かなり高い位置にあるその枝を見て、迷わず両手を頭上にかかげる。


「変身!」

「えっ」


 ズリュリと体が変化する。視界が一気に高くなり、伸ばしていた腕が粘質な触手へと変化した。

 触手を絡みつかせるように木を登る。人間の姿では難しくとも、変身すれば登るのは簡単だった。

 木を登っていく私に気が付いた湊先輩が、はぁっ!? と素っ頓狂な声をあげる。


「ありすちゃん何してるの!? 危ないよ!」

「繧ゅ≧縺吶$縺ァ蜿悶l繧九o」


 もうすぐで取れるわ、と私は眼下にいる皆にぶんぶんと触手を振った。この高さからだと男湯も女湯も見ることができてしまう。何をやってるんだと呆れた顔をする女湯の皆と、腰にタオルを巻いてわたわた慌てている湊先輩の対照さがちょっと面白かった。

 先に行くにつれて足場が細くなっていく。私は触手をめいっぱいに伸ばして、なんとかギリギリ白い石を手に取った。


「蜿悶l繧ソ!」


 取れた! と喜びの声をあげるのと。足場が粘液でつるりと滑ったのは同時だった。

 あ。と間抜けな声をあげて私は真っ逆さまに落下する。受け身を取る間もなく私は温泉に落下した。盛大な水飛沫があがる。


「ぶあっ!」


 私は慌ててお湯から顔をあげた。目がしょぼしょぼして周りが見えない。じょじょに変身を解いていきながら、濡れた目を擦った。


「ゲホッ、縺代⊇……うぅ、ひ、ヒド驟キい目にあった」

「ありすちゃん大丈夫?」

「うん。ちょうど柔らかい地面だったからだいじょう……あれ、チョコ?」

「ぼくだよ。はい、これ。取ろうとしてたんでしょ?」


 ようやく前が見えるようになると、私の目の前にピンクの毛を濡らしたチョコが立っていた。そこで私はようやくここが女湯ではなく男湯であることを悟る。

 チョコの手には白い石があった。けれど改めてそれを見た私はガッカリと肩を落とす。それは白い石なんかじゃなく、単なる鳥の卵だったのだ。


「目玉焼きにしようよ!」

「だめよチョコ。巣に帰してあげなくちゃ。私ったら、勘違いしちゃったわ」


 ドロリと溶けていく怪物の粘液が肌の上を滑る。今更男湯に裸でいることが恥ずかしくなって、触手を伸ばして近くに浮かんでいたタオルを引っ張り、体を隠す。

 これでよし、と満足して女湯に戻ろうとした私は、そのときになってはじめて自分の下敷きになっている湊先輩に気が付いたのだった。


「あっ」


 私を受け止めようとして潰されたらしい。湊先輩はキョトンと呆けた顔をしていた。たらたらと垂れる触手の粘液が、火照った彼の肌に落ちていく。

 突然の出来事に思考が追い付いていなかった彼の目に、ゆっくりと理解が灯る。彼は視線を下げ、自分の腰に巻いていたタオルが外れていることに気が付いた。


「う、ぁ」


 私を見上げる彼の目が段々吊り上がって、その顔がじわーっと赤くなっていく。それがお湯の熱さのせいでないことは明白だった。

 私はふぅ……と息を吐き、キリリと引き締めた顔を湊先輩に向ける。


「まずは話を聞いてちょうだい」

「…………」

「これには深い事情があるのよ。大丈夫、見てないから」

「ぃ……」

「大丈夫大丈夫お湯でほとんど見えてなかったから。ちょっとしか見てないから」

「いいからさっさと出てってよバカァーッ!」


 湊先輩の絶叫は、村中に響き渡るんじゃないかと思うほどにでかかった。





「ありすちゃん。セクハラって言葉を知ってるかな?」

「ごめんなさい」


 知らないならお勉強しよっか、とニコニコ笑顔の湊先輩に私は詰め寄られていた。笑顔なのに物凄く怖い湊先輩に、冷や汗が止まらなかった。

 携帯をぽちぽちいじって一通りハラスメントへの知識を深めた私に、湊先輩は困ったように腕を組んで「そんなに石が欲しかったの?」と聞いてくる。


「願いを叶えたかったの。ずっとみんなと一緒にいられますように、って……」

「ありすちゃん……」

「湊先輩……」

「まあそれとこれとは別問題なんですけど。反省して」

「クッ」


 私はしっかりこってり絞られた。

 夕飯は土屋さんが持ってきてくれたこの土地の名産を使った料理だった。薄味のそれは普段食べるママのご飯と違って新しかった。だしがじゅわりと染み出してくる料理は、どれもこれも凄くおいしかった。

 トランプにまくら投げ、撮った写真や絵の鑑賞会におしゃべり……。そうこうしていればすっかり時間も遅くなる。翌日もあるのだからと、私達はそろそろ寝ることにした。


「おやすみなさい」


 鷹さんがパチリと電気を消せば部屋は暗くなる。窓から差し込む月の光が、皆の輪郭をぼんやり青く照らすばかりだった。

 しばらくの間は小さな会話が生まれては誰かがくすくす笑っていたけれど、それもそのうち寝息に変わる。

 静かな寝息とチョコのいびきだけが聞こえる部屋の中。私は一人、眠れないままでいた。


「…………」


 体を起こした私は皆の寝顔をじっと眺める。そっと立ち上がり、端っこに敷かれていた湊先輩の布団へ潜り込んだ。湊先輩が眉間にしわをよせてうぅんと小さく唸る。起きるかしら、とその顔を見つめていれば、分厚いまつ毛がゆっくりと開き、私の姿を見つけてギクリと強張った。


「眠れないの」

「……前にもこういうことあった気がするな」


 私は体を丸めて湊先輩の胸元にすり寄った。出ていかないぞという抵抗に彼は苦笑して、私の背中をぽんぽんとあやすように撫でてくれる。半分まどろんだ彼の声が、とろとろと私の耳に流れ込む。


「目を閉じてリラックスすればいい。羊を百匹くらい数えていれば、もう眠っているさ」

「……ごめんなさい。嘘なの。本当は眠りたくないだけ」

「どうして?」

「だって眠ったら、今日が終わっちゃうでしょ?」


 千紗ちゃんがカチンと鳴らしたカチンコの音。湊先輩と覗き込んだカメラのファインダー。雫ちゃんが描いてくれた私の似顔絵。鷹さんと一緒に石を探してあちこち巡った大冒険。

 キラキラ光る今日の思い出を、眠って忘れてしまいたくはなかったのだ。


「……明日はまた、新しい思い出を作ろうよ」


 だから大丈夫、と湊先輩は私の背中を撫でながら言った。


「大丈夫。今日の楽しかったことも、明日の楽しいことも、全部、ちゃんと撮ってるから」

「…………」

「覚えてるから。だから、大丈夫だよ……」


 湊先輩はきっと私の不安に気が付いている。ゆるゆるとした彼の手は優しくてあたたかくて。大丈夫、という言葉を繰り返されるたび、絡んでいた心がほどけていくのを感じるのだ。


「起きたらまた皆で遊ぼうね」

「うん」

「宝探し、一緒にしようね」

「うん」


 私は頷いて湊先輩にすり寄った。彼は私をそっと抱きしめ、子守歌みたいに優しい声で、おやすみ、と私に言った。


「おやすみなさい、湊先輩」


 私はふっと瞼を閉じた。

 きっと、いい夢が見られる気がした。




「おい、起きろ」


 パチッと部屋の電気が付いた。

 私は急に眩しくなった部屋に目をしょぼしょぼさせて、枕元に立つ千紗ちゃんを見上げていた。

 もう朝だろうかと思った。けれど窓を見れば外はまだ真っ暗だ。時計を確認すれば朝は朝でもまだ四時半である。

 なにくっ付いて寝てんだよ、と千紗ちゃんは湊先輩を蹴って起こした。鷹さんと雫ちゃん、それからチョコも目を覚まし、眠たげな目を擦って千紗ちゃんに疑問符を浮かべている。

 こんな早朝になんだというのか。そんな私達の視線を一身に浴びた千紗ちゃんは、わくわくした様子を隠さず、楽しそうな声でこう言った。


「今から肝試ししようぜ!」

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